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鎌倉物語 最終回

 年季の入ったマークⅡワゴン、鶴岡八幡宮、倒れた大銀杏、それから灰色の空。
 あの時僕は失意のど真ん中にいた。
 ああ、やっぱり明子は僕から離れていくのだと半ば諦めてもいた。
 でも、だからこそ、彼女を見つけた瞬間、開き直ることもできた。
 僕は、ここぞとばかりに思いのすべてを彼女にぶつけた。過去ではなく未来を見つめてほしいと主張した。
 それから、明子の腕を引っ張り、強引にホテルに戻した。

 支配人の作った朝食、心のこもったサラダとオムレツ。

 部屋に戻ってから、明子は山本氏の話をした。
 山本氏は『静かな散歩道』という写真集を残して、すでにこの世を去っていた・・・

 ふと明子に目を遣る。彼女は窓側に頭を傾けてすやすやと眠っている。深めにかぶった帽子は座席のヘッドレストに引っかかって脱げそうになっている。
「なあ明子」
 心の中で彼女に向かってつぶやく。
「今回の旅でいろんな人と出会ったけど、その中での一番は君との出会いだったかもしれないよ」
 僕は帽子の向きを整えてやる。

 再びボールペンを手に取り、記録を再開する。
 鎌倉駅、江ノ電、鎌倉大仏、長谷寺。紫陽花の株、見晴台、十一面観音、それから地蔵に囲まれた小さなスペース。そこで僕たちは強く抱き合った。ついさっきのことだ。
 魂が溶け合って一つになったような感覚は今でも胸を温め続けている。
 そういえば明子は、僕の部屋で、ケーブルテレビの旅番組を見ながらこんなことを言っていた。

「鎌倉って不思議な街なのよ。北と南で全然違うの」

 実際に足を運んでみると、なるほど深くうなずける。
 その北と南の違いは、僕と明子の心の陰と陽を対比させ、象徴化しているようにも感じられる。

 のぞみは名古屋駅に停車する。
 僕たちの車両からも多くの人たちが降車し、その後で同じくらい多くの人たちが乗り込んでくる。彼らは訓練された鳥のようにさくさくと自分の席に着き、やはり思い思いに時間を潰し始める。
 小さな手帳には数ページにわたる記録が出来上がっている。
 最後に今日の日付を記し、それから水色の表紙には「鎌倉物語」という題を付ける。

 のぞみは再び静かに動き出す。
「次の停車駅は京都」というアナウンスが、列車内の空気をかすかに揺らす。  
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鎌倉物語 76

 目を閉じた途端、この二日間のさまざまな記憶がまぶたの裏側に甦ってきて、かえって頭が冴える。サエキ氏や山本氏が近くでささやきかけてもくる。この新幹線のどの乗客よりも強い生命感をもって。
 僕はいったん目を開けて、鼻から息を吸い込む。
 依然として、窓には雨粒の線が突き刺さっている。
 軽くこめかみを押さえ、再びまぶたを閉じる。
 
 すると今度は明子と二人で訪れた寺々の風景のチャネルに切り替わる。
 建物はもちろん寺に漂う空気さえも再現される。僕たちにとっての鎌倉は、離れた後になってますます印象に訴えかけてくるようだ。

 ふとアイデアが浮かぶ。
 この旅で出会ったものを手帳にしたためておこう。
 僕と明子にとっておそらくは決して忘れることのないであろうこの旅を、今のうちに、できるだけ正確に記録しておこう。

 僕は席を立ち、荷台に置いたリュックサックを下ろす。そうして、サイドポケットに入れていた水色の手帳を取り出す。
 この手帳は僕が勤務する社会保険事務所で年金のキャンペーン用に配られたものの残部だ。捨てるにはもったいなくて何かに使うこともあるだろうとひそかにリュックに忍ばせておいたが、まさかこんな所で役に立とうとは思ってもみなかった。
 さっそく表紙をめくり、最初の行に「北鎌倉駅」と書く。
 その文字を見るだけで、簡素な駅舎が辺りの緑とともに生き生きと思い起こされる。
 円覚寺、鎌倉街道、無窓庵。そこでビーフシチューを食べながら僕は美咲と歩いた京都を思い浮かべ、可南子のことを考えた。
 無窓庵を出てから亀ケ谷坂の切通しを抜けて北鎌倉を後にし、寿福寺の閑散とした山門をくぐった。
 境内の深部には多くのやぐらが集中し、実朝の墓もあった。山本氏という不思議なカメラマンが現れ、寿福寺は中原中也の最期の場所でもあるのだと教えてくれた。
 そこを去ろうとした時、突如として線香の煙が立ち込め、やぐらの中にしゃがみ込む明子の幻影を見た。
 山本氏はシャッターを切りながら、彼女は生きながら死んでいるのだと説明した。そしてその山本氏はすでにこの世にいない人物だと分かったのが今朝のことだった。
 寿福寺を後にした僕たちは鎌倉駅前のマクドナルドで食事をとった。明子は憑き物がとれたかのように饒舌だった。

