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京都物語 330

「おかえりなさいませ」とフロントの女性は棒読みふうに言った。朝ここへ来たときには陽光が差し込んでいたので質素な作りのロビーが見渡せたが、今は夕刻の薄暗さに包まれている。フロントだけが意図的にライトアップされているかのように明るい。
 女性は僕に部屋の番号が刻印してあるルームキーを差し出し、部屋は本館3階の和室で、ロビー奥のエレベーターで上がるとすぐに分かると教えてくれた。やはり素っ気ない言い方に違いないが、この女性も朝からずっとここに立たされていることを思うと、多少同情するところもある。
 部屋は思った以上に広かった。畳の数は10枚もあり、窓側にはソファセットも置いてある。1人で泊まるには有り余るほどだ。床の間の掛け軸にはやはり最澄の肖像画が描かれている。
 カーテンを開けると、まず手前に杉の木立が並び、その遙か眼下には夕暮れの琵琶湖を臨むことができる。僕はふと六条ホテルの窓から見えた渉成園の緑を思い出した。琵琶湖と渉成園。両者にはどこか共通する世界が感じ取れるようだ。
 1階の和室で手の込んだ郷土料理を食べた後、再び部屋に戻ってシャワーを浴びた。40度に設定した湯がことのほか熱く感じられた。それほど体が冷え切っていたのだ。それから館内の自動販売機で買っておいた缶ビールを開けて、窓際のソファに座って飲んだ。窓の外はすっかり夜に覆われている。昨日の夜、レイナと2人でビールを飲んだ記憶が心にしみた。彼女は酔ったままベッドに入り、そのまま僕たちは初めて交わった。その記憶を辿ると、どうしようもなく寂しくなる。缶ビール1本で酔ってしまったようだ。
 すると、外が薄明るいことにふと気がついた。琵琶湖の上には満月が出ている。
「今宵は十五夜なりけり」
 どこからか声が聞こえてきた。
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京都物語 329

 しかし、声はどこかへ消えてしまっていた。自分のそばに手を付けると、それはすっかり冷めてしまっている。声を聞く間に、思った以上の時間が経っていたようだ。
 一隅会館を出て、再び歩き始める。さっきまでの霧はすっかり晴れ、杉の木立の間からは冬枯れの比叡の山脈が見渡せるようになっている。陽光が出ているにもかかわらず、気温は全く上がる気配がない。それでも、せっかくだから、東塔地区をひととおり見て回ろうと思い、歩を進める。
 坂を下りて根本中堂とは反対方向に進むと、大講堂と呼ばれる大きな寺院があった。内陣には堂々たる大日如来像が据えられていて、ここ比叡山で修行した高僧たちの像がその両脇を固めるように並べてある。法然、親鸞、道元、一遍、日蓮・・・僕でさえ知っている人物たちがここに籠もり、独自の新仏教を開いていったわけだ。つまりこの高僧たちも、さっきの不滅の法灯に頭を垂れたということになる。もしこの世に永遠というものがあるとすれば、きっとそんな世界なのだろうと、僕は想像した。
 昨夜六条ホテルの千明氏は、直感が大切だという話をしてくれた。その言葉がきっかけとなり、僕は直感の赴くままに比叡山に登った。もちろん、明子を捜し出すためにだ。レンタカーが山道にさしかかってからというもの、感覚が冴え渡り、様々な声が聞こえるようになった。そうして今、次なる声を待っている自分がいる。僕も真琴氏の作り上げた言霊の世界に生かされているのだ。ここまで来た以上、その結末がどうなるのか、自分の目と耳で確かめるしかない。
 だが、東塔地区を歩いても声は聞こえなかった。僕の思いを逆なでするかのように、風がますます冷たくなってきた。しかたなく僕は延暦寺会館に戻った。さっきの素っ気ない対応の女性は、依然としてフロントにぽつんと立っていた。

