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キラキラ 70

「えっと、明石の入道の邸宅っていうと・・・」と奈月は歩きながら観光地図を広げ、その上を指でなぞりながらそう言った。「たしか、ここの、戒光院っていうお寺でしたね」
 横から地図を覗き込むと、その寺は明石川の河口に近いところ、町の南西にある。
「明石は須磨よりも範囲は狭いけど、こうして見てみると、なかなか入り組んでるね」と僕は地図を見ての感想を述べた。「あの時は東山の後をついて歩くだけで何も考えてなかったけど、いざ自分たちだけで行くとなると、道に迷ってしまいそうだ」
「でも、その分、発見もたくさんありますよね。人任せじゃないってことは、ちょっと心許ない感じもしますが、後で振り返ると、そっちの方が絶対楽しいと思います」と奈月は軽快に応え、地図を持たない右手でハンドタオルを取り出して耳の後ろにあてがった。「あーあ、何で日傘忘れちゃったんだろ」
 僕たちは日差しを遮るために国道を渡り、店の軒が並ぶ路地へと進んだ。奈月はできるだけ日陰になっているところを歩きつつ、「地図を見ながら進まないと、先輩が言うように、迷っちゃいますね」とつぶやいた。古い釣具屋の店先を歩く時、入口のガラス戸に僕と奈月の姿が映っていた。学生時代、この子の隣には必ずと言っていいほど東山がいた。でも今は僕がいる。まるで、東山の写真の上に僕の写真を無理矢理貼り付けたような、違和感のある構図だ。すると、ガラスの中の奈月がガラスの中の僕に話しかけてきた。
「先輩、もう一度、しおりを見せてもらえません?」
 僕はショルダーバッグの中からそれを取り出し、奈月に手渡した。釣具屋の先には仏具屋がある。やはり僕と奈月の姿はガラス戸に映っている。奥に鎮座してある金色の仏像の前を横切った時、線香の匂いがほんのりと漂ってきた。
「光源氏が明石に辿り着いた時の情景を復習しとこうと思って」と奈月は言い、しおりをめくった。
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キラキラ 69

 JR明石駅前には、一般的な地方都市に見られる夏の昼下がりの光景が広がっていた。バスターミナルがあり、のんびりと乗客を待つタクシーがいる。大きな広告を貼り付けたビルが並び、国道2号には車たちがのそのそと走っている。歩道を往来する人もまばらだ。
 だがそのありふれたはずの光景は、奈月の目には特別な輝きを放つようだった。彼女はロータリーの前で足を止めて、駅の案内所でもらった明石の観光地図を太陽にかざしながら、「思い出しますねぇ、いろんなことを」と感慨深げに言った。「あれから、だいぶ時間が経っちゃいましたね」
 そんな奈月の後ろ姿を静かに見守っていると、赤信号で古いフォルクスワーゲン・ビートルが停車した。クラシカルな黒い車体は、くぐもったエンジン音を轟かせながら陽光を反射させている。僕はさっき須磨寺の前で自分が乗っていたのと同じフォルクスワーゲン・コラードを見たことを思い出した。東京でもめったにお目にかかることのない車をこの旅の途中で見ることに、何やら不思議なつながりを感じる。もう少しで忘れることができると思っていた幸恵との時間が、どうしても甦るのだ。
 奈月が僕をこの旅に誘ってくれた時、彼女の独身時代に終止符を打つ旅になるのだろうと想像したが、どうやら僕にとっても意味深い旅になりそうだ。それがどんな意味なのかは予測もつかないけど。
 そんなことを考えていると、奈月はくるりと振り向いて、「じゃあ、行きましょうか」と言ってきた。「前回巡ったところをもう一度訪ねたいんですけど、先輩もそれでいいですか?」
「もちろんだ。今回の旅の主役は奈月だから」
 僕がそう応えると、奈月は「ありがとうございます」と軽く頭を下げた。
「じゃあ、まずは、明石の入道の邸宅跡ですね」
 観光地図を広げた奈月はそう言い、さっそく西へと歩き始めた。歩道に目を落とすと、そこには大小2つの影ができている。奈月の少し後ろを歩く僕の影は、背の低い彼女の影に重なっている。

