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キラキラ 280

「六条御息所は毎晩のように御簾の中で自分を慰めました。光源氏の身体を思い出すだけで彼女はすぐに濡れてしまったんです。伊勢に仕える前、この野宮で潔斎の日々を過ごす身になっても、心の中は何も変わらなかった。神の前で源氏の身体を想像することへの罪悪感も、日ごとに薄らぎました。そのうち彼女は、この野宮で源氏に抱かれたいと願うようになった。その瞬間を想像すると、どうしようもなく濡れた。彼女は掘っ立て小屋のような仮の神宮の中で自分の声を押し殺すのに必死でした。こんなところに来てまでも『人笑へ』になってはならないという羞恥心さえも、源氏への憧れには勝てなかった」
「奈月」と僕はまた彼女の名前を呼んだ。奈月はそこで話をすっとやめた。
「もう帰ろう」
 すると彼女はふっと笑い、「もう少しだけ待ってください」と言ってきた。
「もういいよ。奈月がどんなことを考えて生きてきたのか、何となく分かってきたから」
 僕がそう言うと奈月はほんの少しだけ間を置いてから、「何となく、ですか?」とつぶやいた。
「これまで私は自分のことをここまで話すことはなかった。たぶんこれからもないです。さっきも言いましたが、心の一番深いところにある秘密を打ち明けるということは、ごく限られた機会にしかできないことなんです」
 奈月の静かな迫力に、僕の心の底で揺れている感情がさらにぐらついた。動揺する僕を気にかけるふうもないまま、奈月は話を再開した。
「毎晩光源氏のことを考え続けて1年半。その瞬間はようやく訪れました。再会して間もなくのよそよそしい時間を経験した後、2人は抱き合います。源氏の胸に身体をうずめながら、御息所は長年の思いが叶ったことを実感します。そうして彼女はこれまでにないほどの恍惚に包まれるのです」
 奈月はそう言い、今まで左手に持っていた榊の枝を右手に持ち替えた。
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キラキラ 279

「そんな中、六条御息所は、車争いの日に、葵の上側の人たちから屈辱を受けます。大衆の面前で、光源氏への叶わない愛に苦しむ姿をさらしてしまった。彼女が最も怖れた『人笑へ』になってしまったのです。思い通りにならないようで、思い通りになっているのが人生って、昨日から何度も言っているけど、最も避けたい事態に陥ってしまうのもまた人生なんですね」
 奈月はまるで自分の痛みのようにしみじみと語った。
 そういえば、たしか麻理子も同じようなことを言っていた。物事に執着することは怖い、と。
 奈月から真相を聞かされた今、その言葉は僕に向けられたものだったのかもしれないと思う。大人の女性は心の一番深いところで自分を悩ませる張本人にだけ秘密を打ち明けるもの。直接的に伝えることもあるし、間接的な時もある。
 そんなことを考えていると、奈月が、いきなりこんなことを言ってきた。
「物事に執着することは、怖いです」
 その言葉を聞いて、僕は再び眩暈に襲われた。しばらくしてそれが収まった後、今度は背筋がぞっとした。
「執着することは、いろんな意味で怖いんです」と奈月は小さな声で追い打ちをかけるように続けた。
「屈辱を受けた六条御息所の魂は『あくがる』状態になって、ついに葵の上を呪い殺します。もちろん、そのことによって御息所自身もひどく苦しみました。彼女は何度も『憂し』と言っています。東山君が言うとおり、六条御息所はただの悪女として切り捨てられないんです。苦しい恋に落ちた女性なら誰でも体感する宿命を背負っただけなんです。でも当の本人は、そう考えることはできなかった。伊勢に下るしかなかったのはそのためです。とにかく彼女は、光源氏のことを思い続けた。光源氏の何を? そうです。彼の身体を想像したんです」
 僕の心の深いところでまた、危ない、という声が雷鳴のように上がった。

キラキラ 278

「伊勢に下った六条御息所が一番つらかったのは、夜でした。平安朝の女性にとって、夜とは好きな男の人と会える限られた時間だったんです。まだ源氏が訪ねてきてくれた頃、月の夜は、特に燃えた。初めて源氏を受け容れてからというもの、御息所は彼がほしくて仕方なかった。彼は、肉体的にも、すべてを包み込んでくれる唯一の男だったんです」
 奈月は溢れ出る感情を抑えようとしているかのように話した。
「平安朝の男って、『にほひ』とか『けはひ』とか、はっきりとは目に見えない雰囲気にこそ魅力があったとされます。でも、月明かりに映し出された光源氏の裸ほど、六条御息所の心を満たすものはなかった。彼女はずっと、自室にいる時も、それから宮中に上がっている時も、光源氏の裸を思い浮かべました。そうして、光源氏が彼女の中に入った瞬間の、すべてを揺さぶられるようなあの恍惚がどうしても忘れられなかったんです」
 奈月は呼吸が早くなってきたようだ。それでもつとめて冷静に、自分の言葉を丁寧にかつ的確に紡ぎ出すかのように語りを続けた。僕は奈月の話に思わず惹きつけられていることを自覚した。
「恋人に対して心からの愛を求めるのは当たり前のことです。でも、時に、心は身体にかなわないこともある。身体でしか癒すことのできない心があるんです」と奈月は声を荒げた。
「だのに、そのうち光源氏は葵の上という有力者の娘と結婚し、義母である藤壺を愛し始めたという噂が宮中でささやかれるようになりました。そして、それがただの噂ではないことを裏付けるかのように、彼はぱったりと訪ねてこなくなりました。かくして六条御息所は、1人ぼっちの夜を過ごすことになったのです。特に月夜はつらかった。彼女を抱く光源氏の幻影に苦しめられる毎日が続きました。彼女は毎晩御簾の内側に身を隠して、自分で自分を慰めるしかなかったのです」
 奈月はそこまで言った時、小さくため息をついた

