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キラキラ 150

「ただ、明石の入道は、縁とか運命とかを強く信じる人でした。だから、源氏の帰京にも、何か意味があるに違いないと思おうとするんです。その結果入道はこんなふうに捉えます。『思ひのごと栄えたまはばこそは、わが思ひのかなふにはあらめなど、思ひなほす』。訳すと、光源氏が都に戻ってお栄えになれば、それこそ、私の本望が叶ったことになるのだと気を取り直すのだった、という意味です。源氏の栄転がそのまま娘の格を上げることにもなるのだと考えることで、離別を受け容れようとしたんですね。この『思ひなほす』っていうとこが、いかにもですね」
 奈月はまるで入道その人をいとおしむような瞳でしおりを見ている。
「で、8月になって、いよいよ出発を2日後に控えた時、光源氏はあまり夜も更けない時間に明石の君のいる岡辺の宿を訪れたんです」
 奈月がそう言った瞬間、明石の無量光寺の前に続いていた『蔦の細道』の光景が頭に浮かんだ。別れを間近に控えた源氏が、肩を落としながら、それでもとにかく明石の君に1秒でも多く逢いたくてあの道を急ぐ姿が同情の色を帯びて想像できた。僕は思わず「光源氏は、残された明石の君との時間を永遠に刻みつけときたかったんだろうな」と口走った。
 すると奈月は僕の方に顔を向け、「分かりますよね、その気持ち」としみじみと言葉で寄り添ってきた。それから彼女は噛みしめるように話を続けた。
「まだ夜が更けないうちに愛人を訪ねるというのは、当時はあまりやらないことだったんです。暗闇の中、男が女の部屋の中にそっと忍び込むというのが恋の流儀でした。なので、人としての『けはひ』とか『にほひ』とか、そんなことがとても大事だったんです。でもその日は、いつもよりも空が明るい分、明石の君の姿がいつもよりもはっきりと見えたんです。おそらく源氏は、明石の君の素顔を焼き付けておきたかったんでしょうね。そして彼女は、源氏が思っていた以上に美しかったのです」
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キラキラ 149

「完全に理性を失ってるな」と僕は奈月に続いた。とはいえその心理状態は痛いほどによく分かった。人は恋を求める。だが、いったん恋にはまってしまえば、それはとても恐ろしいものだということが実感される。恋とは、もしかして、麻薬に近いのかもしれない。
「いよいよ都に帰る準備にかかりはじめた頃、喜びに沸く供人たちの中で、当の源氏だけはふさぎ込んでいました。あれほど都に帰りたかったはずなのに、いざその願いが叶うと、明石の君が途端に恋しくなる。私思うんですけど、願いって、そんなものかもしれないですね。手に入らないことだから願うわけで、実際に手に入ってしまえば、意外と味気なかったりして」と奈月は声の調子をやや落とした。きっと彼女はまた、自身の結婚のことを言っているのだろうと僕は思った。
「その時の光源氏の心境は、こんなふうに書かれてます。『なぞや心づから今も昔もすずろなることにて身をはふらかすらむと、さまざまに思し乱れたる』。訳すと、どうして私は今も昔も、後先を考えずに恋に落ちてしまうのだろうと、源氏は思い悩んでいらっしゃる、という意味です」
 そうだ、恋というものは、後先を考えながらはまりこんでゆくようなものではないのだ。僕は心の中でそう唱えた。きっと源氏は、明石の君との恋を後悔しているのではなく、恋の本質を嘆いているのだろう。
「そんな源氏の姿を見て、事情を知っている供人たちは、『あな憎(にく)。例の御癖ぞ』とひそひそ話をしてます。彼らは、源氏の恋を心の『癖』だって、よく分かってます。周りの人たちにもバレバレなほどに、源氏も恋の病にかかっていたということなんでしょうね」
 奈月はしおりを参考にしながら話を進めた。
「そして、もう1人、源氏の帰京を嘆く人物がいました」
「分かった、明石の入道だ」と僕が答えると、奈月は「ピンポーン、大正解!」と声を上げた。きっとあの爺さんのことだ。ありえないくらいに落胆したに違いないと僕は想像した。

