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京都物語 380

 つまり、紫式部は自ら体験した人生のたまらなさを、『源氏物語』の世界に投影したのだ。執筆のきっかけは天皇からの勅命だったが、琵琶湖畔の石山寺で執筆の祈願をした夜、湖に映る月を眺めながら書き進めるうちに、物語の中に引き込まれてしまった。
 紫式部には永遠の恋人がいた。すべてを捨ててまでも我が身を捧げたいと思うほどの秘密の恋に溺れていた。その魂は、言葉の力を得て、『源氏物語』として結実した。
 そうして『源氏物語』から千年後、紫式部の言霊の世界に動かされた人物がいた。浅茅しのぶ、つまり橘真琴だ。
 真琴氏は夫の勧めによって小説を書き始めた。夫の前妻は橘忍という高名な作家で『比叡に消ゆ』という代表作を遺していた。若かりし真琴氏はその小説に対抗するかのように『月と京都タワー』という小説を書いた。
 前妻の書いた『比叡に消ゆ』の主人公は、恋に破れ、世をはかなんで比叡山に逃げ込み、最後には仏の世界に帰依するという道を選んだ。それに対して真琴氏の書いた『月と京都タワー』の主人公は、『源氏物語』の世界に傾倒し、そこに描かれた女性たちのように、つらくとも最後まで人生を全うするという道を選んだ。夫は、真琴氏に最大限の賞辞を述べた。その幸福感が、真琴氏が言葉の世界に生きることになった全てのきっかけだった。今考えると、真琴氏の宿命はその時すでに定められていたのだ。
 着実に筆力を上げた真琴氏は、その後『チャイコフスキーの恋人』という長編に取り組んだ。そこには、真琴氏が密かに愛した義理の息子である貴博氏の影が色濃く染みこんでいた。もはや真琴氏は完全に言霊の世界に呑み込まれてしまっていたのだ。
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京都物語 379

 紫式部は『源氏物語』を執筆しながら、琵琶湖に浮かぶ満月に心を奪われた。この月を、愛しいあの方も見ているのだろうかと。その情景は「須磨」の巻で光源氏が都に残してきた藤壺を想う場面に反映された。
 度重なる恋に落ち、宮中に居続けることに気詰まりを感じた光源氏は、自ら須磨へと退いていた。にもかかわらず、これまでいつも手の届くところにいた藤壺との離別は、予想以上につらいことだった。会えなくなってから初めて感じる切なさ。互いに思い合っていれば心配などないとどこかでたかをくくっていた。だが実際は、距離の隔たりは精神的不安に直結していた。まだ大人になりきっていない光源氏が初めて知る苦悩だった。
 その別離の物語は、いうまでもなく作者紫式部の紡ぎ出した言葉の世界での出来事だった。つまりその苦しみは、ほかならぬ紫式部自身の心に突き刺さったものだった。
 紫式部は当時にしては高齢での結婚だった。しかも夫である藤原宣孝とは、親子ほどの年の差があった。結婚して3年、娘を授かってすぐに夫と死別したのも、決して予期できぬ不幸ではなかった。彼女ほどの才媛がどうしてかくも不可解な人生を送ることになったのか。その真相は謎に包まれている。その中で、彼女の長かった独身時代に秘密が隠されているという見解はほとんどの研究者の間で一致していることだ。
 紫式部は恋に落ちていた。しかも彼女の一生に重く横たわるほどの運命的な恋だ。できることならその恋を成就させたかった。だが、それはできなかった。なぜならそこには「事情」があったからだ。他人には決して明かされることのない、千年たった今なお謎に包まれた、永遠の秘密があった。
 紫式部は琵琶湖に浮かぶ月を見ながら、会うことのできない愛しい人のことを思った。そうしてその思いを、自らが仕立て上げた光源氏という男性に託した。

