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鎌倉物語 10

 鎌倉といえば大仏、それから海。湘南海岸の風景。そんなイメージを抱いていた僕にとってはこの鬱蒼とした緑は予想外の風景だった。僕の部屋で明子が「鎌倉は北と南で全然違う」と言っていたことを今になって思い出す。あとどれくらいで着くのだろうと思って外の景色を見ていると不意に列車は停まった。辺りは森と、それから古い建物がちらほらあるだけの場所だ。こんなところに駅があるのかと不安さえ感じていると、明子はボストンバッグを手に取ってやおら立ち上がった。
 北鎌倉駅のホームに降り立つと、まずひんやりとした空気にさらされた。緑の匂いがほのかに立ちこめている。わずかばかりのベンチと、大学や旅館などの看板が掛けてあるだけのこぢんまりとした駅だ。観光客も思っていた以上に少ない。僕たちの他には年配の男女が5、6人といったところだ。格好からして旅仲間だろう。ケーブルテレビのローカル線の旅番組を見て明子がここへ来たいといった理由が分かるような気がした。
 ホームを降りたところには踏切があり、それを渡ってから改札に抜けるようになっている。踏切に足を踏み入れた時、僕の目に石門が飛び込んできた。それは左右1対の石門で、左側には「北条時宗公御廟所」とあり右側には「臨済宗大本山円覚寺」と記してある。門の奥は石段が続いているようだが、周りの木々が深いためにその先は影によって遮られている。
「円覚寺ってこんな駅のそばにあるんだね」と僕が言うと、明子は「じつに深みのあるお寺よ。夏目漱石もここに籠もって人生について思索したのよ」と言い、感慨深げに森を見上げた。彼女がそう言ったからか、たしかに凛とした風格のある森のように見えた。
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鎌倉物語 9

「私にとって『蜜柑』っていう小説は、一種のたまらなさを吹き込んでくれるの。何とかしたいけど、どうすることもできない感覚。でも投げ出したくはない。だからたまらなくなる」と明子は言い、座り心地の良くないシートにもたれた。そして空気中の窒素分子でも探すかのような目で列車内の虚空を見つめた。
「そしてそのたまらなさは君の人生においても、常に君のそばにいる」と僕は言った。
 すると明子は僕の方にかすかに首を傾けて、力無く鼻で笑い、いささかまぶしそうな視線を窓の外に投げた。横浜では薄曇りだった空は、今では青色の部分の面積が確実に大きくなっている。初秋の乾いた空だ。
 保土ヶ谷を過ぎてからは住宅地が続き、のどかな景色が広がりはじめた。都会から離れれば離れるほど明子の表情からは硬さが消えていった。東戸塚駅で何人か降りて行った後は僕たちの車両にいる乗客もわずかになった。明子は僕の肩にもたれてきた。彼女は軽く目を閉じて何かを考え込んでいるようだった。すると窓の外には盛り上がった緑の中に大きな白い仏像が現れた。僕がそっちに気をとられていると隣で明子がつぶやいた。「大船観音よ」
 明子はきちんとシートに座り直し、その慈悲深い仏像をぼんやり眺めながら言った。「大船に着いたのね。ということは、次はいよいよ北鎌倉だわ」
 大船駅を過ぎた途端、辺りの雰囲気は急変した。緑が深くなってきたのだ。森がすぐ近くに迫っていて空が見えなくなっている。すると、次は北鎌倉というアナウンスが流れた。景色に合わせているかのような低くて渋い声だった。