キラキラ 68

 列車が人丸前駅を通過した時、「次の停車駅は、明石」と、渋い声のアナウンスが流れた。窓の外には住宅やオフィスが建ち並んでいる。ついさっきまで須磨海浜公園のベンチに2人で腰掛けて潮風に吹かれていたことが、まるで前世での出来事のようにさえ感じられるほどに遠ざかっている。
 腕時計に目を落とすと、14時を回っている。西明石で奈月と再会した後、快速電車に乗ってこの辺りを通過したのは10時過ぎのことだった。だが、僕の中には4時間前の印象があまり残っていない。再会したばかりの奈月との話に夢中になるあまり、風景にまで目がいかなかったと言えばそれまでだが、それにしても、変な感じだ。大学時代の記憶は、はっきりと残っているのだ。
 今のこの旅を何年後かに振り返った時、どうなっているだろうかとふと考える。東山との旅のように、くっきりと心に刻まれているだろうか? それともはかない夢のように、淡く消えているだろうか?
 そんなことを考えているうちに、列車は速度を落とし始めた。すると、汗をかいた3人のサラリーマンの横で、スマートフォンの女子大生がすっと腰を上げた。彼女は立った後もなお、画面に目を落とし続けている。そこには将来の彼女についての重大な予言が記してあるかのようだ。
「着きましたね」と奈月が言った。久々に彼女の声を聞いた気がした。光源氏は星を味方につけていたという話をした直後に目元を覆っていた翳りは消え、この子らしい清涼感のある笑顔が戻っている。揃って席を立った時、右腕には奈月のぬくもりが余韻のように残っているのを感じた。
 自動扉の外に踏み出すと、熱気とクマゼミの声がシャワーのように降りかかってきた。影になったところを選んで歩きながら、奈月はまた「日傘を持ってくればよかった」と何度も漏らした。ホームからは、緑に囲まれた明石城が見える。誇らしげな姿だ。昔、明石は独自の経済活動を発展させていたと奈月は教えてくれた。城を見ていると、往時の賑わいの残響が今も感じ取られるような気がした。
 日差しは須磨にいた時よりもさらにまぶしくなっている。

キラキラ 67

 奈月はわずかに口を開けたまま、どこか神妙な顔をしてこっちを見ている。まるで僕の顔に古代人の彫った碑文でも刻まれていて、それを解読しているかのようだ。
「どうかした?」と若干身をのけぞらせながら聞くと、「そういえば、小早川先生の授業で、今先輩が言ったのと同じような話を聞いたことがあります」と奈月は答えた。
「神話に関する話?」
「いえ、神話っていうよりは風土にまつわる話でした。昔、近畿に住む人々にとっては、明石は異郷の地だったっていうようなことです」
「異郷?」
「ですね。明石って、畿内の外側に接しているために、独立した経済活動を発展させてきたらしいですよ。海産物や塩もとれるし、海上交通だって発達していたわけでしょ。おまけに、先輩が言うように、気候も良かったみたいですね。当時はずいぶんと賑わってたはずです」
 奈月はそう言って、後ろにまとめた髪に軽く手を当てた。窓の外に流れる風景の光と影が、彼女の身体の上を、走馬燈のように滑っている。
「たしか東山君から聞いた話だと思いますが、京都から見れば、須磨は畿内で一番遠い土地だったようです。比較的軽い罪を犯した貴族たちが流される地だったのは、そんな地理的条件があったのかもしれません。そう考えると、明石って、その須磨をさらに外へと踏み出した、まさに異郷への入り口みたいな場所だったんじゃないでしょうか」
 明石海峡大橋を過ぎた瞬間に何かの境界線を越えた気がしたのは、古くからこの土地に染みついている風土も関係しているのかもしれない。そんな想像を巡らせていると、「異郷の地って、なんだか竜宮城みたいですね」と奈月は付け足してきた。
「竜宮城は浦島太郎の世界じゃなかったのか?」と返すと、奈月はくすくすと笑いはじめた。その弾みで、彼女の小さな肩が何度も僕の腕に触れた。

キラキラ 66

 列車は大蔵谷駅に停車した。自動扉が開いた瞬間、滝廉太郎に似た男性はまっすぐに席を立ち、ウエストポーチをきちんと腰に巻き直してからクマゼミの鳴く外へと消えて行った。今まで男が座っていた席には、ワイシャツに汗を染みこませた3人のサラリーマンが揃って腰を降ろした。スマートフォンをなぞっていた大学生風の女性は、横目でサラリーマンたちに一瞥を与えた後、脚を組み直したように見せかけて、彼らから少し遠ざかった。そのうち列車が発車すると、奈月は路線図に目を向け、「次の次の駅が明石ですね」と言った。瞳の周りに染みついていた翳りは、窓から差し込む陽光にすっかり覆われている。
「私たちは西明石で合流したんだから、先に明石の街を巡っといて、それから須磨に行ったほうが合理的だったんですよね」と奈月は言い、ワンピースの裾を膝の方へ引っ張りながら「なんだか、行ったり来たりしちゃって、すみません」と申し訳なさそうに付け足した。
「あの時の旅を再現するっていうのが、今回のテーマなんだろ」と僕が返すと、奈月は「そういうわけでもないんですけどね」と薄く笑った。僕たちはこれから明石を歩いた後、夕方には京都へ入ることにしている。東山が計画した旅と同じ行程を辿っているわけだ。
「ただ、実際にこうやって移動してみると、わざわざ遠回りして、須磨から明石に戻ってくるというルートは、間違いじゃないような気がするね」
 僕がそう言うと、奈月は顔を上げて「なぜです?」と聞いてきた。
「須磨と明石って、近いようで、その間には目に見えない境界線があるような気がするんだ。うまく言えないけど、しみじみとした情緒のある須磨に対して、明石は太陽がさんさんと降り注ぐ街だ。だから、順序として、須磨から明石に移る方が、物語が前向きに展開していく。ひょっとして光源氏も、ここを渡りながら同じようなことを感じたんじゃないかって思ったりもするんだ」
 
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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