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スリーアローズ・ストーリー 最終回

 その3年生たちが巣立っていった翌年、予期せぬことが2つ起こりました。
 1つめは、新1年生が15人も入部したことでした。H商工に敗戦した直後、ある保護者が「スリーアローズが3年以内に花園に行くことを確信したよ」と興奮して話してくださいましたが、この新入部員と対面した時、私は本当に武者震いが起こりました。
 しかし、もう1つ、予期せぬことが起こりました。H商工の監督がスリーアローズに赴任してきたのです。ハーフタイムの時に「あいつらを殺してまでもトライを取れ」と檄を飛ばした、あの監督です。
 私は、その大監督と肩を並べて部の指導をしました。そうして、1年後、校長室に呼ばれ、転勤が言い渡されました。新たな赴任先は、ラグビー部のない高校でした。
 カズは最後まで納得がいかないようで、電話口で何度も私を励ましてくれました。しかし、私個人の力ではどうすることもできないことだし、何より、私はもう十分に満足していました。最後の試合の後、冬空を見上げながらカズが口走った言葉。
「いい夢を見させてもらったよ」
 あれは私の想いでもありました。
 ところで、現在カズは、チームのヘッドコーチを務めるまでになっています。テレビで彼の活躍を見るにつけ、本当にすばらしい指導をいただいたものだと、改めて感激します。
 今年の春先には、スリーアローズのメンバーの中で、いち早くS君が結婚式を挙げました。彼は今東京でシステムエンジニアをしていますが、奥様は高校の同級生で、地元のホテルでとり行われた式は大いに盛り上がりました。
 スリーアローズの選手たちは、もうラグビーをしていません。しかし彼らは、頼もしい社会人として、しっかりと自らの人生を切り拓いているようでした。  (了)
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スリーアローズ・ストーリー 82

 現在私は、高校教師を退き、イベント関係の仕事をしています。地元で開催されるこぢんまりとしたお祭りのようなものから、世界中から参加者が集まる規模のものまで、様々なイベントを実行するために、計画を立てたり、関係者と調整したりしています。
 この仕事が自分に向いていないとは思いません。これまで出会うことのなかった人と一緒に仕事をする中でたくさんの刺激を受けるし、教師だった頃は仕事によって「社会」というものをある程度つかんだつもりでいましたが、世界にはまだまだ自分の知らないことがあるのだという当たり前の事実を、肌で感じることもできます。
 たとえば、日本のプロ野球でキャリアを積んだ選手がメジャーリーグに挑戦するのにも、自らの世界をもっと広げたいという欲望が当然あると思います。私も新たな仕事に挑戦することを悪しとは思っていません。
 ただ、大人相手の仕事をしていると、どうしても高校生たちとの時間がなつかしくなることがあります。職場のデスクの引き出しには、彼らとの写真が忍ばせてありますが、仕事の合間に、ふとそれに目をやる自分がいます。そうして私は安心するのです。自分はたしかに彼らとの時間を過ごしてきたのだと・・・
 人生とは、そのようにして「振り返る」ものなのではないか、と最近思ったりもします。
 さて、H商工との戦いに敗れた後、3年生たちはそれぞれの道に羽ばたいていきました。M君とS君に続き、熱血ファイターのI君も東京の私大に推薦入試で合格しました。
 何よりうれしかったのは、センター試験に挑戦した5人が、最後の最後まで粘り強く取り組み、しっかりと結果を残したことです。彼らは全員高得点を収め、第1希望の国公立大学への合格を果たしました。「最後まで部活を続けた方が進学実績も上がる」という私の持論を、彼らが実証した形となりました。

