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キラキラ 60

 奈月はそう言い、黒くてまんまるとした瞳を僕に向けてきた。そして、唇の右端をきゅっと吊り上げて、「ね、なかなか面白いでしょ、この場面」と得意げに言った。
 彼女の背後では、淡路島とそこに架かる明石海峡大橋がゆっくりと遠ざかっている。橋を過ぎた瞬間に何かの境界線を越えたような感覚は耳鳴りのように続いている。これまで僕を取り囲んでいた「何か」が終わりを告げ、そうして新しい「何か」が始まった・・・
「その意外な人物っていうのは、じつは、桐壺院なんです」
 奈月は答えを言った。すると橋を眺めていた僕の視界は、再び彼女の顔でいっぱいになった。こめかみの辺りの化粧は汗で取れかかっている。列車内は冷房が効いているとはいえ、長いこと歩いて噴き出た汗はそう簡単には乾かないのだ。
「桐壺院っていうと、光源氏の父さんだったっけ?」
「ですね。安定した政権を築き上げた、尊敬する父です。桐壺院はこの時には亡くなっているので、その亡霊が枕元に現れたわけです」と奈月は教えてくれた。
「つまり、海を荒らしたのは竜王じゃなくて、桐壺院だったと?」と僕が聞くと、「ううん、そこの辺りは、私もよく覚えてませんが、たしか、竜王っていうのは桐壺院の化身として描かれてたんじゃないかと思います」と奈月は答え、僕のショルダーバッグから東山のしおりを取り出そうとした。
 僕は彼女の手を制して、「いいよ、しおりはさっき十分に読んだから、今は奈月の話を聞かせてくれよ」と言った。彼女は頬を少しだけ赤らめて、照れくさそうに笑った。学生時代の奈月のままだった。
「夢枕に立った桐壺院は、すぐに須磨を立ち去るように告げるんです。それで、源氏の決心は固まります。桐壺院は、弘徽殿女御との間の息子である朱雀帝よりも、光源氏の方を気にかけていた。つまり、亡き父もしっかりと味方についてくれてたってことです。そういう強い星のもとに生まれたんですね、光源氏は」と言った奈月の瞳には、ぐっと力が入った。
 
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キラキラ 59

「英語で、すごい人のことをスターって言うじゃないですか」と奈月は静かに話を再開した。「私たちの周りでも、そんな星の下に生まれた人っていると思うんです」
 彼女のヘアリンスの匂いがふっと立ち上がる。シルバーのネックレスは、太陽の光に微笑むかのように輝いている。
「光源氏っていろいろと問題もあるけど、やっぱり、すごい星の下に生まれた人なんだってことが伝わってきます。弘徽殿女御に敵視されたり、好きな女性からも離れたりして孤独になるけど、星だけは味方してるんです。そういう意味でも、光源氏は魅力的な男性なんです」
「つまり、この場面を読むと、奈月は元気になれるんだね」
 僕がそう言うと、彼女は「ですね」と応えた。さっき奈月は、「縁がなかったから別れたのだ」という考え方はつらくなると漏らした。その点、星という世界観は、奈月にとっては、運とか縁よりも、おそらくは広くて大きくて、そしてずっとやさしいのだ。
「で、光源氏は、住吉神社の導きに従って、須磨から明石に移るわけだ」と僕は話を元に戻した。奈月は軽快に首を縦に振ってから、「ただ、住吉の神の導きに従うように仕向けたのは、じつは竜王じゃなくって、意外な人物だったんです」と続けた。
「意外な人物?」と僕が言うと、奈月は前を見ながら話した。
「竜王の巻き起こした嵐はなかなか止まずに、光源氏の住む屋敷の渡廊下に雷が落ちたんです」
「神がついにお怒りになったんだな」
「そうですね。で、光源氏の供人たちも、神に畏れをなして逃げ惑います。その夜は、寝殿に戻ることができなくなって、大炊殿(おおいどの)という、食堂のような部屋で一夜を明かすことになります。ひどく疲れてうとうとした源氏の前に、その意外な人物は現れます」

