スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

キラキラ 334

 エスカレーターを上る奈月の右手には、しおりが握られている。彼女は上方に目を遣ったまま、静かに運ばれている。
 そんな奈月の動きを息を詰まらせながら見ていると、光源氏の和歌がまた聞こえてきた。

伊勢人の 波の上漕ぐ 小舟にも うきめは刈らで 乗らましものを 

 あの時あなたについて行ったならば、今頃はこんなにつらい思いをせずに済んだでしょうに・・・
 光源氏の物語は1000年以上も前に完結している。だが、僕と奈月の物語はまだ終わってはいない。
 僕は心の中で叫んだ。奈月、こっちを向いてくれ!
 彼女が僕の方を見るかどうかだなんて、きわめて些細なことだ。だいいち僕たちは、ほんの何時間か前に、深く抱きしめあったのだ。だが、今となっては、もはや死活問題となっている。
 正直、何が何だか、自分でもわからない。僕の心は小舟の上に乗っている。主体性のない小舟だ。波に揺られるまま、どこにたどり着くかわからない。すべては奈月に委ねられている。
 奈月はエスカレーターの後半にさしかかった。彼女はスーツケースを持ち、左側に立っている。小さな白いワンピースを急ぎ足のサラリーマンたちが次々と追い越していく。人々の中を、奈月は忘れられた木の葉のように漂っている。だが僕だけは、その白い葉を注視している。彼女が僕に振り向くのをひたすら待ちながら。
 頭の中には、光源氏の後悔を詠んだ和歌が何度も響いている。なぜ僕がしおりの中の和歌を完全に覚えているのか、不思議だった。僕はふと、奈月が野宮で六条御息所の言葉を立て板に水のごとくに再生したことを思い出した。ひょっとして、奈月と同じことが僕にも起こっているのかもしれない。
「大丈夫だ」と自分に言い聞かせる。「奈月のことだ、きっと振り向いてくれるに違いない!」
スポンサーサイト

キラキラ 330

 奈月は、その黒い瞳でもう1度僕を見た。瞳は、水平線に落ちてゆく夕日のようにゆらめいている。そうして、瞳の奥からは、涙がこぼれてくる。朝露のような涙だ。
 頬を伝う涙を、奈月はしおりを持つ手で拭った。
 スピーカーから鳴り響く電子音の中から、間もなく博多行きの新幹線がホームに入ってきますというアナウンスが聞こえる。僕の耳には十分すぎるほどに大きな音だ。やっとのことで電子音とアナウンスが消え去った後、僕の耳には奈月が涙をすする音が入ってきた。
 その音を聞いた時、磯の香りが広がった気がした。そうして、昨日奈月と歩いた須磨の松風が思い浮かんだ。会いたくてずっと待っている恋人がいる方角から吹くという風。古くから「海女」と「藻塩垂る」という情景が底に敷かれているというだけあって、須磨はどことなく寂しい土地だった。
 それから明石の風景も浮かび上がった。空は青く、陽光がふんだんに降り注ぐ町。明石の入道や光源氏の館があったとされる寺、クマゼミの声、太陽に灼かれた塩風。
 そんな心象風景を背景にぼんやり奈月を眺めていると、彼女は涙をもう1度拭き取り、「ほんとうに、ありがとうございました」と声を震わせた。そして、スローモーションのような動きできびすを返し、改札の方を向いた。
「奈月」と僕は呼んだが、白い背中は少しづつ遠ざかっていくばかりだった。
 僕は無意識のうちに、ホームまで駆け上がろうと思った。だが、もう1つの無意識が僕の動きを止めた。「来ちゃだめです」という奈月の言葉が耳元に残っている。これまで奈月は僕に対してそんなに強い言葉をかけたことはなかった。だからこそ、棘のように胸に刺さっている。
「奈月」と僕は声を大きくした。だが彼女は僕の方を振り向くことなく、すんなりと改札を抜けた。右手に握られたしわくちゃのしおりだけがこっちを見ているようだった。

