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キラキラ 50

 ところで、東山は「『軽い』女にこそ落胆する」と書いていたが、あれは一体誰のことなのだろうかという疑問が残る。奈月はそんな「軽い」と言われるような女の子ではない。あるいは単なる東山の好みを述べただけなのかもしれない。それにしても、学生時代の奈月はあそこを読んでどう思っただろう?
 そんなことを考えていると、明石行きの普通列車がホームに入ってきた。
「全部読んだみたいですね」と奈月は列車内に足を踏み入れながらそう言った。
「うん、とりあえず、須磨に関するところはだいたい読んだかな」と僕が答えると、奈月は「面白かったですか?」と聞いてきた。
「思わず夢中になっちゃったよ。学生の頃には特に興味を感じなかったけど、今読むとぐっとくるものがあるね」
 僕はそう言いながら、空いた席に腰掛けた。車内は冷房が効いて快適だった。
「私なんかが言うようなことじゃないかもしれないですけど」と奈月は話を続けた。「『源氏物語』に夢中になるってことは、先輩もいろんな経験をされたってことじゃないですか?」
 僕は思わず奈月の顔を見た。彼女は微笑んで、カラフルなバルーンの描かれたうちわを小さくあおぎながら「たとえば麻理子さんのこととか」と付け足した。
「奈月は麻理子のことがよっぽど好きだったんだな」と僕はつぶやいた。
「好きでしたよ、すごく。っていうか、憧れでしたね。きれいで、おしゃれで、センスがあって、英語もしゃべれる。しかもやさしい。あんな人になりたいなぁって、今でもそう思いますよ」
「そんなこと言われると、麻理子と別れちゃったことが、悔やまれるじゃないか」
 その自分の言葉が耳に入った時、光源氏が六条御息所との別れをもったいなく思ったというさっきの場面がふっと浮かんだ。
「そりゃそうですよ。あの時、先輩は一生後悔するだろうなって、本気で思いましたよ」
 奈月は黒々とした瞳を僕に向けた。すると、普通電車はゆっくり動き始めた
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キラキラ 49

「・・・その六条御息所の手紙だけは、『唐紙』という、模様が型押しされた美しく繊細な便箋にしたためられていた。文面からは、何度も筆を置きつつ、1つ1つの言葉を慎重に吟味しながら書いたことがうかがえた。手紙はメールとは違って、筆跡からその人の心を推し量ることができる。たとえば彼女は墨の濃淡にも変化をつけていた。ただ単調に書き連ねたものよりも、その人がその手紙に対してどれほど思いを込めているかが伝わる筆跡だった。六条御息所は、そうやって丹念に書いた手紙を、さらに4、5枚ばかりの巻紙に継いでから光源氏に送った。
 今だったら、六条御息所みたいな女性は『重い』といわれて男たちから敬遠されるかもしれない。でも私は、かえってこんな女性にこそ魅力を感じてしまう。逆に『軽い』女には落胆してしまう・・・」
 横目で奈月を見ると、彼女はホームを抜ける風に身をさらして、缶コーヒーの残りを飲んでいる。僕は彼女に気づかれないように小さく笑いながら、続きに目をやる。
「・・・洗練された六条御息所の手紙に胸を打たれた光源氏は、彼女の和歌に対する返歌を送る。

伊勢人の 波の上漕ぐ 小舟にも うきめは刈らで 乗らましものを
(伊勢人が波の上を漕ぐという、その小さな船に乗ってでも、伊勢にお供をすればよかったのに、と思います。この須磨の浦で海面に浮かぶ海藻を刈るような憂き目に遭いますよりは・・・)

海人(あま)がつむ 嘆きの中に しほたれて いつまで須磨の 浦にながめむ
(炎の中に投げ木を入れるような嘆きの中に泣き濡れて、いつまで私はこの須磨の浦で苦しみ続けるのでしょう・・・)

 できることなら会って語りたかった。2人には、報告し合うことがたくさんあった。だが、それがいつになるのか分からないということが、源氏の心を重く塞いだ」

キラキラ 48

 JR須磨海浜公園駅のホームに上がると、明石方面行きの普通列車がちょうど発車したところだった。それで僕たちは自動販売機で缶コーヒーを買い、ベンチに腰掛けて次を待つことにした。歩きっぱなしだったので脚がふらふらしている。奈月はハンドタオルで首筋の汗を拭いつつ、冷たいコーヒーを美味しそうに口に入れた。まるでこの商品のコマーシャルでも見ているかのような、素敵な光景だった。
 僕は再び東山のしおりに目を落とした。須磨について書かれた部分はあと少しで終わろうとしている。
「・・・さて、最後に残された女性は、あの六条御息所である。野宮でのドラマチックな別れの後、彼女は光源氏への恋心を再燃させていた。そうして思いを断ち切ることができずに、憂いの日々を過ごしていた。それでも最後は心を鬼にして、娘と一緒に伊勢に下った。結局のところ、それしか道はなかったのだ。とはいえ、月夜の野宮でお互いの思いを確かめ合ったことにより、2人は密かに文通するほどの仲にまで戻っていた。
 それにしても、六条御息所の手紙は、他のどの女性のものよりも優美でしっとりとした趣があった。受け取った光源氏も、やはりこの女性だけは特別なのだとしみじみと実感し、彼女と別れてしまったことを、心のどこかでもったいなく思うのだった。
 手紙の中で六条御息所は『あなたはそのうちご帰京なさるでしょうが、私にだけは、再びお目にかかってお話しできるのもまだまだ遠い先のことでございましょう』と、いかにも彼女らしい言い回しをした。そうして、やはり和歌によって、切ない心情を詠んだ。

