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京都物語 340

「ずっと気になってたことがあるんですが」と僕は前を歩く中原氏の肩に向かって尋ねた。「この延暦寺には女性のお坊さんが多いようですね?」
 すると中原氏は歩みを少しだけ緩めて、「そんなもんですかねえ」と、白い息と一緒に言葉を吐き出した。
「おととい根本中堂に行った時にも尼さんの姿を見ましたし、延暦寺会館の小松原さんだって、修行するためにこの山に入ったということだし」と僕は言った。
 すると中原氏は「そんなこともないでしょうよ」とおっとりした口調で返した。「この横川へ来る前に西塔っていう地区がございましたでしょう。あそこが現役の修行の場になっておりましてね、僧侶たちが毎日お勤めをするんですが、ほとんどが男の坊さんですよ」
 中原氏がそう言った時、道ばたの小さな石仏が目に飛び込んできた。そういえば、さっきから至る所に石仏が置いてある。慈悲深い表情をしたのもいれば、ひょうきんなものもある。彼らからの視線を感じながら、僕は中原氏の少し後を歩く。
「おそらく、それは、ヤマシタさんの意識の問題でしょうね」と中原氏は話を続けた。「あなたは深川明子という人をひたすら追い求めてこの山に登られた。それで、どうしても、女の僧侶ばかりが目についてしまうのでしょう」
 中原氏は僕の方に顔を傾けて、頬を緩めた。
「それにしても、あの方ほど伝説的な人物もなかなかいらっしゃらない」と中原氏は急に神妙な面持ちになった。
「伝説的、ですか?」と僕が追及しにかかった時、森の中に朱色の建物が現れた。
「あれが、横川中堂です」と中原氏は建物を見上げながら言った。
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京都物語 339

 車を降りてまず、僕はその僧侶に向かって頭を下げた。すると向こうも礼を返してきた。銀縁の眼鏡をかけ、感じのよい笑顔を浮かべているのが分かる。
「はじめまして」と声をかけると、僧侶は「ようこそおいでくださいました」と丁重に応えた。驚くことに、この僧侶は女性だった。
 僧侶は僕のそばまで歩み寄り、「中原洋香と申します。どうぞ、よろしゅうお願いします」と品のある会釈をした。黒い法衣の上には、光沢のある黄緑色の輪袈裟を首に掛けている。その立ち居振る舞いから、この人は、僧侶の中でも高位にあることがうかがえた。
「ヤマシタと言います。こちらこそ、よろしくお願いします」と僕は中原氏を見ながら挨拶した。「小松原さんから紹介いただきました。縁を感じています」
 中原氏はいかにも柔和な笑顔で、「まさにそのとおりやと思います」と同調してきた。「ま、ここで立ち話というのもなんですから、ちょっとそこいらを散歩しましょうかね」
 中原氏はそう言って、僕の少し先を歩き始めた。
「比叡山に登られたのは、初めでですか?」と、さっそく中原氏は聞いてきた。
「はい。今回が初めてですね」と僕は応えた。「来たのはおとといのことですが」
「じゃ、2泊されたんですね? あそこの延暦寺会館にね」
「そういうことになります」
「で、そこで小松原さんと出会われた」と中原氏は低めの声でそう言った。僕は小さく頷いた。
 濡れた石段を下りると、杉林の間に小径が現れ、風景全体がうっすらと霧に煙っている。中原氏と話をしながら、まるで真琴氏を前にしている時のような緊張を感じていた。

