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京都物語 150

 京都駅八条口のレンタルサイクルに戻ってきた時、夕刻から急に厚みを増してきた雲の端にはほのかな茜色が滲んでいた。そのまま京都駅の表口に出ると京都タワーが紺色の街にさみしげにライトアップされていた。
「1日なんてあっという間だね」とレイナは言い、六条ホテルのソファに腰を下ろした。フロントには暖房が十分に効いていて、冷えきった手と身体がじんじんとしびれた。
 千明氏はコーヒーでも持ってきましょうかと気を遣ってくれたが、さっき飲んだばかりだからと言って断った。すると彼は自家製のホットジンジャーを入れてくれた。彼の人柄をそのまま味わっているかのような口当たりだった。それを飲みながら僕たちはおのおのの思考の中に沈んだ。レイナはソファにもたれて軽く目を閉じ、頭の中にあることを整理しているようだった。おそらく橘真琴に関すること、具体的には『藤壺物語』を読んでいて彼女の心に引っかかった何かについて思いを巡らせているのだろう。
 僕はというと、そんなレイナを目の前にして、今日1日の行程を振り返っていた。京都駅を起点に、東山、廬山寺、京都御所、紫野を結ぶいびつな楕円形を描いたことになる。そうして今、紫式部という女性の人生が残り火のように胸中にくすぶっている。橘真琴がまだ浅茅しのぶというペンネームを使っていた頃、彼女もきっと僕とレイナのたどったいびつな楕円を歩いている。まだ見ぬ橘真琴という女性が紫式部の人生を媒介として、僕と何らかのつながりをもちはじめているような気がしていた。
 その夜僕とレイナはまた同じベッドで寝た。しかし昨夜とは違って僕たちはしっかりと抱き合った。冷え切ったお互いの身体はあっという間に汗ばむほどになった。
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京都物語 149

 紫野には、京都における平凡的風景が広がっていた。細い道路の両側には塀が連なり、古民家が建ち並び、マンションがある。マンションといってもどれも低く押しすくめられていて、その上には大きな空が見える。こんぶを専門に扱う店とか眼鏡屋とか交番もある。それらはみな京都の冬の空の色と調和しているように映った。まるでそこに含まれる全ての対象物が一同に申し合わせて「京都の冬における平凡的風景」を造り上げているようだ。
 僕たちは「一休さん」で有名な大徳寺の広大な敷地を過ぎて嵐山方面に向かった。しかし不運にもその途中で小雨がぱらついてきた。仕方なくたまたま目についた古いカフェで小休止することにした。「京都における平凡的カフェ」とも言えそうな店だった。常連と思しき客が数人、それぞれの夕刻を思い思いに過ごしている。僕たちは窓際の席に座り「紫ブレンド」という深煎のコーヒーをすすりながら、雨が紫野の情景を濡らす様子をぼんやり眺めた。しかし雨はなかなか止んでくれない。そのうちレイナは小腹がすいたと言ってホットケーキを追加注文した。分厚くてふかふかのホットケーキだった。一口切り分けてもらったが、バターの香りが口の中に広がってサイクリングの疲れを解きほぐしてくれるような味わいだった。
 雨が小降りになると同時に再び外に出ると、空気がまた一段と冷たくなっていた。時刻は5時を大きく過ぎている。息を吸い込むと鼻の奥まで凍り付きそうだ。
「さすがに嵐山まで行くのは無理だね」とレイナは言い、不本意そうにサドルにまたがった。やむなく僕たちは堀川通を京都駅に向かって戻ることにした。途中レイナは何度か自転車を止めて、夕暮れの堀川通に向けてシャッターを切った。行き交う車たちの間から、夕飯のかぐわしい匂いがそこはかとなく立ちこめていた。




