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京都物語 260

 レイナは頭を軽く左右に振って、額にかかった髪をはねのけた。その後で「今日、私と美琴ちゃんは大学を卒業して以来、ずいぶんと久しぶりに再会しました。たしか、7年ぶりになるのかな?」と橘美琴に向かって投げかけた。橘美琴は突然夢から醒めたようにはっと顔を上げ、レイナの方を向いて、不安定に頷いた。
「私はタイに留学して、そこで大きな事故を起こしちゃったものだから、そのせいで美琴ちゃんとはなかなか会えなかったんだけど、こうやって久々に再会すると、ああ、やっぱり友達っていうのは心の深いところでつながってるんだなって、実感するんです」
 そう言ったレイナの瞳には、どうやら力強さが戻ってきたようだ。
「私、人から社交的に見られるんだけど、じつはすごくシャイなところがあるんです」と彼女は続けた。「小学生の頃から、自分は他の女の子たちとは違うんだということを実感しながら生きてきました。今思えば、妙に大人びたところがあったんですね。冷めてたっていうか。たとえば、服装とか、音楽とか、他の女の子たちが飛びつくような流行りものには全く興味が持てませんでした。その代わりに、花とか虫とか、そんなちっちゃな生き物や、山や海などの美しい景色に心が引かれました。それで、周りの子たちからはのけ者にされ、あまり話しかけられることもなかったです。自我が目覚めるまで、だから私はわけもなく独りぼっちだったのです。本を読むようになった最初のきっかけは、孤独を埋め合わせることでした」
 橘美琴は涙の跡を頬に光らせながら、レイナの話を聞いている。肩越しにはレースのカーテンがかけてあり、その向こうには不揃いな大きさの雪が落ちている。
「私の自我が目覚めたのは」とレイナは声を低くした。「美琴ちゃんとの出会いがすごく大きかった」
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京都物語 259

 もはやレイナからは昨日までの自由奔放な空気は感じられない。冗談を言うのが好きな彼女だったのに、今はちょっと近寄りがたい雰囲気すら漂っている。だがその目元だけはどこか寂しげだ。さっきのストーブの部屋で何も話さずに自らの世界に引きこもっていた姿が思い起こされる。その時、僕の心は、少なからず揺さぶられた。あれから彼女の亜麻色の瞳には愁いの色がにじみ始めている。
「冷泉帝を産み、桐壺院が崩御した後、藤壺は突然出家して仏門に入りました。そんな藤壺でしたから、最後は夢の中で光源氏と語り合うというのは、自然な流れとして入ってきました」とレイナはその瞳とは裏腹に能弁に語った。「光源氏の方も、藤壺と契りを交わした夜、現世では逢瀬を重ねることが難しいのなら、せめて夢の中で愛し合いたいと切ない願いをかけたわけですから、最後はお互いの望みが成就する形で『藤壺物語』は閉じられているのです。それは、『チャイコフスキーの恋人』と同じ終わり方です」
 まるで何かのシナリオを読んでいるような話しぶりだ。
「つまり、すべてが夢の世界で結ばれるというのは、真琴先生の願いなのだと思います。そして、そこに共感できる読者も確実にいると思います。なぜなら、夢には死がないからです。極楽浄土のように、永遠性があります。その世界を信じることは、はかない人生の意味を考える時、大きな慰めになるでしょう」
 ここでレイナはふっと息を吐いた。
「ただ、美琴ちゃんはどうなるのでしょう?」とレイナは本来のかすれた声でささやきかけた。「冷泉帝のように帝になるわけでもない。ならば、夢の中に昇華するのですか? そのことが、さっきからずっと気にかかっているのです」

京都物語 258

「夜居の僧都が冷泉帝に出生の秘密を詳しく語ったのは、事実を申し上げないことによる仏罰が恐ろしいという思いからでした。悪夢のような話に思い乱れた冷泉帝は、実父である光源氏に譲位を求めますが、光源氏はそれを拒みます。結局冷泉帝は失意のまま国政を司りつつも、光源氏を官僚の最高位である太政大臣に置きました。『光源氏には帝になる相があるが、そうなると国に乱れが生じる。かといって補佐役でもない』という桐壺院が召喚した高麗の相人の観相通りになったというわけです」とレイナは言い、さっきまで真琴氏がやっていたように、テーブルの上で手を組んだ。それにしてもレイナは左目と左耳が不自由であることが信じられないくらいにしっかりした受け答えをしている。その横顔を見ながら、彼女には本当に別の魂が宿っているのではないかと思った。レイナも真琴氏も第6感が冴えていると自認している。その人並み外れた感覚に、何らかの魂が乗り移っているのではなかろうか?
 魂? 
 背筋に寒気が走る。レイナの言葉こそが言霊の世界ではないかという予感が胸を駆けめぐる。言葉には魔力がある。言霊がレイナに入り込んでいる。そういうことなのだろうか?
「藤壺は、光源氏に向かって、死後の世界から語りかけます」とレイナは表情を崩さずに続けた。「亡き桐壺院の御遺言通り、冷泉帝の後見を立派につとめてくださる姿を、長年の間、ずっと近くで見てまいりました。その感謝の思いをどうやって伝えればよいものかと、ゆったりと考えておりましたことが、今となっては本当に残念で・・・」
 レイナは藤壺の言葉をそう代弁した後で、組んでいた指をほどき、膝の上に載せた。
「藤壺と光源氏は、最後は夢の世界で言葉を交わします。真琴先生の描かれた『藤壺物語』は、そこで終わりです」

