スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

キラキラ 90

 僕が無数に並んだ墓石をぼんやり眺めていると、奈月は「蔦の細道っていわれるくらいですから、昔はきっと、緑が生い茂っていたんでしょう。平安時代の恋愛って、基本的には夜に行われていたわけですから、光源氏は、薄暗いこの道を密かに通ってたんでしょうね。」と言った。
「だとすれば、紫式部の想像力には感服するね。この土地を訪れたことがないのに、よくそこまで細かい描写ができたもんだ」と僕は思ったことをそのまま口にした。それから「さっき奈月が言ってた、光源氏の新しい縁というのは、明石の君との出会いなんだね?」と質問を付け足した。
 すると奈月は「そうですよ」と返してきた。「入道は、娘の縁談について、何年も前から住吉の神にお祈りし続けてたんです。つまり、光源氏と明石の君との出会いも、住吉の神の導きによるものだったわけですね。でも、源氏が現れてくれた後も、入道の心は決して落ち着きません。娘たちの関係は、すんなりとはいってくれなかったんです」
 奈月はそう言って、バッグからしおりを取り出し、それをまた読み始めた。
「入道は、自分の屋敷で、つまり、さっきの善楽寺で、朝から晩まで仏道修行に励んできたんです。あまりにひたむきに勤行するあまり、すっかり痩せていました。でも、光源氏はそんな入道に好感をもちます。『人のほどのあてはかなればにやあらむ、うちひがみほれぼれしきことはあれど、いにしへのことをも見知りて、ものきたなからず、よしづきたる事もまじれれば』と書いてありますね。つまり、入道は、性格的にひと癖あってぼけているところはあるけど、人柄が上品な上に、しっかりした教養が身に付いていたのです。それで、源氏は、住居も近いということもあって、入道と話をするようになります。そんなある初夏の夕月夜に、源氏が屋敷から海を見渡すと、夜空は晴れ渡り、淡路島までが遠く見渡せました。心慰められた源氏は、思わず琴をつま弾きます。その音色は松風に乗って入道の心にも届きます」
 なるほど、無量光寺は源氏の月見寺と記してあったが、この場所で源氏は月を見て、琴を弾いたのだ。なんだか、僕の耳にも聞こえてくるような気がした。
スポンサーサイト

キラキラ 89

 明石の入道と光源氏との想像を巡らせる間もなく、無量光寺の山門はすぐに現れた。寺の門というよりは、武家屋敷のような風情があるので、最初はよく分からなかったが、近づくと「浄土宗 無量光寺」の文字が目に飛び込んできた。
 すると、隣で奈月が「あ」という声を上げた。
「ここ、前来た時に、東山君が一番興奮してたとこですね」と続けた奈月の前には古びた木の看板が立っていて、そこから左には白壁の土塀が続いている。土塀の前は細い路地になっている。たしかに、この道は見覚えがある。
「『蔦の細道』ですね」と奈月は看板を見て言った。僕も看板上に記してある毛筆を読んだ。そこにはこう書いてある。
「この周辺は、世界最古の長編ロマン『源氏物語』の舞台であり、主人公光源氏と明石の上との秘められたロマンが繰り広げられた場所である。善楽寺は明石の上の父、明石入道が住む『浜辺の館』跡で、『明石の入道の碑』がある。無量光寺は光源氏の月見寺であり、山門の前には『蔦の細道』という源氏の恋の通い路がある」
 読み終わって顔を上げた時、すでに奈月は白壁の道を歩き始めていた。彼女の背中は、陽光とそれを反射する白壁の光とに包み込まれている。「蔦の細道」の入口には白いペンキで塗られた四角い杭が立っていて、「光源氏が『明石の上』の住む岡辺の家に通った道」という説明が書かれている。おそらく「明石の上」というのは、明石の入道の娘である「明石の君」のことだろう。
 歩みを早めて奈月に追いつくと、彼女は「この道を光源氏が通ったんですね」と噛みしめるようにつぶやいた。道は本当に狭く、白壁の反対側には無数の墓石が並んでいる。だが、これほどの墓のすぐ隣を歩いても、決して暗い気持ちにはならない。目に映る全ての風景が、ふんだんに降り注ぐ陽光に照らし出されているからだ。

