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キラキラ 340

 ほんの数分前、僕と奈月はそろってこの風景を眺めた。奈月は、京都を離れる時にはいつも寂しくなるのだと隣でつぶやいた。あふれんばかりの日差しに照らし出された奈月の横顔は、やるせないほどの寂しさを連れてきた。
 そうして今、1人でありふれた八条口の光景を眺めている。いつもの毎日が、何の疑いもなく始まろうとしている。奈月とここに立っていたことが、まるで前世での出来事のように感じられる。
 その時、上の方で、何かがつぶれる音がした。同時に、心のどこかもつぶれたような気がした。何だろう? と思った。
 他人事のように窓の外の風景を眺めていた僕の心に、突然、痛みが走った。
 奈月は今まさに、京都を離れようとしている。そのことが、目の前に突きつけられた現実として、再び胸を苦しめだした。
そうして、何かがつぶれるような音がした後で、再び奈月との思い出が蘇ってきた。
 大学時代に東山たちと一緒にここへ来た時のこと。奈月は小麦色に肌を焼き、透き通る海のような開放感にあふれていた。あの時奈月は、僕のことを好きでいてくれたという。そのことが、信じられない。
 それから、今回の旅の光景も思い浮かぶ。学生時代の雰囲気をひきずった昨日の奈月。それが、夜になると表情は一変し、様々な魂が宿ったかのように彼女は不安定になった。そして、明け方の野宮での記憶。初めて抱く奈月の身体、彼女のぬくもり・・・
 そんな想い出が、『源氏物語』における場面や、和歌、磯の風情とともに浮かんでは消えてゆく。僕と奈月の物語は、まるで1つの小説のように始まって、そうして、ここに終わろうとしている。
 そのことを思った時、今頭の上に響いたのは奈月がしおりを捨てた音なのだということを悟った。
 新幹線のエンジンが、天井の上で再びうなりはじめた。 
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キラキラ 339

 だが、揺れていたのはフロアではなく、僕の方だった。新幹線が停車した後、頭の中では、光源氏の後悔を詠んだ和歌が何度も聞こえてきた。

伊勢人の 波の上漕ぐ 小舟にも うきめは刈らで 乗らましものを

 和歌は遺伝子の声を聞くかのように、心に染みついている。小舟に乗っているのは、六条御息所であり、奈月でもある。「私は六条御息所と重なるところが大きいんです」と奈月は何度も口にした。それを聞いた時、僕はいまいちピンとはこなかったが、今となってはすんなりと共感できる。
 奈月は小舟に揺られながら僕の元を去ってゆく。波は高い。彼女の姿は消えたり現れたりを繰り返している。彼女は決して振り返らない。そして僕は、そんな奈月を呆然と眺めつつ、下の句を口ずさむ。
「うきめは刈らで 乗らましものを」
 こんなにつらい思いをするのなら、奈月の小舟に乗ってしまえば良かったのに、と。それは未来の僕の声でもある。僕はずっと奈月を思いながら、心に焼きついた最後の光景を何度も浮かべながら、これから生きていくのだ。
 だが、一方でこうも思う。おそらく同じ状況が10回訪れたとしても、奈月の小舟に乗ることはないだろう。哀しげに光る瞳の前に、なすすべがない。奈月の瞳の意味は、彼女自身にしか分からない。
 新幹線はまだ僕の上にいる。それでも僕は、出口の方にきびすを返す。大きく取られた窓からは京都駅八条口の風景が朝日に照らし出されている。レンタカー店は営業を始め、1組の男女が車の前で店員の説明を受けている。目の前のホテルでは、レストランで朝食を取る宿泊客の姿が見られる。風景はすべて陽光に照らされ、僕の目にまぶしく映る。今日という1日が始まろうとしている。

キラキラ 338

 喜びで胸が重くなっている。初めて恋に落ちた女の子と初めて2人きりになる時のような、瑞々しい興奮を含む、そんな重さだ。 
 奈月はその黒々とした瞳をまっすぐに僕に向けている。距離を置いても、彼女の瞳の黒さは伝わってくる。大学時代から、奈月の瞳は黒く光っていた。僕は改めて、彼女の瞳を直視した。すると、何やら違和感を覚えはじめた。遠くから僕を見る瞳の黒さは、僕が知っている奈月のものとは、どうも質が違うような気がするのだ。
 僕は思わず足を止めた。いったい何だろうと思った。
 奈月は僕との別れに未練を感じている。まず僕はそう思った。今すぐにでも引き留めてほしいのだと。とはいえ、話はそう簡単でもないようだ。彼女の視線は、寂しさとも哀しさともつかぬ、名状しがたい深い旋律を僕に届けた。そうして僕は、その視線の意味が複雑すぎるゆえ、衝動の赴くとおりに動けぬまま、考え込んだ。奈月はいったい何を思って僕の方を振り向いたのか、その答えが知りたかった
 そうやって混乱しているうちに、奈月の白い姿は僕の視界から消えた。
 まだ間に合う、と心の中で叫んだ。だがその声は、廃校になった体育館の中で叫んだような、不毛な響きを残すばかりで、僕の身体を突き動かすことはなかった。
 ちょうどその時、新幹線がホームに近づいたことを知らせる電子音が流れ、それに合わせて、無愛想な駅員のアナウンスが始まった。まもなく、博多行きの新幹線がホームに到着いたします、と。
 奈月が京都を去ってしまう知らせでもあるのに、なぜだか僕には全く無関係の内容のようにも聞こえた。それでも、胸だけは、塞がるような苦しさを覚えている。わけが分からない。
 すると、駅員の予告通り、天井の上で新幹線が滑り込んでくる音が響き、フロアを揺らした。

