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京都物語 90

 さて、ちょうどその頃、空蝉という女性が夫とともに伊予へと下ることとなりました。空蝉といえば、自らの身の程を思って彼への恋心をひたすら抑圧し、求愛を拒絶し続けた女性です。彼女の旅立ちの日、彼は薄衣の小桂を返します。この衣は空蝉が彼を拒絶した際に、後に残していったものでした。2人の決して実ることのない一夜限りの恋の象徴ともいえる衣です。彼女にとっては自分の着物が彼の元にあるというだけで、密かなときめきを覚えたことでしょう。その思い出の品が返却されたのです。空蝉は彼が恋の終わりを決意していることを悟りました。そうして静かに夫とともに伊予へと下ってゆきました。
 夕顔は死に、空蝉は都を去りました。こうして彼が惹かれた「中の品の女性」との恋は終焉を迎えたのです。そして彼は本来の「上の品」の世界に戻ってゆきます。それはちょうど立冬の日で、いかにもその日らしく時雨が降っていました。彼は過ぎ去った日々と過ぎ去った人々に思いを馳せながら、一日中時雨に目をやっています・・・

 千明氏は依然としてカウンターの白熱灯に表情を浮かび上がらせている。彼は満足そうな笑みを浮かべつつ、タバコでもふかすかのように細くて長い息を吐いた。
「夕顔が亡くなった廃院こそ『河原の院』なのです」と千明氏がつぶやいたとき、僕は夢から醒めたような錯覚を感じた。「源融は、天皇になりたかった。しかし政敵である藤原基経はそれを許さなかったのです。ところがその後に即位した宇多上皇は融と同様、一度天皇家を降りていながら再び帝になることを許された。融はその不条理を目の当たりにさせられます。彼は『河原の院』に耽溺することで心を癒したのです」
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京都物語 89

 ようやく届いた明かりを夕顔の枕元に灯した途端、彼女の肩に手をかけていた美しい女の姿はふっと消えてしまいました。彼は咄嗟に夕顔の方を見ました。しかし、なんということか、彼女はすでに息絶えてしまっていたのです。彼は悪い夢であってほしいと切に願いました。しかしおぞましいことに、目の前に起こったのは紛れもなく現実でした。彼はただただ茫然とするばかりでした。
 あくる朝になり、夕顔の亡骸は惟光の協力もあって東山に運び出されました。東山は葬送の地として知られていました。やっとのことで自宅へ帰った彼は、衰弱のあまり寝込んでしまいました。昨夜から帝が心配しているということで、親友の頭中将が見舞ってくれましたが、彼はどうにか口実をつけて帰ってもらいました。その夜、彼は密かに東山へ出かけました。とある尼の家に夕顔は生前と変わらない可憐な様子で横たえられていました。彼は冷たくなった夕顔の手を取って「どうかもう一度、せめて声だけでも聞かせてください」と人目も憚らずに泣きじゃくりました。
 彼はすっかりやつれてしまい、1ヶ月が経ってもなお心の傷は癒えることを知りませんでした。帝の心痛は言うまでもありませんが、世の中にも彼の様子は伝えられ、至る所で祈祷があげられました。ようやく回復の兆しがあったのは、秋も深まった頃でした。
 後で分かったことですが、夕顔はやはり頭中将の想い人だったのです。彼女は早くに両親を亡くし、頭中将との間に女の子を1人もうけていました。ところが身分の高い頭中将の母に脅かされて、あの夕顔の咲く家に身を隠していたのです。彼女の四十九日の法要は、比叡山で密やかに、しかしねんごろに営まれたのでした。

