スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

京都物語 40

 女は買ったばかりの水割りをモバイルパソコンの横に置き、再び画面をのぞき込みながらキーボードを叩き始めた。さっきまでは気づかなかったが、指先には紫色のジェルネイルが施してあり、照明を受けてきらきらと光っている。いかにもふっくらとした、それでいてすらりと長い指だ。女はそれらの指をまるでピアノでも弾くかのように滑らかに動かしている。僕はその時になって初めて女が何をそんなに夢中になっているのかが気になった。それで思わずパソコンの画面に流し目を送った。
 するとそこには何枚もの画像がきれいに並べられていた。どこかの町並みやおいしそうな料理、それから自然の風景が写されていた。おそらくこの女は写真を撮って歩いているのだ。しかもどれもよく撮れている。たとえばCDのジャケットなどに使ってもよさそうな都会的で洗練された画像もいくつかある。
 女は次々とフォルダを開き、数ある画像を1枚ずつ吟味しているようだった。僕はコーヒーを飲みながら、彼女の表示する画像を興味深く見つめた。するとそれらの中に見覚えのある光景があることに気づいた。それは湘南の海岸を走る江ノ電の写真だった。どうやら秋から冬の間に撮影されたもののようだ。海の色がどこかどんよりとしているし、海には人が少ない。江ノ電は真夏の海が似合うと思っている僕にとっては、新鮮に映った。
 そういえば明子と2人で鎌倉に行ったのはもう4年前のことになる。あれも晩秋のことだった。彼女は僕との最後の旅になるのだと腹を据えていた。たしかに僕たちは魂の深いところで交流していた。しかし彼女が本当に愛していたのは僕ではなく、亡くなった夫だったのだ。
スポンサーサイト

京都物語 39

 僕は明子からの手紙に改めて目を落としながらこの旅の全体像を具体的にイメージしてみる。とにかく目的は橘真琴なる人物を捜し当て、明子からことづかった手紙を渡すことだ。「その方に封筒を渡すことができたなら、そのことは私の心をあなたにより正しく伝えることにもつながるかもしれないというささやかな期待もじつはあるのです」と明子はここに書いている。さらに「あなたが私の願いを叶えようと行動する過程において、いろいろなことに気付いてくださることを遙かに望んでいます」と最後に記してもいる。
 明子はこの旅において僕に何かを伝えようとしている。それが何なのか現段階では分からない。ただそれは明子の心に関わることであることはほぼ間違いない。彼女が突如として姿を消してからというもの、僕は明子の心中を想像し続けた。だが、どんな想像も僕を納得させることはなかった。きっと橘真琴という人物が明子の心を解き明かす上でのキーパーソンになるはずだ。
 あの昼下がり、明子からの手紙を受け取ったとき、僕は文面に隠された想いを感じ取った。明子は言葉の力を信じている。だからこそ多くを語ろうとしない。そんな彼女のコミュニケーションのとり方を理解するまでにかなりの精神的な試行錯誤を要したものだ。だがその結果僕たちは魂の深いところでつながり合うことができるようになった。
 明子は僕を試している。この旅自体がメッセージなのだ。
 車内販売が回ってきたので、ホットコーヒーを買うことにする。僕は目を覚まさなければならかった。女性の販売員がコーヒーの入ったカップを僕に渡そうとしたとき、不意に隣の女が水割りはあるかと言いだした。その時僕は久々に無神経な女の存在を思い出した気がした。

京都物語 38

 そのうち女はバッグの中からモバイルパソコンを取り出し、テーブルを倒してその上に据えた。そして何かのソフトを立ち上げてUSBメモリーを本体に差し込み、画面を眺めた。女が何をしているのか僕には全く興味はなかった。そんなことよりも女の肘が時折僕の腕に触るのが不快でならなかった。僕はiPodのボリュームを上げた。ちょうど「おいしい水」を再生しているところだった。その魅惑的なメロディは普段は心を弾ませてくれるものだが、女を横にした今はただの音の連なりにしか聞こえなかった。
 次に女はスーツケースのフックに引っかけた買い物袋の中に手を突っ込んだ。女が取り出したのは何と缶の水割りだった。朝っぱらからウイスキーを飲むなんて信じられない気がしたが、横目で確認すると間違いなく「サントリー・リザーブ」と記してある。さらに買い物袋からアーモンドを出して慣れた手つきで封を開けて口の中に放り込み、その後で本当に水割りを喉に流し入れた。僕の席はまたたく間にウイスキー臭に包まれることになった。
 できることなら他の席に移りたかった。我慢はほぼ限界にまで達していた。だが不幸なことにどの席も埋まっている。心を無にして時の経過を待つしかなかった。これも1つの精神修行かもしれない。そういえば明子は般若心経の世界に憧れていたのをふと思い出す。「色即是空、空即是色」。この世のすべては空である。すべては滅びるし、そう考えればすべては最初から存在しないのと同じなのだ。
 僕はリュックの中にしまっていた明子からの手紙を取り出し、静かにそれを開く。彼女の端正な筆跡がささくれていた心を慰めてくれる。苛立っている場合ではない。京都に着いてからの計画を立てなければいけない。「さくら」は尾道駅を通過した。