うきめ刈る 伊勢をの海人(あま)を 思ひやれ もしほたるてふ 須磨の浦にて
(海面に浮かぶ海藻を刈りながら、憂き目を過ごしている伊勢の海人。そんな今の私の身の上を思いやってくださいませ。「藻塩たれる」というように、あなたも涙に濡れているであろう須磨の浦から)」

キラキラ 47

 紫の上が特に寂しかったのは夜だったんだなと、和歌を見てそう思った。若い彼女は光源氏に抱かれながら眠るのが好きだった。だからきっと、夜になると源氏のいない現実が身にしみたのだ。10歳近く年上の光源氏は、ただの恋人以上のぬくもりを与えてくれる存在だったのだ。
 僕は奈月の横顔を見た。風が彼女の髪をなびかせている。すると奈月は横目をこっちに向けて「行きましょうか」と言った。それが僕には「生きましょうか」という言葉に聞こえた。それほど彼女は何かに思い悩んでいるように映った。
 須磨海浜公園駅前の路地に戻ってきた時には、太陽は南中に近づいていた。日差しは身を焼くように強く、奈月はうちわをあおぎながら、日傘を持ってこなかったことを何度も後悔していた。
「でも、すっごく楽しいです」と僕の少し前を歩く奈月はそう言った。「先輩といると、やっぱり楽しいなぁ。なんだが、ほっとするんですよね」
「まあ、それなりに長い付き合いだからな」と僕は答えつつも、そういえば幸恵も同じようなことを言っていたことを思い出した。いったい僕のどこに彼女たちを落ち着かせるものがあるのだろう?
「ねえ、先輩」と奈月は続けた。「急に、ふっと、楽しいなあって思いが込み上げる瞬間、ありません?」
 それについて僕は考えてみた。たしかに中学生の頃まではそういうことがあったような記憶もある。僕がそう答えると、「中学生ですか?」と奈月はこっちを振り返って、笑った。「私は大学を卒業するまでありましたよ」
「社会人になると、心から楽しいと思えることが減っちゃうのかな」と僕が言うと、奈月は駅に上がる階段に足を踏みかけて「それが大人になるってことかもしれませんね」と静かに返した。その言葉に、僕は紫の上を想った。大人になるにつれて恋の本当の苦しみを知る。千年前に抱いた彼女の苦悩に、僕は心が慰められるようだった。

キラキラ 46

「なげき、ですね」
 海に目を細めている奈月は、低い声でそうつぶやいた。
「好きな人への思いを燃やすために投げ木をしても、出るのは嘆きのため息ばかり」と彼女は、さっきの僕の言葉を反芻するかのように続けた。東山との楽しかった思い出が彼女の中で甦り、胸を苦しめているのだ。つまり僕と奈月は、同じ海を前にしながら、同じような過去のほろ苦い記憶にとらわれているわけだ。ただ、誰かに慰めの言葉をかけてもらうよりも、自分と似た境涯を経験した人と思いを分かち合うことの方が、慰めになる。密かにそんなことを実感した。
 奈月は何度もため息をついている。僕は吸い寄せられるようにしおりの続きを読む。
「・・・藤壺、朧月夜、花散里。彼女たちの他にも、苦しみ嘆いた女性がいる。とくに悲しみが深かったのは、後に光源氏の正妻格となる紫の上だった。その時彼女はまだ18歳。源氏のいない毎日に、朝も起き上がることができず、仕える女性たちも慰めようがないほどだった。源氏が使い慣らしていたお手周り品や、いつも弾いていた琴、脱ぎ捨てたままになっている服に残る匂い、そんなものに触れながら、紫の上はあたかも故人でも偲ぶかのように嘆き続けた。
 光源氏が旅立つ前に『君があたり 去らぬ鏡の 影は離れじ(あなたの近くの鏡に映る私の影は離れていかないでしょう)』と詠んだ通り、その面影はいつも目の前に浮かんではいるが、源氏がもたれていた柱などを見ると、胸が詰まって心が壊れそうになる。紫の上も、須磨の夫に向けて和歌を贈る。

浦人の しほくむ袖に くらべみよ 波路へだつる 夜のころもを
(須磨の浦にいるあなたが潮に濡れるように泣いていらっしゃる涙の袖と比べてください。波を隔ててあなたに逢えないで涙に濡れている私の夜着とを)」
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
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とびっきり寂しい旅に・・・

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