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キラキラ 320

 それでも奈月は、僕の手を握り続けてくれている。思いやりに欠けた僕の手をだ。
 僕に染みついたけがれを打ち明けないと済まないような気持ちが、瞬間湯沸かし器のように一気にこみ上げてくる。奈月は僕のことを思ってくれていたというが、じつはそれに値する男なんかじゃないんだときちんと教えてやらないと、彼女のやさしさに傷がつくように思えた。
 すると奈月は、手を握ったまま「先輩」と声を出した。僕は、心につっかかりを残しながら、奈月のやつれた横顔を見た。
「これまで、ほんとうにありがとうございました」
 奈月は突然そう言い、前を向いたまま静かに目を閉じた。その言葉は、寂しかった。僕は喉の奥がたちまち石になってしまったかのような錯覚を感じた。
「ほんとうに、ほんとうに、ありがとうございました」と奈月は続けた。
「どうしたんだ、そんな、他人行儀な」と僕は返した。マイペースな人間がいよいよ窮地に立たされた、そんな軋むような声だった。
 奈月は、瞳を閉じたまま、ゆっくりと首を振った。そうして、唇をわなわなと震わせながら、何かを言おうとした。僕は彼女の唇の隙間からいったいどんな言葉が出てくるのか、固唾を飲んで見守った。
 だが彼女は、結局、何も言わずじまいだった。出てくるべき言葉を飲み込んでしまったのだ。
 僕は、彼女の手を握る力を強くした。すると奈月の方もたしかに握り返してきた。しかし、その力はある所をピークに、それからは、ゆっくり、ゆっくりと、弱くなってゆき、やがて、命を終える瞬間のように、完全に抜けてしまった。そうして最後は、もつれた糸を丁寧にほどくかのように、奈月は指を離した。
 空っぽになった僕の手の中には、奈月のぬくもりの余韻だけが残った。
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キラキラ 319

 これまで彼女が1人で抱え込んでいた苦悩の数々が、すべて溶け合い、1つの混沌となって、僕の手の中に染み込んでくるようだった。
 僕の心の中で「ごめんね」という言葉が漏れたのが聞こえた。その時、顔を上げたままの奈月が静かに微笑んだような気がした。
「お父さんの病気や東山との別れよりも他にも苦悩があっただなんて、俺には気づかなかったよ」と僕は心の中で弁明した。それは、弁明と言うよりは、紛れもない本音だった。今でも思う。僕はどこまでもマイペースで、鈍感な男なのだ。
「じつは、ちょうどその頃、俺にも苦悩があったんだ」と僕は、奈月の手を撫でながら、心の中でそう続けた。「あの時俺は危険な恋に落ちていた。もちろん、危険だということは百も承知だった。でも、時間が経つにつれて、危険であることが当たり前のことのようになってしまって、そうなってからは、転がるように墜ちていってしまった。その女性には、地位もお金もある夫がいて、優秀な一人息子もいた。にもかかわらず、そのことすら見えなくなってしまうほど、激しい恋だったんだ。恋をするということは、素敵なことだ。だから、その時の俺には、大きな充足感はあった。でも、今思えば、俺は決して幸せじゃなかった。だって、その人との記憶にはすべて影のベールがかかっているんだ。その人と過ごした時間はまぶしいくらいに甘かった。でも、そこにはすべて暗さがつきまとっている。でも、その時には、まぶしさに目が眩むあまり、暗さには気づかなかった。だから、なぜ俺は、恋をしながらもこんなに苦しいのか、その理由が分からなかったんだ。苦悩の理由が分からない苦悩。奈月が1人で苦しんでいた時、じつはそんな目に見えない壁に直面していたんだ。そのことは、奈月には、これからも秘密にしておく。なぜなら、麻理子にはすべてお見通しだったからだ」
 そんなことを心でつぶやきながら、つくづく自分はマイペースな男だと思い知った。