鎌倉物語 8

「『蜜柑』っていう小説読んだことある?」と明子は唐突に問いかけてきた。読んだことはないがそれは誰が書いたのかと聞き返すと、「芥川龍之介よ」と彼女は答えた。明子は女子大に在籍していた頃は国文学の研究室に入っていたらしく、現代文学だけではなく古典なども読み込んでいる。僕の部屋に来た時でさえソファに座って読書をする時があるほどだ。
「大正時代のお話なんだけどね」明子は子供に絵本でも読み聞かせるような口調で話し始めた。「薄汚い娘が芥川の隣に座るの。その子は三等室の列車に乗るべきなのに間違えて二等に乗ってるの。でね、トンネルの前で重たい窓を必死に開けようとするのよ。芥川はすべてが我慢ならなくてね。結局トンネルに入る寸前に窓は開くんだけど、黒煙が立ちこめてきて、芥川は怒り出す寸前だったのよ。そしたらね、トンネルを抜けた瞬間、娘は窓の外に身を乗り出すの。何をしたと思う?」
 全く予想がつかないと僕が言うと明子は口元をほころばせて話を続けた。「見送りに出ていた弟たちに蜜柑を投げるの。つまりその娘は家族のために身売りに出されるところだったのよ。娘は弟たちに最後の愛情を注ごうと蜜柑を投げたのよ。その光景を目撃した芥川は切ない気分になるの。そして、それと同時に憂鬱が少しだけ晴れるっていうお話」
「なんだか、僕の知ってる芥川とは印象の違う話だな」
「そうね、彼は古典をモチーフにして、それを再構成する小説が得意だったからね。『羅生門』も『鼻』もそのたぐいよね」と明子は言った。さっきまでとは別の魂が宿ったかのように、饒舌だった。そんな彼女を見ると何だかほっとすることができた。明子と一緒にいると格別の居心地の良さを感じる瞬間がある。人は天国に憧れるという。明子から放出される心地よさは僕にとってはまさに天国に近いものがあった。
「『蜜柑』の舞台になった列車は、この横須賀線なのよ」と明子は言った。


鎌倉物語 7

 新横浜駅のホームは予想どおり多くの人でごった返していた。そこは駅のホーム独特の宿命的とも言える陰湿さに包まれていた。僕たちは人の流れにかろうじてついてゆくかのように、階段を下りていった。明子はベージュのキャンパス地の帽子を深めにかぶり、普段はめったにかけない眼鏡をしていた。彼女は足を踏み外さないように慎重に歩いている。
 僕たちはそのまま市営地下鉄に乗り横浜駅に向かった。地下鉄の中で明子はつり革を握りしめたままうつむいて目を閉じている。濃い紫の眼鏡のフレームは車内の蛍光灯に照らされている。そこだけ独立した生命を有しているようだ。僕もつり革に手をやって、そんな彼女の姿を見るともなしに見ていた。
 横浜駅に着き、列車を降りるとすぐさま明子は横須賀線のホームに向かって歩き始めた。横浜に住んでいたことがあるというだけあって、彼女の動きには無駄というものがなかった。
 するとホームへ続く階段を下りているところにちょうど横須賀線が滑り込んできた。明子はへんに焦るという様子もなく彼女のペースでホームに向かった。僕たちが列車の中に入った直後に背後で扉が閉まった。
 月曜の昼前ということで車内には十分な空席が残されている。
 列車が動きだし速度が安定してきた時になって、明子はようやく口を開いた。
「久しぶりだなぁ」
 僕はさっき新幹線の中で買っておいたミネラルウォーターを飲んだ。明子もそれを少しだけ口に含んだ。横浜を出てまもなくすると辺りには緑もちらほらと見られるようになってきた。

鎌倉物語 6

 新幹線の車内にオルゴール調の「いい日旅立ち」が流れ次の停車駅は新横浜ですというアナウンスが耳に入ってきた時、僕はある奇妙とも言える感覚にとらわれていた。それはもしかするとデジャブに近いのかもしれない。
 隣には明子が座っている。彼女は浜松を過ぎたあたりからずっと窓の外を眺めたままだ。2人で新幹線に乗るのは初めてのことなのに、この既視感は何だろうと考えてみる。 
 僕はよく夢を見る。自分がまさに今から死ぬという瞬間の夢だ。目が覚めた時には首筋に嫌な汗をかいていてほっと胸をなで下ろすのだが、冷静に考えればその瞬間はいずれ僕の身にやってくる。それが遅いか早いかという違いだけだ。
 今のこの状況も夢に出てきたような気がしてならない。あるいは過去のどこかにおいてこの旅を無意識のうちに予感していたのかもしれない。いずれにせよ、それらは現実の光景と驚くほど酷似している。一定の早さで窓の外を流れてゆく景色、それをぼんやりと見つめる明子、どうすることもできずに彼女を眺めるだけの僕・・・
 そんなことを考えていると新幹線は徐々に減速をはじめ、窓の外にはビルや大きな広告が間近に立ち並ぶようになってきた。何人かの乗客は荷物を抱え出口に向かって動き始めている。明子はようやく視線を窓から離し、その人たちの背中に向けた。それから「降りよっか」と僕にしか聞こえないような声でささやいた。 
作者

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
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とびっきり寂しい旅に・・・

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