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鎌倉物語 70

 山本氏がいなくなった後、寿福寺の裏山には再び静寂が訪れた。モミジを揺らす風もそろそろ冷たくなってきている。気がつけば僕たちは元の道を引き返していた。
 最後にもう一度実朝の墓所を顧みる。薄暗いやぐらの奥に五輪塔とコスモスの花が幽かに浮かんでいる。線香の煙はもう見えない。残り香だけが行き場もなく宙に漂っている。息を吸ってその香りを嗅いでみる。ほんのかすかなそれでいてたしかな香りだ。
 その時唐突に、ある疑念が浮かび上がる。これは実際の香りではなく僕の脳裏に染みついた記憶なのではないかと。線香はもう完全に消えてしまっているのだ。
 記憶とは不確定なものだ。それはあたかも叙述的な機能のように思えるが、実はきわめて叙情的だ。記憶とは事実を思い起こすものではなく感受性に貼り付いているのだ。
 僕は心に染み付いた線香の香りを感じながらこれまで自分の生きてきた道を俯瞰する。出会いと別れ、悦びと哀しみ、せつなさとたまらなさ・・・
 断片的な想い出の数々が波のように次から次へと打ち寄せてくる。
 ところがやがてそれらの断片は水飴のようにつながりはじめる。実朝と中也の人生が僕の人生に溶け込んできてそのうち境界線が消滅する。
 隣には明子がいる。明子? ほんとうに明子なのか。ここは京都で隣にいるのは佐織だ。佐織? あの時僕が愛していたのは佐織ではなく美咲ではなかったのか。美咲のピアノに惹かれ彼女に恋した。僕は佐織を裏切ったのだ。だのになぜ彼女と歩いているのだ?
 僕は今どこにいるのだろう? ここでは現在と過去、自己と他者が風と煙のように混ざり合い、線香の香りだけが立ち込めている。  
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鎌倉物語 69

 そろそろ行こうかと僕が提案しようとしたところで、先に山本氏が口を開いた。
「今日はおかげでいい写真が撮れました」と彼は髭で覆われた口元をほころばせた。そして明子の方を見ながら「悪用はしませんからね」と冗談っぽく念を押した。彼女は取って付けたような笑顔をどうにかこうにか浮かべた。
「もし写真集が出来上がれば」と彼は続けた。「どこかの書店で手に取ってくださると幸いです。今撮らせていただいた写真は絶対に外せないものになるでしょう。私なりの静けさの解釈ですから」
 そう言ったかと思うと山本氏はさっと右手を挙げ、僕たちに別れを告げた。それからくるりと背中を向け、裏山のさらに深いところに続く小径を歩き始めた。さっきこのやぐらに辿り着く前に「源氏山公園」という看板が出ていたが、おそらくそこにつながっているのだろう。
 明子は山本氏の背中に向かって何かを言おうとしたが、結局どんな言葉も出なかった。彼があまりに素っ気なく去ったものだからタイミングを逸したのだ。僕はそれでよかったと思った。彼女がますます混乱するのを見たくはない。
 山本氏は一度もこちらを振り向くことなく緑の奥に消えていった。僕でさえ拍子抜けするほどのあっという間の別れだった。ふとポケットに名刺が入っているのを思い出す。「山本耕二」としか記されていない、今思えばいかにもあの人らしい名刺だ。
「ほんとに写真集、出来上がるかな」
 明子は僕が手にした名刺を見ながら言った。彼女が口にした久々の言葉だった。
「いつかその写真集を手にするんじゃないかって、そんな予感がする」と明子は言った。「深みのある写真集になりそう」