京都物語 148

「浅茅しのぶが文学賞作品を書き上げることができたのは、彼女が紫式部の人生を自らに投影しきったからに間違いないわ。今、ここに来て確信した」
「今?」
「そう。たった今。紫式部が源氏物語を書いたと伝えられるこの場所に立ってみて、あたしの第6感が動いた。間違いなく浅茅しのぶもここへ来て、あたしと同じようなことを感じているわね」
 レイナは『藤壺物語』のことを言っているのだろうが、その作品を読んでいない僕には彼女の言わんとすることが理解できない。おまけに彼女はそれ以上のことを説明しようとはしない。その代わりに境内の風景をまるで昔の映画でも見るかのようなノスタルジックな表情でしばらく眺めていた。彼女の心のスクリーンにはいったい何が映っているのだろう?
 彼女は何枚か写真を撮り、デジカメをしまってから廬山寺を後にした。遠くで枯れ草の焼けるような匂いがした。そろそろ夕刻が近づいている。
 門の外に出た途端に、空気が変わった気がした。しばしのタイムスリップを終えて、今という時間に帰還したようだった。再び自転車にまたがるとおしりの辺りが痛んだ。その痛みが妙に現実的なものとして感じられた。
 僕たちは京都御所をすいすいと北に進んで今出川通に出た。それから堀川の交差点をさらに北上した。堀川通といえば、京都に来た日に大谷大学へ行くために市バスで通った道だ。1週間前が1年前のように感じられる。そんな感慨に浸っているところにレイナが話しかけてきた。「この辺りは紫野って言ってね、紫式部が生まれた場所だと推定されてるのよ」

京都物語 147

「つまり紫式部という女性は、思いの外つらい人生を送ったんだなあ」と乾いた京の空を見上げながら言うと、レイナは「本物の小説家だったんだね」と寄り添ってきた。
「でも、何がそんなにつらかったのかは、結局は分からないわけだ」
 僕がそう続けると彼女はまぶたを軽く閉じてうなずいた。それから廬山寺の出口に向かって1歩ずつ進み出した。
「だけどそれは決して悪い事じゃないと思うのよ」とレイナは歩きながら言った。「真実というものは、どうせ正しくは伝わらないから」
 僕はレイナの顔を見た。廊下の軋む音が耳に飛び込んでくる。
「まして記録として残ってることが必ずしも真実とは限らないわ。人間の真実なんてそう簡単に記録できるもんじゃないもの。だから、どっちみち紫式部の苦しみは彼女にしか分からない。ヤマシタ君が1人で好きだった女性を追い求めてるのと同じようにね」
 出口に近づくにつれて線香の香りが遠ざかり、代わりに古木の匂いが存在感を増す。
「かといって紫式部の真実は全く理解できないっていうわけでもない」とレイナは靴箱に入れておいた黒いニューバランスのスニーカーを履きながら言った。
「というと?」と僕が聞くと、「想像するのよ」とレイナは答えた。
「辛うじて残された記録をたよりに、紫式部の心を想像するの。自分の心を無にして、彼女の中に入り込むのよ。そうして紫式部の人生を感じるの。そういうやり方は昔から多くの優れた文学者によってなされてきた。中には独創的な方法でそれをやった人もいる」
 レイナはそう言ってふと足を止めた。「浅茅しのぶもその中の1人よ」

京都物語 146

 レイナはそこまで話してから再び縁側に出て「源氏庭」の白砂を眩しそうに見渡した。さっきの女性2人組はすでに畳の間を去って、阿弥陀三尊像の安置されている内陣の前で正座をし、小さな歓声を上げている。おそらくは遠くからの観光客だろう。
「そういえば、紫式部が藤原道長に頼まれて初めて宮中に出仕した時に、象徴的な歌を詠んでいたわね」とレイナは言い、リュックサックの中からスマートフォンを取り出して慣れた手つきで画面をなぞり始めた。

身のうさは 心のうちに したひ来て いま九重に 思いみだるる

 レイナはその歌を静かにゆっくりと2回朗読した。それから「自分の身の上をつらいと思う気持ちは捨ててきたつもりだったが、ふと気がつくと心の中に隠れてこの宮中までついてきている。今、宮中で幾重ともしれぬ物思いに、心が乱れるばかりです」と、まるで紫式部の言葉を代弁するかのようにつぶやきながら、再び庭を眺めた。
「宮中の華やかな舞台に上がることは女性たちにとっては憧れだったはず。でも紫式部は違った。出世して思わぬ幸運をつかんだ女性もいるにはいたけど、藤原道長が政権についてからはそううまくはいかなくなっていたの。そういう夢を持ってしまうと、若い貴公子にもてあそばれてしまうおそれもある。紫式部はすべてお見通しだった。男性たちの前に顔をさらす宮仕えなどしないほうがましだと達観していた。彼女はすでに経験していたの。痛い目に遭っていた。それでも宮仕えをしなければならなかった。だからつらかった」

作者

Author:スリーアローズ
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