スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

鎌倉物語 40

 美咲が旅立って半年もしないうちにジャズハウスは閉鎖した。40年間の歴史に幕が下ろされたのだ。残された建物はただちに数台のショベルカーで叩き壊されて瓦礫の山と化し、跡地にはセブンイレブンが建った。あっという間の出来事だった。
 店がなくなってから1ヶ月もしないうちにママから葉書が届いた。
「山下君にはほんとうにお世話になりました。正直ほっとしてるのよ。これからはホームヘルパーの資格でも取ろうかなって思ってます。その前に自分が介護されないようにしなきゃね」
 僕も簡単な返事を書いた。それをポストに投函した後で、自分は完全なる独りぼっちになっていることに気づいた。これまで大切にしてきたはずのものは、何1つとして残ってはいなかった。向こうに着いたらメールするねと言った美咲からも何1つ連絡はなかった。
 美咲は僕を愛してさえいなかった。つまりはそういうことなのだ。
 何より苦しかったのは、孤独に陥ると同時に佐織への罪悪感が沸き上がってきたことだ。取り返しのつかないことをしてしまったと、その時になってようやくそう思った。はじめそれは彼女からの遅まきながらの報復だと解釈した。しかしそのうち単なる僕のエゴイズムだったことに気づいた。そして、最後には、佐織は僕と別れて正解だったのだと思うように至った。
 僕に生きる意味なんてあるのだろうか? そんな問が常に頭をもたげた。
 その後、地方公務員の試験を受験するまでの1年と半年の間、僕はアパートの部屋にひきこもった。この世の中には希望などというものはないと固く信じる日々だった。
スポンサーサイト

鎌倉物語 39

 ホテルの部屋に入り窓のシェードを上げると、眼下には京都国立博物館がひっそりと佇んでいた。セピア色にライトアップされたその重厚な建造物は何かの遺跡を連想させた。美咲は珍しくしんみりとした顔つきでそれを眺めていた。僕たちは窓際のコーヒーテーブルで軽くビールを飲み、シャワーを浴びた後で最後のセックスをした。
 それも終わって、静かに寝息を立てる美咲の隣で、僕だけはうまく寝付くことができなかった。

 あくる日の朝食はホテルのビュッフェでとった。大理石調の広々としたフロアには大きな窓から差し込む朝日の光があふれていた。
「すてきだ」と美咲はテーブルにつくと同時にそう言った。たしかに、京都らしい静謐さを含んだ美しい朝日だった。時折その光線はテーブルの上で揺らめいた。窓の外には日本庭園がしつらえられてあり、朝の風に吹かれる一群の青竹が光を揺らしていたのだ。  
 僕たちはその揺らめく光の中で朝食をとった。周りの席には外国人を含む多くの宿泊客がにぎやかに朝を楽しんでいた。その中で僕たちは淡々とそれぞれの思考に沈みながら食事を口に運んだ。
 その日は午前中の新幹線で帰った。出国の手続きがある美咲は、いつまでも京都にいるわけにはいかなかったのだ。新幹線の中で僕はこれから旅立ってゆく美咲の横顔を見るともなしに眺めた。少なくとも彼女は僕のものではなかった。だったらなぜ今僕たちは2人でいるのか、その理由がどうしても呑み込めなかった。
 すべてが形而上的な旅だった。