スリーアローズ・ストーリー 81

 さて、ここまでずいぶんと長い間書き続けてきました。
 そして今、私は、瀬戸内海を望むファミリーレストランでこれを書いています。空はどんよりとしていて、海岸沿いに植えてある松の枝々が、かすかに揺れています。
 道路を走る車がどことなく気ぜわしく感じられるのは、年の瀬だからでしょうか?
 そういえば、もうすぐ今年のラグビーの全国大会が始まります。ひょっとして、もう始まっているかもしれません。ここ数日は新聞を読む時間もなく、情報も入っていません。
 この文章を何の気なしに書き始めたのは9月の終わりで、まだ暑さが残っていて、風が心地よい時期でした。私は自分の部屋の小さな机につき、小さな窓を開けて、これを書き始めたのです。
 当初は20話くらいで終わる想定だったのですが、書けば書くほど、記憶が鮮明になってきて、あれよれよという感じでいろいろなことがつながり、結局、冬になってしまいました。  
 今日は平成26年12月28日の日曜日。
 今朝は早くから瀬戸内海に面したヨットハーバーで打ち合わせがありました。来年開催されるイベントの中で、ぜひこの施設を使わせてほしいという話が主でした。小さなヨットハーバーに、世界中から来た約1000人の参加者が集まることになっています。プログラムの内容や参加者の導線、それから経費に関することを、熱心に話し合いました。
 打ち合わせが終わった後で、冬の砂浜を少し歩きました。風は冷たかったですが、少しピンクがかった海面はどこまでも穏やかでした。
 それからこのファミレスで1人用の鍋に入ったチゲ鍋定食を食べた後、カプチーノを飲みながらパソコンを開くと、どうしてもこの文章が書きたくなりました。

スリーアローズ・ストーリー 80

 帰りの車に乗り込む直前に、カズはもう1度グラウンドと、それから晴れた冬空を見上げました。
 グラウンドには、もはやラガーマンたちや観客の姿はなく、近隣の高校のラグビー部の選手が本部テントを撤収したり、コーナー・フラッグを抜き取ったりしていました。
 カズは名残惜しそうに空気を吸い込んだ後で、「いい夢を見させてもらったよ」とつぶやきました。かっちりとセットされた前髪の先には、冬山の木々が見えました。夕日に近づいた太陽と冬山の情景が、生粋のラガーマンであるカズと対比され、1つの絵画を作り上げていました。
 彼はもう1度だけ「いい夢だった」と言い、助手席に乗り込みました。
 帰りの車中、カズとどんな話をしたのか、よく覚えていません。ほとんど何も話さなかったような記憶もあります。いずれにせよ、私たちはとても疲れていて、道すがらの温泉に立ち寄って、露天風呂にゆったりと浸かりました。それは山間のひなびた温泉で、カズと私以外、誰もいませんでした。
 外に出た時にはどっぷり日が暮れていて、しばらく車を走らせた後、駅の近くのレストランで夕食を取りました。
「なんか、帰りたくないな」とカズは、ご飯を食べ、ビールを飲みながら、何度も言いました。
 予期せぬ大敗を喫した時も、M君が決勝戦に出られないことが決まった時も、常に前に進んできた男です。それだけに、この「帰りたくない」という言葉には重みがありました。
 このとき私は、カズとは違うことを考えていました。高校時代、部員同士の人間関係に悩んでいましたが、この年齢になって、初めて、感謝で胸が苦しくなるほどの「本物の友情」を教わることができたと、驚きにも似た実感を覚えていました。

スリーアローズ・ストーリー 79

 12対7。終わってみれば、1トライ差のスコアでした。おそらく、それまでの10年間で、最もH商工を苦しめたゲームだったはずです。
 スリーアローズはストーリーの中に含まれている、それは、自分たちがパイオニアとなるストーリーだ、そう信じていたために、ノーサイドの直後は、目の前に起こった現実がいったい何なのかよくつかめず、ベンチで泣き崩れる選手たちをただぼんやりと眺めるだけでした。 
 その時、「先生、お疲れ様でした」という声が耳に入ってきました。顔を上げると、私が監督に赴任した時からのメンバーが応援に駆け付けてくれていました。
「ラグビーは進化しているから自分たちのやり方でさせてほしい」と直訴してきた当時のキャプテンや、夏に引退するかどうか悩んだ末にラグビーを続け、最後のゲームは骨折を押してまでも戦い抜いたA君の姿もありました。
「よくここまで強くなりましたね」
 大学生になっていくぶんか落ち着いた顔つきになったA君は、穏やかな言いぶりでねぎらってくれました。彼の背後には、過去のメンバーたちの顔がずらりと並んでいました。それは映画のラスト・シーンのように私の目の中に入ってきました。 
 ベンチを引き上げ、円陣を組んで腰を下ろした時、周りにはOBや保護者の姿もありました。その中で私が選手たちに向けてどんな話をしたのか、全く思い出せません。ただおぼろげながらに残っているのは、頬に涙の跡を残しながらも、笑顔を浮かべようとしていたスリーアローズの選手たちと、その中で、1人うなだれていたM君の姿でした。
 最後の戦いを終えた3年生は、M君の肩に手をやって、静かに慰めていました。
 それが、ユニフォームを着た3年生たちとの、最後の光景でした。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
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