 ところがホテルへ向かうタクシーの中で彼女は泣いた。
 
 ホテル「NAGISA」、古い絨毯、磯の香り、へんな支配人・・・
 僕たちはラベンダーのキャンドルを点け、月明かりの中で一緒に寝た。ほのかに照らされた明子の寝顔を眺めながら、僕もいつの間にか眠りについた。
 だが、目が覚めた時、彼女はいなかった。テレビの横に残された手紙。サエキ氏への思い。
 僕は着の身着のままで部屋を飛び出した。助けてくれたのはあの支配人だった。

鎌倉物語 75

 僕はつないだ明子の手を意識する。その手は、いつもよりか細く感じられる。
 とはいえ、明子の手を通じて、彼女が今ここにいてくれることのかけがえなさが胸にしみる。今朝、彼女は一人でホテルを出たのだ・・・

 電光掲示板が「ただいま熱海駅を通過」と表示した時、明子は「そろそろ富士山が見えるかな」とつぶやいた。
 そういえば昨日来るときには二人とも富士山を見過ごしてしまっていた。眠っていたのだ。
「でも、この天気だから見えないね、きっと」
 明子は、窓越しに空を見上げながら言う。

 そのうち、今度は三島駅を通過する。
 富士山を眺める絶好のポイントのはずが、全く姿を現さない。そこに何かがあること自体が信じられないほどに曇天が厚く覆い被さっている。
「ねえねえ、知ってた?」
 明子は外を見たまま言う。
「三島由紀夫ってね、この三島駅から見える富士山の雪から思いついたペンネームらしいわよ」
「三島って、皇居に向かって割腹自殺したあの人だよね?」
「そう、小説家とは思えないほどインパクトの強い人。たしか、一緒に新幹線に乗っていた恩師が、窓の外の富士山の雪を見て、君が作家になるのなら三島由紀夫というペンネームでいけよって助言したっていう話を読んだことがある」
「じゃあもしその時富士山に雪が積もってなかったら三島富士夫だったかもしれないな」
 そう言うと、明子はこっちに顔を向けて薄く笑った。
 僕は、この新幹線に乗って恩師の横で富士山を眺める若かりし三島由紀夫を想像した。だが、そのイメージはどうしても割腹自殺直前の血生臭い映像に収斂《しゅうれん》されてしまう。
 そうしてその映像は、鶴岡八幡宮で首を取られた実朝をも連想させる。
 今は死に関連することは考えたくない。それで僕は、三島由紀夫の想像を打ち切った・・・ 

 浜松駅を通過した時、もう富士山は見えないと諦めがついた。明子も少し残念そうな様子で窓の外を眺めている。
 僕はそんな彼女に声を掛けようとした。
 また次に来たときに見られるといいね、と。
 しかし彼女の横顔には、ただ富士山が拝めなかったということに落胆しているだけではない何かがあるような気がした。
 窓ガラスに映る明子の瞳はどこまでも虚ろだった。そうして彼女はいつの間にやら顔を窓に向けたまま眠りについてしまった。

 僕はつないでいた手をそっと離した。
 
 明子は疲れている。僕もそうだ。だから彼女がどんなことを考えていたのかはよけいに分からないし、詮索したってしようがない。
 えてして疲れているときにはどうしても物事を悪い方に捉えがちだ。だから彼女の心の中について何も考えずにこのままそっと寄り添っておこうと思う。
 それで僕も、息を細長く吐き出してから、シートに背をもたれて軽く目をつむる。
 のぞみは静かな振動音をたてながらも猛スピードで西へと向かっている。

鎌倉物語 74

長谷駅から江ノ電に乗り、再び鎌倉駅に戻ってきた時には、雨は本降りになっていた。
 僕たちは、反対側のJRのホームにちょうど待機していた横須賀線に乗った。
「鎌倉」と書かれた標示板が、発車と同時にゆっくりと後ろに流れて行くさまを、僕は最後まで見届けた・・・ 

 北鎌倉駅に停車した時には円覚寺の森が雨に濡らされているのが見えた。ここを訪れたのはずいぶんと前のことのように感じられる。
 青空の下、明子と二人で石段を上がったのは昨日のことだ。その光景を思い出すと、まるで映画のエンディングを見ているときのような、ノスタルジーに襲われ、胸が締め付けられた。

 新横浜駅に着くと、行き交う人の数が格段に増えた。
 平日ということもあってスーツを着たサラリーマンたちが黒い渦のようにせめぎ合っている。
 僕たちは人混みを避けながら、どうにか「みどりの窓口」にたどり着き、新山口駅行きの切符を手にした。
 ホームへと上る長いエスカレーターに運ばれながら、僕たちは顔を見合わせてため息をついた。
 おそらく僕たちは、夢から醒めたような感覚を共有していたのだ。

