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鎌倉物語 170

「静御前が頼朝に捕らえられた時、彼女は身重だったって話はしたっけ?」と明子は話しかけてくる。聞いた覚えがあると僕が応えると彼女は安心したように微笑んで「囚われの身だった彼女に出産の兆しが見られるのよ」と続ける。
「ということはずいぶん腹が大きいまま彼女は逃げてたんだなあ」と僕がコメントすると、「戦乱の中で2人は深く愛し合ったのね」と明子は呼応するかのように言う。
「武将って、えてしてそんなものなのかもしれないわね。織田信長にも女性の存在があったし、秀吉だってねねという女性を愛してた。京都の高台寺はねねが秀吉を弔うために建てた寺で、その周辺の町名にもなってるほどよ。明治維新の志士たちだってそう。たとえば高杉晋作にも愛人があったけど、彼女も晋作が死んだ後に東行庵を建ててる。もっとも晋作の死には謎めいた部分が多くて、いろんなところで女性の影がつきまとってるけどね」
「その東行庵っていうのは、下関の寺だよね?」と僕が言うと明子は小さく頷く。
 明子が縁もゆかりもない山口に移り住んだのはサエキ氏と死別した後のことだ。したがって彼女が東行庵を参詣した時は1人だったはずだ。たしかあの寺は菖蒲の花が有名だ。僕は彼女が1人でその花の中を歩く姿を想像する。この長谷寺で満開の紫陽花の中をサエキ氏と歩くのとは対照的な情景だ。
「静御前の出産に際して、頼朝はある怖れを抱き始めるの」と明子は話を前に進める。「産まれてくる子供が女なら生かしてやるが、もし男の子だったら、即処刑すると言い出すの。将来自分を恨んで逆襲してくると予感したのよ」  
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鎌倉物語 169

「何のために僕たちは今こうして生きているのか」という言葉が何度も心の中にこだまする。すると、ある不思議な感覚が、あたかも水が砂浜に染み込むかのようにじわじわと胸に入ってくる。僕たち2人だけがこの風景から完全に切り取られているような感覚とでも言おうか。それはたとえば「連帯」などという言葉を遙かに超える深く神秘的なつながりだった。
 ふと明子に目を遣る。彼女は何かを考えつつ海を眺めている。もしかしたらサエキ氏との想い出に浸っているのかもしれない。いや、きっとそうだ。過去に2人はまさにこの場所に立ち、一緒に海を眺めたのだ。その時の幸せに満ちた甘美な時間を明子は僕の隣で追憶しているのだ。だが彼女が何を考えていようとも、神秘的なつながりの実感は消えることはない。
 人を愛するということはこういうことだったのかと、初めて体得した気がした。
 それからしばらくの間僕たちは同じ風景の中に含まれた。海はどこまでも灰色だった。
「ねえ」と明子が口を開いたのはずいぶん経ってからのことだった。「静御前の話、覚えてる?」
 僕は彼女の横顔に目を遣り「覚えてるよ、義経の奥さんだろ」と応えた。
「さっきの話にはまだ続きがあるのよ」
 明子はそう言い、見晴台の手すりに上半身をもたれて、まるで潮風と戯れるかのような表情を浮かべながら海を望んだ。その横顔は美しい。人は天国に憧れるという。僕だってそうだ。彼女がこのまま僕のものになればどんなにすばらしいだろうと胸のすくような思いがする。

鎌倉物語 168

「どうしたの?」と明子は戸惑い気味に言う。だが彼女は無理に僕から離れようともしない。人一倍周囲の目を気にするはずの明子なのに、この時ばかりは腹が据わっているように見えた。
 それから僕たちは見晴台に立って湘南の海を見渡した。西の海岸には逗子半島が伸びていて、ホテルからも見えた逗子マリーナのリゾートホテルがより目立っている。視線を南に移せば半島は遠ざかり、代わりに輪郭のはっきりしない水平線がのっぺりと続く。海面にはヨットの白い帆が幾つか立っており、その合間を縫って水上バイクが水しぶきの線を引きずっている。灰色の空から舞い散る霧雨はそれらの風景すべてを灰色にぼやかしている。
「これが由比ヶ浜ね」と明子は僕にしか聞こえないような声で言い、目で海の方を指した。僕はというと彼女が隣に立っているということがどうもうまく信じられないでいる。いや、うまく信じられないのは、自分が自分であるということかもしれない。
 僕は一体誰だろう? 僕はちゃんと生きてるのだろうか? 僕は僕ではなくもしかしたらサエキ氏なのかもしれない。
 そんなことが頭の中で堂々巡りを繰り返しているうちに、さっきサエキ氏に訊きたかった質問内容をこの期に及んで思い出す。彼は「人は死んだ後になって初めて人生の意味を知るのだ」という僕にとってはいささか不可解なことを言った。そこで僕はサエキ氏に問いたかったのだ。「だったら人生の意味とは何なのか」と。生きることが「つかの間の灯」なのであれば、何のために僕たちは今こうして生きているのか?

