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京都物語 140

「中に入ってみる?」とレイナは言って僕を見た。もちろん僕は首を縦に振った。紫式部の名前を耳にした時、六条ホテルにチェックインした直後に千明氏がしてくれた話をはっきりと思い出した。ホテルの部屋から見渡せる渉成園は、平安京の頃、造営主である源融が他界してからというもの幽霊屋敷としての噂が立ってしまった。そしてその不気味で広大な庭園は源氏物語の舞台にもなった。すっかり荒れ果ててしまったこの別荘に光源氏は夕顔を連れ込んで一晩中戯れ合うのだが、翌日彼女は物の怪に取り憑かれて息絶えてしまう。
 門の周辺にいくつか掲げてある紫式部という文字を気にしながら、やや緊張気味に境内に足を踏み入れる。最初に立ち寄った手水場の梁には短いつららがいくつもぶら下がっている。レイナは「すごおい、つららだ」と見たことをそのまま口にしながら、手袋を外して手元を清めた。手袋をはめない僕の手には水は痛いくらいに冷たかった。
 手水を付けた後で廬山寺の本堂に入った。寺というよりは武士の邸宅のような趣だ。内部を見渡すと、下関にある功山寺という寺を思い出す。あそこは高杉晋作が奇兵隊を出陣させた地として知られているが、晋作が住んでいたこともあって和風の住まいになっている。そんな記憶を辿りながら縁側に出ると、枯山水風の細部まで手入れの行き届いた庭園が透き通った冬の日差しに照らされている。中央付近の石には「紫式部邸宅跡」と彫ってあるのがよく見える。僕たちはいかにも品のあるお香の香りを感じながら、黒く磨き上げられた縁側を進んで内陣の前まで来た。奥には本尊である阿弥陀三尊像が安置されている。レイナは清水寺の時と同じように正座して両手を合わせた。しばらくして立ち上がり、「紫式部という女性は、きっとつらい人生を歩んだんだね」とつぶやきながら縁側を戻った。
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京都物語 139

「あれこれ考えたところで何も始まりそうになかったから、昨日の夜はビール飲んで、シャワー浴びて、さっさと寝たわ。あなたの隣でね。でもよく眠れなかった。何度も目が覚めて『藤壺物語』の場面がリアルに浮かんでくるの。つまりあの物語はやっぱり何かを比喩してるのよ。だとすればそれは何だろうって頭の中が異様に熱くなった。でね、朝ベッドから出てテレビを見ながらビールを飲んだ瞬間、ふっと解けたの。最初は単なる邪推に過ぎない気もしたけど、やっぱり謎がどんどんつながっていくようで、そのうちそうとしか思えなくなった。だから坂井さんにいろいろ調べてもらおうと思い立ったんだ」
 レイナはそう言い、高瀬川の裸の桜越しに見える民家や旅館の方にちらと視線を送った。
「具体的にどんな謎を解いたんだろう?」と僕は聞いてみた。しかしまたもやレイナの耳にはきちんと届かなかったらしい。彼女は依然として高瀬川の方を見つつ自転車を押している。改めて聞き直そうとしたが、焦ることもなかろうとすぐに思い直した。彼女は僕のために一生懸命になってくれている。不安を感じる必要などない。言葉は最小限にとどめておく方が賢明だと最近よく思う。それでも、どうしても余計なことを言ってしまうのが現実だ。
 レイナはひとしきり話し終わると弾みをつけてサドルに飛び乗った。それからしばらくの間僕は彼女の後ろ姿にひたすらついて行った。太陽が上がっても空気は冷たいままだ。かじかむ手をポケットで温めていると、御所の近くにまで来ていることに気がついた。レイナはスピードを緩め、古い寺の前でブレーキをかけた。門には「廬山寺」と毛筆で書かれている。「紫式部は実在しなかったっていう説もあるのよ」とレイナは門を見上げながらそう言った。「で、もし彼女が実在したのであれば、ここに住んでたと言われてるの」

京都物語 138

 八坂神社から南座にかけての祇園の商店街はあまりの人の多さに自転車を押して歩くことさえ困難だった。それでレイナは鴨川に架かる四条大橋を渡ってすぐに細い道に逸れた。「木屋町通」と記されたこの路地には車も人も少なく、悠々と自転車をこぐことができた。
「ねえ」とレイナは僕の横に並んで聞いてきた。「さっきから何ぼーっとしてんの?」
「ぼーっとしてるかな?」と僕はすぐに聞き返したが、彼女の耳には声が届かなかったようだ。レイナは結花の面影を思い浮かべたさっきの僕の顔を見てそう言っているのだ。
「過去のちょっとした想い出が甦ったんだよ」と僕は声を大きくして答えておいた。するとレイナは「過去に付き合ってた女の人をふと思い出したのね」と言い、しんみりと笑った。
「君の方こそ、ずっと何かを考え込んでるんじゃないの?」と応酬すると、レイナは急に真面目な顔になって「当たり前じゃない」と張りのある声を出した。「あたしは昨日の夜からいろんな妄想を浮かべ続けてるんだから」
「どんな妄想?」と思い切って尋ねると、彼女は逆に「他に何を考えるっていうのよ」とよく通る声で言い返してきた。そのつぶらな亜麻色の瞳を見てようやく、彼女は橘真琴のことを真剣に考えてくれているのだということが腹に落ちた。それで僕は「君には何か思い当たる節があるんだね」と発言を軌道修正した。レイナはブレーキをかけて自転車を降りた。
「受賞作の『藤壺物語』を読んだんだけど、どうしても腑に落ちなかったの」とレイナは話し始めた。彼女の肩越しには高瀬川沿いの桜の木が寒そうに並んでいる。「あの文章を書く時に浅茅しのぶは大きな苦しみを抱えていた、そして命がけで完成した、美琴ちゃんはそう言ってたけど、小説の内容と作者の苦しみがどう関連してるのか全然分からなかったの」

