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京都物語 350

 空を見上げながら苦笑を浮かべている中原氏の目尻には、しわが刻み込まれている。この人がまだ俗世にいた頃、どのような姿をしていたのか、想像すらできない。
「小松原さんに、延暦寺会館でのお仕事を紹介させていただいたのはね、あの子に同情したからなんです」と中原氏は漏らした。「私も女人救済の教えにすがりついた1人です。苦しい恋の罪悪感から解放されたい一心で、修行に耐えてきました。途中で何度も投げだそうと思いましたけど、今こうして尼僧として袈裟を着ています。私の生きる道は、結局、ここしかなかったわけです」
 気がつけば、空の大部分を青色が占めている。さっきまで分厚かった雲も、脱脂綿のように白く薄くちぎれている。
「でもね、修行を積んだはずの私でさえ、過去に愛した人の面影を、まだ、心のどこかで、追いかけながら生きてるんです。俗世に残してきた夫や子供を思うと、生きた心地がしません。それでも、やっぱり、私の中にはあの人がいる。それは、どうすることもできない事実なんです。つまり、まだまだ修行が足りてないんですね。そう考えると、修行から降りた小松原さんと私との間に、優劣をつけることなんてできないと思いません?」
「小松原さんにお仕事を与えられたのは、あの人を救済するということだったんですね」
 僕がそう言うと、「急に世間に出て仕事を探すというのも、大変でしょうしね」と中原氏は答え、深いため息をついた。「私たちからすると、ですから、明如さんはとてつもなく偉大な方なんです」
 空が青くなるに従って、中原氏が首に掛けている輪袈裟の鳳凰が光沢を増している。明如氏は明子ではない。僕には確信がある。さっき中原氏は、明如氏が7年かけて修行を終えたと語った。明子にそんな時間があるはずがないのだ。
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京都物語 349

 その瞬間、頭の中にある様々な想念が、釣り糸のように複雑にもつれてゆくのを感じた。それらをほどく間もなく、中原氏は話を進めた。
「この山に上ってくる行者でも、男と女では、その動機がずいぶんと違うというのが私の見方です。特に女性が尼になろうとするのには、大きな決心が必要です。自らの力では解決不可能な苦境に陥った者でなければ、そうそう踏み切れるもんじゃありません」
 そう言って中原氏は、青白く照らされている聖観音像に改めて目を向けた。ふくよかな体型と、優雅に腰をくねらせているあたり、やはり女性的な仏像だ。この前にひざまづいていたのは、ほんとうに明子なのだろうかと思うだけで、息が詰まった。
「延暦寺会館の小松原さん」と中原氏はだしぬけに言い、僕を見た。「彼女もまた、人生に挫折して、救いを求めに上がってきた女性の1人でした。個人の事情をばらすのはよくないことかもしれませんけどね、あの人は過去にとても不幸な破局を経験したのです」
 そういえば、似たような話を聞いたことがある。レイナだ。彼女は今頃、どこで何をしているだろう?
「そうして、私だってご多分に漏れず、過去から抜け出せなくなった女の1人なんです」と中原氏は苦笑を漏らし、空を見上げた。「どうしても忘れられない人がおりました。どうしても。他の人と結婚して、出産までしたのに、その人への思いは募るばかりだった。女性は男性よりも過去を断ち切るのがうまいという話を聞きますけど、私の場合、どうしてもできませんでした。正直言いますとね、このような身になった今でも、その人のことを思い浮かべることがあるんです。もう、2度と会うことができないのだと思うと、胸が張り裂けそうになって、気が狂ってしまいそうになるんです」

京都物語 348

「明子、ですか?」と僕は言った。中原氏は本尊から目を離し、ゆっくりと僕の方に顔を向け、「はい。深川明子さんです」と答えた。
「ただ、あの方は改名されて、深川明如(めいにょ)というお名前になられましたけど」
「明如?」
「この世界においては、経験に応じて名前も格上げするというのはよくあることです。明如というお名前も本人が付けられたとうかがっております」
 中原氏は陽光をまとうように揺れる杉の木立をいとおしげに眺めた。森の匂いが辺りに立ちこめている。
「それにしても、明如さんほど謎めいた方もそうそういらっしゃいません」と中原氏はゆったりとした口調で続けた。「そもそも、あの方がいつこの比叡山に上られたのかを知る者もおりませんし、ましてその理由など、全くの謎に包まれておりました。もとより、あの方は多くを語られなかったですし」
 名前とは不思議なものだ。中原氏の話に出てくる明如という人が明子であるなんて、僕にはまったく信じられないでいた。そのことは、逆説的に、慰めにもなった。その人は明子ではない、全くの別人だと。
「明如さんはこの横川をこよなく愛されておりました。あの、聖観音菩薩の前にひざまづく姿を何度見たことでしょう。あの方は女人救済を深く信仰し、その教えと同一するかのように、お勤めに励まれました。延暦寺では常行三昧や念仏三昧といった修行が行われますが、誰よりも真摯なお姿で取り組まれました。円仁の開かれた千日回峰行という、7年にもわたる厳しい修行も満行されたと噂されております。延暦寺の歴史の中でも、満行者は50人とおられないほどの、想像を絶する修行なんです」
 7年? 僕は心の中でつぶやいた。

