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キラキラ 217

 さっきまで窓の外にあった月がいつの間にか見えなくなっている。その代わりに、山と空の境目はほんのわずかだけ金色がかってきている。どうやら記憶を追いかけているうちに深い眠りについてしまったようだ。部屋は深海のように静かだ。
「奈月」と僕は言った。海底にいる割には、声は乾いた感じで響いた。それでも返事はない。僕は布団から起き上がり、彼女を探した。その瞬間、僕はTシャツを着てショートパンツをはいていることに気付いた。僕たちは裸のまま抱き合って寝ていたはずだった。しかも僕の短パンを脱がすように促したのは奈月の方だった。だのになぜ僕は今服を着ているのだろう?
 頭の奥で何かがよじれたような気がした。それと同時に、さっきの奈月の言葉が聞こえた。
「今がいったい今であるのか、そして自分が誰なのか分からない」
 たちまち不安に襲われた僕は、もう一度奈月の名を呼んだ。声は悲痛の色を帯びて、部屋に響いた。すると、玄関の方で物音が聞こえた。戸を開けると、オレンジの白熱灯がやわらかく照らされて、洗面台の前に立った奈月が髪の毛を後ろにまとめるところだった。
「奈月」と僕は歩み寄りながら言った。安堵のあまり声が裏返った。奈月は両手を後ろ頭に回したまま僕の方を見て、「起きてこられたんですね」と小さく言った。
 彼女は花柄のワンピースを着ている。昨日着ていたマリンボーダーのワンピースと同じ丈だ。
「いったい、どうしたんだよ。まだ、夜も明けてないぞ」と言うと、彼女は「朝一の新幹線で帰らなければならないって、昨日言いませんでしたっけ?」と返してきた。頭の奥がよじれたままでは、奈月が昨日何を言っていたのかを思い出すことすらできない。
「先輩が起きる前に出るつもりでしたけど、やっぱり、そうはいきませんでしたね」と奈月は薄く笑った。まるでこの展開を予知していたかのようなゆとりのある笑みだった。
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京都物語 110

 それからしばらくの間、僕たちのテーブルには沈黙が停滞した。正確に言うと、受話器の向こうにいる相手の話をレイナが聞いていたのだ。彼女は時折「うんうん」という相づちを打っていたが、話が進むに従ってその声はどんどん弱気になっていった。
「で、たとえばの話だけど、お母さんに会ったりすることは・・・無理なんだろうね」とレイナが受話器に向けて話した時、ついに橘真琴の消息をつかんだことを悟った。大きな歯車がまた1つ、心の中でゴトリという音をたてて回ったのを感じた。
「なんだか、久々に美琴ちゃんの声を聞くことができて、なつかしい思いがこみ上げてきたよ。ありがとう。それと、また近いうちに電話することになるからよろしくね」とレイナは僕と話す時にはありえないくらいに慈悲深げな口調で話を締めくくった。
 電話を切った後もなお、彼女は手に持った携帯電話を見つめて放心していた。そのうちかすかなため息を何度かつきながら、電話をハンドバッグにしまった。「鴨南カレーうどん」からゆらゆらと上がっていた湯気はもはや見えなくなっている。レイナは僕の隣の空いた椅子の辺りに視線を投げ、迷路をなぞっているかのような表情で何やら考え込んでいる。電話をかける前まではキラキラしていた瞳はガラス玉のように力を失っている。これもレイナの1つの姿なのだと新たに知らされた気がした。彼女がその口を開いたのはアンティークな鳩時計がどこか間の抜けた声で1つ鳴いたときだった。見ると2時半になっていた。
「あたしの推測は正しかった」と彼女は抑揚なくそう言った。「ただ、話がちと複雑なの」
 レイナはカレーうどんではなく、豆茶の方に口を付けた。
「内密にしておいてほしいって固く言われたけど、やっぱりヤマシタ君には話すわ」

