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鎌倉物語 150

 支配人はふっと顔を上げ「お、これは失礼いたしました」と言って立ち上がり、寿司でも握るかのように手際よく雑巾を絞ってバケツにちょん掛けした。それからポケットのハンカチで手を拭きながらフロントに戻った。
「お世話になりました、いろいろと」と僕が言うと、支配人は表情1つ崩さずに「どうも、ありがとうございました」と例の張りのある声で応じた。早朝に地下のガレージからマークⅡを叩き起こし、鶴岡八幡宮まで送ってくれたことを完全に忘れているのではないかと思わせる反応だ。
 すると奥の詰所からさっき料理を運んでくれた女性が出てきた。支配人の奥さんだ。彼女はぶっきらぼうな主人とは対照的な、ほのぼのとした笑顔をこちらに向けている。「また、よろしくお願いしますね」と、どちらかというと明子の方を向いてそう言った。支配人は少しばかり背中を丸めてお金を数えている。僕はさっきから疑問に感じていることをこの際彼に尋ねてみる。
「今日は僕たちの他にお客はいないんですか?」
 すると支配人は視線を紙幣に落としたまま、「ええ、その通りでございます」と答えた。
「土日には古くからのお客様がちらほらお見えになるんですけどね。今日みたいな平日に来られる方はすっかり減ってしまいました」と支配人の横で奥さんが代弁した。話の内容とは裏腹に表情はにこやかだった。
「すてきなホテルなのに」と明子は嘆くように言った。奥さんは心底嬉しそうな表情を浮かべつつ「でも今は、こういう時代ですから」と言った。
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鎌倉物語 149

 それから僕たちはしばらく海を見ていた。おそらく互いに別々のことを考えているのだろう。しかしそこには数学の部分集合のように、どこか重なる領域があるということにも僕は気付いている。だから明子と一緒にいる時にしばしば感じるさみしさを抱くことはない。むしろほのかなぬくもりを共有さえしている。
 フロントに掲げられた古い掛時計は、後少しで9時を示そうとしている。この席に着いてからはや1時間半以上も経過したということになる。もはや明子の顔からは涙の跡は消え、正常な血流が戻ってきたのだろう、顔色も良くなっている。
「そろそろ行こうか」と僕は提案する。海を見ていた明子はゆっくりと視線を僕に向けて、「そうだね」と返す。
「ところで」と僕は続ける。「これからどこへ行こう?」
 それについて明子は考えているようだった。しかし取り立ててアイデアは浮かばないらしい。それで「何時までに君は帰ればいいのだろう?」と僕は聞き直した。
「そうねえ」と明子は言い、握りこぶしを作って唇の下に置いた。「何時までということもないけど、できれば早めに帰ってゆっくりしたいかな。昨日はけっこう歩いたからね」
 明子はそう言ってまぶたの力を緩めた。
 それから僕たちは部屋に戻った。ボストンバッグを床に置いた後で長いこと抱き合った。鶴岡八幡宮での明子とは別人のようだった。彼女の髪を頬で撫でながら、あれは夢だったのではないかと記憶を疑うほどだった。それから荷物の整理をした後、簡単に部屋を片づけて、チェックアウトのために1階に下りた。すると支配人が雑巾で床を磨いていた。