キラキラ 337

 奈月の白いワンピースが見えなくなってしまう直前のことだった。彼女は、突然、すっと背筋を伸ばした。この時はじめて、今まで奈月は、少しうつむき気味になってエレベーターに乗っていたことが分かった。
 とにかく彼女は、僕の前から消え去ろうとするまさにその時に、あたかも眠りから覚めたかのように、まっすぐ立ったのだ。それは、僕の目にもはっきりとわかる動きだった。
 僕は、乾いた口の中にわずかだけ残っていたつばを飲み込んだ。麻理子や幸恵のように、奈月は振り向いてくれる。改めてそう確信した。それと同時に、身体が券売機の方に向かって反応した。僕は今から入場券を持って改札を抜け、奈月の元に走るのだ。そうして、彼女を京都に引き留めて、もっと、じっくりと話し合おうと思う。これからも彼女と連絡を取り合えるような関係でいたい。須磨と伊勢に離ればなれになっても、文通によって結ばれた光源氏と六条御息所のような仲を取り戻すことが何よりも先決だ。
 もし僕たちが『宿世』によって結ばれているのであれば、きっとこれまで想像しなかったような新しい関係の中で、僕たちは再び歩き出すことができる。それがどんな関係なのかは今の時点では分からない。だが僕たちは、これまで以上に分かり合えるはずだ。そのことこそが、今回の旅で時間を共有した意味なのだ。
 そんな様々な思いがぎゅっと圧縮されて頭の中に入り込み、弱気になっていた僕を勇気づけた。
 奈月は、背筋を伸ばしたまま、新幹線のホームを見上げて、1つ、大きく息を吐き出したように見えた。そうして、次の瞬間、彼女はくるりと顔をこっちに向けた。その黒い瞳はまっすぐに僕を見ている。
 何もかもが、想像したとおりだった。僕は入場券を手に入れるために、自動券売機に向かって足を踏み出した。

キラキラ 336

 幸恵は、想い出の詰まった赤いBMWで、彼女の家へと帰って行った。僕が車の外に出て、ドアを閉めた後、運転席の窓を下ろして「じゃあ、またね」と微笑んだ。頬まで隠れるほどの大きなサングラスに夕焼けのオレンジが映り込んでいた。それは僕たちにとっては、いつもの、ありふれた光景だった。平安時代の別れの時間は朝だったと東山のしおりにたくさん記してあったが、僕と幸恵の別れは、いつも夕暮れ時だった。
 この日も、特にいざこざがあったわけでもなく、いつも通りのドライブをして、いつも通りの場所でセックスをした後だった。だが、それでも僕は別れの気配を感じていた。つまりは、僕たちは一種のプラトーにあったのだと思う。そうして、それは、どこまでいっても進展も減衰もないプラトーだということに僕たちは気づいていたのだ。
 幸恵のBMWは、カーブを曲がる直前にハザードランプを点滅させた。そうして、それが、僕の直感の通り、幸恵との最後となった。「じゃあ、またね」という幸恵の言葉が、僕たちの最後になった。
 ゆっくりとエスカレーターで上昇している奈月は、麻理子と幸恵の最後の姿とオーバーラップして見えた。彼女たちとの恋が幸せだったとは決して言えないが、振り返れば、別れの瞬間だけは親和的な空気があった。「終わりよければすべてよし」などという大ざっぱな言葉を安易に引き合いに出したくはないが、ただ、そう言われてみると、最後の場面が悲劇的ではなかったということは、わずかな救いになっているようにも思う。
 そんなことを考えているわずかの間に、エスカレーターは、いよいよ終盤にさしかかった。もうすぐ奈月の白いワンピースが見えなくなる。僕は少し前に出て、彼女を下からのぞき込むようにした。あとはとにかく信じるばかりだった。
 心の中で「奈月」と叫んだ時、今まで静かに背筋を伸ばしていた彼女に何らかの変化が起こったように見えた。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

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