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キラキラ 240

「完全性?」と僕は言った。奈月は僕の反応を気にもかけずに、あくまで彼女のペースで話を続けた。
「そもそも、この世の中に完全なものがあるのでしょうか? もしあるとすれば、それは完全であるという意味で完全ではないと思うのです」
 彼女の言うことは、すんなりと理解できるようなものではなかった。
「伊勢神宮へ仕える女性たちは、この野宮で潔斎をして、俗世にけがれた心身を清めました。でも、彼女たちは、そのことによってすべてが清められたわけではなかった。なぜなら、彼女たちは常に寂しさと隣り合わせだったからです」
 奈月は再びナレーターのような語り口になっている。その声は、夜明け前の森の静寂に、不気味なくらいに調和している。
「彼女たちは、寂しかった?」と僕は口にした。
「斎宮に選ばれる女性は、天皇の血筋をひいていることが条件でした。六条御息所は、主人が皇太子だったわけですから、娘が候補に挙がったわけです。そして、斎宮の最終決定は亀の甲を使った占いで行われました。つまり、彼女たちは本意ではなかったのです」
「でも、斎宮は光栄な役職のように思えるけどね」と僕が言うと、彼女は「伊勢へ行くには、今でも京都から特急で3時間近くかかります。それが平安時代には、斎宮は御輿に乗せられて、500人ともいわれる群行を従えるわけです。何日がかりで、ようやくたどり着くほどの距離がありました」
「都に帰ることは許されたの?」
「天皇が交代するまで、帰京は許されませんでした。だから、斎宮たちは、この野宮で潔斎の生活を送りながらも、旅立ちに不安を覚え、都やそこに残してきた人たちに未練を感じるのです」
 須磨に流離した光源氏の心情と重なるところが多いと、まず僕は思った。
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キラキラ 239

 六条御息所はそうすることでカタルシスが得られたわけだ、と僕は言おうとしたが、口先で止めた。思ったことをつい口に出すことに、ためらいを感じてしまう。この場所の神聖さが僕の体内に浸透してきているのかもしれない。
 すると奈月は意外なことを言った。
「でも、この神聖なはずの野宮は、犯される場でもありました」
 僕は暗闇の中の奈月を見た。それは依然として、奈月の姿をしたある女性、と表現する方がよさそうだった。
「六条御息所と光源氏はこの聖域で着物を脱ぎ、裸になり、深く抱き合い、交わったのですから。『源氏物語』の中では細かくは描かれていませんが、そのことがかえって想像を駆り立てます。おそらくは、お互いに経験したことのないほどの濃密な愛が交わされたことでしょう」と彼女は言った。
 僕は改めて境内を見回した。静謐な空間に、木々や草むらに隠れる生物たちの密やかな息吹が感じられる。緑の薫りが立ちこめ、湿った大地の匂いは夜明けを予感させる。
「2人は、神に仕えるための禊ぎの場であるこの場所で、タブーを犯したのです。ただ、それは2人が歩んできた人生の象徴でもありました。元皇太子の妻である六条御息所は、主人の甥に当たる光源氏を愛したわけです。源氏の方も、父帝の妻である藤壺と愛し合い、不義の子供を産むという過去があります。御息所も光源氏も、世間体を気にし、高貴に生きようとしてきたのに、2人とも、自らの本能には打ち勝つことができなかった。野宮はそんな2人を引き寄せて、犯される場所になったわけです」
「犯される場所」と僕は言った。だがそれは、決して軽はずみで出た言葉ではないような気がした。
「私はこんなふうに考えます。つまり、野宮という聖域は、犯されることによって、より完全性を与えられたのだと」

キラキラ 238

 奈月はそう言った後で、細く長く息を吐き出した。杉の木立の間に顔をのぞかせている月は、青い光を放ち続けている。奈月は闇の中で一度髪をかき分けた。僕は背中に汗をかいているのを自覚した。木立を吹き抜ける風が、野宮を満たす空気を揺らしている。
「さっきの話の続きですが」と奈月はだしぬけ気味に言った。どの話の続きなのだろうと僕は思った。
「1年と半年ぶりに再会した六条御息所と光源氏。2人はぎこちないながらも、徐々にお互いの距離を縮めてゆきます。特に御息所は、こんなに長い間自分を待たせたことの恨みもあって、そう簡単には心を許したくなかったのですが、やはり自分に嘘はつけませんでした」
 奈月がそう言った時、頭の中には再び千年前の想像が広がった。平安朝を代表する男女の最後の夜。それはこの野宮が舞台だった。
「光源氏が詠んだ和歌を聞いた六条御息所は、頑なに閉ざしていた自らの心が解けてゆくのを感じずにはいられませんでした。それを自覚した途端、これまで『あくがる』状態だった彼女の魂は、ようやく元の自分の中に収まり、目の前の光源氏へと向けられたわけです。源氏の方も彼女の心の中が手に取るように分かりました。源氏は御息所の近くにまで歩み寄り、彼女を抱きしめます。もはや御息所は抵抗などするはずがありませんでした。それから2人は深く愛し合います。会えなかった長い時間を埋めるかのごとく、お互いに求め合いました。なつかしい光源氏の体を自分の中に受け入れた御息所は、堰が切れたように、つらさや恨み言を源氏にぶちまけます。光源氏への計り知れない思い、過去に経験した葵の上への嫉妬。でもそれは決して本意ではなかった。なぜなら彼女は世間の『人笑へ』だけにはなりたくなかったから。にもかかわらず源氏は、苦しんでいる自分を顧みてはくれなかった。長いこと味わった生き地獄のような苦しみ。そのようなことを御息所は源氏に話したのです。すると、彼女は、自らの心の変化に気づきます。すべてをぶちまけた後、源氏をあっけなく許してしまっている自分がいたのです」

