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キラキラ 20

 しおりを読みながら、これを書く学生時代の東山の姿を想像した。あいつはなぜここまで『源氏物語』に夢中になったのか、そのことが不可解にさえ感じられる。今、東山は結婚して子供も生まれ、幸せな生活を送っている。だが、思えば、「世の中のことすべてを捨ててしまいたい」という光源氏の心情は、すなわち東山の声のような気がしてならない。
「・・・麗景殿女御は細々と暮らしていたものの、年を重ねても気品は失ってはいなかった。住まいに上がって静かに桐壺帝の時代の思い出話を語り合っていると、橘の花の香りがなつかしく匂ってきて、昔と同じ声でほととぎすが鳴いた。あのほととぎすは、橘の香りにひかれて、自分の後をついてきたのだろうかと悟った光源氏は、和歌を口ずさむ。

橘の 香をなつかしみ ほととぎす 花散る里を たづねてぞとふ
(昔の人を思い出させるといわれる橘の香りをなつかしく思って、ほととぎすが橘の花が散る里を探し求めてやって来て鳴いています)

 すると、麗景殿女御は、心づかいが行き届いた雰囲気で、和歌を返した。

人目なく 荒れたる宿は たちばなの 花こそ軒の つまとなりけれ
(訪れる人もなく荒れ果ててしまったこの宿は、橘の花が軒端に咲いて、昔を恋しがるあなたをお誘いするものとなりました)

 その後、源氏は花散里の居室に立ち寄った。花散里は、久しぶり会ってくれたうれしさと、源氏の美しい姿を目の当たりにして、これまで連絡が途絶えていた恨みもつい忘れてしまった。世の中の情勢が光源氏にとって厳しくなる中、麗景殿女御も花散里も、昔と変わらず彼を思い続けてくれていた。そのなつかしさに、源氏は改めて心癒されるのだった。そうして、須磨に流れた後も、その感慨は消えることはなかった。最終的に、花散里は、源氏の妻となる」

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キラキラ 19

 そのうち、大きな交差点にさしかかった。右に行けば須磨寺駅、左は須磨寺と標示してある。迷わず左に曲がって須磨寺の参道に出ると、道幅は途端に狭くなり、昔ながらの商店街が続いている。すると奈月は「おいしそー」と声を上げた。見ると、和菓子屋の店頭に丸い揚げまんじゅうが並べられている。
「おなかが減ってきましたね」と奈月はうちわをあおぐのを止めて言った。
「1つつまんでみるか」と僕が言うと、彼女は「わーい」と少女のような声を出して店内に入った。
 奈月は小豆あん入りを、僕はカスタード入りのものをそれぞれ買い、再び参道に出た。早速かじりついた奈月は「おいしー」とやはり少女のような表情を浮かべた。彼女に倣って口に入れると、素朴でなつかしい味わいがふわりと広がった。 
 商店街の先には寺院らしき屋根がいくつも見える。今上ってきた大きな道よりも、人通りも多い。奈月はまんじゅうをほお張り、うちわをあおぎながら、海からの風と戯れるように歩を進めている。
 僕はまんじゅうをすべて口に入れ、しおりの続きに再び目を落とした。
「・・・光源氏が都に残してきた女性として次に思い浮かぶのは、花散里(はなちるさと)だ。彼女は、故桐壺帝の妃だった麗景殿女御の妹で、源氏にとっては、昔の恋人である。
 桐壺帝崩御の後、気苦労ばかりが増えていった光源氏は、何となく心細く、世の中のことすべてを捨ててしまいたい心情に駆られていた。だが、そんな彼にも、消し去ることのできない絆があった。
 花散里と宮中で人知れず逢瀬を重ねた名残は、源氏の心の奥でまだ続いていた。だが、藤壺や朧月夜の恋に溺れ、また世間の風向きも変わる中で、源氏は花散里に対して目に見えて大切な扱いをしなかった。それで、花散里は源氏の心が分からず、胸を痛めて悩み続けていた。
 気苦労の中で、ふと花散里に心癒された記憶を思い出した源氏は、こらえきれなくなって、五月雨の雲の晴れた月夜に、彼女の待つ麗景殿女御の邸を訪問するのだった」

キラキラ 18

 現光寺を出ると、しだいに勾配は急になってゆく。僕たちは大きな道路に作られた歩道を、須磨寺に向かって進んだ。辺りには幼稚園や老人ホームが見えるが、この暑さである。人の気配はあまり感じない。時折通り過ぎる車の音と、クマゼミの鳴き声だけが耳に入ってくる。
 歩きながら、僕はしおりの続きを読んだ。
「・・・私はこれまで、須磨がどんな土地だったのかということを書いてきた。だが、『源氏物語』において、須磨・明石のもつ重要性は、もちろんその土地性だけではない。
 須磨に流れた光源氏が都に残してきた女性は、藤壺と朧月夜の他にもいた。まず思い浮かぶのが、紫の上だ。彼女は、生涯にわたって正妻として光源氏に連れ添うが、この時はまだ18歳。藤壺の姪にあたり、光源氏が病の治癒に訪れた京都北山の寺の境内で出会った時には、まだ雀を追い回して庭先を駆け回るような少女だった。それが、源氏と暮らした数年の間に、妻としての魅力を兼ね備えるまでになっていた。
 出立の直前、須磨に同行したいと願う紫の上に、源氏は和歌を送る。

