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キラキラ 10

 電車は塩屋駅で停車した。奈月は、この小さな駅で何人かの客が乗り降りするのを尻目にかけながら、「覚えてます?」とだしぬけに問いかけてきた。僕は彼女の横顔に目をやった。
「この駅に停まった瞬間、東山君が得意げに話し出したんです。この辺りは、昔は塩の産地だったらしく、塩屋っていう地名もおそらくそこからきてるに違いないって」
「そうだったかな?」
「そうですよ。当時、今以上に塩は貴重で、調味料や保存料だけでなく、身を清めるものでもあったから、塩を作るというのは神聖な仕事だったんだって言ってましたよ。当時は、海女さんが刈り取った海藻に塩水をかけて、それを焼いて塩を作っていたから、作業中は何度も水が垂れる。さっき通った垂水駅もそんな情景にちなんでいる。そういうことをとめどなく語ってましたね」
 過去を回想する奈月は、大学2年生の表情に戻っている。彼女はさらにバッグからヨレヨレになった冊子を取り出し、「これ、覚えてます?」と言って僕に見せた。表紙には「源氏物語を巡る旅 須磨・明石」と記してある。
「よく覚えてないけど、ひょっとしてあの時に作ったもの?」と僕が言うと、奈月は「そうですよ。旅のしおりです」と歯切れよく返した。
「東山君、これを作るためにずいぶんと手間暇かけたんです。私も印刷とか綴じたりするのに、遅くまで手伝わされました」
 奈月は旅のしおりのページをめくり、さもいとおしげに眺めた。
「分かったぞ。そのしおりを見ながら、あの時と同じ旅を再現しようとしてるんだな」と僕は思ったことをそのまま口にした。すると奈月は「再現、とまではいきませんが、楽しかった旅をもういっぺん辿ってみたいとは思ってます」と答えた。その表情は一瞬だけ、哀感を帯びた。
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キラキラ 9

 そのうち、列車は住宅地を抜け、窓の外には瀬戸内海が広がった。まもなくして、僕たちの眼前には、明石海峡大橋が現れた。奈月は「なつかしー」と漏らした。
 あの時も僕たちはここを通ったのだ。周りにはサークルのメンバーたちが座っていて、奈月の隣には東山がいた。サッカーをやめた後も、この男の頬は引き締まっていて、半袖シャツに短パンというスタイルがよく似合っていたものだ。
 そうやって過去を振り返ると、今の奈月にかける言葉がなかなか見つからない。みんなのマスコットガールだった彼女は、今や生きることの切なさを知る、大人の女性へと近づいている。
「でも、よかったじゃないか」と僕は言った。
「何がですか?」と奈月は海峡に架かる巨大な吊り橋に目をやりながら言った。
「何がって、めでたくゴールインするんだから」
 僕がそう言うと、彼女は視線を橋よりも手前の方へと移し、ほんのわずかだけ表情をこわばらせた。だが、次の瞬間、すぐに奈月らしい顔を取り戻し、「ええ、まあ、結果オーライですかね」と言った。
「相手は何をしてるの?」と僕は問いかけた。
 すると、奈月は「市役所で働いてます」と即答した。
「ほお、安定した仕事じゃないか。いったい、どこで出会ったんだ?」
 僕がそう聞くと、彼女は再び視線を橋に戻して、「実はお見合いなんです」と答えた。「今働いてる事務機会社の奥さんがすごくいい人で、仕事以外でもほんとうによくしてもらってるんです。その方が紹介してくれたんです」
「なんだか、縁を感じるなあ」と僕はしみじみと言った。
 奈月は何も答えずに、ただ橋を見たまま薄く笑っていた。

キラキラ 8

 電車の中で僕たちは簡単な近況報告をし合った。僕は、今勤務している、東京の予備校でのことを話した。奈月の方は、地元でパートとして働いている事務機関連の会社の話をした。
「なんだか、皮肉なもんですね」と奈月は電車に揺られながら言った。「教師になるつもりなんてなかった先輩が予備校の先生やってて、どうしても教師になりたかった私がパートなんですから」
 奈月は白地に紺色のボーダーがさわやかなノースリーブのワンピースを着ている。そこに茶色の革のベルトと、大人びたデザインのサンダルを履き、白いキャンバス地のバッグを持っている。ゆるやかにウエーブのかかった長い髪を、花の形をしたシュシュでまとめているので、横顔がはっきりと出ている。その目尻には、学生の頃には決して見ることのなかった小さなしわが刻まれている。表情にも心なしか疲れのようなものが見て取れるのは、僕の先入観だろうか?
「もう教師を目指すのやめたの?」
 陽光に白く輝く奈月の横顔に向けて問いかけると、彼女は「ですね」と淡泊に答えた。
「大学を出て、小学校の臨時教員をやった時は、すごく教師になりたかったですけど、やっぱり、なかなか自分の時間がとれなかったですね。結局、採用試験に受からなかったです」
 奈月の父は、彼女が大学4年の時に脳の病気を患ってしまい、介護が必要な状態になった。奈月が東山と別れた原因はいくつかあるが、父の病気がその1つとなったのは間違いなかった。
「で、どう? お父さんの調子は?」
「だいぶよくなりましたよ。大体のことは1人でできるまでに回復しました」
「奈月の介護がよかったんだよ」と僕が言うと、「父は昔からガッツがあるんです」と奈月は答えた。
「それにしても、奈月は本当に教師に向いてるけどな。だいたい試験の倍率が高すぎるんだ」と僕はぼやいた。
「でも、ものすごく努力して合格する人もいるわけですから。私には、教師になる以前に、試験にすべてを注ぎ込むだけの気力が足りなかったです」
 奈月はそう漏らし、ため息の混じりの笑顔を浮かべた。