京都物語 257

 真琴氏は何かを言いかけたが、直前で言葉を呑み込んだ。そうして静かに胸元に手を当てた。これがこの人の動揺する姿なのだと思った。
 レイナはそんな真琴氏に向かって「ずっと気になっていることがあるんです」とさらに話しかけた。真琴氏はまぶたを大きく開けてレイナを見た。
「言葉には魔力がある。ひとたび表に出た言葉は、現実の世界を支配することすらある。真琴先生の言われる言霊とは、そんな世界だと解釈しています」とレイナは言った。真琴氏は何の反応もせず、ただ見下ろすようにレイナを捉えた。だがその黒い瞳だけはかすかに震えている。
「これまでに真琴先生がされた話を総合しますと、藤壺と光源氏の契りは、真琴先生と貴博さんの関係と一致しているということです。しかもそれは言霊の世界の出来事です」とレイナは言った。真琴氏にはやはり何の反応も見えない。「私が気になるのは、その後の話です。光源氏と藤壺との間に産まれた罪の皇子は、やがて冷泉帝として即位します。ところが、冷泉帝は、母藤壺が37歳で息を引き取り、まだその悲しみに暮れている時に、夜居の僧都から自らの出生の真実を聞かされます」
 つまり藤壺は自らの秘密を他人に打ち明けていたということだ。その夜居の僧都とはいかなる人物なのだろうか。そんなことを考えていると、僕の胸の内を見透かしたかのようにレイナが話を続けた。「自らの心にしまっておくことができるほど、藤壺の犯した罪は小さなものではなかった。だから彼女は、母の代からずっと護身の祈祷をしてくれている僧都にだけ真実を打ち明け、せめてもの救いを得ようとしていたんですよね」とレイナは言い、両肘を黒木のテーブルの上に置いた。

京都物語 256

「『チャイコフスキーの恋人』が貴博さんに音楽的霊感をもたらしたことを証明するのに、もう1つエピソードがありますよね」とレイナは言い、亜麻色の瞳を真琴氏に向けた。
「貴博さんは、敦賀湾の原発を飛び出した後、すぐにモスクワに渡っています。でも当時はまだ旧ソ連の時代で、冷戦が続いていました。自由に音楽を学ぶことに息苦しさを覚え始めた貴博さんは、アメリカに渡ってさらなる音楽性を磨かれたんですよね」とレイナは言った。「チャイコフスキーの継承者とも言われるラフマニノフをはじめ、優れたロシアの音楽家たちもアメリカに渡っていきました。貴博さんは彼らと同じことをしたのです」
 真琴氏は表情を変えぬまま、目だけ静かに閉じた。
「つまり貴博さんはアメリカに渡る前の約3年間をモスクワで過ごされました。だから音楽を修得するのに要した年月は5年ではなくて、正確には8年だったというわけです」
 レイナはやはり淡々とそう続けた。昨日までとは別の魂が宿っているかのようだ。
「もちろん、そのことはテレビ番組でも紹介されたはずです。まさか、真琴氏がご存じでないはずがありません」とレイナは思わせぶりな口調でそう言った。真琴氏は閉じていた目をゆっくりと開けて、まっすぐ前を向いたまま「さすがレイナさん。よく調べてらっしゃるわね」とこの人らしい味わいのある声で答えた。「それにしても、一体どこでそんなに詳しい情報を入手されたのかしら?」
 レイナはそれについては何の反応もしなかった。真琴氏はふうと声を出しながらため息を吐いた。
「貴博さんは、音楽家としての名声を得た今もなお、真琴先生のことを思い続けていらっしゃいます」とレイナは小さく言った。「私の第6感がそう伝えています」
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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