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京都物語 270

 新大阪で別れた僕とレイナが1週間ぶりに再会したあの古い喫茶店は、貴博氏と橘美琴の再会の場所でもあったという事実に、レイナも驚いたふうだった。ただ彼女はそのことをあえて口に出さなかった。親友である橘美琴の話の腰を折りたくなかったのだろう。
 僕はその一致が、たんなる偶然には思えないでいた。僕の人生の物語はすでに誰かによって描かれている。僕はそのレールの上を歩かされているだけだ。ここへ来る前、阪急嵐山駅でそんなことを感じた。だとすれば僕の物語は橘家の物語とつながっている。もしかすると、真琴氏がずっと言い続けている言霊の世界に僕も含まれているのかもしれない。そう考えた途端、なんだか恐ろしくなってきた。
 橘美琴もレイナと僕の顔色の変化に気づいたようだ。それでも、レイナの暗黙のメッセージを感じ取ったのか、ゆったりとしたペースで話を再開した。
「あの時私はテニス部に入っていたんだけど、何しろ貴博兄さんからの電話とあって、部活動を休んで、すぐに待ち合わせ場所に向かったの」と彼女は言い、翳りに縁取られた目元の力を緩めた。「お兄さんは私の顔を見るやいなや、にっこりと笑った。それから私の全身を丁寧に観察して、ずいぶんと大きくなったねと言われた」
 真琴氏は黒々とした瞳に力を込めて何かを言いたそうだったが、直前で踏みとどまった。娘がすぐに話し始めたからだ。
「何年かぶりに見る貴博兄さんこそ、私の目には別人のように映った。顔には見たことのないしわがいくつも刻まれていて、疲れているように見えた。それでも、貴博兄さんとはもう2度と会えないと思っていたから、私はその場で泣いてしまった。嬉しかったのか、寂しかったのか、よく分からない涙だった。それから私たちは、その古い喫茶店に入った」
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京都物語 269

「京都銀行?」とレイナはつぶやいた。その銀行は、2週間前に京都に来た時に初めて立ち寄った場所だ。あの時、高木という、どこかうだつの上がらない感じの中間管理職に頼んで貸金庫を開けてもらった。今回の調査にかかる資金を明子が事前に預けてくれていたのだ。
「京都銀行と貴博さんの間には、何かの関係があるの?」と僕は直感的に聞いた。すると橘美琴は「おそらくないと思います」と答えた。「あの銀行は1本入った場所にあって人目につきにくいし、お兄さんの行きつけの古い喫茶店が目の前にあるから、そこに入りたかっただけだと思います」
 すると「ヤマシタさんは、高木さんのことを言ってるのね」と真琴氏が話に割り込んできた。「明子さんに高木さんを紹介したのは、私よ」
 真琴氏は落ち着き払ってそう言った。「高木さんは、貴博さんの高校の同級生で、何度かお会いしたことがあったの。それが、私が融資の申し込みをしに行った時の担当がたまたまあの方でね。そんなことがあって、明子さんがご自身の資産の管理について頭を抱えていらっしゃると聞いて、高木さんに相談をしなさいと取り計らったの。何しろ明子さんには多額の遺産があった。ご主人だけでなく、お父様も亡くしていらっしゃるから。でも、多額の財産を持っていても、彼女は全く幸せではなかった」
 その通りだ。明子は幸せではなかった。僕が彼女の心の欠落を埋めることができればどれほどいいだろうと何度も思った。そこに人生のすべてを捧げてもいいとさえ考えたほどだ。だが、やはり僕にはできなかった。明子は僕の元から消えてしまったのだ。
「貴博兄さんがまさか京都銀行にゆかりがあったとは、知らなかった」と橘美琴は言った。それから少し間をおいて「とにかく、あの日私たちは、銀行の前の古い喫茶店で、久々に会ったんです」と回想した。その喫茶店とは、僕とレイナが再会した店に違いあるまい。