キラキラ 88

「生き方?」と僕は返した。すると奈月は「はい」と言い、話を続けた。
「ある意味、先輩と東山君って、似たところがあると思うんです。ほら、先輩も大学の時に言われてたじゃないですか、同じ土地で育って、同じ空気を吸い、同じ教育を受けてきたんだからって。でも、あえて、2人の違いを挙げるとすれば、生き方なんだと私は思ってます。東山君の場合は、何というか、自我が外側にあるんです。彼には常にモデルとなるものがあって、いつだってそれを追いかけて生きてました。その点、先輩の場合は、見た目はマイルドな感じなのに、内面はこだわりだらけです。誰に何と言われようと、まずは自分がどう考えるかっていうことが常に先にあるのが先輩です」
 奈月の指摘は的を射ていた。だからこそ僕は、どこか面映ゆい心持ちになった。
「麻理子さんのことだって、あんな素敵な女性だったのに、先輩は誰にも相談せずにすっぱり別れちゃったし、その後で、いきなり東京に行っちゃったし。でも、そこが先輩のすごいところなんですよ。だって、先輩、心の中はあの頃と変わってませんもん、何にも。だから、私、安心しました」
「見た目は老けたけどね」と僕が言うと奈月は何かを言いかけたが、それを直前で止めて、笑った。
 そのまま僕たちは山門の影にすっぽりと包まれた。その途端に、今から善楽寺に別れを告げるのだいうことが急に実感された。とても名残惜しく思われた。
 山門を抜けて、『一隅を照らす』という最澄の言葉の彫られた石柱の所にまで戻ってきた時、奈月はほほえみかけるようにそちらに一瞥し、それから、すんなりと善楽寺を後にした。僕は地図を広げて現在地を確認した。次の目的地である無量光寺は、善楽寺のすぐ隣にあると示されている。地図の中で、無量光寺はこう説明されている。「昔、境内には源氏屋敷、源氏月見の松があった。光源氏が月見をした寺として有名。山門の彫刻は、名工左甚五郎作という」
 なるほど、明石の入道は、自分の屋敷のすぐ隣に光源氏を住まわせたというわけだ。

キラキラ 87

 奈月はあまり好きではないはずの「縁」という言葉をまた使った。明石は新しい「縁」を生む地なのだと。
 そういえば、須磨という土地全体には「藻潮垂る」という言葉が底に敷かれているということだった。恋に破れ世をはかなんだ女性である「尼」が、海藻を採る「海女」と掛けられ、恋人を思って流れる涙の雫が「藻潮垂る」という表現につながるのだと東山はしおりの中で語っていた。だから須磨という場所には、恋人から遠く離れ、涙ながらにその人を思うという寂しげな宿命がついてまわる。
 一方この明石は違う。今奈月が読んでくれた『源氏物語』の本文にも、海女たちの様子は誇らしげとある。空も青く澄み渡っている。そして僕も、そのことを実感している。つまり、明石に来て光源氏が感じたことと今僕が感じている世界には似たところが多い。須磨にいた時よりも心は晴れ、落ち着いているのだ。
「こうしてしおりを読んでみると、東山君も、須磨と明石の間には境界めいたものがあったのだと捉えてたんでしょうね。明記はしてないですけど、何となくそんなニュアンスが伝わってきます」
 奈月はそう言い、しおりに目を落としたまま、取っ手の長いトートバッグを肩にかけ直した。
「でも、東山君の場合は、須磨と明石の境界について、先輩ほどは強く感じなかったんだと思いますね。だってあの人、ここへ来た時、そんな話全然しなかったですもん」
「一生懸命写真撮ってたよな」と僕はあの時の東山の姿を回想した。
「今思うんですけど、東山君は、『源氏物語』の世界から抜け出ることはなかったんですよ。あくまで作品の場面に忠実にこだわって、光源氏の目線に立ってここを歩いてたんでしょうね。それに対して、先輩は、自分自身の確かな目線がまず最初にあって、そこからいろんなことを捉えてるんですよ。それって、東山君と先輩の、生き方の違いでもあると思います」
 神妙な面持ちでそう言った奈月の横顔には、山門の影が徐々に覆い被さってきた。

キラキラ 86

 しおりに目を落としている奈月は、さらに歩みをゆるくした。陽光を反射している山門は僕たちのすぐ前にあるのに、なかなか近づいてはこない。
「あぁ、やっぱりこの明石には、何かあるのかなぁ」と奈月はつぶやき、ふと空を仰いだ。僕は何も言わずに、彼女の少し後ろを歩いている。ヘアリンスの香りは、もはやずいぶんと薄らいできている。
「明石にたどり着いた光源氏は、さっそく若妻である紫の上に手紙を送るんですね。その中でこんな和歌を詠んでいます。

はるかにも 思ひやるかな 知らざりし 浦よりをちに 浦づたひして

 見知らぬ須磨の浦からさらに遠く離れた明石に浦づたいをしても、あなたのことを遙かに思っていると源氏は言ってます」
「手紙をもらった紫の上は、さぞかし安心しただろうね」と僕は感想を述べた。すると奈月は「そりゃそうでしょう」と実感を込めて返してきた。
「紫の上は、いつ帰ってくるか分からない光源氏のことだけを考えながら、毎日ひたすら待ってたはずです。まして、それまでに恋愛経験のない彼女です。狂おしいほどに寂しかったことでしょう。
 ただ、そんな紫の上に手紙を送らせたのは、この明石が源氏にとって居心地がよかったっていうことも関係してると思うんです。『源氏物語』の本文にはこう書かれています。『小止みなかりし空のけしき、なごりなく澄みわたりて、あさりする海人たちどもほこらしげなり。須磨はいと心細く、海人の岩屋もまれなりしを、人しげき厭ひはしたまひしかど、ここは、また、さまことにあはれなること多くて、よろづに思し慰まる』
 須磨に比べると、海女たちの姿も生き生きしていて、風景にもすっきりとした情緒が感じられる。明石は源氏にとっては心慰められる地だと書かれています。先輩と同じように、源氏も須磨と明石の間に境界を感じてますね。実際のところ、この明石で、源氏には新たな『縁』が結ばれるんです」
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

最新の文章
リンク
みなさまの声
カレンダー
10 | 2017/03 | 11
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
目次
月別アーカイブ
検索フォーム
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。