京都物語 137

 道幅は狭いが京都の情緒が存分に漂う路地の両側には、箸や扇子などの京雑貨を売る店や、煎餅や和菓子やちりめん山椒を扱う店がずらりと並び、観光客がひっきりなしに足を止めている。
「ここへ来るの初めて?」とレイナは久々に普段通りの口調で話しかけてきた。僕は初めてだと答えた。清水寺のすぐ近くにこんな通りがあっただなんて意外に思う。
「この産寧坂は祇園に続くんだけど、いかにも京都っていう雰囲気で大好きなのよ」とレイナは言いながらリュックサックからデジタルカメラを取り出してシャッターを切り始めた。そして彼女は画像をチェックしつつ「この写真はブログ用じゃなくて、プライベート用だね」とつぶやき気味に漏らした。
 それから僕たちは坂の途中にあるイノダコーヒーに立ち寄り、ブレンドコーヒーを飲んでサンドイッチを食べた。昼を過ぎると人が押し寄せてくるから少し早めのランチを取ろうとレイナが提案したのだ。深煎りのコーヒーを口に含みながら窓の外に広がる日本庭園を眺めている僕に、レイナは「大学の時にいろんな所に行ったけど、京都ってやっぱりこういう場所がいいなって思う」としみじみ言い、スクランブルドエッグとチーズの入ったサンドイッチの端を少しだけかじった。さっきから気になっているが、彼女の口からは離婚した夫との思い出話が出てこない。実家が大原にあったのなら何度も2人で訪れているはずだ。もう忘れてしまったのかもしれない。あるいは忘れられないのかもしれない。
 その後僕たちは高台寺を過ぎて祇園に辿り着いた。八坂神社から東大路通りに出て、歩いて駐輪場まで戻ってきた時にはさすがに靴擦れができていた。再び自転車に乗った時「ヤマシタ君と遊ぶの、楽しいわ」とレイナの方から言ってきた。どこかで聞いたことのあるセリフだと記憶を辿ると、そういえば結花がよく言っていたのを思い出した。

京都物語 136

 僕たちは別々の思考に沈みながらあふれかえる観光客の中を歩いた。レイナは参道の真ん中を進んだ。しかも他の通行人を避けようとはしなかった。にもかかわらずすいすいと前に足を運んでいたのが驚きだった。僕はというと通りの端っこの方を、他の人とぶつからないように歩いた。歩き方1つにもそれぞれの人生が象徴されているようだった。
 ふと顔を上げると、鮮やかに朱塗りされた仁王門が店の間からちらほらと姿を見せ始めていた。その仁王門をくぐると今度は三重塔が冬の日差しを受けながらそびえ立っていて、さらに進むといよいよ清水寺の本堂が現れる。僕たちは手水の列に並び、それを終えてから靴を脱ぎ本堂の内陣に入った。どこか野性味を帯びた線香の香りが充満し、薄暗く厳かな空気が張りつめている。本尊の千手観音像は秘仏のために厨子に納められていたが、レイナは正座して静かに手を合わせた。僕も彼女に倣った。そういえば美咲とこの寺へ来た時には舞台に立つことに気を取られるあまり、こうして礼拝することはなかった。ただそれはおかしな事でもない。おびただしい数の参詣客の中で、わざわざ内陣に入って正座する人は思ったよりも少ない。
 僕たちは再び靴を履いて内陣から出て、2人並んで清水の舞台に立った。眼下には洛中の町並みが一望できた。京都タワーが小さく見え、その先には近代的な京都駅ビルを垣間見ることができる。僕は出会って間もないレイナとこうしてここに立つということがどうも信じられないでいた。彼女はやはり物思いに遠くを眺めている。目の前に広がる冬の京都の景色に自らの過ぎ去った日々を重ね合わせているようだった。
 清水寺の境内を一通り巡った後で、レイナは参道から北側に折れる路地に進んだ。そこは長く緩やかな下り坂になっていて、風情のある通りだった。看板には「産寧坂」とある。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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