スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

京都物語 300

 橘美琴は頭の中を整理してから、「言葉を使って生きている以上、言霊の世界に含まれないということはないのよ」と言った。「元々言葉自体に力があるのだから。あとは、それを信じるか信じないかという違いだけ。もしヤマシタさんが言霊の世界を信じるのなら、あなたはその中で、否応なく、誰かとつながって生きてゆくことになる」
「誰かと?」と僕は問いかけた。
「抽象的な言い方で申し訳ないけど、私にはそれ以上的確に説明することはできない。そもそも、今の話は、的確に説明され得るような対象でもないの」
 本当に大切なことは説明できない。ここへ来る新幹線の中でレイナが言っていたことだ。それについてはおおむね僕も賛成している。つまり、橘美琴が一所懸命になって伝えようとしている内容も、おおむね理解できる。
 言霊の世界に含まれていることを認識するかぎり、僕はそこに含まれる。そうしておそらくは、そこで明子とつながっているのだ。もし僕が言霊の世界を信じなくなった時、明子とのつながりも消滅する。明子だけではない。橘家の人やレイナとのつながりも同様だ。僕は偶然ここにいるのではない。物書きとしての能力を持つ真琴氏が作り上げた世界の登場人物として、他の人と関わりながら、結果としてたどり着いたのだ。橘美琴氏の言わんとするのは、おおむねそのようなことなのだろう。
 僕とレイナは橘美琴に礼を言い、車を降りた。ドアを閉めた直後に、静かな排気音を引きずりながら、シトロエンは路地の先へと消えていった。最後はあっけない別れだった。
 六条ホテルに入った瞬間、僕はある種の違和感を感じた。ロビーの雰囲気が今朝と違う気がする。どこが違うのかよく分からないが、たしかにどこかが違う。
 フロントに立つ千明氏は、僕たちを見るやいなや、目と口を極限まで大きく開けた。
スポンサーサイト

京都物語 299

「だから、レイナちゃんが、今回の件で、たとえば罪悪感を感じたりするのは、お門違いなのよ」と橘美琴は言った。「ママはそろそろ今の生活を降りたかったの。その大きなきっかけとなったのは、レイナちゃんじゃなくて、じつは明子さんだった。それも全部、ママの作り上げた言霊の世界の出来事だったというわけ」
「つまり、これまでの私たちの人生は、真琴先生の言葉の中にあったということか・・・」
 レイナがそうつぶやくと同時に、シトロエンは静かに停車した。「六条ホテル」に到着したのだ。橘美琴はパーキングブレーキを引いてから、「レイナちゃんにはまだうまく信じられないだろうけどね」と、ため息を吐くように言った。
「ただ」と僕はあえて口を挟んだ。「すべてが真琴先生の言葉の世界にあるのなら、どうして真琴先生は、美琴さんと貴博さんとの関係を知った時、あれほどひきつった顔をしたのだろう?」
 僕の問いかけに、橘美琴は思ったよりもすんなりと答えた。
「さすがにそこは想定外だったんじゃないかしら。いや、想定はしていたけど、それを言葉にするのが怖かったのかもしれないわね。いずれにしても、ママは神様じゃないから、すべてを司ることなどできない。ママも言霊の世界に呑み込まれてるわけだし。ただ、ママには物書きとしての霊的な能力がある。だから、独自の言葉の世界を構築して、登場人物である私たちを、言葉の力で動かすことができる」
 橘美琴の説明は、よく分からないようで、あと少しで分かりそうな気もする。それで僕は頭の中にあることを、そのまま聞いてみた。
「僕はまだ、言霊の世界に含まれているんだろうか?」

