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キラキラ 30

「東山君と一緒に野宮神社に行った時、思わず彼に聞いたんですよ。ここはせつない別れの場所のはずなのに、どうして縁結びのパワースポットになってるのかって。そしたらあの人、それは素人の見方だねって言ってきたんです」
 奈月はそう言いながら、しおりを持たない左の手で、白いバッグをきちんと肩にかけ直した。
「源氏と六条御息所は1年以上、手紙のやりとりはあっても、直接会っていなかった。六条御息所が伊勢に行ってしまえば、お互いに傷ついた心のまま別れることになってしまう。源氏はそれが耐えられなかったんだ。東山君はそう説明しました。つまり、野宮は別れの場所である前に、2人の心を修復するための場所でもあったと」
 奈月は参道の途中で完全に歩みを止めて、「さっきも言いましたが、六条御息所だって、旅立つ前に、源氏にすごく会いたかった。会える瞬間が近づくにつれて、胸が高鳴ってしかたなかったんです」と言ったうえで、しおりに書かれた『源氏物語』の本文を読み上げた。

めづらしき御対面の昔おぼえたるに、あはれと思し乱るること限りなし。来し方行く先思しつづけられて、心弱く泣きたまひぬ。女は、さしも見えじと思しつつむめれど、え忍びたまはぬ御けしき・・・
(今夜の久しぶりのご対面は愛し合った昔を思い出させ、2人の胸にはしみじみと限りなく万感がこみ上げてきました。これまでのことやこれからのことが次々に思われて、心弱くも源氏はお泣きになられます。六条御息所の方は、自分がこんなにも苦しんでいることを気づかれないように、思いこらえておられますが、とても耐えられそうにないご様子です・・・)

「久々の対面によって、これまでの2人のわだかまりはすっきりと消え去り、心はたちまち昔のように1つに重なり合います。葵の上に取り憑いたつらい過去でさえも溶解しました。別れることで、源氏と六条御息所の愛はしっかりと確認され、より強いものになったというわけです。だから野宮は縁結びなんだ。東山君は自信たっぷりにそう言いましたね」
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キラキラ 29

「そういえば、思い出すなあ」と、奈月は空を見上げたままつぶやいた。
「大学生の時、東山君と一緒に野宮に行ったんです。今は、野宮神社っていって、縁結びのパワースポットとして有名な場所になってるんです。もう、カップルがいっぱいいますよ」
 僕は奈月の横顔を見た。こめかみは、うっすらと汗ばんでいる。
「野宮って、潔斎の地でもあったんですけど、『源氏物語』では別れの場所として描かれるんです」と奈月は続けた。「六条御息所が伊勢に下向するという話を聞いた瞬間、光源氏は、急に別れがつらくなって、いてもたってもいられずに、秋の野宮を訪ねるんです。誇り高い六条御息所は、『何をしに来られたのですか?』という意味の和歌を何食わぬ素振りで詠むのですが、心の中では本当にうれしくて、別れると決めたはずの心がぐらぐら揺れるんです。そして2人は、その神聖なはずの野宮で、最後の夜を交わすんです。平気でタブーをおかしちゃうあたり、六条御息所はやっぱり女子なんですよ」
 そう言って奈月は、手に取ったしおりに再び目を落とし、東山が載せている和歌を読んだ。

あかつきの 別れはいつも 露けきを こは世に知らぬ 秋の空かな

「光源氏の歌ですね。翌朝に詠まれたものです。『明け方の別れは朝露が宿るようにいつも涙がちなのに、今朝ばかりは、これまで味わったことがないほどに胸が詰まる、そんな秋の空だよ』って伝えてます。それに対して、六条御息所も歌を返します。『じつは私だって悲しいのです。どうか鈴虫よ、鳴かないで』って。彼女には悔やまれることも多かったけど、伊勢に下向することを公表した以上、もはやどうすることもできずに、光源氏が去った後も、余韻の中で、涙ながらにずっと物思いに沈むのです」
 空を見上げたままの奈月の瞳は、ガラス玉のようにうつろになっている。

キラキラ 28

「伊勢神宮?」と僕は言った。
 すると、奈月は「はい、伊勢神宮です」とうなずいた。その後で、「ちょっと、それ、見せてもらえます?」と、僕の手からしおりを取り、「たしか東山君、その辺のことも書いてたと思うんですけど」とつぶやきながら、ゆっくりページをめくった。
 間もなくして、「あ、ありましたね」と声を上げ、そこに書いてあることを読み始めた。
「・・・平安朝の頂点に君臨するのは帝、つまり天皇である。伊勢神宮に祀られる天照大神(あまてらすおおみかみ)という女神は、皇室の祖神とされているために、帝が交代するたびに新たな斎宮が選出された。斎宮というのは、神にお仕えする聖女のことで、帝と血のつながりのある女性の中から、亀の甲羅を焼いてそのひびを見る「卜定(ぼくじょう)」という占いによって選出された。
 斎宮に決まった女性は、嵯峨野の野宮(ののみや)という仮宮に移り、そこで潔斎(けっさい)という聖なる生活を営んだ。神に仕える前に、身も心も清めるのである。その潔斎が完了すると、500人とも推定される多勢によって、いよいよ伊勢へと出発するのである。
 六条御息所は、娘が斎宮に選ばれたのを機に、一緒に伊勢に下向する決心をする。ただ、彼女にとっては、それは光源氏との決別のためであった。源氏と別れるためには、遠き神域に身を投じるしかなかった。六条御息所の恋は、一生を捧げるほどのものだったのだ」
 僕は、「なんだか、やるせないな」と沸き上がった感情をそのまま口にした。奈月も歩みを緩めて、「せつないですよね」と嘆息を漏らし、瀬戸内の夏の薄い青空をまぶしそうに見上げた。