キラキラ 318

 僕は奈月の手の温かさに違和感を覚えた。なぜ、こんなにも温かいのだろうかと考えるほどだった。もちろん、手自体がぬくもりをもっている。だが、それ以上に、野宮での身体の冷たさとの対比なのだろうとすぐに僕は思った。
 ほんの1時間前、僕たちはまだ夜が明けていない野宮の境内で抱き合い、性交した。その時僕は後ろから彼女の裸をことごとく抱きしめた。汗ばんだ奈月の身体は、冷たく、こわばっていた。その時の感覚は僕の身体にまだはっきりと残っている。それゆえ、今の奈月の手がよけいに温かく感じられるのだ。
 そんなことを思っていると、奈月は握る手にぎゅっと力を入れたり、逆にふっと力を抜いたりしてきた。そのほんの微細な動作は、紛れもなく奈月なりの感情表現だった。それで僕も、彼女の手を包み込むようにして、上からやさしく撫でた。
 奈月は何食わぬ顔をして前を向いたままだ。僕も背筋を伸ばしながら、横目でそんな彼女の様子を気にしている。つまり僕たち2人は、はじめて隣の席になった小学生の男女のような風情で座っている。そうしながら、手だけはしっかりとつなぎ、そこでお互いの感情を交わしている。
 奈月の指は、細い若竹のようでもある。僕はそんな彼女の手に対して、自分の感情が伝わるようにと、心を込めて撫でた。奈月もそれに応えるかのように、僕の指を撫で返したりしてくる。
 その間、僕たちは何も言葉を交わさなかった。運転手がルームミラーを覗いて何度か様子をうかがってきた。おそらく彼は、いきなり黙り込んだ僕たちを怪訝に思ったはずだ。だが僕は、運転手の様子など、もうどうでもよかった。僕が手を握ったり、撫でたりすることに対して、奈月からかすかな、それでいて確かな反応が返ってくるだけで十分すぎるほどだった。
 そのうち、奈月の手のぬくもりからは、様々なものが感じられるようになった。

キラキラ 317

 タクシーは「七条堀川」と記してある交差点の赤信号で止まった。ここからは京都タワーの姿はうかがえない。目の前にある銀行のビルに隠れている。つまり、それほど京都駅に近い所にまで来たわけだ。
 エンジン音は老犬のうなり声のように車内にこもる。運転手は左手で冷房の温度を下げた。
 奈月は「やっぱり、嘘っぽいですね」と自己評価した。僕が彼女の方を見ると、彼女も僕の方を見た。無表情に近い顔だった。おそらく僕も同じような顔をしているだろう。
「本当に大切なことは、言葉では説明できないんです」と奈月はさっき言ったことを反復した。
「でも、言葉は、れっきとした力をもつこともある。でなければ、俺たちはあの大学のあの研究室には入っていないよ」と言った時、本の匂いのする、狭苦しい研究室が思い出された。そこにはジーンズにパーカを着た奈月がシャープペンシル片手に調べ物をしている。
「たしかに、そうですね」と奈月は苦笑いを浮かべた。「言葉の力を否定してしまったら、それは生きることを否定するのと同じことだって、先生はよくそんなことを言っていましたね」
「じつに風変わりな教授だったけどね」
 僕がそう言うと、奈月は目を細めて空間を眺めた。まるでそこに教授の姿が浮かんでいるようだ。その時、運転手がギアを入れて、タクシーは再び動き始めた。奈月は肩の力をふっと抜いて、こう言った。
「とにかく、言葉にするとすべてが嘘っぽくなることがあります。そして今、私が言った先輩への思いも、きっとそのパターンなんです」
 大丈夫だよ、奈月の思いはちゃんと伝わってるから、と僕は返そうとした。だが、その言葉を口から出す直前になって、どうもその言葉も、なんだか薄っぺらいもののような気がしてきた。少なくとも、今の奈月には届かないように思えた。それでも、ただ黙っているよりはましだろうと考えて、つばを飲み込んだ瞬間、奈月の方から、そっと僕の手を握ってきた。
 とても温かい手だった。

キラキラ 316

 ホントウニタイセツナコトッテ、コトバデハセツメイデキナイ・・・
 奈月のその言葉は、僕の心にまっすぐに入ってきた。
「野宮で先輩が質問してきた時、私も、きっちりと答えなきゃって思ってはいたんです。だって、その質問は、私にとってすごく大事なことだったから。でも、最短距離で説明することがなかなか難しくて、というよりは、最短距離で説明しようとすると、きっとうまく伝わらないだろうって自分でも分かったから、ああいう、回りくどい言い方になってしまったんです」
「なるほどね」と僕は言った。「思いがあふれたわけだ」
「分かってもらえましたか?」
 質問の答えのようなものとして僕の頭の中にあるのは、じつは言葉ではなく、抜け殻のようになった奈月のイメージと、彼女のぬくもりだけだ。奈月の身体はやるせないほどに濡れていた。そうして僕は、奈月と1つになったことによって、天国を味わった。僕の精液は、まだ奈月の体内にある。
「思いがあふれたというよりは、言葉があふれたわけだな」と僕は言い直した。奈月はそれについて少し考えた後で、「そうかもしれませんね」と応えた。
「いくら言葉を尽くしても、完全には理解できっこないんです。数学の証明問題みたいに、きれいに納得できないです、人の心って」と奈月は付け足した。
「でも、漠然となら共感することはできる」と僕は言った。
 すると奈月は僕の膝元辺りに視線を落として、「あれほどたくさん話したんですから、少しは分かってもらえたのかもしれません。でも、それも断片的なことだと思いますよ」と返した。
それから彼女は、自分の膝に視線を移して、こう言った。
「つまりは、それほど先輩のことを好きだったということなんです」
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
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