京都物語 298

「そう」と橘美琴は僕に向けてうなずいた。「その時は私も、どこでどう明子さんが関係しているのかよく分からなかったけど、今日、ヤマシタさんが明子さんの手紙を持ってきて、ああ、こういうことだったんだって納得できた。明子さんは、ママにとっては大事な存在だったのよ」
「2人はよく会ってたのかな?」と僕は聞いた。
「そこは定かでないけど、大勢いる学生の中で、ママは明子さんの話を特によくしていたわ。それって、ママにとってはきわめて珍しいことなのよ」
 シトロエンは烏丸通の赤信号で停まった。右手には京都駅が立ちはだかっている。橘美琴はハンドルから手を離し、夜空に向かってライトアップされている京都タワーをちらと見上げた。
 そういえば真琴氏が最初に書いた小説は『月と京都タワー』という題名だった。その作品は、真琴氏の夫の前妻が書いた『比叡に消ゆ』を意識して作られた。かたや僕は、高校生の時に家出をして初めてこの場所に立ち、寂しさにうちひしがれた。
 僕は何かとつながっている。改めてそう実感した。
「明子さんは、ママと現実の世界とを結ぶ、仲介役みたいな存在だったんじゃないかなあ」と橘美琴は京都タワーを見上げながら感慨深げに言った。「あの家に引きこもって世俗から離れて生活しているとね、それはそれで楽なんだけど、やっぱりどこかで不安なの。その点、明子さんとつながることで、ママは安心できたんじゃないかと思うの」
 橘美琴がそう言うと同時に信号が青に変わり、シトロエンは他の車に倣って動き始めた。それから少し進んだところで左折し、細い路地に入った。間もなくすると「六条ホテル」の古びた看板が見えた。

京都物語 297

「なんか、怖いね」とレイナがひそやかにつぶやいた。
「『源氏物語』に描かれた世界は、だから、実際の紫式部の体験と重なる部分がたくさんあったっていうことね」
 橘美琴はレイナとよく似た声色でつぶやき返した。やはりこの2人は、どこか姉妹のようなところがある。
「でね、話を戻すんだけど」と橘美琴は続けた。「ママはね、今回レイナちゃんが私たちの人生にきっかけを与えてくれることを、ちょっと前から話していたの」
「どういうこと?」
 今まで窓の外に目をやっていたレイナは運転席を見た。
「1ヶ月ほど前だったかな。突然ママが、こんなことを言ってきたの。そろそろ私たちもまっとうな時間の感覚というものを取り戻さなければならないわねって」
 レイナは首をかしげた。僕にも橘美琴の言わんとすることが伝わらなかった。
「よく分からないでしょ、何言ってるのか」と橘美琴は穏やかな言い方で僕たちに寄り添ってきた。「でもママとずっと一緒にいるとね、一体どんなことを言おうとしているのか、感覚で分かるようになるのよ」
 シトロエンは堀川通を通過した。西本願寺の広大な堂宇が闇夜に浮かび上がっているさまが一瞬だけ見えた。
「で、突然レイナちゃんが、久しぶりに電話をくれた時、ママは言ったの。私たちの人生の流れを変えるきっかけになるって。そして、そこには、どうやら明子さんが絡んでいるらしいって」
「明子?」と僕は心の中で言ったつもりが、実際に声に出てしまった。

京都物語 296

 今の言葉について、レイナは神妙な面持ちで考え込んでいる。
「だからね、今回レイナちゃんが私たちの生活にきっかけを与えてくれたということ自体、言霊の世界で起こったことなのよ」と橘美琴は当たり前のことのように言った。どうやら涙はだいたい止まったみたいだ。
 その台詞を聞いて、僕は頭の中心が揺れるのを感じた。予め決められたレールの上を歩かされる人生。京都に来る新幹線の中で、ふとそんなことが実感された。僕には橘美琴の言うことに共感できる部分がある。
 するとレイナは「言霊の世界ねえ」と、ぽつりと漏らした。
「ママは浅茅しのぶの名前で『藤壺物語』を書いた。でもそれはただの作り話なんかじゃなかった。光源氏と藤壺の間に冷泉帝という不義の皇子が生まれたのと同じく、貴博兄さんとママの間には私が生まれた」と橘美琴は言った。渦中にいながらも、傍観者のような話しぶりだった。
「だとすれば」とレイナは何かをひらめいたかのように背筋を伸ばした。「光源氏と藤壺の物語は、紫式部が作り出した言霊の世界ということになる。つまり、紫式部も同様の経験をした」
「そのへん、レイナちゃんは本当に鋭いわよね」と橘美琴は声を高くした。「お昼にママが話したけど、紫式部の人生には謎めいている部分が多いの。あれほど有名な人なのに、独身時代の記録がほとんど残っていない」
「だとすれば、紫式部は、天皇の母親だった可能性もあるわけね」とレイナは慎重に言った。「つまり『源氏物語』は紫式部が作り出した言霊の世界だった」

作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

最新の文章
リンク
みなさまの声
カレンダー
03 | 2017/04 | 05
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 - - - - - -
目次
月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。