鎌倉物語 68

「少し話しすぎましたかね」と山本氏は自らに言い聞かせるように言い、その後で細く長い息を吐いた。「あなたがたが魅力的に映ったものだから」
 彼の目元に込められていた力がしだいに緩まってゆく。
「特にあなたは静かな女性だ」と山本氏はどこか慈悲深い視線を明子に向けた。
 明子は突然の指名に背中をびくりとさせた。彼女は何も言えずにいる。彼女がどんなことを考えているのか僕にもよく分かっている。思いが大きすぎて言葉にならないのだ。
 山本氏の話をまともに受け止めちゃだめだよ、と僕は言いたかった。君はその手の話を信じ込みすぎるきらいがあるからね。人間誰しも認められたいという欲求を抱えている。彼はただ僕たちに話を聴いてもらいたいだけだ。そして願わくば僕たちを自分の世界に引き込もうとしている。
 彼はやぐらの前で静かに手を合わせる君を見て直感したんだ。この人なら受け容れてくれるにちがいないと。だから彼は僕にではなく君に向かって話をした。そして読み通り君は話に引き込まれた。もうこの世にいない人を愛し続けている君にとっては、「抜ける」という考え方はすんなりと入っていったかもしれない。事実君は死を怖れていない。むしろそこに憧れているようにさえ見える。
 しかし山本氏の話には欠落があることにも君は気づくべきだ。「生きることの意味」だ。生きている自分を抜けて仏の世界に辿り着くのが究極の境地であるのなら、なぜ神は人生というものを設定したのだろう? 僕たちは生きなければならないんだ。せっかく与えられた生きる権利を全うすることにまず目を向けなければ、本末転倒の人生になってしまう。

鎌倉物語 67

「東条は徹底的な自己批判・自己否定の末に地獄の底まで堕ちました。さらにそこにはもっと複雑で難解な感情もあったかもしれない。あれほどの軍事裁判です。様々な思惑や欺瞞が渦巻いていたはずです。東条は我々凡人にはとうてい及びもつかないほどの地獄を味わっているのです。そしてその果てに見えたのが仏の光だったのではないか、私はそう捉えてます。彼が抜けたのはそのあたりです」
 山本氏はそう言ってお腹のところで軽く腕を組んだ。
「その証拠に東条は死刑執行の数分前に車の中で熟睡したというエピソードが残っています。それに勇んで処刑台に上がったということです。抜けた後の彼にはもはや処刑されることすら怖くはなかったのです」
 もちろん僕は山本氏の話を信じ込むことはしなかった。えてしてこの手の話にはどこか偏りがあるものだ。それが不可能なことだと分かっていても、あらゆる関係から常に中立的な立場でものごとを捉えていたいというのが僕の理想だ。
 とはいえ山本氏の話に説得力がなかったわけではない。源実朝と中原中也は最後まで人間的であった。だからこそ死んだ後に異様な印象が残った。
 そういえば以前知人に連れられて豚が屠殺される場に居合わせなければならないことがあったが、恐怖におののき、断末魔を上げ、ついには絶命させられた彼らの姿を見た時にも同じような後味の悪さがあった。
「ちょいと話は逸れましたが、つまりは信仰とは死すら怖れることのないくらいの静けさなんです」と山本氏はやわらかな声で言った。それから組んでいた腕の力を抜いた。

鎌倉物語 66

「非現実的な話ですね」と僕は言った。素直な感想だった。
 すると山本氏は「その通り」と言い、右手の人差し指を何かのアンテナのようにぴんと立てた。「非現実的ですよ。凡人にはとうていたどり着けない境地だし、そんなことすら考えずに人生を終える人間だっているでしょう。でも、だからこそ信仰には価値がある。全人生を賭けてでも目指すだけの価値が」
 山本氏の声はずいぶんと大きく太くなっていた。
「そう考えると、実朝も中也も、最後まで抜けることができなかったんだと私は思っています。逆の言い方をすれば彼らはきわめて人間的なまま死んでいった。今なお人々の心を惹き付けるのは、彼らにそういうところがあったからではないでしょうか」
 彼の頬はさっきよりもいくぶんか紅潮しているようだ。
「しかし、自分自身を突き抜けた人間っていうのは現実にいるんですか?」と僕が訊くと、山本氏は「いる」と間髪入れずに言った。
「ただ彼らは静けさの中に生きているわけだから、多くを語らない。だから目立たない」
 山本氏はそう言ってから握りこぶしを口元にあてがって、小さく2、3度咳払いした。
「東条英機、ご存じですよね?」と彼は言った。
「東条英機って、あの?」
「そう。あの東条英機です。彼は太平洋戦争後の東京裁判でA級戦犯として死刑判決が出た後に抜けています。彼は巣鴨にあった拘置所の中で浄土真宗に出会っています。獄中で抜けたのです。彼の和歌を見れば分かります」
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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