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キラキラ 110

 新神戸駅のホームは、長いトンネルを抜けた後の陽光の中に現れた。つまり、この駅は六甲山脈の合間に作られているわけだ。新幹線が停車した時、海に向かって流れ出るように広がる神戸の街が姿を現す。奈月はそちらを眺めながらまぶたを細めた。街全体には明石と同じ日差しがまんべんなく注ぎ込まれている。
「光源氏は、身支度を整えて、夜更けを待ってから、外へと出ます。明石の入道はこの瞬間のために車を用意していましたが、源氏にはさすがに仰々しく思われました。それで、気心の知れた部下だけを連れて、馬に乗って、明石の君のいる岡辺の家に向かうのです」
 奈月はそう言った後、しおりをゆっくりと目の前に運んだ。
「明石の入道が、自慢の娘を安全なところに住まわせようとして用意した家ですから、当然海から離れた高台にあったんでしょうね。『源氏物語』の本文にも、山の方にかなり遠く入る所にあったと記されてます」と奈月は続けた。
 源氏の屋敷跡とされる無量光寺は海辺に近い場所にあった。「源氏の恋の通い路」という説明がされていた「蔦の細道」は、寺の山門から続いていた。無量光寺の土塀と無数の墓との間に続く細い道は、平安時代はもっと目立たなかったはずだ。明石の君に会いに行くのに、源氏はあえてそんな道を選んだのだろう。
「その道すがら、源氏の目には明石の浦に浮かぶ月夜の情景が映りました。そうして、都にいる紫の上のことを思い出すのです。可愛くて献身的な若妻のことが、何度も頭をよぎります。それでも、どうしても明石の君に逢わずにはいられない。それほど源氏の我慢も限界だったわけです」
 僕は何も言わずに、ただ奈月の話に耳を傾けた。
「何ヶ月にも及ぶ恋の駆け引きを経て、ついに明石の君に逢いにいく光源氏でしたが、やはり妻のことを思わずにはいられなかったのでしょう。馬にまたがったまま、彼は心境を歌に詠みます」
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キラキラ  109

「最初は『心細き独り寝のなぐさめにも』というほどの思いでしかなかった光源氏でしたが、先輩の言う通り、なかなか、うんと言わない明石の君との根比べに負けてしまいます。すっかり本気になってしまった光源氏は、手紙でアプローチするんですが、それでも彼女はなびこうとしない。本当にプライドが高く、しかも賢い女性だったんですね、明石の君は」と奈月は言った。
 僕は「思いを隠すことができない明石の入道とは、あまり似てないな」と感想を漏らした。奈月は口元を緩めたが、何も言わなかった。
 すると新幹線は長いトンネルに入った。うす暗い窓ガラスは僕と奈月の顔を映している。こうして眺めると、思った以上に僕たちは寄り添っている。恋人同士に見えないこともない。奈月はガラスの中の自らの姿にすら気づくことすらなく、手にしたしおりを見ている。
「そのうち源氏は、ぜひともその姿を見ないではいられないとまで思うようになります」と奈月は続けた。僕には源氏の男心が痛いほどよく分かった。
「そうして、ついに源氏はいてもたってもいられなくなってしまって、明石の君が住む岡辺の家に向けて自分の屋敷を出るのです。あの無量光寺の前にあった『蔦の細道』を通ったわけですね」と奈月が言った瞬間、新幹線は減速をはじめ、オルゴール調のメロディと共に、次の停車駅は新神戸という車内アナウンスが流れた。それがまだ終らないうちに新幹線はトンネルを抜け、再びふんだんに降り注ぐ陽光に包まれた。窓ガラスに映っていた僕たちの姿は、光の中に溶け込んでしまった。
「源氏が屋敷を出たのも、やはり月夜のことでした。義母である藤壺と過ちを犯した夜も、嵯峨野で六条御息所と最後の夜を交わした夜も、それから明石の入道と琴を弾き合った夜も、すべて月のきれいな夜の出来事でした。そして、この日も同じように月が出ていたのです」と奈月は言った。