鎌倉物語 38

 僕が京都に行くことをためらったのは、過去に佐織と2人で訪れたことがあったからだ。佐織は秋の京都が好きだった。僕たちは嵐山で紅葉を見、それから二条城の辺りをあてもなく歩いた。あの時に撮った何枚かの写真は今も机の引き出しにしまってあるはずだ。
 そんないきさつがあったがために、京都駅に降り立った瞬間、隣に美咲がいることに違和感を覚えずにはいられなかった。あの時の佐織に比べると美咲には力強さがあり、容姿は艶やかで大人びている。彼女は世界に羽ばたくかもしれないジャズプレイヤーなのだ。親友だった佐織とは共通点があるようで、じつはまるで異なった人格のように思えた。
「とにかく有名なところに行きたいんだ」駅ビルを抜けて外の風に吹かれながら美咲はそう言った。
 僕たちは京都駅前からバスに乗り、まずは清水寺に行った。それから歩いて八坂の塔を抜け祇園の街に出た。昼は「にしんそば」を食べ、祇園から再びバスに乗り銀閣を訪ねた。銀閣の参道を歩きながら、そういえば佐織は有名な場所に来たいとは言わなかったことに気づいた。佐織は京都の空気感というものを体全体で味わいたいと考えていたのだ。
 銀閣を後にした僕たちは龍安寺の庭を見て、それから金閣へと移動した。美咲はここが特に気に入ったらしく、しばらく立ちすくんでいた。彼女はカメラを持たなかった。その分しっかりと心に焼き付けておこうと考えているようだった。そしてこれから続くであろうアメリカでの生活の中でこの美しい光景を何度も思い起こし、自分が日本人であることを感じながら生きていこうと思っていたのではないかと僕は想像した。
 夜は先斗町で京料理をつまみ、その後ビストロでワインを飲んでから、祇園で再びバスに乗り、東山にあるホテルに戻った。

鎌倉物語 37

美咲はその年の秋にアメリカに向けて飛び立つことになった。初めて話を持ち出してからわずか3ヶ月後のことだった。
 店への影響を心配して表立ったラストライブは行わなかった。これが最後の演奏だということを知っていた客は、僕とママだけだった。僕はいつもの席でウイスキーを飲みながら他の客に紛れて美咲のピアノを漠然と聴いた。現実味はまるでなかったが、それでも時にたまらなさのようなものが心をチクチクと刺した。これまで聴いてきたどの演奏よりも甘美で、ほろ苦かった。
 店を閉めた後、3人でお別れ会を開いた。ビールとウイスキーとフライドポテト、それにサラダだけの簡素な会だった。これじゃあまりにもわびしいと、ママは店を出て近所のステーキハウスに行き、肉を焼いて持ってきてもらった。それから冷蔵庫に1本だけ残っていたボルドーのワインで乾杯し直した。
 ママは最後まで陽気だった。この店から世界に羽ばたくジャズプレイヤーが出るのは光栄だというようなことを始終口にしていた。美咲は不自然なまでに饒舌なママに気を遣っているようでもあったが、やはり希望を身にまとっていた。
 その夜僕はほとんど喋らなかった。話すべき内容が見当たらなかったのだ。それと引き換えに、珍しく酒に呑まれてしまった。どうやってアパートに帰ったのかさえほとんど憶えていない。
 旅立ちの1週間前になって、美咲は京都を見ておきたいと言ってきた。
「じつは私、行ったことないんだ。それだけが心残りでね」
 正直なところ僕は乗り気ではなかったが、逆に断る気力もなかった。

鎌倉物語 36

 美咲がジャズハウスの専属のプレイヤーになって3年経った時、すなわち僕たちが25歳になった年に、彼女はニューヨークに出たいと言いはじめた。
「ママさんにはほんとうに悪いとは思うけど、私、今のうちにもっと広い世界にチャレンジしたいんだ」と美咲は僕の部屋でそう述べた。
 彼女の言い分はよく理解できたし、概ね賛成だった。彼女の技能はあるレベルを遙かに超えていたし、今の美咲なら夢につながる出会いが待っているかもしれないと心からそう思えた。ただ1つ気がかりだったのは、彼女が去った後の自分自身のことだ。すでに司法試験を諦めていた僕は、美咲のいない生活というものがどうしてもイメージできなかった。
「いろいろと調べてみてね、ハワイに日系の専門学校があるのを知ったんだ。そこで1年間英語を勉強して、まず試験を受ける。で、その成績に応じて自分の行きたい大学を選ぶことができるシステムになってて、その中にバークリー音楽大学があるのよ」
「バークリー?」
「名門中の名門よ。しかもジャズ科があるの。大西順子とか上原ひろみもそこを出てる」
 美咲の瞳からは熱気が放射されていた。彼女を止めることなどもはや不可能だと一瞬のうちに諦めさせられるほどだった。
「いつかはニューヨークに出たいの。ヴィレッジ・ヴァンガードのステージに立ってみたい。ビル・エヴァンスと同じステージにね」 
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

最新の文章
リンク
みなさまの声
カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
目次
月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。