京都物語 347

 中原氏は風と戯れるかのように、穏やかな表情を浮かべた。短く切り揃えられた白髪交じりの頭髪には木漏れ日がちらついている。見上げると、雲の切れ間からは、陽光が顔を覗かせている。
「唐から無事帰還した円仁は、ですから多くの衆生を救済するための新たな教えを展開されたのです。そこから浄土宗が生まれ、鎌倉時代には浄土真宗へとつながっていったんですね。浄土真宗なんて、悪人さえも救済されるっていう教えですから」
 赤山明神が宿るという石の周りも明るくなってきた。横川中堂の朱色は鮮やかさを増している。
「さっき、私は、この横川は女性的な世界があると言ったでしょう。ここは、女人救済の地でもあるんですよ」と中原氏はつぶやいた。「あの本尊が、まさにその象徴といえます」
 氏はそう言いながら、聖観音菩薩像が見える位置にまで足を動かした。
「観音様って、ご存じですか?」と氏は青白い本尊に目をやったまま問いかけてきた。僕は、恥ずかしながらよく分からないと答えた。すると氏は、僕に光を降り注ぐかのように「この世の人々を救ってくださる菩薩なんですよ」とやわらかく言った。
「あの世に旅立たれた人に慈悲を施すのではないのです。今を生きている、自らの人生に立ち向かっている、そんな人たちを救ってくださるのが観音様なんです。特に、あの聖観音様は、母性的な懐の深さで私たちを包み込んでくださいます」と氏は、本尊を見ながらしみじみと言った。「しかも、円仁自らが刻まれた観音様だと伝えられるんです」
 本尊は依然として青白く浮かび上がっている。
「深川明子さんは、あの聖観音像を、ことのほか深く信仰されておりました」

京都物語 346

「遣唐使船には120人もの日本人が乗っていたといわれます。それを、手で漕ぎながら東シナ海を渡るわけです。過去に最澄と空海も乗った船に、42歳の円仁は、命がけで乗り込んだのです」と中原氏は言い、輪袈裟から手を離した。「乗船を決意されたのは、さっきヤマシタさんがおっしゃったように、最澄の夢のお告げによってのことです。ですから、円仁の心の中には常に師の姿があったことでしょう」
 僕は千年以上も前に、海を渡った人たちのことを思い浮かべた。彼らの心は、おそらく、この国をもっと良くしたいという志でつながっていたのではないかと思った。すると、目の前に、東シナ海の荒波が飛び散った。波が砕ける音を聞いていると、千年という時間はそこまで離れていないような気がしてきた。
「生存率6割というその危険な航海で、幸運にも円仁は上陸を成功させます。3度目の挑戦の末でした。しかし、唐に漂着した後で、さらなる苦難が待ち受けていました。言葉も文化も違うわけです。おまけに唐ではすでに仏教は勢力を弱め、道教が台頭していました。円仁はそんな逆風の中、ひたすら唐の都長安を目指します」
 円仁の心の中には常に最澄がいた。誰かのことを心に秘めながらひたすら歩く。そこには共感できるところがある。
「実際に関わった唐人が、円仁についてこんなことを言っています。『性格温厚で、生活水準が上下しても平常心を失わず、人との交際がとてもうまい人』だったと」
 中原氏はそう言って、細長い息を吐き、さらに話を進めた。
「円仁は師の遺志を継ぐために、道を信じて歩かれたんですね。そうして、歩きながら人に出会い、自然に触れ、風の音を聞き続けた。だからこそ、蘇悉地経を手に入れた時、それが感動をもって心の中に入っていったんではないでしょうか。つまり、円仁が唐から持って帰られたものは、法だけではなく、唐での経験を通じて体感した、仏教の神髄だったと私は思っています」
作者

Author:スリーアローズ
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