キラキラ  108

 奈月はそう言って僕の顔を見た。僕は「そうだよな。女を甘くみちゃだめだ」とつぶやいた。奈月は僕に向かって何かを話そうとしたが、今は明石の君の話に夢中になっているらしく、ふっと声を出して笑い、その後すぐに、またしおりに目をやった。奈月はそこに書いてあることを眺めながら「ここまでくると、明石の君も、駆け引きを挑んでますね」と続けた。「なんか、女心じゃないですか?」
「まあ、恋の駆け引きをした場合、たいてい根負けするのは男の方だよな」と僕は実感を込めた。
すると「女は強いですからね」と奈月も言葉で寄り添ってきた。「でも、中には、私みたいに弱っちい女もいますけどね」
「俺は、強い女は苦手だね」と、半分奈月を慰めるような思いで言った。
「ただ、駆け引きをするのは、強い女だけだとは限りませんよ。自分に自信がない、ほんとうに傷つきやすい女性こそ、相手の思いをきちんと確かめておきたいと考えるのはあたりまえのことです。だから明石の君も、源氏の方から連絡があるまでは、こちらからは何も行動を起こさないと心に決めてたんです。で、源氏はそのことによって心にダメージを受ける。もう、お互いに我慢比べですね」
「ただ、そのダメージが、恋心を加速させることになるんだ。もしそれが明石の君の策略だとすれば、やっぱり彼女は大したもんだ」と僕は源氏に同情して言った。奈月は再びしおりに目を落とした。
「季節はそのまま秋になります。源氏が明石の浦に辿り着いたのが初夏のことですから、2人の根比べも数ヶ月に及ぶわけです。2人とも心はけっこうボロボロかも」と彼女は言った。
「でも、これは俺の、男としての予想だけど、どちらかというと、源氏の方が苦しかったんじゃないかな」と感想を述べた。奈月の言うように、こういう時、女はじつに強いものだ。

キラキラ 107

「この和歌をもらった明石の君の心はぐらぐらと揺れ動きます。でも、源氏を思えば思うほど、身分や境遇の違いすぎる自分に引け目を感じちゃって、やっぱり、どうしても行動を起こすことができません。それでも彼女は、さんざん悩んだ末に、思い切って、返事を書くことにします。これはしおりにあることですが、当時の恋文には、返事をしなければ拒絶するという意味があったようですね。きっと、光源氏が焦ったのは、そういう事情もあったんだと思います。
 明石の君は、初めての手紙にいろいろと神経を配ります。お香をしっかりと焚きつめた紫の和紙に、墨の濃淡を駆使して思いをしたためます。都の高貴な女性にも劣らないほどの心づかいです。出すか出すまいか悩んだ分、いざ出すと決めたら、とことん心を込めたんでしょうね。
 ただ、そんなこだわりとは裏腹に、彼女の詠んだのは、源氏を突き放すような和歌でした。
『思ふらん 心のほどや やよいかに まだ見ぬ人の 聞きかなやまむ』
 私のことを思ってくださるという、あなたさまの心の深さはさてどの程度のものなのでしょう。まだお逢いしたこともない私のことを、噂を聞いただけで思い悩むなどということが、果たしてあるのでしょうか?」
 奈月はシートに身をもたれたまま、しおりを顔の近くまで持ち上げて、そこに書いてあることを読み聞かせるように話してくれた。なんだか、母親に絵本を読んでもらっているような気分だ。
「その和歌を受け取った源氏は、さぞかし意表をつかれたことでしょうね。明石の君はそう簡単には自分になびかない女性だということを痛感したでしょう。それにしても、紙の選び方や筆跡、それに書きぶりなんかを見て、源氏はますます明石の君に惹かれていきます。でも、手紙をしきりに遣るのは周囲の目が気になるから、2、3日に1度、自分の思いを相手に気づかれぬよう適度に紛らわしながら遣るんです。どうやら源氏は根負けしちゃったようですね。女は、甘くみちゃだめです」

キラキラ 106

 たしかに、恋愛に限らず、人生の上に現れることはすべて予め決まっていると捉えればそれまでだ。だが、愛し愛されるということだけは、その他の出来事と比べても特別なことのよう僕は感じる。たとえそれが、奈月の言うところの欲望の関係であったとしても、互いに抱き合ったぬくもりは、まるで人生の節目ででもあるかのように、僕の精神的な骨格をなしている。
 そう考えると、『源氏物語』で語られる宿世とか縁とかいう考え方には共感できる。おそらく色を好む「英雄」たちも、たんに自分の欲望を満たすということ以上の意味を持って女性を愛し、その人を抱いたのだと僕は思う。ただ、それを奈月に説明するのは難しい。彼女が東山に対して、未練に裏打ちされたアンチテーゼを抱いている以上、どんな言葉も彼女の中には溶け込んではいかないだろう。
「で、我慢ができなくなった源氏は、どうなっちゃうの?」と僕は、とりあえず話題を元に戻した。すると奈月は真顔に戻って、質問に答えてくれた。
「完全には覚えてないですけど、たしか、源氏の方から、また次の手紙を遣ったと思います」
「いよいよ我慢できなくなったんだな」
「その手紙の中で、源氏は和歌を詠むんです」と奈月は言い、さっきからあえて見ないでいた東山のしおりを自然な動作で取り出して、ページをめくった。
「『いぶせくも 心にものを なやむかな やよやいかにと 問ふ人もなみ』っていう和歌ですね。憂鬱な気分が晴れずに、私はずっと思い悩んでいます。どうしていますか、どうかしましたか、と尋ねてくれる人さえいません。そんな感情を歌っています」
 つまり源氏は、何としてでも明石の君からの返事がほしかったわけだ。でも、その思いをストレートに表現することをせず、孤独に苦しむ自分に同情させることによって、彼女からの連絡を促したわけだ。源氏の男心がひしひしと伝わってくる。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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