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キラキラ 230

 今奈月が言ったことが、まさか彼女の口から出てきたとはとても信じられない。奈月が東山と一緒にいながら、誰か別の人のことを考えていた?
 まだ頭の中を整理しきれないうちに、奈月は話を続けた。
「あの時私は、たしかに東山君を思っていたんです。間違いなく、あの人のことが好きでした。でも、今言ったように、胸のある1点にキリが突き刺さったような痛みを感じたのです。しかもそれは息がふさがりそうなほどの、本当に苦しい痛みでした。油断したら泣いてしまいそうでした」
 2つ目の外灯を通り過ぎたところで、小道は右に折れ曲がっている。道なりに進むと、その先に神社が現れた。薄暗い木々に囲まれた、ひっそりとした佇まいだった。
「ここが野宮神社なんだな」と僕は言い、鳥居の前に立った。
「黒木の鳥居ですね」と奈月は秘密を打ち明けるような声で解説した。辺りの暗さが鳥居を黒く見せているのかと思いきや、近づいて確かめると、本当に黒い木で作られた鳥居だった。
「この鳥居は『源氏物語』の本文にも書かれてます。娘の斎宮と一緒に伊勢に下るために野宮で禊ぎの日々を送っていた六条御息所を源氏が訪ねる場面です。源氏は身をやつして、信用のおける従者だけを連れて、お忍びでここを訪れるのです。そうして黒木の鳥居をくぐる」
 闇に透けて見える奈月の横顔に目をやると、彼女はこぢんまりとした鳥居を見上げている。彼女の顔の遙か彼方の空には月が出ている。月明かりはその周辺を金色ににじませている。空と山との境目はわずかに明らみ、もうすぐ夜も終わりを告げようとしていることを伝えている。
「野宮とは、野原の中に立てられた仮のお宮です。ですから、平安時代にはこの辺りにいくつかあったので、ここが源氏と六条御息所との別れの場所だとは特定できません。でも、そんなことは関係ないです。要は魂の問題なんです」と奈月はやはり冷淡な調子で意味不明のことを言った。
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キラキラ 229

「物の怪」と思わず言葉がこぼれた。
 その不吉な言葉は、六条御息所の人生と重なり合う。御息所の魂は物の怪となり、光源氏の妻である葵の上に取り憑き、最後には絶命させたのだ。
 だが今は、僕の目の前を歩く奈月の背中にも重なり合うような気がする。僕の知っている奈月は、天真爛漫で優しく、しかも慎み深い女性だ。彼女と「物の怪」という言葉が結びつくはずがない。奈月が昨日の姿から急変してしまったがために、勝手に嫌な予感を抱いているだけなのだ。
 広大な墓を通り過ぎた僕たちの両側には、再び深い竹林が生い茂っている。2つ目の外灯が近づくにつれて、あと少しでこの道も終わることが分かる。竹たちは相変わらず「さらさらさら・・・」とざわめいている。依然として、おそろしさを感じながら、僕は奈月の少し後ろを歩いている。
 すると、「やっぱり、この時間帯は、いいですね」という奈月の声が暗闇を突き抜けた。
「前に東山君と来た時には、昼下がりの時刻で、しかも秋の紅葉の季節だったから、この道は観光客でいっぱいでした。でも、私は、胸騒ぎがしたんです。そして、さみしくなりました。胸の真ん中に、ものすごく細くて鋭いキリで穴を開けられているかのように、心のある1点だけが、異様に痛みました」
 いつの間にやら、奈月は僕の真横を歩いている。僕の歩く速度が上がったのか、それとも奈月の速度が落ちたのかは分からない。
「東山と一緒だったのに、さみしかったの?」と僕は聞いた。すると彼女は「すごくさみしかったです」と言い切った。「あの時、東山君と歩きながら、私はいったい何をしてるんだろうって、ずっと思ってましたよ。私は本当に私なのかって、何度も自問自答しました。結論からすると、あの時の私は、本当の私じゃなかった。私は、東山君のために自分を犠牲にしていただけでした。あの時、私の中には、別の人がいました。この道を歩きながら、私はずっと、その人に会いたいって、胸を痛め続けてたんです」