身はかくて さすらへぬとも 君があたり 去らぬ鏡の 影は離れじ
(私の身はこのようにさすらうとしても、この鏡に映った影は、離れることなくあなたのそばにいるでしょう。)

 源氏の和歌を受け止めた紫の上は、自らの歌を返した後で、柱の影に隠れて涙を拭う。

別れても 影だにとまる ものならば 鏡を見ても なぐさめてまし
(離ればなれになっても、せめて影さえ残ってくれるものならば、鏡を見ても心は慰められるでしょうに)

 こうして紫の上は、いつ帰ってくるかも分からない夫を、ひたすら待ち続ける身となる。ただ、須磨に流れた後、光源氏は身の回りや財産のことをすべて彼女に託し、そのことが夫婦の絆をいっそう深めることにもなる。結果的には、決して報われない哀しみではなかった」

キラキラ 17

 ふと顔を上げると、奈月はすぐそばに立っていた。
「もう、先輩、なに夢中になってるんですか」とうちわをあおぎながら奈月は声を大きくした。
「いや、なかなか、奥が深くってね」と僕はしおりを見ながら答えた。
「何がですか?」と奈月は言い、白いバッグからペットボトルの爽健美茶を取り出して、唇を付けた。
「海に潜る『海女』と、女のお坊さんの『尼』が結びつくってことだ」
「やだ、先輩、何となく東山君っぽくなってる」と奈月は笑って僕の顔を眺めた。
「『海女』の身体は常に塩水で濡れている。かたや、世をはかなんで『尼』になった女性の袖は涙で濡れている」
「東山君、そんなこと書いてるんですか?」と奈月は言い、僕の広げたしおりを覗き込んできた。彼女のヘアリンスの香りが潮風に揺られて鼻先をさする。
「『藻塩たる』という言葉の中には、人知れず涙を流すという意味がすでに込められているらしい。そうして、須磨とは、恋に苦しむ貴族がひっそりと身をやつしながら、涙ながらに暮らす、そういう情景を連想させる場所だったと東山は書いている」
 僕がそう言うと、奈月はしおりに目を落としながら、「ふうん」と応えた。それから彼女は「先輩」と言った。「そろそろ出ましょう」
 腕時計を見ると、11時を過ぎている。僕は無意識に周りを見回した。そこに学生時代の仲間たちがいるような錯覚を感じたのだ。
「どうしたんですか?」と奈月は首をかしげた。「いや、何も」と僕は返し、そのまま2人で現光寺を出た。奈月と一緒に歩きながら、僕はしおりの続きを読んだ。そのうち、あの頃幸せそうに見えた東山は、実は何かを抱え込んでいたのではないかという気がしてきた。

キラキラ 16

 さらにしおりに目をやると、『源氏物語』の本文の後には、やはり東山が丁寧な解説を加えている。
「・・・ここに出てくる在原行平とは、『伊勢物語』の主人公とされる在原業平(ありはらのなりひら)の兄にあたる人物である。行平もまた、理由は明らかではないが、須磨に流された貴族の1人だった。彼は小倉百人一首にも選ばれるほどの和歌の名人で、日本最初の勅撰和歌集である『古今和歌集』には、須磨での孤独な暮らしを詠んだ和歌も入っている。

わくらばに 問ふ人あらば 須磨の浦に 藻塩たれつつ わぶと答へよ  
(たまたま問う人があれば、私は今、須磨の浦で塩が垂れるように、涙で袖を濡らしながら侘びしく生きていると答えてください)

 つまり、須磨に流れた光源氏が住むことになった場所は、『行平の中納言』が『藻塩たれつつ』、侘びしく暮らしていた邸の近くだったという『源氏物語』の記述は、この和歌を踏まえているわけだ。
 冒頭にも書いたが、須磨は昔から塩の産地として有名だった。そのために多くの海女(あま)が海に入っては海藻を取り、海水をかけながらそれを焼いて塩を作った。『藻塩たる』とは、その情景を描写した表現だ。
 だが、一方で『海女』とは神に献上する海産物を採る神聖な人たちで、『尼』という言葉にも結びついている。『尼』とは、人生に苦しみ出家した女性のこと。特に、自殺がなかった平安時代、恋に苦しみ抜いた女性は『尼』として山に籠もるという道を選ばざるをえなかった。
 だから、『海女』が『藻塩たる』という情景は、恋に苦しむ女性が涙を流しながら身をひそめるというイメージとどうしても結びつく。そして、須磨とはまさにそういうことを連想させる地なのだ」
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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