鎌倉物語 167

 明子を見失った僕は見晴台を見上げる。だがそこにも彼女はいない。ましてやサエキ氏の姿も見えない。何人かの参拝者たちが海の方を眺めたり写真を撮ったりしているだけだ。
 僕が砂嵐を堪え忍んでいた間に明子はどこかに行ってしまったのだという後悔が一瞬のうちに僕のすべてを暗くする。彼女はサエキ氏のいる世界に溶け込んでしまったのではないかと思うと背筋が震えた。
 それでも無我夢中で足を前に運ぶ。本堂へと続く石段を駆け上がりながら、早朝に支配人のマークⅡで鶴岡八幡宮に向かったことを思い出す。あの時には必ず明子を見つけ出せるという確信があった。しかしサエキ氏と寄り添う姿が脳裏に張り付いている今、彼女を見つける自信がない。そもそも僕はふとしたことで自信過剰になり、また逆にちょっとのことで自信を失う質なのだ。
 見晴台は想像した以上に広く、多くの人がいた。テーブルも何台が出してあり、そこでコーヒーを飲むこともできる。もっとも今日は雨模様なので1人もいない。
 僕は見晴台の端まで行き、さっきサエキ氏が手を掛けていた手すりまで歩み寄る。そこから境内をくまなく見渡してみるがやはり明子の姿は見えない。もうだめかもしれない。彼女は1人でここを去り僕の知らない世界へと消えてしまったのだ。
 か弱いため息をついた時、僕の腰元に手が触れる。控えめな感触だ。振り向くとそこにはベージュの帽子をかぶった女性が立っている。僕は目を凝らしてその女性を見る。動転するあまり本当に明子かどうかさえ分からなかったのだ。
 気が付けば人目も憚らずに彼女を抱きしめていた。彼女のやわらかなぬくもりが荒んだ心のひだに入り込み、傷を癒してくれるようだった。

鎌倉物語 166

 ところが砂嵐はそう簡単には行き過ぎてはくれない。我慢していればそのうち去ってくれるだろうとどこかでたかをくくっていた僕は、その分だけ余計に痛手を被ることになった。砂嵐に襲われながら、これ見よがしに寄り添う明子とサエキ氏の姿がまるで前世からの因縁のような象徴性を帯びて瞳の奥に張り付く。正視できぬほどの光景は因果応報のしるしなのかもしれない。僕は過去に数え切れぬほどの嘘をつき、大切なはずの人を裏切ってきた。これはその報いなのだ。憂いの香りのする佐織の首筋がすぐそばに感じられる。「私は今でもあなたのことをふと思い出すのよ。そうしてあなたを思えば思うほど、どうしようもなく切なくなる」
 眩暈はますますひどくなる。無秩序に叩く鉄琴の音が容赦なく響く。僕はいつの間にか気を失い、その場にしゃがみ込んでいた。誰かが肩に手をやって何度も声を掛けてくる。目を開けるといかにも人のよさそうな老婦人が、畳んだ傘を手に持って心配そうな顔を向けている。僕はふらりと立ち上がり、老婦人に大丈夫ですと応えた。彼女はほっとした表情をにじませ、少し休まれた方がいいですよと言い、傘を開いてから、連れ歩いていた男性と共に参拝者の中に紛れ込んで行った。
 長谷寺の境内には霧雨がけむり、紫陽花の株をうっすらと湿らせている。遠くで線香の匂いもする。意識が正常になるにつれて、白黒だった風景に具体的な色が落とされてゆく。池の周りには参拝者が歩いている。年配の夫婦もいれば若いカップルもいる。女性同士で訪れている人の姿もけっこうある。そんな風景を肌で感じるうちに心は次第に落ち着きを取り戻す。ただ胸の奥の痛みだけは依然として疼いている。
 やっとのことで砂嵐から解放された僕は近辺を見回す。しかし明子の姿は見あたらない。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
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とびっきり寂しい旅に・・・

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