京都物語 109

「つまり、その浅茅しのぶという小説家が、橘真琴というわけだ」
 僕はそう言ってレイナの瞳をまっすぐに見つめ返した。すると彼女は「あくまでも推測だけどね」と声を低くして言い、僕の瞳を見たまま眼差しに力を込めた。その後でほどよくカレーの絡んだうどんをゆっくりと口に入れた。
「でもその推測にはれっきとした信憑性があるように思う」と僕は彼女の小さな胸のふくらみをぼんやりと見つめながら、独り言のようにつぶやいた。
「根拠は?」とレイナは顔を上げた。僕は咄嗟に視線を彼女の肩に滑らせ、「君の第6感がそう伝えているからだ」と答えた。「それは何よりも確かな根拠だよ」
 僕の説明を聞いたレイナは箸を持った手を静止画のようにぴたりと止め、あぶり出しの絵のように微笑みを顔の上にじわりと浮かび上がらせた。
「美琴ちゃんに電話して、確認してみるわ」
 レイナはそう言って箸を置き、ハンドバッグから携帯電話を取り出していささか神妙な面持ちでボタンを押した。僕はその一連の所作を、固唾を呑んで見守った。そうしていると間もなくして電話はつながった。
「あ、美琴ちゃん? あたしよ、レイナ。ずいぶんと久しぶりだね。元気にしてた?」
 彼女は電話する前の神妙さが嘘のように、勢いよく話しかけた。そして数年ぶりに盛り上がる親友同士の会話が一段落ついた後で本題に切り込んだ。
「ところでさ、いきなり話が変わるんだけど、美琴ちゃんのお母さんのこと聞いていい?」と彼女は声の調子を変えることなく言った。「ひょっとして、真琴っていう名前?」

京都物語 108

「もういっぺん言ってみて、その人の名前」とレイナは普段よりも低い声でささやいた。
「たちばなまこと」と彼女にもちゃんと聞こえるように、ゆっくりはっきりと言うと、レイナはたった今運ばれたばかりの鴨南カレーうどんに漠然とした視線を落とした。
「どうかした?」と尋ねると、「それに近い名前の人を知ってる」とレイナは口ごもるように答えた。「橘美琴っていう女の子だけどね」
「ニアピンだ」と僕は苦笑した。彼女はふっと顔を上げ、あたかもそこに飛んでいる虫を目で追うかのように空間をふらふらと見つめた。
「まだ何かある?」
「ほら、あたし、第6感が鋭いっていつも言ってるでしょ。何かを感じるのよ」とレイナは言い、左手で頬杖をついた。
「その人って、君の友達?」
「友達も友達、大学の親友よ。あたしたちは1年の時からずっと同じ研究室で、卒論のテーマもかなり近かったわね。『和泉式部日記』についての研究だった」と言って彼女は静かにうどんを口に運び、じっくりと咀嚼した後で、改めて豆茶に口を付けた。
「だんだん思い出してきた。美琴ちゃんのお母さんのこと。たしか古典文学の研究者で、若い頃は小説家でもあったって話を聞いたことがある」
 レイナは、今度はおでこの裏側でも見ているかのように上を向いて記憶を辿っている。「思い出したわ。浅茅しのぶっていうペンネームだった。まさか聞いたことないでしょ?」
 僕はもちろんないと答えた。するとレイナは「若い頃に大きな文学賞を受賞して以来、完全に沈黙してるっていう話だった」と言い、僕の瞳をまっすぐに捉えた。

京都物語 107

「あたしが喋ったことをロクに覚えてないような人に、『君のブログにはデフォルメされた部分もあるかな』なんて死んでも言われたくないよね」とレイナは言い、萩焼の湯呑みに入れられた豆茶を音を立てずにすすった。それから彼女は「あなたにはあたしのことが全然分かってない。あたしの乙女心というものをまったく理解してない」と続け、頬杖をついていかにもつまらなそうに窓の外に目をやった。紫のジェルネイルだけが指先に光っている。僕はこの次にどんな言葉を継げばよいのやら分からずに、とりあえず豆茶を口にした。やさしい香ばしさが口の中にほのかに広がった。そこへ学生のアルバイトと思しき女性店員が僕のごぼううどんを先に運んできた。箸を付けずに待っていると「いいよ、先に食べて、伸びちゃうから」とレイナは僕ではなくうどんの方に視線をやって言った。
「僕たちってさ」と僕は箸を付けぬまま切り出した。「なんだかずっと前から知り合いだったように思えるのは僕だけかな?」
 すると彼女は「なによ、急にそんなこと言い出して。私の機嫌を取ろうとでも思ってるの?」と訝しげにつぶやいた。
「いいや。率直な実感だ」
 僕がそう言うとレイナは亜麻色の瞳をこちらに向けた。彼女はもうひとくち豆茶を飲み、「で、あなたは京都で何をしようとしてんの?」と一転して落ち着いた口調で聞いてきた。僕は「ある人物を捜してるんだ」と答えた。
「ある人物?」とレイナは首をかしげ、僕の瞳の奥をのぞき込んできた。「3年前に大谷大学の教官だった人で、橘真琴という名前だ」と僕が言うと、彼女の瞳がぴくりと揺れた。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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とびっきり寂しい旅に・・・

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