キラキラ 58

「陰陽師が浜辺で行ったお祓いが、海の中の竜王を呼び覚まし、嵐を巻き起こした。そうして夜には正体不明の者が現れて、光源氏を竜宮城に連れて行こうと捜し始めた」
 僕は話をそう整理した。すると奈月は、「ですから、竜宮城じゃないです。それは浦島太郎」と突っ込みを入れてきた。
「やっぱり、どう考えてもSFだな」と僕はさらに話を大ざっぱにまとめた。
「でも私、この場面好きなんですよね」と奈月は言い、ワンピースの胸元をきゅっと上げた。
「いずれにしても、光源氏は、その占いやら神通力やらに後押しされて、須磨を去る決心がついたわけだ。それで、結局、都に帰ったのかな?」と僕が言うと、奈月は唇を尖らせて、「先輩、私と話してても、楽しくないでしょ」とすねてきた。
「どうしたんだよ、急に」と僕は彼女の顔を見下ろした。ちょうどその時、普通列車は舞子駅に停車した。この駅は明石海峡大橋の真下に作られているために、駅全体が薄暗さに包まれている。
「だって先輩、さっきまで東山くんが作ったしおりに夢中になってたのに、私の話になると急に退屈そうな顔するんですもん。そのへん、東山君みたいで、嫌な記憶が甦ります」
 奈月はそう言って、また窓ガラスに頭をつけた。橋の影が彼女の額に落ちている。
「違うよ」と僕はすぐさま訂正した。「奈月があまりに目を輝かせて話すもんだから、ついつい茶々を入れたくなったんだ。今の話、面白いよ、実際のところ」
 列車はのっそりと動きだし、奈月の額にも日差しが当たり始めた。彼女は窓ガラスから頭を離して、僕の方に少しだけ身体を寄せてきた。
「そうか、須磨の後、光源氏は明石に渡ったんだね。そこのところを詳しく話してほしいな」と僕は言いながら、明石海峡大橋を過ぎるのと同時に何かの境界線を越えた気がしていた。

キラキラ 57

「つまり、紫式部は、淡路島にまつわる神話をしっかりと踏まえた上で、須磨の浦に竜宮城をつくりあげたというわけだ」と僕が言うと、奈月は「竜宮城じゃないですよ。それって、浦島太郎じゃないですか」とこっちを見ながら笑った。それから、恋人にでももたれかかるように窓ガラスに頭を付けた。
「先輩、占いとか、興味あります?」と奈月はまた話を少し逸らした。
「ないね。まったく」と僕は即答した。
「私って、雑誌の『今月の運勢』みたいなのも、ついつい本気で信じちゃうタイプなんです」と奈月は言った。「さっき、住吉神社の話をしたでしょ。大阪にあるんですけど、今でも竜王が祀ってありますね。あそこは、かなりのパワースポットですよ。運気が上がるのが分かります」
 そこも東山と一緒に行ったのだろうかと、僕は率直な疑問を抱いた。
「もともと住吉神社には、お祓いの神様、海の神様、和歌の神様が祀られていたと記憶してます。なので、光源氏が須磨の浦でお祓いをした際、和歌を詠んだ直後に、竜王が海を荒らしたというエピソードは、この住吉の神のしわざだと想像がつくわけです」
「でも、その時光源氏は、竜王は竜宮城からきたんだと思い込んでたんだろ?」
「ですね。住吉神社とのつながりが判明するのは、次の『明石』の巻になってからです」
 そう言って奈月は頭を窓ガラスから離し、シートにきちんと座り直した。
「じつは、海と星って、古くから関係が深いものとして捉えられてたようです。古代の人は、星は昼間は海の中に沈んでて、夜になると天に上ると考えてたんです。つまり、星は海の神である竜王によって司られてたというわけです。なので、陰陽師たちが浜辺で禊ぎを行う際も、海の中の竜王は意識されていた。なにせ彼らは星によって占うわけですから」

キラキラ 56

「さっき私は、光源氏に共感する女の子は少ないって言ったけど、じつは『源氏物語』の中にも、私の好きな場面はちゃんとあるんですよ」と奈月はさらに頬を緩めた。僕が想像を巡らせていた神の性交のシーンは、トントン拍子に進む奈月の話の前に、やむなく消滅していった。
「源氏が須磨に移った翌年の春、彼はわざわざ地元の陰陽師を呼んで、海岸で御祓をしてもらうんです。その日は海面もおだやかで、空も晴れていました。で、お祓いの合間に、源氏は和歌を詠みます。詳しくは忘れてしまったけど、八百万の神もこんな私を憐れんでくださるだろう、という意味の歌だったと思います。そしたら、どういうわけか、急に風が吹きはじめて、空も真っ暗になるんです。そのうち波も高くなって、とんでもない暴風雨が起こります」
「なるほど、いかにも神話的展開だな」と僕がコメントすると、奈月は軽く微笑んでうなずいた。
「雷も落ちます。ほら、『雷』って『神が鳴る』わけじゃないですか。平安朝の人々は、畏れおののきます。で、その夜になって、風も多少はおさまり、光源氏もうとうとしかけた時、突然『そのさまとも見えぬ人(正体の分からない人)』がやってきて『どうして宮からお呼びがかかっているのに、おいでにならないのだろうか』と、光源氏を捜しているんですね。それを見た光源氏ははっと目を覚まして、さては海の中の竜王が自分のことを見込んでくれているのだろうと洞察するんです」
「竜王?」と思わず僕は言った。まるでSFだ。
「大阪の住吉神社に祀られている神で、海の神ともいわれていますね。でも、住吉神社とのつながりは、後になってある人物が登場して初めて分かることです。この時光源氏は、彼が呼ばれている『宮』とは、竜王のいる竜宮だと思い込みます」
「まるで竜宮城だ。『源氏物語』の場面だとは思えないな」と僕が感想を述べると、「この神の導きによって源氏は須磨を離れるわけですが、私は対岸の淡路島の神話と関係があると、ずっと思ってました」と奈月は力強く言った。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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