キラキラ 148

 そう言って奈月は、膝の上のしおりに再び目を落とした。
「ちょっと、生々しい想像ですけど、2人とも、かなり濃密な夜を過ごしたんでしょうね。6月くらいになって、明石の君の気分が悪くなったと書いてあります。妊娠しちゃったんです」
「妊娠?」と思わず僕の口から言葉がこぼれた。その後でふと我に戻った僕は、横目で周りの人を気にした。だが、他の乗客はこちらに頓着する様子もなく、ほとんどが窓の外の風景に目を遣っている。
「なんだか、すごいな、光源氏は」と僕は小声で続けた。
「当時の貴族男子にとっては、複数の女性と結婚することは、まぁ、あったわけですから、妊娠自体が今ほど問題になることはなかったとは思いますけどね」と奈月はやはり、淡々と語った。「当時の法律では、一応不倫は御法度だったって東山君は言ってましたね。一夫多妻制が許されてたのは、優秀な世継ぎを生まなければならない天皇だけだったんです。でも、その法律自体、強い拘束力があったわけじゃなかったから、貴族たちは、陰で自由な恋愛に落ちてたみたいですよ」
「ただ、俺の中では、光源氏って、気品と聡明さのある、どちらかというと草食系男子のイメージがあったけど、こりゃ完全な肉食系だな」と僕は思ったことを口にした。
 奈月は「たぶんですけど、一流の男って、多面性を持ってるんだと思いますよ」と言った。
「男性論が語れるくらい、奈月もいろんな人と出会ったんだな」と僕はやや意地悪く返した。すると彼女は「だったらいいんですけどね」と舌を出した。
 その時、奈月の肩越しに流れる風景の中で、川面がきらめいた。いよいよ嵐山に入ろうとしている。しおりに目を落としたままの奈月は、それに気づくことなく話を続けた。
「別れの間際になってこんなに愛情が深くなっては後で互いに傷つくだけだと源氏は思います。それでも自分の思いを止められなかった。後先のことが考えられないくらいに燃え上がってたんですね」

キラキラ 147

「都から赦免が言い渡されて、もちろん光源氏はうれしかったんですが、あまりに急な話でもあったので、明石の浦を離れることに寂しさを感じたんですね。須磨では、寂しかったり暴風雨に襲われたりと、何かとつらいことが多かったですが、やっぱりこの明石には格別の思い入れがあったんでしょう。東山君がどこかに書いてましたけど、『縁』あって明石に来たということです」と奈月は言った。
 奈月の話を聞いていると、わけもなく高校時代の記憶が甦った。これまでの半生を振り返ってみても、あの3年間ほど1日が長く感じられたことはなかった。学費の安い国立大学に合格するために勉強をし、放課後は部活動で適当に汗を流し、同じ学年の3つ編みの女の子に恋をした。ただ、退屈さは否めず、大学生になって独り暮らしをすれば、何か楽しいことが待っているだろうと思いつつ毎日を過ごしたものだ。
 だが、そんな高校生活でも、不思議と卒業式の時には特別な感慨が込み上げてきた。意外にも未練のようなものさえ感じた。これから自分は田舎を出て新しい生活に入ってゆくのだと思うと、妙に不安になった。それと同時に、いかにこれまで自分は高校というシステムに守られていたのかということを思い知らされた。
 卒業式の最中、僕は「1日は恐ろしく長く感じられたが、3年間は一瞬だった」と実感し続けた。きっと10年なんてあっという間に過ぎるのだろうと思うと全身に寒気が走った。そして、あれから10年以上経った今、僕は思う。人生なんて、あっという間なのだろうと。
 そうやって卒業式の体験と明石に未練を感じる光源氏とを重ね合わせていると、バスはがたがたと音を立て始めた。嵐山に続く道幅がしだいに狭くなり、舗装も悪くなってきたのだ。バスに揺られながら奈月は言った。
「それから光源氏は、一夜も欠かさず明石の君の家に泊まるようになります。恋心に再び火がつくんです」

キラキラ 146

 思わず言葉に詰まる。「いやぁ、偶然だよ。俺も今、奈月と全く同じことを考えてたんだ。『思い通りにならないようで、じつは思い通りになっているのが人生』ってね」と、軽々しく返すことができなかった。あまりに一致しすぎて、ほんとうに驚いてしまったのだ。
 奈月は太ももの上にしおりを開いたまま、窓の外に視線を投げている。西の空は金色がかってきたとはいえ、高いところはまだまだ青い。バスの時計は18:17を示しているが、真夏の夕暮れは、そう簡単にはやってこない。奈月の顔の半分は、西日の金色に塗れている。
 僕は唾を呑み込んで、「今度は『思い通りになっているのが人生』だなんて、さっきの投げやりな言葉はどこへ行ったんだ?」と聞いた。すると奈月はゆっくりとこちらに顔を向け、「投げやり、でしたかね?」と逆に問いかけてきた。
「大学時代、どんなことがあっても奈月は前向きだったからな。いつも感心してたよ」
 僕がそう返すと、「まぁ、あの頃は何も考えてなかったですからね」と奈月は応えた。「ただ、『源氏物語』に話を戻すと、結局、光源氏はなんだかんだ言って、都に帰ることができたじゃないですか。つまり、思い通りになったわけですよ。これって、世の中の真理を象徴してるのかなって」
 奈月は達観したかのような口調でそう語った。
「光源氏だけじゃないです。絶望的な気分になっていた明石の君にしても、なんとなく、彼女の思っていた方に人生が流れてゆくんです」
「ということは、明石の君は、心のどこかで源氏と別れようと思ってたわけだ」と僕は先読みした。すると奈月は「残念、その反対ですね」と答えた。僕には彼女の言う意味がよくわからなかった。
「都に帰ることになった途端、またもや源氏の心の『癖』が出るんです」
「なるほど、明石の君との別れが恋しくなったわけだ」
「六条御息所が伊勢に下る前に、別れがつらくなったのと同じですね」と奈月はにっこり笑った。
作者

Author:スリーアローズ
*** 
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