京都物語 378

 延暦寺会館に戻った時には、すでに昼を過ぎていた。フロントには小松原さんがぽつんと立ち、物思いの笑みを浮かべて僕を迎えてくれた。昼食を取ることもできるがどうするかと聞かれたが、その必要はない、できれば早く京都市内に戻りたいという意向を伝えると、彼女はすんなりとチェックアウトの手続きに移った。僕は彼女に、中原氏と会わせてもらった礼を改めて述べた。彼女は軽く頭を下げたものの、それについてべつだん何かを言おうとすることもなく、朝預けておいたリュックを取りに奥へと消えていった。
 僕はこの女性の背中に明子を重ね合わせた。そうして、横川中堂で見た聖観音菩薩を思い出した。明子は女人救済を求めてあの仏像の前にひざまずいた。だが、根源からの救済を得ることはできなかった。この小松原という女性も女人救済を求めてこの山に上がった1人だ。彼女の表情からは、過去に被ったであろう心の痛手を感じ取ることができる。
 そんなことを考えているうちに小松原さんは僕の荷物を持ってフロントに出てきた。そうして、思い出したかのように「中原さん、お元気でした?」と尋ねてきた。僕は「ええ、なんだか、生き生きされていましたよ」と応えた。
「ああ、それはよかった」と小松原さんは飾り気のない笑顔を浮かべた。そのやりとりが僕たちの最後だった。
 比叡山パークウエイを下りる時、眼下には琵琶湖がはっきりと見えた。湖面は空の青さを鏡のように映し出し、畔には町が白く広がっている。一昨日の夜、僕は湖面に映る月を見ながら、この琵琶湖にゆかりのある最澄を思った。それから、湖畔の寺で『源氏物語』を執筆した紫式部を想像した。
「今宵は十五夜なりけり」
 ハンドルを握る僕の耳に、再び声が聞こえ始めた。

京都物語 377

 答えがほしかった。明子が今どこにいるのか、その具体的な場所を知りたかった。
 次々と通り過ぎる雲の影が中原氏の身体にも映っている。首に掛けた輪袈裟の鳳凰も、それに伴って、輝いたり翳ったりを繰り返している。
「話を少し戻しますけどね」と中原氏は語尾を上げた。「赤山禅院で発見された古文書には、千日回峰行にまつわる記録が残されていたようです。そこに書かれた『明如』という僧は、平安中期の尼僧で、初めて千日回峰行を満行した尼僧として特記されていたらしいのです」と中原氏は言った。静かに興奮しているように見えた。
「その明如という僧が平安時代に生きていたことは分かります。でも、そのことが明子と何か関係あるのですか?」
「たとえば、明如さんの魂が赤山禅院にあるという主張が、あくまで1つの仮説であるとすれば、あの方の魂が平安時代から今までの間ずっとありつづけているというのも1つの仮説にすぎません」と中原氏は遠回しな答え方をした。陽光が再び氏の身体をじわじわと照らし出している。どうやら雲の一団が通り過ぎたようだ。
「ただ、先ほどから言っていますように、ずっと明如さんの近くに仕え、あの方の魂にじかに触れてきた私には、感じ取ることができるのです。あの方は大きな存在として私たちを包み込まれている。そう断言する根拠はと問われると、たしかに説明することは難しいです。私の直感がそう伝えているとしか言いようがありません」
 直感・・・。六条ホテルの千明氏も使っていた言葉だ。
「明如さんと魂の交流をされてきたであろうヤマシタさんなら、共感していただけるのではないでしょうか?」
 ふと僕は辺りを見渡した。そこには青く冷たい空と、静寂の森が広がっている。

京都物語 376

 想像力の問題。
 その中原氏の言葉を追うかのように、アスファルトの駐車場に影がじんわりと広がり始めた。見上げれば大きな薄い雲が太陽の前を横切ろうとしている。中原氏は諦めの笑顔を崩さぬまま、影が地面に染みこんでゆくさまをぼんやりと眺めている。
「明如さんがどこかに消えてしまわれたのは間違いありません。あの方を敬愛し、行方を捜し続けてきた私には、今や、そのことが衷心より実感されます」と中原氏は言った。「そして、もう1つ間違いのないことがあります」
「何でしょう?」と僕は言った。心拍が胸の皮膚を内側から叩いている。
「矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、あの方は、消えてしまったにもかかわらず、どこかにいらっしゃいます」
 横川中堂の方から、再び鳥のさえずりが聞こえた。
「どこかって、赤山禅院というお寺ですか?」
 僕がそう言うと、中原氏は笑みを浮かべたまま首を横に振って「それは極端な解釈です。不可解なことに対して、明確な答えがないと満足できない方たちの仮説です」と応えた。
「とは言うものの、明如さんが千日回峰行を満行し、生身の不動明王になられたという説は、あながち否定できないところがございまして」
「ごめんなさい、僕にはどうしてもそこのところがよく分かりません」
「はい。ヤマシタさんの心情には、私も同情するところがあります。ただ、この比叡山において、明如さんの最も近くに仕えさせていただいた私だからこそ感じ取ることができるのです。あの方は消えてしまわれましたが、ちゃんと存在していらっしゃいます」
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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