キラキラ 228

「普段は目に見えないもの?」と僕は聞いた。奈月は歩く速度を保ったまま「そうです」と答えた。
 竹林は風に揺らされて、さらさらさらと音を立てている。「さらさらさら・・・」
 さっきホテルの窓を開けた時、大堰川から流れる風が草木を揺らしていたのを思い出す。あの時奈月は「待つ人のいる方から吹く風のことを、平安朝の貴族は『松風』として、それとなく和歌に詠み込んだのです」と教えてくれた。そして、大堰川のほとりにも松が茂っていると指さした。この風こそが、まさに松風なのだと。僕は風に吹かれながら、平安時代と今との間に、大して時間の差はないように感じた。
 だが、その瞬間の記憶は奈月にはない。彼女は僕の記憶を、後になって「現実的な夢」だと一蹴した。
 とはいえ、「さらさらさら・・・」という音だけは鮮明に残っている。大堰川のほとりの草木の揺れる音と、野宮神社に続く道に生い茂る竹の音は、僕の心の中で完全に一致している。
「普段は見えないものって、具体的には、何だろう?」と僕は奈月の背中に向けて問いかけた。すると彼女は、ためらうことなく「魂の声です」と答えた。僕にとっては全く意外な回答だった。
「魂?」
「はい、魂です。この道を通ると、魂の声が聞こえるのです。それは普段は聞こえない。でも、ないわけじゃない。魂は心の中に絶えずくすぶっています。そうして、私たちを根底から突き動かしているのです」と奈月は続けた。その時、僕たちの左側の竹林が突如として途切れ、その間から広大な墓地が見えた。小道の間に2つほどある外灯の1つが、その光景を他人事のようにぼんやりと照らし出している。
「でも、時に、何かの弾みによって魂が勝手に動き出すことがあります。六条御息所はその状態のことを『あくがる』と表現しました。魂が身体から抜け出して、宙をさまようという意味です」
 昼間に電車の中で、東山のしおりを見ながら奈月が解説したことだ。六条御息所は、源氏を激しく思い、妻に嫉妬するあまり、『あくがる』状態になった。そうして、最後には物の怪と化して取り憑いた。

キラキラ 227

 ちょうどその時、僕たちの目の前に野宮神社への入口を示す看板が現れた。奈月は一切躊躇することなく、看板の示す小道へと入っていった。まるで、この辺りの地図を知り尽くしているかのような動きだ。僕も黙って彼女の後をついて行った。
 すると、もしかするとそれは僕の気のせいかもしれないが、辺りの空気が重く、冷たくなったような気がした。夜明け前の嵐山の街も静まりかえっていたが、この小道に入った途端、静寂の質が変わったように思えた。恐怖さえ感じるほどだった。
 野宮神社へと続く道は、ほんの100メートル足らずと見えるが、その間に外灯は2つしかなく、足下は暗く心許ない。道の両側には竹林が続いているらしい。それもただの竹林ではない。深くて背の高い竹林だ。2つしかない外灯が、その竹林の様子をおぼろげながらに照らし出している。
 奈月は僕を尻目にかけるかのようにまっすぐに進んでいる。時折大きく空気を吸い込むようにしながら、ゆったりと歩いている。つい今まで、ナレーターのような口調で明石の君にまつわる物語を解説していた時とはまた別の魂が宿っているかのように、奈月は落ち着いている。だが、その落ち着きは、僕の心を決して落ち着かせない。2人でビールを飲み交わす前までは、僕は奈月の心と重なり合っているという手応えを得ていた。だが、今の彼女は何を感じているのか全く想像できない。彼女の落ち着きは、だからますます僕を混乱させた。
 すると、少し前を歩く奈月が、まっすぐ前を向いたまま口を開いた。
「竹たちが何かを語りかけてくるみたいです」
 その言葉を聞いて、僕はヒヤッとした。同じようなことを感じているからだ。
「ちょっと、怖いな」と僕は感じることを言葉にした。すると奈月はこう応えた。
「普段は目に見えないものの声が、ここでは聞こえるからですよ」

キラキラ 226

「なるほど」と僕は言った。しかし奈月は、僕が「ど」を言い終えないうちに次を話し始めた。
「つまり明石の君は、光源氏と縁があったんですね。さっきから先輩が言ってるように、彼女の人生は、思い通りにならないようで、じつは思い通りになったんです」
 僕は一呼吸置いてから「ということは、明石の君は、明石の入道の念願通りに、めでたく光源氏の妻となったわけだ」と言った。
 すると奈月は「都に戻った光源氏には、輝かしい生活が待っていました。政治的地位もぐんと上がり、離れていた人たちも一気に近づきました。流離の苦しみを乗り越えた光源氏は、名実ともに栄華を極めたのです」と、やはりNHKのナレーターのように解説を続けた。
「それで、源氏は、過去に六条御息所の住んでいた辺りの広大な敷地に『六条院』という理想郷を構え、そこに春夏秋冬の町を作るんです。『春の町』は源氏が住むべき所で、正妻である紫の上と一緒に暮らします。『夏の町』は昔の恋人である花散里が住み、『秋の町』には秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)が住みました。秋好中宮とは、伊勢神宮に仕えた前の斎宮で、六条御息所の娘です」
「六条御息所」と僕は思わず口走った。すると奈月はかすかな反応をしたようだった。だが、その反応は、またしても暗闇に包み消されてしまった。
「明石の君が移り住んだのは、その六条院の中の『冬の町』でした」
 奈月は結論づけるように静かにそう言った。僕には、何となく、明石の君と『冬の町』が結びつかないでいた。降り注ぐ太陽、磯の香り、クマゼミの鳴き声。明石という場所は、やはり夏が似合う。
「たしかに、明石の君にとって、光源氏が愛する他の女性たちと同じ敷地内に住むということは、一概には幸せだとは言えませんでした。それでも、離れた場所でひたすら待ちわびる苦しみを思えば、源氏がすぐ近くにいるということは、せめてもの救いだったわけです」
作者

Author:スリーアローズ
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