京都物語 338

 約束の日にも、空には厚い雲がかかり、杉の木立は霧に覆われていた。この時期の比叡山はだいたいがこんな空模様ですね、と小松原はさらりと言った。延暦寺会館を出る前、僕は彼女に思い切って尋ねてみた。
「ところで君は、どうしてこの比叡山に入ろうと思ったんだろう?」
 すると小松原は、翳りに縁取られた瞳をまっすぐに僕に向け、眼球を震わせた。それから「個人的な問題です」とだけ答えて、薄く笑った。もっと深く話を聞いてほしいようにも映った。だがそれをしたところで、彼女にも僕にも、何の救済はないことを直感で悟った。
「ここで君と出会ったのは、すごく大きな縁だった」と僕は本音を語り、「昼過ぎには戻ってくるから、申し訳ないけどチェックアウトはその時でいいかな?」と申し添えた。小松原は「いいですよ」と答えた。
 2日ぶりにレンタカーのエンジンを呼び覚まし、延暦寺会館のフロントで手にしたばかりの比叡山全図を見ながら、横川へと車を進めた。十分に手入れの行き届いた比叡山ドライブウエイからは、のっぺりとした雲海を臨むことができた。時折、切れ間が現れるたびに、琵琶湖がうかがえた。僕はおとといの月夜に見た夢を思い、琵琶湖の近くに生を受けた最澄の肖像が心に浮かび上がった。紫式部が湖畔の寺で『源氏物語』の執筆を開始したことを併せて鑑みると、何か大きな世界に呑み込まれているような感覚に囚われ、軽い浮遊感に襲われた。
 横川は比叡山の北の端にあたり、根本中堂のある東塔からは車で10分ほどかかった。駐車場にも薄い霧は上がっていて、その中に黒の法衣を着た僧侶が立っているのが見えた。

京都物語 337

 すると、玄関の自動ドアが静かに開き、扉の間から冷気と枯れた草の匂いが流れ込んできた。ここに宿泊していた年配の参詣者グループが、こぞって外に出て行ったのだ。その参詣者たちの気配が完全に遠ざかった後で、僕は小松原という女性に話しかけた。
「その人が明子を知っているわけですね?」
 すると小松原は、またうつむいて、かすかに口元を震わせた。僕は何も言わずに、ただ彼女の顔を見た。髪を後ろで簡単にまとめ、化粧もしていないに近い。つぶらに見える瞳にも、この女性が宿命的に背負っている薄幸さの影が忍び寄っている。
「修行に関することを話すのは、タブー中のタブーなんです。でも、深川明子さんのこととなれば、話はまた変わってきます」
「つまり明子は、何らかの事情に絡んでいるわけですね?」
 僕の質問に、小松原はうつむいたまま、口だけ動かして答えた。
「何かに絡んでいるというよりは、私を見捨てずにいてくださったその方が、明子さんをとても尊敬していらしたのです」
「その人はまだこの比叡山にいるのですか?」と聞くと、小松原は、首をかしげるようにしながら頷いた。
 彼女がその人物と連絡を取っている間、僕は部屋で待機することにした。部屋には相変わらず冷気が居座っていたが、それでも窓の外の霧には切れ間ができはじめている。そこから琵琶湖の灰色の湖面をぼんやり眺めていると、内線電話が鳴った。
 小松原は、明日の朝、横川でその人物と会えるように手はずを整えてくれた。六条ホテルの千明氏と約束した期限は今日を入れて後2日。つまり、これが僕にとっての最後のチャンスだ。今日1日は、琵琶湖の見えるこの部屋でゆっくり過ごそうと思った。

京都物語 336

「明子?」と思わず声がこぼれ落ちた。「明子の居場所を知ってるの?」
 僕の顔を見ていた女性は、咄嗟に視線を斜めにずらし、下唇を噛んだ。それから少し間を置いてから、改めてこっちに向きなおした。
「深川明子さん、でしたよね?」
 女性は念を押すように聞き返してきた。僕は「どこにいるんですか?」と結論を急いだ。
「私には分かりません。昨日言ったとおりです。ただ・・・」
「ただ?」
「その名前の人の話を、聞いたことがあります」
「どこで?」
 女性は口をつぐんだ。まるで自白を強要されているようだ。それで僕は、息を1つ吐き出して、心を落ち着けた。世界は信じることで成り立っている。道を求めようとする時、それは信じる方向に必ず見つかる。だから焦る必要はない。
「失礼だけど」と僕は質問の矛先をずらした。「あなたはこの施設に、住み込みで働いてるの?」
 女性はすっと背筋を伸ばし、昨日までの素っ気なさを忘れさせるほどのたどたどしさで話し始めた。
「私は、元々はこのお寺で勉強させてもらおうと思って、ここへ来たんです。ただ、このお寺での勉強は、本当に厳しくて、人生のすべてを捧げなければなりません。そこにどうしてもためらいを感じてしまった私は、途中で投げ出して山を下りようとしました。そんな、異端者であるはずの私に、声を掛けてくださった方がいらっしゃるのです」
 ベージュの制服の名札には「小松原」と記してある。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
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