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京都物語 190

「宮中に上ったばかりの藤壺の姿は、当然ながら亡き桐壺更衣と重なる。ほとんど一致すると言ってもいい」と真琴氏は言った。まったく、物語を語る時の真琴氏にはまるで別の魂が宿ったかのように強い生命力がみなぎる。頬は紅潮し言葉には静かな迫力が感じられる。知らず知らずのうちに物語の世界に引き込まれてしまう。
「そして、藤壺の姿はもう1人の女性と重なる」
 真琴氏はそう続け、にぎりこぶしを口元にあてがって軽く咳払いをした。
「紫式部ですね」とレイナはすぐに答えた。真琴氏はやはり瞳だけレイナの方に向けた。レイナはソバージュの髪を耳の後ろにかき上げ、真琴氏に注目した。シルバーのピアスがきらきらと光り、香水の甘い香りがふわりと立ち上がった。胸はかすかに膨らんでいる。
「入内することは、紫式部にとっては不本意だった。主人には先立たれていたし、当時の女性としては高齢でもあった。紫式部は、宮中で、深い孤独と同居することになる。たしかに、そんな紫式部に比べると、物語の中の藤壺は若い。しかし、その孤独な魂は一致している」
 真琴氏はそう言って、音を立てずに息を吐き出した。
「桐壺帝は、藤壺に、光源氏の実母のように睦まじく接してほしいと願う」と真琴氏は話を先に進めた。「光源氏は、春には花が咲いたと、秋には木の葉が色づいたと、四季折々の風物にかこつけて、自分の恋心を藤壺に伝えようとした。この世のものとは思えぬほどに美しい光源氏の姿を間近に見るにつけ、藤壺は胸が切なくなることもありはしたが、まさか自分が帝と亡き前妻との間に産まれた子を心から愛するなどとは思いもせず、元服を目前に控えた光源氏との戯れの中に身を投じた。しかし、2人には、決して抗うことのできぬ運命の影がじわじわと忍び寄っていた。そのことに2人はまだ気づいてはいなかった」
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京都物語 189

「もちろん明子さんが藤壺のことを知らないはずはなかった」と真琴氏は言った。「だから『藤壺物語』を語って聞かせた時点で、私の過去にどんなことが起こったのか、そのあらましを呑み込んだのもうなずけた。ただ、明子さんは単にあらすじを理解しただけではなかった。言霊の世界を肌で感じ取っていた。彼女もまた、言葉の世界の恐ろしさを、身をもって体験していた。そういう意味では、私たちはつながっていた。そんな感覚を共有したのは、明子さんが初めてだった」
 真琴氏はそこまで話してから娘の方にくるりと顔を向け、「悪いけど、冷たい飲み物をもってきてちょうだい。喉が乾くの」と声をかけた。橘美琴は、トレイの上に置いていたワインを入れるのに適していそうなデキャンタを持って、母親のグラスにゆっくりと注いだ。溶けかけていた氷たちがグラスの中で転がる音が部屋に響いた。
「亡き桐壺更衣のことを片時も忘れることのなかった桐壺帝は、なにもかもが嫌になりかけた頃、藤壺の存在を知る。彼女は不思議なまでに桐壺更衣に似ている上に、高貴な身分の出ということもあって、ごりっぱな様子でいらっしゃる。その非の打ち所のない女性に、桐壺帝も次第に心を慰められてゆく。喪失の悲しみを埋めるには、新たな愛を見つけ出すしかなかった」と真琴氏は淡々と語り出し、ストローでカルピスを飲んだ。
「光源氏も帝について藤壺の元を訪れるたびに、他の女御の中に身を隠すようにしている義母の姿を垣間見る。そこにいる女性たちはそれぞれに皆きれいだったが、その中でも藤壺は本当に若く、かわいげな様子で、光源氏は自然と目がいってしまうのだった」
 真琴氏はそう言って、毛糸のブランケットを膝に掛け直した。
「光源氏には母の記憶はないが、その母に似ていると周りから言われるのも嬉しくて、いつも一番近くで姿を見ていたいと幼心に思った」と真琴氏は語り、視線を再び僕の頭上に向けてこう言った。「それが藤壺と光源氏の運命のはじまりだった」