キラキラ 277

 榊の葉に目を落としながら奈月がそう言った瞬間、僕はまた、わけもなく、危ない、と感じた。
 昨日の夜から、奈月はさまざまな人格を、ローテーションするかのように入れ替えている。いや、それは彼女の意図的な仕業ではなく、きっと瞬間瞬間にさまざまな感情が入り込んでくるのだろう。少なくとも僕にはそう見えてしまう。
 すると奈月は「でも、」といきなり声を小さくした。そうして、その後で、唾を呑み込み、こう言った。
「六条御息所にとって、一番の想い出は、光源氏に抱かれたことでした」
 さっきから僕を深いところで揺さぶっているある感覚が、あたかも電流でも走ったかのごとく、びくりと震えた。その直後に背筋を寒気が駆け上がった。
「六条御息所はその思いを決して表には出さなかった。大人の女って、自分の心の一番深いところにある感情は絶対に表には出さないもの。といっても、特別な場合もあるんです。心の一番深いところで彼女を悩ませる、その秘密の張本人にだけ、それとなく打ち明けるのです。直接打ち明けることもあれば、間接的な場合もある。麻理子さんみたいに、それをうまく使い分けて打ち明ける人だっている」
 そう言って奈月は、榊を持つ手にぐっと力を込めた。
「秘密の感情を打ち明けるということは、呼吸をすると同じようなこと。ずっと心にしまっておくことなんてできないんです。吐き出さないと、死んでしまう」
 僕の根底を揺さぶり続けている感覚が、僕に軽い眩暈を引き起こさせた。何度かまばたきをして瞳を凝らすと、目の前の女性が再び奈月には見えなくなっている。だが、これまでとは違って、おぼろげながらに、誰なのかが分かりそうな気がする。いや、特定の誰かではないのかもしれない。奈月のように見えるこの女性は、奈月であり、麻理子であり、あるいは幸恵でもあった。もしかしたら、さっきから彼女が申告している通り、六条御息所なのかもしれない。

キラキラ 276

 すると、再び風が吹いてきて、境内の全ての草木を揺らした。僕と奈月の前に茂る榊の枝も、乾いた音を立てはじめた。さらさらさら・・・と。
 そのうち、それは、まるで榊の枝が僕の心を撫でている音のようにも聞こえた。僕の心がその音になにがしかの反応を示したようだ。奈月は目の前に垂れ下がる枝にそっと手をあてがい、やさしい手つきでそれを折った。その瞬間、風がぴたりと止んだ。
「六条御息所は、源氏に未練を残したまま、娘と一緒に伊勢へと下りました。でも、そんな御息所にも救いがあった。同じく須磨へと退去した源氏からの手紙です。長いこと会うことがなかった2人の関係が、文通できるまでに復活したのは、この野宮での一晩があったからなんです」と奈月は言った。風が止んだばかりの境内はどこかひんやりとしていて、ここへ歩いてくるのに少し汗ばんだシャツをいつのまにか乾かしている。
「伊勢に下った六条御息所は、斎宮として神に仕える娘の横で、もちろん源氏のことを思っていました。彼女たちの住居のあった場所は内陸に入ったところでしたが、神への供え物として海女たちが獲った魚介や海藻が頻繁に送り込まれていましたから、常に磯の香りに包まれていました。六条御息所は、その香りを感じるたびに、海でつながった、須磨にいる光源氏のことを思い出したのです」
 奈月はそう言い、榊の葉をいとおしげに撫で始めた。そうして、そこに何かが透けて見えるかのように、物思いに耽っている。
「六条御息所には、源氏とのいろいろな想い出がありました。琴を弾き合ったり、和歌を読み合ったり、それからさまざまな話題で盛り上がったりしたこと。彼女にとって、亡くなった夫である前の皇太子も含めて、源氏ほど話していて熱い思いが込み上げてくる人はいませんでした。六条御息所にとって源氏は、たった1人の、すべてを包み込んでくれる男性だったんです」
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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