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鎌倉物語 80

 明子はもう一口ハンバーガーをかじり、それを咀嚼しながら考えている。
「そもそも君がこんな店に入りたがることなんてなかっただろ?」と僕は言った。「特に寿福寺を出てからの君は別の魂が宿ったかのように明るくなった」
 その言葉に明子は静かに反応した。ハンバーガーを片手に持ったままホットコーヒーを口にした後で、彼女は言葉を選ぶように話し始めた。
「あのお寺の中で、急に身体が楽になった」
 明子はそう言って僕の顔を見る。
「タカシ君は何も感じなかった?」
 思わず彼女の瞳を見つめ返す。眼鏡の奥の透き通った眼球が僕を映している。彼女と顔をつき合わせながら寿福寺での記憶を心に再生する。やぐらの中で見た裸の女性、興奮気味にシャッターを切るカメラマン、今なお鼻の奥にかすかに残っている線香の香り・・・
「あの時激しい眩暈に襲われて、倒れるかと思った。ほら、あなたと山本さんが語り合ってたでしょ、あの時のことよ。それからしばらくして、やっと嵐が去ってくれたと思って目を開けたら、今度は別の眩暈がやってきた」
 明子はそう言ってシャツの襟元に手を遣った。細くしなやかな指先だ。
「軽い立ちくらみかなとも思ったんだけど、何か様子がおかしいの。頭痛が取れて身体が軽くなってた。熟睡して目覚めた朝のような感覚だった」と明子は言い、ポテトをつまんで口に運んだ。
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鎌倉物語 79

 マクドナルドに入った途端、今鎌倉にいるのだという特別な感慨がふっと消えた。あるのはごく見慣れた風景だ。長めのレジカウンターの前には客が並んで注文を待っている。制服を着た店員は決まり切った言語で応対する。フライドポテトとコーヒーの匂いが漂う。
 だが明子はこの空気を新鮮なものとして捉えたらしい。何から何まで初めての彼女は注文の仕方すらうまくいかなかった。
「一体何をどう頼んだらいいのかわからない」と焦りの表情を浮かべる。そんな彼女の横顔を見ているとどういうわけかほっとする。明子も普通の女性としての一面をもっているのだ。
 僕たちはハンバーガーのセットをトレイの上に載せ、奥の方に空いている4人がけのテーブルに2人で腰を下ろした。ゆったりとした席が意外にも心を落ち着けた。しかも膝を休めるという点においてはとてもいい条件と言えた。
 明子はチーズバーガーを手に取ったまま、それをどうやって食べていいのやら思案を巡らしているようだった。僕は自分のビッグマックにかぶりつくことでお手本を示してやった。それはこれまで食べてきたハンバーガーよりも数段美味く感じられた。それもそのはずだ。これほどの距離を休憩なしで歩いてきたわけだから。
 明子は僕の食べ方を参考にして控えめにかじりつき、唇に着いたトマトケチャップを紙ナプキンで拭きながら「おいしい」とつぶやき、手に持った食べ物をしげしげと眺めた。
 すべてが僕の知らない明子だった。
「教えてくれないかな」と僕はフライドポテトをつまみながら訊いた。「寿福寺で一体何があったのか」

鎌倉物語 78

 結局僕たちは小町通りを往復して再び鎌倉駅前に戻ってくることになった。
「ここだって思うようなお店が見つからなかったね」と明子はため息をついた。日は完全に落ち、通りの灯りが夜の闇に浮かび上がっている。僕としてはとにかく座ることができればどこでもかまわなかった。膝が笑っていてこれ以上は歩けそうもない。
「さっきから気になっているお店があるんだけど」と明子は気を取り直したように言った。遠慮することはないからそこに入ったらいいと僕は応えた。
 明子は「あそこ」と駅前のロータリーに指を差した。ところがその先にはレストランらしきものは見当たらない。ロータリーは雑居ビルに取り囲まれている。コンビニエンスストアとファストフード店、それから銀行や不動産の看板が目に飛び込んでくる。
「よくわからない」と僕が言うと、「ほらあそこ、大きなエムのマークが見える」と明子は僕の耳元で声を上げる。再び彼女の視線の先に目を向ける。
「まさかマクドナルドじゃないよな?」と思わず確かめる。すると明子は「私、これまで一度も入ったことないのよ」言って少女のような笑顔をこっちに向ける。
「いつかは行きたいなって思っていたんだけど、何となく今日がその日なんじゃないかって思うのよ」と言う。昼に「無窓庵」に行った時にも耳にしたような台詞だが全く別の言葉に聞こえてしまう。
「マクドナルドならいつでも行けるんじゃないか」と僕が言うと、明子は首を傾げる。とにかく膝を休めたかった僕は彼女のへんてこな提案に従うしかなかった。