京都物語 328

 延暦寺の境内にあるからか、一隅会館のそば屋にはどこかゆったりとした空気が流れている。他の客も、1人として急ぐ者はいない。じっくり味わいながらそばをすすっている。
 僕はいったん箸を置き、ほうじ茶に口を付け、椅子にもたれた。真琴氏の声はすぐ近くにまできている。「あなたはきっと、直感が鋭くいらっしゃるのね」
 その時、壁に掛けられた最澄の肖像画がふと視界に入ってきた。そこには「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」という毛筆が添えられている。その意味を正確に理解することはできない。ここにレイナがいれば、たやすく説明してくれるだろう。ただ僕には、その言葉から、なぜか不滅の法灯が連想された。
「あなたはさっき、明子さんは私の肩代わりをしたとおっしゃった」と声は続いた。僕は繊細な筆遣いで描かれた最澄の坐像を見ながら声に耳を傾けた。「私にとっては痛い指摘でもあった。でもその指摘は必ずしも真実ではない。たしかに、あなたがおっしゃる通り、明子さんは私の作り上げた言葉の世界に生きていらっしゃる。しかし、作家とはそういうもの。紫式部にしても、桐壺更衣や藤壺、夕顔や空蝉など、『源氏物語』に登場する女性に、自らの言葉の世界の中で命を吹き込んだ。紫式部の人生を登場人物に託したの。つまり彼女たちは言霊の世界で人生を全うした」
 僕はもう一口ほうじ茶を飲み、それから箸を手に持って、そばの上に載せられたにしんをかじった。独特の苦みが口の中に広がった。
「私たちはみな、言霊の中に生きている。もちろん、明子さんも同じ」
 その声は落ち着き払っていた。
「分かりました。じゃあ、今ふと思いついたことを聞いてもいいですか?」と僕は声に向けて問いかけた。「明子が巻き込まれた言霊の世界の結末は、いったいどうなるのですか?」

京都物語 327

「ちょっとお伺いしますが」と僕は、素っ気ない対応の女性に聞いてみた。「ここに泊まることはできるのですか?」
 すると女性は穏やかな表情になり、「はい。宿泊もやっておりますが」と少し声を高くして答えた。
「今晩ここに泊まりたいのですが」と言うと、笑顔さえ浮かべて宿泊の手続きを始めた。いかにも見え見えな手のひらの返し方だ。部屋にはいくつかのタイプがあるが今日はどの部屋も選ぶことができる。チェックインは15時になっているのでもし荷物があればフロントで預かっておく。そんな事務的な説明をよどみなくやった。
 できれば昼食をここで取りたいのだと申し出たところ、食事に関しては予約制になっているので急には準備できないとあっさり断られた。根本中堂の前の坂を上ったところに一隅会館という休憩所があって、地下にそば屋が入っているから、もしよかったらそこを利用したらいいと教えてくれた。いずれにせよ、ぬくもりを感じさせない言い方だった。僕はしかたなくリュックサックを女性に預け、部屋の予約を済ませた後で外に出て、坂を上り一隅会館に入った。
 地下のそば屋では数名の参詣者が湯気を立ててそばをすすっていた。僕はそこでにしんそばを食べた。凍てついた身体がたちまちほぐれるようだった。その時、心の中には不滅の法灯の明かりが甦った。すべてのものには区別などない。そんな感覚が改めて入ってきたかと思うと、再び真琴氏の声が聞こえ始めた。僕はそばをすするのをやめて声に耳を傾けた。
「あなたには、ドキッとさせられるわね」と真琴氏の声は言った。「あなたはさっき、明子さんは私の肩代わりをさせられたとおっしゃった」

京都物語 326

 その中年の女性の僧侶は、他の2人と顔を見合わせた後で、「その方のお名前自体、もちろん聞いたことはございませんが、そもそもこの比叡山には多くの修行僧がおりまして、個人を特定するようなことは日頃はめったにやらないのです」と落ち着いた口調で答えた。「もし、緊急のご用件であれば、ここを出たところに延暦寺会館という施設がございますので、もしかするとそちらで何らかの対応ができるかもしれません。定かではございませんが」
 その僧侶は、延暦寺のパンフレットを僕に差し出し、施設の場所を指で示してくれた。僕は礼を言って根本中堂を後にした。明子も今の女性のように剃髪をしているのだろうかと思うと、胸が痛んだ。
 外は依然として凍てつくような冷気と深い静寂に包まれている。辺りを取り囲む杉の木立からは声にならぬ声が聞こえるような気がする。不滅の法灯に照らされてからというもの、心がますます敏感になったようだ。
 根本中堂の前の小さな丘には文殊楼と呼ばれる山門が建っていて、そこから再び石段を下りたところに延暦寺会館はあった。見たところユースホステルのような趣だ。受付には制服を着た女性が1人控えており、さっそくその女性に明子のことを問い合わせた。彼女は表情を変えずに「そういったご用件には、お答えいたしかねます」とあっさり返した。この延暦寺は僧侶にとっては修行の場であり、本人からよほどの要望がない限り面会することはできない。ましてや家族でもない人物と会うのは修行に差し障りが出る可能性がある。つまり、この女性は、僕に仏道をけがしてはいけないということを伝えたいのだ。
 仮に食い下がったところで徒労に終わるだけなのは目に見えている。しかたなく引き下がろうと思った時、奥の方で煮物の匂いがした。どうやらここは宿になっているようだ。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
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とびっきり寂しい旅に・・・

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