キラキラ 237

「ここは、ほんとうに神聖な場所です。自分の魂の声がはっきりと聞こえてくるようです。・・・私、場所には『力』があると思っています。たとえば、私は佐賀に生まれたわけですが、たまたまそれが佐賀だったというのではなくて、佐賀という場所が私をこの世に導いたのだって、これはずいぶん前からですけど、そんなことを感じてきました」
 そう言って奈月は目の前にそびえる杉を見上げた。まるで極楽浄土を仰ぐかのようだった。
「光源氏が須磨に流れたのにも、やっぱり須磨という土地自体に求心力があったのでしょう。それから、その後明石に移ったのも、これはもちろん、表向きには明石の入道をはじめとする人たちの導きもあったわけですが、根源的には明石という場所に力があったのです」
「独自の観点だな」と僕は言った。だがそう言った後で、何やら見当違いのことを口にしたような気がした。それを裏付けるかのごとく、奈月は僕に頓着することなく話を進めた。
「須磨から明石に移る時に、海が荒れて海竜王が出てきましたよね。あれは、住吉の神の導きによるものだと光源氏は感じ取るわけですが、神々でさえも、その土地に由来しているわけです」
 奈月は、見上げていた視線を今度は足下に向けた。左手には榊の枝を持っている。
「そう考えると、この野宮にも、力があるわけです。ここは六条御息所と光源氏との最後の場面になるべくしてなった、つまり、この場所が2人を引き寄せた」
 ということは、この場所が僕たちをも引き寄せたわけだ、という言葉が頭に浮かんだが、口には出さなかった。ひんやりとした空気の中、緑と土の臭いだけがかすかに漂っている。
「この野宮には、神聖な空気が感じられます。ここは、斎宮に選ばれた女性たちが、伊勢神宮に仕える前に禊ぎをする聖域。この空気は、人によって作られるようなものではない。だからこそ六条御息所は、源氏から離れるためにここに逃げ延びたのです。でも、源氏は追いかけてきた」

キラキラ 236

 すると奈月は、「分かってます」とやさしさのこもった口調で言った。「なぜ今、私がこんな話をしてるのか、先輩はよく分からないのでしょう?」
 その問いかけに対して何も答えられぬまま、暗闇に立つ彼女の姿を見た瞬間、僕はどきっとした。目の前に立っているのは、奈月ではなかったからだ。見た目はたしかに奈月に違いない。だが、奈月のように見えて、実は奈月ではない。ここに立っているのは、孤独に震える1人の女性だ。
 思わず「奈月?」と声をかけた。だが彼女は、あたかも何かの象徴のようにそこに立ちすくんでいるだけだ。混乱している僕を気にかけるふうもなく、彼女は話を続けた。
「なぜこんな話をしているのか、実は私にもよく理解できないんですよ。でも、1つだけ確かなのは、今この瞬間、先輩とこの野宮にいるのは、『宿世』によって定められていたということです」
 木立の高いところで、また鳥が鳴いた。初めて聞く鳴き声だ。それは木管楽器のように野太く、高らかに響き渡った。
「私は、この野宮で先輩と2人きりになるように宿命づけられていたんです。今、はっきりと悟りました。今のこの瞬間は、きっと、永遠になります」
 彼女はそう言い、一途に僕の方を見た。暗闇の中でも、彼女の視線はまっすぐに伝わってきた。
「大切なことは、後になってみないと分からないんです。さっきから何度も出てくる、『思い通りにならないようで、実は思い通りになっているのが人生』っていう思想も、きっと同じことを言っているのだと思います」
「もし、奈月が言うように、今という時間が『宿世』によって決められていたのなら」と僕は口を挟んだ。「今のこの瞬間は、いったいどんな意味があるのだろう?」
 すると、奈月はふっと力を抜き、続きを話し始めた。 
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
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それも
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