京都物語 188

「ママ」
 今まで肩に力を入れて正座していた橘美琴が突然口を開いた。
「さっきのお父さんの話、それから、ママが過去に罪を犯してしまったっていう話、そして、藤壺の人生こそママの人生だっていう話、それをちゃんと聞きたい」
 真琴氏はストローでカルピスを最後まで吸い上げた。だが、橘美琴はさっきまでとは違って母親をじっと見つめているだけだ。
「私は、こう見えてもいっぱしの小説家だった」と真琴氏はまぶたの力を緩めてそう言った。「私は今、私のストーリーを語っている途中。脱線しているように聞こえる話も、じつはちゃんと意図されている。私の文脈に従って語らなければ、私のストーリーはきちんと伝わらない。小説というものは、結末よりも途中こそが重要なの。だから、あなたには最後まで黙って聞いていてほしい」
 橘美琴はよほど何かを言いたそうに唇に力を込めた。彼女は話の結末を急いでいる。しかし長年の間母に忠誠を尽くしてきた経験が彼女を踏みとどまらせている。彼女は母を尊敬しているのだ。2人の間には誰にも踏み込むことができないほどの強いつながりがある。
 すると真琴氏は僕の方に黒々とした瞳を向け、「ヤマシタさん」と声を掛けてきた。心の奥にまで不気味に響き渡りそうな声だった。
「じつはもう1つ嘘をついてしまった」と真琴氏は言った。「過去に自分の犯した罪を誰にも打ち明けたことがないと言ったけど、よくよく思い起こせば、1人だけ打ち明けた人がいた」
 真琴氏は笑顔のような表情を浮かべて「明子さん」と言った。「彼女は私に強い興味を持った。じつに勘の鋭い女性だった。私には誰にも言えない過去があることもすぐに見抜いた。もちろん、私はそれを隠し通すつもりだった。でも、いつしか、この人には話さなければならないような気がしてきた。彼女もまた、私と同様、深い闇に迷い込んでいた」
 明子の物憂げな顔が真琴氏の姿の中に甦ってきた。
「私は明子さんに『藤壺物語』を語って聞かせた。そうして、この物語こそ私の人生だと注釈を加えた。驚くべきことに、彼女はそれだけで大体のことを理解した」

京都物語 187

「紫式部は、日常的儀式として占いを登場させたのではない」と真琴氏は言い切り、再び僕の頭上に視線を遣った。「『源氏物語』における運命性を強調しようとしたのだと思う」
 真琴氏はそう言って、何度か小さくうなずいた。
「『源氏』という姓は、天皇の子でありながら、やむをえず臣下に降りることになった者に与えられた。つまりそれだけで敗者を意味する。桐壺帝は、高名な占い師の観相を参考にして、身分の高くない桐壺更衣との間に産まれた子にあえてこの姓を与え、皇室から離脱させた」
「ということは、『源氏物語』というタイトルがすでに、敗者の物語を表しているんですね」とレイナはしんみりと言った。

おほやけのかためとなりて、天の下を輔弼(たす)くる方にて見れば、またその相違ふべし

 真琴氏はさっき暗唱したばかりの一節を繰り返した。僕にはそれが何かの呪文のように聞こえた。その後で真琴氏は「天皇になると国が乱れる。だからといって補佐役というわけでもない」と自らその部分を訳した。
「この観相結果には矛盾が含まれるように聞こえる。でも、それは決して間違いではなかった。光源氏は天皇にはなれなかったが、やがては天皇の父となった」と真琴氏は語気を強めた。
 『源氏物語』も『藤壺物語』も読んだことのない僕には、真琴氏が何を言っているのか全く分からなかった。天皇にならない者が、どうして天皇の父親になれるというのだろう?
「高麗の相人の観相結果は光源氏の人生を見事に予言する。それはすなわち、物語全体を包み込む運命だった。ならばどうしてこんな重要な判断を、帝ではなく、占い師にさせたのか?」と真琴氏は言い、深遠な瞳を僕に向けた。「藤壺の登場が運命によって引き起こされたことを暗示しようとしたのだ」

京都物語 186

「光源氏は7歳で読書始という儀式を行った。美貌に加えて、世にないほどの聡明さに、桐壺帝は「恐ろし」とさえ思われた。桐壺帝が、この子をどのような地位に置けばよいものかという判断を占い師の観相に委ねたのも、その時のことだった」
 今まで自らの過去について語っていた真琴氏は、話の矛先を少しだけずらした。するとレイナは「高麗の相人のことですね」と相づちを打った。
「もちろん、平安時代において占いは日常生活の上で欠かせないものだった。ましてや貴族の間では、様々な節目において活用された」と真琴氏は言い、左手の甲を右手でさすり始めた。
「安倍晴明が有名ですよね」
 レイナがその名前を口にすると真琴氏は「彼は隠陽師として今でも崇められている」と珍しく同調した。
「で、光源氏には、どんな占いの結果が出たんですか?」と僕は思わず聞いた。すると真琴氏は僕の顔をしばらく凝視した後で、静かに目を閉じ、『源氏物語』の一節をゆっくり、かみしめるように朗読した。

国の親となりて、帝王の上なき位にのぼるべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。おほやけのかためとなりて、天の下を輔弼(たす)くる方にて見れば、またその相違ふべし

 僕が何も言えないでいると、レイナが簡潔に訳してくれた。
「帝王になる相があるが、そうなると心配すべき乱れが国に起こる。かと言って、政治を補佐する相というわけでもない」
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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