うまく表現することはできないが、この場所に守られている安心感があった。僕と奈月は、この野宮において、すべて許されている。この境内のどこからか、そんな声さえ聞こえるようだ。
それはたしかに危ない感覚かもしれなかった。だが、もはや、今の行為が危なかろうが危なくなかろうが、さしたる問題ではなかった。僕はどこかで境界を越えていた。昨日、奈月と2人で明石海峡大橋を越えた後と同じような感覚だ。今の僕にできることは、目の前にいる女性と、心ゆくまでのコミュニケーションを交わすことだけだ。
僕の動きに、奈月は憚ることなく声を上げた。杉の木立の高いところにいる鳥たちでさえ、遠慮して鳴くのをやめているかのようだ。そうして奈月は、もはやどうすることもできないくらいに濡れている。僕はそんな彼女を見上げながら、六条御息所が伊勢で詠んだ和歌を思い出した。
うきめ刈る 伊勢をの海人(あま)を 思ひやれ もしほたるてふ 須磨の浦にて
僕の奉仕がひとおおり終わった後、僕たちはしばらくの間抱き合った。さっきまで冬のように冷たく感じられた風が、一転して今は温かくなっている。もちろん、そんなことはどうでもよかった。今の僕には奈月しか見えない。僕の外側にあるもの全てが面倒臭いものと化している。
「ずっと待ってたんですよ」と奈月は泣きながら言った。
「申し訳なかった」と僕は返した。そう言った後で、その言葉は自分の口から出てきたものではないような違和感にとらわれた。
すると奈月は「でも、もう遅いです」と力なくささやいた。何が遅いのか、よく分かるように思えたが、よく考えてみると、じつは何も分からなかった。
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