 夢・・・

 エスカレーターが真ん中まで来たとき、天と地がひっくり返ったような錯覚を感じた。目の前に繰り広げられる生々しい現実こそが、幻のように思えてきた。
 僕たちは本当に、さっきまで夢の中にいたのかもしれない。

 ホームに置いてある自動販売機で緑茶を買い、時間通りに滑り込んできた「のぞみ」に乗り込む。
 指定席はほぼ満席で、明子を窓際のシートに乗せた後、僕は通路側に腰を下ろした。車内は空調が効いているものの、どことなく湿っぽい。
 新幹線が動き出す前から僕たちは手をつないだ。長谷寺から続く胸のぬくもりは依然としてある。目の前の情景が幻であろうが何であろうが、このぬくもりだけは消えやしない。
 明子の方を向くと、彼女も僕を見た。彼女は疲れた笑みを浮かべている。
 
 のぞみは静かに加速し始める。それに伴って新横浜駅周辺のビル群がドミノのようにぱたぱたと後ろに倒れてゆく。
 分厚い窓ガラスには雨粒が頬を伝う涙のように転がり、やがて弾き飛ばされる。

 僕はシートをいくぶんかリクライニングさせ、車内の様子を確かめる。

 指定席の乗客はおしなべて静かだ。
 新聞を読んだりスマートフォンを指でなぞったり、思い思いの時間を潰している。車両入口のドアの上では電光掲示板がさっそくニュースを流し始める。飲酒運転で爆走した車が通行人を次々とはねたり、北朝鮮がミサイル実験をしたり、どこかの銀行が破綻して大騒ぎになっているようだ。

 それにしても、僕の周りにいるのは誰だろう? 彼らは僕と同じ新幹線に今乗っている。少なくとも、それほどの縁がある。ならば僕たちはこのハイテクマシンで一体どこに行こうとしているのか?

「人生はつかの間の灯さ」
 サエキ氏の声が脳裏にささやかれる。

鎌倉物語 73

 観音堂の左には、何やらマニアックな通路が続いている。
 そこから先は、参詣者の数も急に少なくなる。奥に群がる竹林の脇には萩の花がちらほらと顔を覗かせているのが見える。
 明子は慣れた足取りでその道を進み、「経蔵」と記された小さな建物の裏手に入る。この区域は墓地になっていて、途端にひっそりとする。
 さらにその奥には石段が現れ、両側は紫陽花の株で覆い尽くされている。株たちは来年の開花の時期までじっとここで息を潜めているかのようにも見える。

 石段を登り切ったところには猫の額ほどの展望スペースが用意してあって、見晴台よりもさらに高い地点から由比ヶ浜を見渡すことができるようになっている。ここまで来ると、もはや人の気配はない。だからか、さっきまでは気づかなかった潮の香りが鼻の奥にまで入ってくる。

 足下にはどういうわけか多くの地蔵が置いてある。しかも、大きさや苔の生え具合によって、きれいに整理整頓してあるようだ。
 そういえば、寿福寺の裏山にも地蔵が並んでいたことをふと思い出す。
 明子はその場所の真ん中で僕の胸に顔をうずめてきた。
 僕も彼女の頭を撫でながら明子の体を自分の胸にあてがった。彼女のぬくもりが押し寄せる波のように体に浸透する。僕たちだけ風景から切り取られたような感覚をより明確に感じ取る。
 見渡すと、グレイな海面の至る所に、波飛沫が上がっているのがよく見える。
その時だった。僕は、デジャブの感覚に襲われた。
 いや、これはデジャブではない。僕の脳裏に忍び込んできたのは、他でもない、源実朝の和歌だった。

大海の磯もとどろによする波 われてくだけて裂けて散るかも
 
われてくだけて裂けて散るかも・・・

 実朝の言葉が僕の胸に何かを語りかけてこようとしたまさにその瞬間、明子が僕の胸から顔を離し、キスを求めてきた。
 僕は半ば慌てて彼女の動きに呼応した。
これが本当に明子なのかと疑うほどに積極的だった・・・

 下の方で何やら人の声がする時まで、僕たちはずっと強く抱き合い、キスをした。
 体を離した時、明子は足元を見ながら言った。
「こんなたくさんのお地蔵さんに見つめられてたなんて、気付かなかった」
「僕はずっと知ってたけどね」
 そう返すと、彼女はどこか恥ずかしそうに笑った。
 これこそ明子本来の表情だと僕は思った。
 
 ふと海を眺めると、実朝の魂がそこにゆっくり溶けていくのが分かった。
 
 いや、それは、山本耕二氏の魂かもしれなかった。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

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