キラキラ 7

 そんな大学時代の回想をしているうちに、新大阪で乗り換えたこだまは、あっという間に西明石に着いた。この駅の待合に奈月がいると思うと、たちまち胸騒ぎがする。
 ホームに降りると、真夏の熱気に包み込まれ、すぐに首筋が汗ばんだ。とりあえず出口の標示に向かって歩く。あの時東山たちとこの駅に降りたことがどうもうまく思い出せないまま改札を抜けると、そこにはあふれんばかりの外の日差しが降り注いでいる。
 そうだ、前回もこの日差しに照らされたのだ。そうして、東山が、まずは観光案内所に行って交通機関を調べようと言い出した。隣にいた奈月が、事前に調べてなかったのかと問うと、『源氏物語』に関する情報は調べたが、移動手段については忘れていたと答えた。奈月はあきれた顔をして東山を見ていた。
 そうやって記憶に浸っていると、待合から僕を見る視線にはっとさせられる。その女性は、すっと立ち上がり、こっちに向かって半分手を挙げ、恥ずかしそうに笑った。
「久しぶりだな」と僕は声をかけた。なんだか、妹と再会するような心持ちだった。奈月も「先輩こそ、お元気でしたか?」と聞き返してきた。
 もちろん元気だったよと答えると、「先輩、メールを返してくれないから、ちゃんと新幹線に乗ったのか、不安になっちゃったじゃないですか」と丸い目を少しだけ鋭くした。学生時代のままの瞳だ。
「連絡しなくても、順調に向かってるってことは伝わると思ったんだけど」と苦し紛れに弁解すると、「もう、その辺、全然変わってないですね」と奈月は頬をふくらませた。
「携帯電話を持つようになっただけ、進歩したと思ってくれ」と僕は言い、バッグを肩に担いだ。
 僕たちは1つのコインロッカーに2人分の荷物を詰め込んでから、JRに乗って、まずは須磨へと向かった。前来たときと同じルートを、奈月はたどろうとしているようだ。

キラキラ 6

 そんな東山が、サークルの仲間で『源氏物語』を探訪する旅をしようと突然もちかけてきたのは、夏休みに入る前のことだった。卒業論文だけでなく、卒業後のことも考えなければならなかった僕だったが、ちょうどその頃、重苦しい恋の悩みを抱え込んでいて、なかなか身が入らないでいた。そんな流れを変えるためにも、東山の提案は悪くないアイデアだった。
「今回は、主に、須磨・明石を訪ねようと思うんです」
 東山は、奈月と一緒に僕の部屋に来てそう言った。2人は右手の薬指にお揃いのシルバーリングをはめていた。
「よく分からないんだけどさ、『源氏物語』って、京都じゃないの?」と僕は枝豆をつまみながら問いかけた。すると東山は缶ビールを手に持ったまま応えてきた。
「もちろんそうですよ。ただ、個人的なことで申し訳ないんですが、京都は去年の冬に行って、ある程度つかんでるんです」
「なるほど、あくまでお前のための旅行というわけだな」
「いや、そういうわけでもないですよ。須磨・明石は、西の湘南とも言われるくらいにハイカラらしいんです。みんなで行くにはうってつけですよ」
 東山はそう言い、渇いた喉をビールで潤した後で、さらに話を続けた。
「しかも、『源氏物語』においては、須磨と明石は、特別な場所として設定されてるんです」
「特別な場所?」
「都を離れた光源氏が、そこでいろんなことを経験するんだよね」
 膝を崩して座っている奈月が話に入ってきた。
「しかも、そこでの経験は、物語の中でとても重要な意味をもつことになる」と東山は続けた。まるで2人でデュエットソングでも歌っているかのように、ぴったりと息が合っている。
「分かったよ。どこでもいいから、楽しみにしとく」と僕は言い、再び枝豆をつまんだ。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
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とびっきり寂しい旅に・・・

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