京都物語 88

 そこは人の気配がなく、見るからに薄気味の悪い廃院でした。2人は寄り添うようにして過ごします。天皇の皇子である彼は、女性との逢瀬はもっぱら夜のことだと決まっていたのですが、この廃院ではそんな日常の習わしも気になりません。恋する夕顔と人目を気にせず思う存分に語り合うことができる解放感に深い喜びを得ていました。
 朝が訪れて辺りが明るくなった時に彼は初めて自分の素顔を見せます。彼はたわむれながら「いかがですか?」と尋ねます。すると夕顔は「思ったほどでもありませんわ」とおどけて返します。そのまま2人はまるで幼なじみのように、1日中寄り添って語り合うのでした。2人の時間を過ごすほどに心を開く夕顔を、彼は心の底から可愛らしいと思いました。その一方で、父の帝がさぞかし心配しているだろうとも思い始めました。それに愛人である六条に住む女君も思い乱れているだろうという想像もありました。人一倍嫉妬深い女君は、彼のことを心から愛していました。彼の方も女君の気品の高さに惹かれておりました。彼女は早くに夫を亡くし、娘と2人で細々と暮らしています。夕顔に惹かれて以来彼の訪問はぱったりと途絶えがちになっていました。女君は年上であるし、未亡人の身でもあるわけですから、彼とは不釣り合いなのだと言い聞かせてきたつもりです。しかしそうやって恋心を抑圧すればするほど、彼への恋慕はますます激しさを増すばかりです。
 廃院での夜、彼は枕元に美しい女を見ます。女は隣で寝ている夕顔の肩に手をやり「私のことを忘れて、こんなどうでもよい女にうつつを抜かされるとは、なんと残念でつらいことなのでしょう」と唸りながらかき起こそうとします。目を覚ました彼は魔よけの太刀をそばに置き、院の外で待っていた随身たちを呼んで急いで明かりを灯させました。

京都物語 87

「幽霊の話にたどり着くまでには、もう少し話を進めなければなりません」と千明氏は言った。僕はまるで怖い話でも描かれた紙芝居を語り聞かされているかのような気分だった。

・・・彼はどうしても素性を隠さなければなりませんでした。なぜならその女は、親友でありライバルでもある頭中将の元恋人かもしれなかったからです。それで彼は、随身の惟光を遣わせて密かに女のことを調べさせました。そのうちすっかり好奇心の虜になってしまった彼は、いつしか夕顔のもとに忍んで通うようになるのでした。
 服装も普段の直衣ではなく狩衣に袖を通し、顔も隠して決して誰にも見せないようにしました。念入りに身をやつす彼の素性を、夕顔も知りたいと思うようになります。彼女は尾行をさせたりもしましたがいつも彼はそれを上手にまいていました。
 ある夜、夕顔は暗闇の中で不安がります。すると彼は「私とあなたのどちらが狐なのだろうね」と冗談っぽくかわします。彼は思ってもみなかったほどに心を奪われる夕顔との恋に戸惑いを覚えながらも、自分たちはそういう運命だったのだと思うのでした。
 八月十五夜のことでした。彼は夕顔の家で夜を過ごしていました。明け方近くになって、近隣の家から漏れる音を聞き、貴族である彼は珍しさを覚えるのでした。夕顔は特にどこかが優れているというわけではありませんでしたが、守ってやりたいという可愛さをもった女性でした。彼はこんな気詰まりな家ではなく、もっとうちとけた話をたくさんしたいと思うようになります。そこで彼は「もっと安らげるところに行こう」と提案します。そうして牛車に乗り、ある荒れ果てた廃院に出かけるのでした。

京都物語 86

「幽霊ですか?」と僕は聞いた。
「はい、幽霊です」と千明氏はカウンター上に顔を照らし出したままそう言った。「『源氏物語』に出てくる夕顔という女性、ご存じですか?」
 僕は首をゆっくりと横に振った。
「若い光源氏は、ある人のお見舞いの途中、牛車が停車している間に見知らぬ白い花を見つけます。それは粗末ながらも涼しげにこざっぱりした家の塀に絡まっていたのです」
「夕顔の花だったんですね?」
「そうです。でも源氏はそれが夕顔であることを知りませんでした。なぜだと思います?」
「その花は宮中では咲かないということですか?」
 すると千明氏は素早くうなずいて「そうなんです。夕顔は花を観賞するというよりは、庶民がその実を食べるために栽培されていたと言われています」と説明した。「つまりそれは貴族の家ではなかったわけです。家の中を覗いてみると、簾ごしに多くの女性たちがこちらを見ています。源氏は不思議に思いながらも随身に夕顔の花を採ってこさせようとします。すると家の中から花を乗せる扇をわざわざ持ってきた女の子がいるではありませんか」
「それが夕顔という女性なんですね?」
「その頃源氏は『中の品の女』と言って、中流階級の女性に強く惹かれます。夕顔はまさに彼の求める女性だったわけです」と千明氏はしみじみと述懐した。
「で、この話がなぜ幽霊に結びつくのですか?」と僕は聞いた。すると千明氏は神妙な顔をしつつも、口元を不気味にほころばせた。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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とびっきり寂しい旅に・・・

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