キラキラ 329

 次の瞬間、彼女はゆっくりと手を離し、その後少し間を置いてから、改札口に向かってとぼとぼと歩き始めた。顔だけは半分僕の方に向けている。スーツケースのキャスターが、再び音を立てだした。
 僕は依然として石化したままだ。それでも、「せめて、ホームまで一緒に上がるよ」と、何とか口だけ動かした。だが奈月は、伏し目がちに首を振った。
 それから彼女は「来ちゃだめです」と断り、「きりがないですから」と声を弱くした。
 僕は、口すらも動かせなくなった。心の中で「あぁ、後になって間違いなく大きな心残りになるだろう」という声が響いた。それは、紛れもなく僕の声だった。ところが、まるで何かのアナウンスのように僕の中を通過しただけだった。僕は当事者のはずなのに、傍観者でもあった。
 すると奈月は、改札口と僕との真ん中あたりで足を止め、トートバッグにしまったばかりの新幹線の切符を取り出した。そしてもう1度、バッグの中に手を入れた。出てきたのは、東山が作ったしおりだった。
 奈月はしおりに向かって、今度は哀しそうな眼を向けた。この旅の中で何度も奈月の哀しそうな顔を見てきたが、その中でも最も哀しみが深いように感じられた。
「ホームのゴミ箱に捨てて帰りましょう」
 奈月はしおりを眺めたままそうつぶやいた。すると、その横顔に、涙が1つ、線を引いた。そのまま奈月は僕の顔を正視し、「では、さようなら」と言った。
 僕の中で、巨大ながけ崩れが起こった。だが痛みはない。体全体を震わせるほどの轟音が鳴り響いただけだった。さようなら、とは言ったものの、奈月は僕の方を見ている。手にはしおりを握ったままだ。
 その時、新幹線の発車を予告する電子音が流れ始めた。奈月はスピーカーの組み込まれた天井に、ちらりと目を遣った。

こんばんは

 熱い1日でしたね~。
 職場の温度計は朝9時の時点ですでに30℃を越えていました・・・
 しかも、節電ということで、エアコンは28℃設定。致し方ないとはいえ、窓を開けた方が涼しいくらいでした。あなたの町はいかがでしたか?
 梅雨が明けた途端にこの暑さとは、さすがにバテますね。
 
 列島はもうすぐ高校野球の熱がやってきますね。炎天下のグランドに立つ高校球児に、せめて気持ちで負けないように、何とか元気を出していかなければなりません。

 日本のみなさんと一緒に暑さを乗り切ろうとしていると思うと、なんとなくがんばれそうな気がします。
 しばらくはこういう日が続くようですが、夏ならではの風情を楽しみたいところですね!

キラキラ 328

 奈月は今手に入れたばかりの新幹線の切符をいったん白いトートバッグの内ポケットに収め、それから、黒い瞳を僕に向けた。
「奈月」と僕は彼女の名前を呼んだ。すると彼女は、僕が次の言葉を発するのを塞ぐかのように、すっと右手を差し出してきた。若竹のような彼女の白い手が僕の目の前にある。
「先輩」と奈月は言ってきた。それは懐かしい響きだった。大学生の頃から何百回も何千回も聞いてきた、奈月の声だった。
 僕は差し出した彼女の右手を、迷わず自分の右手で包んだ。すると彼女の5本の指は、僕の指の間にするりと入り込み、しっかりと握られた。奈月はもう1度、今度はさっきよりも力が抜けたような声で「先輩」と語尾を上げた。彼女の疲れ果てた顔は、少しずつほころびていった。まるで朝顔の花が朝日を受けて開いてゆくかのようだった。
「先輩、ほんとうに、ありがとうございました」
 奈月はくっきりとした笑みを浮かべた。その後で、左の目から朝露のような涙が1つ、こぼれ落ちて頬を伝った。僕の手を握る彼女の手は、ぬくもりにあふれている。さっきタクシーの中で手をつないだ時よりも、熱い。
 つい今まで一緒の新幹線に乗ることを考えていた僕だったが、その考えをそれ以上先に進めることはできないと思った。奈月にまじないをかけられて、心が石化してしまったかのようだ。
 気がつけば、涙は両方の目からこぼれ落ちている。窓から差し込む朝日が、涙をより光らせている。僕が強く手を握ると、彼女は反対に力をしだいに弱めた。
 
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

最新の文章
リンク
みなさまの声
カレンダー
04 | 2017/05 | 06
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
目次
月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。