鎌倉物語 148

「かなり複雑な世の中だったんだなあ」という言葉が思わずこぼれる。すると「だからこそ本物の愛が生まれたのかもしれないね」と明子は小さく言う。
「たとえば不倫などの禁断の愛の中にも本物の愛はあると思うの。広い視点でとらえれば、愛がいつもモラルの内側にあるとは限らない。むしろ深い孤独や絶望を抱え込むからこそ心からの愛が芽生えるんじゃないかしら。愛は時にさみしさと表裏一体なのよ」
 明子の話を聞きながら、彼女は今、愛を求めているのだろうかと思う。しかしもしそうだとしても彼女の求める愛の形というものが僕にはつかめない。
「それで、結局静御前は斬られなかったの?」と僕は訊く。明子は「ええ」と言い、軽快な感じで頷く。「それほど頼朝は政子を頼ってたんだろうね。歴史上英雄と呼ばれる人にはたいてい陰で支える女性がいる。彼女たちは時に歴史を左右する助言さえもしている。まさに内助の功ね。まあ、それも1つの愛なのかもしれない」
 明子はそう言って目を細め「基本的に女は強いのよ」としみじみと述懐する。そして「私みたいにどうしようもなく弱い女もいるけどね」と付け加えて諦めたように笑う。それから彼女はうつろな目を海に向ける。灰色の空はいっこうに晴れる気配がない。
「実際に静御前が舞ったのも舞殿の辺りだと言われてるのよ。でもね、ここからは笑い話なんだけど、私がそのことを知ったのは主人が亡くなった後のことなの。結婚式の当日はそんなこと考えもしなかった。とにかく幸せだったから」
 僕はコーヒーを飲みながら湘南の海に長く伸びる逗子の海岸に目を遣る。白く瀟洒な逗子マリーナの建物がうっすらと煙っているのが見える。

鎌倉物語 147

「頼朝の前でそんな歌を詠んだわけだから、激怒されるのは当然のこと。ましてや幕府の拠り所となる八幡宮での出来事とあって、周囲は騒然とするのね。でもその騒ぎを鎮めた人がいる。誰でしょう?」
 分からない、といつもの返事をすると明子は指先の動きをぴたりと止めて答えた。
「北条政子。頼朝の妻で、後に執権政治を始める尼僧ね」
 政子と言えば実朝の母親だ。昨日寿福寺に彼女のやぐらあったのを思い出す。僕がそのことを話すと明子の表情は静止画像のように一瞬固まった。「寿福寺」という言葉に反応したのだ。少し間を置いてから彼女は唾を飲み込み、レモンティに口を付けた後、何事もなかったかのように話を再開した。
「頼朝のことだから、その場で静御前を斬り捨てるくらいのことはできたはず。それくらい彼もぴりぴりしてたのよ。将軍っていうのはそういうものかもしれないね」と、あたかも実体験を回顧するかのように言った。
「その緊迫した場面で政子は頼朝をなだめるの。『私が静御前の立場だったとしても、おそらく同じような行動を取るでしょう』って」
 明子はテーブルに置かれたフォークに優しいまなざしを送る。
「というのも、元々は政子も頼朝の愛人だったのね。彼女の父は朝廷の役人として平治の乱で破れた頼朝を伊豆に置いて監視する立場だったの。政子もその役に当たってた。それが、父の目の届かないところで政子と頼朝は恋に落ちてしまったの。その後朝廷の勢力が弱まって政局が不安定になり、2人は結婚するのよ。そういう経験をしているだけに政子は静御前と義経の境遇に同情するところもあったんだろうね」

鎌倉物語 146

「頼朝から討伐令が出された義経は兵力を建て直すために九州へ逃れようとするの。でも、そううまくはいかない。なにしろ全国指名手配の身だからね。それで一行は奈良の吉野山に身を潜めて機をうかがってた。その時に一緒にいたのが静御前ね。だけどそんな山奥でも追討を受けてしまう。義経はどうにか逃げ切ることができたけど、静御前は捕らえられてしまった。彼女は身重だったのよ」
 明子は両手をテーブルの上に出し、指先を小さく動かしながら話を続ける。
「そうして静御前は一緒に逃げていた母親と共に鎌倉に連行されて取り調べを受けることになる。で、話はここからよ。ある日頼朝が鶴岡八幡宮に参拝した時に、静御前に舞踊を奉納するように命じるの。白拍子の中でも静御前は名手として知られていたみたい。彼女はそれを固辞する。そりゃそうよね。捕虜の女が政敵の前で舞えるはずなんてないもの」
「拷問みたいなもんだな」と僕はつぶやく。
「で、結局彼女はどうしたと思う?」
「難しい質問だ・・・。最後まで固辞し続けて処刑されるとか?」
 僕がそう応えると、明子はなるほどねと言って頷いた。
「でも答えはその逆。彼女は舞うの。すばらしい演舞をね。そして踊りに合わせて歌を詠むの。『吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき』ってね」
「どういう意味なの?」
「吉野山の雪を踏み分けて消えた義経の跡が恋しいっていう意味よ」
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
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