京都物語 268

「お兄さんは亡くなったお父さんと同じ国にいるものだと思いなさいって、あの時ママは言ったわ」と橘美琴はしみじみと述懐した。「私はまだ小学生だったから、話の真意を理解することまではできなかった。だから、ママのその言葉は、頭を飛び越えて、心に直接入ってきた。私、大泣きしちゃったわよね。覚えてるでしょ?」
 真琴氏は今緩めた口元をきゅっと引き締めた。
「幼かった私は、そのことが信じられずに、ずっと貴博兄さんの居場所をお母さんに聞いていたけど、中学生になった頃から、ぱたりと話さなくなったでしょ。実はね、それにはわけがあったの」と橘美琴は静かに言った。「中学生の時に、突然学校に電話がかかってきたの。ものすごく暑い日の午後だった」
「貴博さんから?」と真琴氏は聞いた。ほとんど反射的だった。橘美琴はまっすぐに母を見つめながら、ゆっくりと肯いた。
「美琴、あなた、今までそのことを内緒にしていたの?」と真琴氏は声を震わせた。
「いけないことだと思ったわ。ママへの申し訳なさから、胸が破裂するかと思ったくらい。でも、貴博兄さんから固く口止めされたの。ママへは自分から必ず話すから、それまで何があっても口に出しちゃいけないって」
「信じられない」と真琴氏は言った。ほとんど狼狽に近い表情を浮かべつつも、僕は真琴氏の所作の中に品格を感じ取った。ここまでくると敬服に値する品格だ。
「それで、あなた、その時に何があったの?」と真琴氏は追及しにかかった。
「お兄さんは、京都駅前にある、京都銀行の玄関に立っていらした」
 その瞬間、僕とレイナは互いに顔を見合わせた。

京都物語 267

 そう言った途端、言葉とは全く裏腹に、橘美琴の表情にかすかな翳りが差し込んだ。
「私は、物心つく前から、お兄さんからいろんなことを教わってきた。小学生の時にはお勉強も習ったし、中学、高校と上がるにつれ、受験の話もたくさんしてくれた。それだけでなく、ほんの些細な疑問から、自然やこの世の中の成り立ちに至るまで、私がどんなことを聞いても、的確に答えてくれた。その時の私が完全に納得できる形にかみ砕いて、丁寧に説明してくれた。私は、だから、貴博兄さんから、計り知れないほどの影響を受けて育った。そうして、いつしか、深く尊敬するようになっていた」
 橘美琴がそこまで話した時、僕は真琴氏の言葉をふと思い出した。
「異性に尊敬を抱くと、それは恋心に変わる。しかも激しい恋心に」
 だが、まさか、橘美琴が貴博氏に恋するはずはない。だとすればいったい彼女はここで何を告白しようとしているのだろう?
「だから」と話を続けた橘美琴は、依然として表情に翳りを引きずっている。「貴博兄さんが大学院を出て、そのまま国の研究機関に入るために上京することになった時には、ものすごく寂しかったのをよく覚えている。この世のものとは思えないほどの寂しさだった」
 レイナも、それから真琴氏も、視線こそ思い思いの方を向いているものの、固唾を呑んで話に耳を傾けている。そんな部屋の中の緊張とは無関係なように、陽光は今なお降る雪を白く光らせている。
「お父さんが亡くなった後、貴博兄さんの行方が分からなくなった。あの時ママは、お兄さんとはもう2度と会えないだろうって私に言ったね。覚えてる?」
 娘の問に、真琴氏はわずかに口元を緩めて応えた。

京都物語 266

「貴博兄さんは、東京に家を持たれてはいるけど、実際は全国を忙しく飛び回っていらっしゃいます」と橘美琴は言った。一歩ずつ、雪でも踏みしめるような喋り方だ。「京都にも、マンションを持たれているんですよ」
「京都?」と真琴氏はすぐに反応した。品格はまだ保たれている。
「お兄さんは、京都を深く愛していらっしゃるから」
 橘美琴はそう応えた。
 1年のうちの大半をこの家で過ごす真琴氏にとって、まさか貴博氏が京都に住みかを構えているなどとは全くの予想外だったに違いあるまい。さっきまでは教祖のように悠然と構えていたのに、今となっては明らかな動揺が見られる。その姿は、長いことうつむいて下唇を噛みしめていた娘の姿に通じるものがある。僕はそこに皮肉を見て取った。
「美琴、あなた、まさか、おかしなことにはなってないわよね?」と真琴氏はついに声を震わせた。黒々としていたはずの眼球は、打ち弾かれたテニスボールのように細かく左右にぶれている。
「大丈夫よ、ママ」と橘美琴は声を低くした。「ママはさっき、ママの文脈で語らないと真実はきちんと伝わらないと言ったけど、それと同じことなの。私も、この話だけは、正しく伝えたいの。だから、順序を追って話させて」
 橘美琴はそう言った後で、もういっぺん深呼吸した。
「といっても、私は、ママの話を聞くまで、貴博兄さんとママの間に起こったことを知らなかったの。だから、まだ頭の中は混乱してるし、話の全体像もちゃんとつかめてないから、上手く話すことができるかどうかわからないのよ」と穏やかに言った。「でもね、ママの話を聞いて、これまでずっと不可解に思っていたことが晴れたのはたしかなの」
作者

Author:スリーアローズ
*** 
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