鎌倉物語 77

 明子は扇子を手に取り、彼女と僕との間でぱっと広げた。鮮やかな赤色は外側に向かうにつれて濃くなるように染め抜かれ、全体に可憐なモミジの絵が散りばめられている。
「きれい」と明子は言い、うっとりした様子で優雅に仰いでみせた。その姿を見て僕は再びデジャブの感覚に襲われる。この旅で何度目のことだろう?
 京都。町屋の並びにぽつりと佇む店。佐織はふと足を止め、店頭に飾られた扇子を手に取って仰いだ。それが洛中のどこだったのかすぐには思い出せない。あてもなく歩くだけの旅だったからだ。あの時はたしか二条城から京都御所を通って平安神宮まで歩いたのだ。距離にしてみればけっこうあったはずだ。寒さが頬に貼り付く冬の日だった。佐織は僕にぴったりと寄り添っていた。
 そうだ、あれはたしか西陣の辺りだった。結局佐織はその扇子を手に入れたのだ。白地に淡い紫の花の絵が描かれている扇子だった。藤の花ではなかったろうか。
 1本の糸がほつれることによって次々と全体が解けてゆくかのように、明子が手にした扇子は佐織との記憶を繙いていく。
 明子は心ゆくまで扇子を眺めた後でそれを元あった場所にそっと置き、再び歩き始めた。その店から少しばかり進んだところで「お腹空いたでしょ?」と問いかけてきた。もちろん空腹には違いなかったが、それ以上に膝の痛みの方が深刻だった。どこかに腰を下ろして膝を休めたかった。
「こうもお店が多いと、選ぶのが難しいね」と明子はささやいた。「でも、こうやって歩いているだけで何だか楽しくなる」
 脚の痛みの中で佐織の声を聞いたような気がした。

鎌倉物語 76

 思い当たる所をすべて探したが、名刺は見つからない。一体どこへ落としたというのか。名前だけしか記されていない名刺なのに、こんなにも心を惑わすのはなぜだろう?
 僕の心とは裏腹に横須賀線は快調に進む。窓外の光景が夕闇に透けながら滑らかに流れてゆく。
 建長寺を過ぎて鶴岡八幡宮の森を抜けると、街の明かりが点在するようになる。鎌倉駅の近くに戻ってきたのだ。車のライトやネオンサイン、ビルの灯りが自らを誇示するかのように輝いている。
 かくして再び鎌倉駅に降り立つ。さきほど明子が言っていたとおり、この東口は西口とは様子が全く違う。駅舎も街にふさわしい瀟洒なものであるし、駅前広場にも賑わいがある。目に映る風景を体全体に触れながら、初めて自分の思い浮かべていた鎌倉に来たという実感を得る。
「あそこがメインストリートよ」と明子が示した先には「小町通り」という看板が掲げられている。なるほど駅前にうごめく人々はそこに吸い込まれているようだ。
 小町通りは昔ながらの商店街のような趣があり、実に多くの店が軒を連ねている。土産屋もあれば菓子の店舗もある。有名な鎌倉彫の店があったかと思うと小さな美術館さえある。レストランのたぐいは数え切れない。通りには多くの観光客がひしめいている。外国人もいる。ちょっとした夏祭りを連想させるほどだ。
「なつかしいなあ」と彼女は言う。雑踏に消されそうな声だが僕にはちゃんと聴き分けることができる。
「1つ1つのお店は新しくなってるけど、通りの雰囲気は昔と変わらない気がする」と明子は言い、和風雑貨屋の軒先にある赤い扇子に目をやった。「あの頃は本当に若かった」
作者

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
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とびっきり寂しい旅に・・・

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