京都物語 37

 わざわざ顔を上げるまでもなかった。そこにはさっきのタイトジーンズの女が立っている。女は「おいしょっ」と息を吐くように言った後で、明るい紫のダウンジャケットを立ったまま脱いだ。その間、スーツケースはずっと僕の足下に転がったままだ。女はそのことに頓着する様子など全く見せずに、つい今まで教授風の男が座っていた席に腰を下ろし、脱いだばかりのジャケットを膝の上にひらりと掛けた。その後になってようやくスーツケースを自分の近くに移動させた。もちろん僕に気を遣う素振りなど全くない。
 女の愚鈍さに苛立ちを募らせていると「さくら」は広島駅に停車し、今降りて行った人と同じくらいの数の乗客が新たに車内に入ってきた。どうやら自由席はどの車両も満席らしく、入り口付近のスペースで立つ人もいる。女から顔を背けようとホームに目を遣れば、人々が慌ただしく往来する光景が自ずと飛び込んでくる。まるでマジシャンの手によってシャッフルされるトランプのカードのようにも映る。大学教授風の男性はさっき着たくすんだ茶色のコートを身に纏い、ずいぶんと使い古した風合いの革のカバンを手に提げて、あたかも魚が海底の岩場に入っていくかのように出口の階段の奥に消えて行った。
 再び「さくら」が動き始め、広島の街並みが窓の外に広がった時、横目でちらと女を意識した。彼女はくたびれた感じのショルダーバッグの中に手を突っ込んで何やらゴソゴソしている。バッグの横には実にいろいろな物がぶら下がっている。ハートのシルバー、手編み風のミサンガ、小さなミッキーマウスのぬいぐるみ、木彫りのドクロ・・・
 それにシトラス系の香水の匂いも僕の鼻にさわる。その奥でタバコの匂いも感じられる。ありえない、と僕は心につぶやく。

京都物語 36

 快調に進む「さくら」に身を委ねていると、タイムマシンに乗っているような錯覚はますます強くなる。そのうちこの乗り物が前に進んでいるのかそれとも後ろに進んでいるのかさえよく分からなくなってくる。僕はこれからどこへ向かおうとしているのだろう? それが京都だということは頭では分かっている。しかしその実感がまるで湧かない。僕は大きなカオスに向かって突き進んでいるように思えてならない。
 リュックのサイドポケットからiPodを取り出し、イヤホンを耳にあてる。窓の外に広がる冬の瀬戸内の穏やかな青空を見ていると、カルロス・ジョビンのボサノヴァが聴きたくなる。彼のアルバムの中からiPodがシャッフルして再生したのは「ドリーマー」だった。悪くない選曲だ。独特の軽快なメロディが体内に入ってくるうちに、奇しくも結花の笑顔が想い出される。初めて出会った頃、彼女は日本のポップスしか聴こうとしなかったが、今ではボサノヴァやジャズを好んで聴くまでになっている。知らず知らずのうちに彼女は僕の色に染まり、僕は彼女の色に染まっていたのだ。
 新幹線が進めば進むほど結花の面影は遠ざかってゆく。僕は彼女を置き去りにしてここへ来たのだ。結花と過ごした幸せな日々は意識の中でたちまち色褪せ、代わりに強烈なノスタルジアが胸を締め付ける。
 すると隣の大学教授風の男性が分厚い本をぱたりと閉じた。同時に新幹線は減速を始めた。広島に着いたのだ。男性はけだるそうに立ち上がり、荷台に突っ込んでいたくすんだ茶色のコートを羽織った。それから席を離れて出口へ歩いて行った。ほどなくして、僕の膝に何かがゴツンとぶつかってきた。見ると、真っ赤なスーツケースだった。
作者

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

最新の文章
リンク
みなさまの声
カレンダー
01 | 2017/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -
目次
月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。