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キラキラ 80

 奈月のその言葉は、僕の心を温めた。さっき彼女は、今のこの瞬間を「なつかしい楽しさ」だと表現したが、僕もあの頃のことがなつかしく感じられてきた。前回東山とこの明石へ来たとき、僕は幸恵の問題を抱えていた。今頃幸恵は何をしてるだろう、BMWに乗って主人とデートに出かけているだろうか、そんな妄想を駆け巡らせては胸を痛めていた。奈月の言うところの「最悪の場合」だった。
 だが、今、いろんなことを総合して顧みると、あの時は楽しかった。アパートに帰れば麻理子がいて、大学に行けば東山も奈月も、そしてサークルの仲間たちもいた。皆に囲まれている間は、後先のことを考えずに、ただ目の前にあることを純粋に楽しんでいればそれでよかった。
 この旅は今日で終わる。明朝が来れば奈月とはまた離ればなれになる。次に会うのはいつになるかわからない。ひょっとして、もう2度と顔を合わせることはないかもしれない。それでも、今、僕は間違いなく楽しい。明石海峡大橋を超えた途端に、心を元気にするスイッチが入ったままだ。それは、計画段階よりも「出たとこ勝負」の旅を楽しむ、僕ならではの心の動きなのかもしれない。いずれにせよ、今感じているものこそ、学生時代にいつも手に届くところにあった楽しさだ。
 一方で奈月の方は、さっきから東山のことを考え続けている。時折見せる暗さはそのせいだと想像する。また彼女は、来るべき結婚生活にも一抹の不安を抱えてもいる。奈月はほんとうの意味において東山と決別し、新たな結婚生活を踏み出すためにこの旅を計画したのかもしれない。ただ、そんな奈月も、今が楽しいと言ってくれた。僕たちの心は、一番大切なところでつながっている。
 そんなことを考えていると、奈月は「すごく楽しみにしたり、憧れていたことでも、いざ蓋を開けてみれば大したことはなかったっていうのは、よくあることですよね」と僕の心に寄り添うような言葉を真顔でつぶやきかけてきた。「でも、今日ばかりは、ずっとワクワクしてます。ああ、私が過ごしたかったのはまさにこんな時間だったんだって。今が夢みたいですよ、ほんとのところ」
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キラキラ 79

 すると奈月は「ん?」と声を出し、その黒々した瞳で僕の顔を覗き込むようにして「何考えてるんです?」と聞いてきた。
「いや、奈月が、帰りたくないとか言うもんだからさ、俺も感傷に浸ってたんだ」と僕は応えた。
 奈月は、彼女らしい笑顔を浮かべながら前を向き、「私、思うんですけどね」と話し始めた。
「たとえば、旅行に出る前に計画立てるじゃないですか。その時に2つのパターンの人がいると思うんです。1つは、計画を立てる段階でわくわくして、そのプロセスが楽しいと思う人。地図を見たり、インターネットで調べたり、『るるぶ』を眺めたりして、旅行の日を心待ちにする人、いるじゃないですか?」
「いるね。っていうか、だいたいの人がそうじゃないかな」と僕は応えた。
「でも、逆に、旅行に行くと決めてからもそんなに周到な準備をせずに、直前になってようやく動き始める人だっているでしょ。出たとこ勝負の旅を楽しむ的な人」
「いるね。たとえば、まさに俺がそのタイプだ」
 僕がそう応えると、奈月は「逆に私は、1つ目のタイプですね」と言い切った。
「ただ、ここからが問題なんですけど、私みたいに計画段階で楽しむタイプって、旅行が始まった途端に寂しくなっちゃうんです。さっきの『境界』の話とつながってるかもしれませんが、せっかく楽しみにしていた旅行がもう終わっちゃう、また、もとの現実に戻っちゃうって思うんですね」
「なるほどなぁ。じつに豊かな感受性だな」
「もっとつらいのは、実際の旅行の方が、計画してた時よりも楽しくないってこともあるんです」
 僕はうちわをあおぐ勢いを緩めて彼女の横顔を見た。
「一緒に行った人と意見が合わなかったり、喧嘩したり、もっと最悪の場合、旅行中ずっと誰か他の人のことを考え続けてたり。その点、今日の旅は、計画も楽しかったし、旅自体もそれ以上に楽しいです。だからこそ、帰りたくないなぁって、心の底から寂しくなりますね」