キラキラ 27

 僕たちは、日の光を受けた参道の白い石畳を踏みしめながら歩いた。たしか東山が、「この寺の境内はとてもきれいだけど、阪神大震災で被災して再建されたんだろうか?」と言っていたのを思い出す。あの時僕は、東山と奈月の後ろを影のようについて歩いていたが、今はこうして奈月と肩を並べている。まさか、2人でここに戻ってくるとは思ってもみなかった。
 すると奈月が、「東山君は六条御息所が好きだったですけど、私も共感できるところ、あるんですよね」と突然切り出した。彼女の白くて柔らかそうな頬が僕のすぐ隣にある。「ある意味、六条御息所って、すごく女子っぽいんです。一途というか、純粋というか。それでいて、常に誇りをもっていて、しかもそれ相応の努力も日頃からちゃんとしている、そんな女性なんです」
「なるほど」と僕は石畳を見ながら返した。東山が好きになるのもうなずける。
「すごく女らしいから、ああやって、まっすぐな恋におちて、どうしたらいいのかわからなくなって、最後には魂だけが抜け出して、物の怪になってしまう。それほど好きだったんです、光源氏が。でも、きっと『源氏物語』の読者は彼女を悪女だと切り捨てません。だって、女なら誰でももってるんですもの、そんな心」と奈月は言い、白地にネイビーのボーダーの入ったワンピースの襟元を直した。それに伴って、細いシルバーのネックレスがきらりと揺れた。
「どうなってしまうんだろう、あれから、六条御息所は?」
 僕は奈月の横顔に向かって問いかけた。すると奈月は、前を向いたまま「先輩、最後まで読んでないんですか?」と聞き返してきた。
「そうなんだ。ちょうどいいところでここに着いたもんでね」
 僕がそう答えると、奈月は「さんざん泣いて、悩み抜いた末に、娘と一緒に伊勢に下っちゃいました。皇太子との間に生まれた娘は、伊勢神宮に仕える『斎宮』に選ばれたんです」と教えてくれた。

キラキラ 26

 胸元から噴き出した汗がTシャツを湿らせている。だが、須磨寺の境内にいると、暑さよりも心地よさの方が若干上回る。僕はいったんしおりを閉じ、うちわで潮風を首筋に当てながら、ゆっくりと参道を進む。何人かの参詣者がいるが、この時期にJR須磨駅から歩いてきたのは僕と奈月だけと見える。
 山門から少し進めば「源平の庭」があり、今から約800年前に、この近くの一ノ谷の合戦で一騎討ちをしたとされる平敦盛と熊谷直実がそれぞれ騎馬に乗って太刀を振りかざしている銅像がある。
「そういえば、東山君、『源氏物語』については異様に詳しかったけど、『平家物語』はほとんど知らなかったですよね」と奈月は揶揄するように言った。「『平家物語』の『敦盛の最期』って、古典の教科書に出てきたはずなのに、あの人、何にも覚えてなかった」
「まあ、昔は、俺だって、『源氏物語』っていうのは『平家物語』とよく似た話が書かれてると思ってたけどね」と僕が言うと、奈月は何もコメントせずに口元だけ緩めた。そうして、「源平の庭」に植えてある、小さな木の方へと視線を移した。そこには古い立て看板があって「若木の桜」と記してある。
「さっき先輩は、光源氏が京都に残してきた女性の話をしてましたけど、この桜は紫の上を思って植えたとされてるんですよね」と奈月は言った。「もちろん『源氏物語』は作り物語だから、この桜の話も本当じゃないんですけど、それにしても、光源氏って、実在の人物のように思えてならない瞬間があるんです」
 奈月は桜の前に立ち、しみじみと言った。
「っていうか、どんな楽しいことでもつらいことでも、いったん過ぎてしまえば、本当にあったことなのかどうか、よく分からなくなっちゃうことありません?」
 奈月の言うことは何となく分かる気もする。思い出は歴史の教科書のように、言葉に置き換えられてゆくような感覚がある。すると奈月は、花のない桜の古木に自らの過去を投影するかのようにつぶやいた。
「光源氏は、ずいぶん後になって気づくんですよね。自分がいかに紫の上を愛していたかって」
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
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とびっきり寂しい旅に・・・

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