キラキラ 78

 じつは僕も奈月と同じことを考えている。この旅はきっと忘れられないものになる、できればもう少し奈月と一緒に旅をしていたいと。だが、時間は許してくれない。彼女は明日の早朝の新幹線で佐賀に帰らなければならない。じきに結婚を控える身だ。きっといろいろな準備があるのだろう。
 僕と奈月は、そうやって各々の思考に沈みながら、明石川沿いの歩道をゆっくりと進んだ。海上の空は薄く青く、河口の方からは生ぬるい潮風がクマゼミの鳴き声とともに運ばれてくる。
 背中にはぐっしょりと汗をかいている。それで僕はショルダーバッグに差し込んでいたうちわを取り出してあおぎはじめた。佐賀のバルーンフェスティバルの写真が描かれたうちわだ。きっと奈月はこれからもずっと、故郷の青空に高く舞い上がる色とりどりのバルーンに心を躍らされることだろう。誠実な主人と一緒に、何年か経てば、かわいい子供を抱きながら、家族揃って空を見上げるのだろう。
 かたや、今の僕には、奈月のようなあたたかい未来予想図を描くことなどできない。東京に出てから気の合う女性と出会ったが、この人と結婚するかというと、話は別だ。そもそも、自分が円満な家庭生活を送っている光景が、どうしても想像できない。
 大学生の頃、できることなら1人きりで生きたいと願ったことがある。麻理子と出会う前も、別れた後もそう思った。中国の仙人のように自分だけの桃源郷を切り開き、その中で生活を完結させることができればどれほどすばらしいだろうと憧れた。誰も僕を理解できない。つまり僕は万人の理解を超えるほどにデリケートな存在なのだ!
 だが、あれから10年近くたった今、僕は東京のど真ん中で、数え切れない人々にもまれながら暮らしている。そろそろ僕も、自分の人生と真剣に向き合わなければならない時期にさしかかっているのだろう。そんな現実に直面する時、「ありふれた幸せ」を手に入れることがどれほど難しいことかが身にしみてよく分かる。そう考えると、奈月の横顔は、僕にとっては、偉大にさえ見えてくる。

キラキラ 77

 僕は奈月の言葉に返答するだけの、自分の言葉をもたなかった。たしかに、彼女の言う通り、僕は境界にこだわりをもっているのかもしれない。
 僕はどちらかというと、物事には境界はないという、どこか曖昧な捉え方のもとに生きてきたように思う。たとえば、過去も現在も未来も自分の中でつながっている。すべては僕の中にある。もう少し言えば、世界だって僕の中にある。だから、僕の消滅は世界の消滅を意味する。それが僕の考えだ。
 とはいえ、必ずしも一筋縄にいかないのが人生でもある。奈月の言うように、現実には、自分と切り離してゆくものだってある。そうしないと、先に進めなくなったりもする。境界線を引くのはそんな時だ。苦しい現実に直面するたびに、友達から離れ、愛する人と別れ、過去を断ち切り、考え方を修正し、何とかここまで生きてきた。「境界には寂しさがつきまとう」という奈月の言葉も、だいたいそんなことを言っているのだろう。
 ふと奈月の横顔を見下ろす。おだやかな表情をして潮風に髪をなびかせている。僕の視線に呼応するかのように、彼女はこう言った。
「でも今、私、すごく安心してますよ」
「何が?」と僕は聞いた。
「境界線を越えて、もう2度と戻ることがないと諦めていた過去を、取り戻した気がしてるんです」
 そう言って奈月は僕の顔を見た。そうして、汗で額に張りついた前髪を、左手で払いのけて、「なつかしい楽しさですね」と続けた。彼女に対して何か言おうとしたら、思わず笑みだけがこぼれた。
 僕たちは堤防から降りて、川沿いの歩道を河口の方に向かって南下した。再び地図を広げて現在地を確認している横で、奈月は「あやうく迷いかけましたけど、なんとか着きそうですね、明石の入道のおうちに」と言った。それから少し歩いた後で「絶対忘れられない旅になるだろうなぁ。帰りたくないなぁ」と小さくもらした。

キラキラ 76

 僕たちは堤防の上に登って、河口の光景を眺めた。奈月は「雄大ですねぇ」と感嘆を漏らした。
「大きい海だ。瀬戸内海とは思えない」と僕も共感した。さっき見た須磨の海も同じように大きかった。須磨と明石は海によってつながっているという自明の事実を肌で感じることができる。光源氏を乗せた明石の入道の舟は、神風にあおられて、この浦づたいに辿り着いたのだ。
 そうやって海を眺めていると、ふと幼い日の記憶が甦ってきた。僕は「初めて河口を見た時のことを思い出すよ」と記憶を口にした。奈月は「河口、ですか?」と、僕と同じ方向を見ながら語尾を上げた。
「小学生の時に、通学路に流れる川の終着点がどうなっているのか知りたくて、ひたすら自転車を走らせたことがあるんだ」と僕が言うと、「なんか、先輩らしい」と奈月はやわらかく返してきた。
 あれは稲穂の薫る秋の夕方だった。心地よい風に吹かれながら、僕は夢中でペダルをこいだ。そしてついに、川が海へと流れ込んでいる地点を目の当たりにした。太陽はずいぶんと傾き、川と海の境目あたりに夕日が映り込んでいて、水面がオレンジ色に揺らめいていた。僕はただ息を呑むばかりだった。
「先輩って、境界にこだわりがある人なんですね」と奈月は、いきなりそんなことを言ってきた。「さっきも、明石海峡大橋を通る時に何かの境界を越えた気がしたって言ってたし、昔から須磨と明石の間には境界があったという話をした時にも、興味深く聞いてましたし」
 僕にとっては、意表を衝かれる指摘だった。
「私なんて、物事を深く考えない人間なので、先輩みたいに繊細な感覚を抱くことなんてないままに生きてきたけど、それでも今になって、少しずつですが、いろんなことを考えるようになりました」と奈月は言い、潮風に目を細めた。「なんて言うんだろ。境界には、寂しさがつきまといません? たとえば、過去って、今とは完全に切り離されたもののように感じることがあるんです。境界を越えて、もう2度とは戻ってこないようなもの。そんな過去をなつかしむ時、胸がつまって、泣きたくなります」
作者

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

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