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キラキラ 200

 思い出すのは、夜風が運んでくる枯葉の匂いだ。奈月が大学4年生の秋。すでに卒業していた僕は、大学近くの学習塾で講師をしていた。それで、仕事が終わった後で奈月からよく電話がかかってきたものだ。アパートの窓を開け、ビールを飲みながら僕は奈月の話に耳を傾けた。
 あの時奈月は佐賀に帰って母を手助けするか、それとも就職を決めた東山についてゆくかという選択肢の間に挟まれていた。だが人生を左右するようなことに僕がアドバイスなどできるはずはなかった。僕はただ奈月の話をすべて受け止め、彼女がカタルシスを得られるように願うだけだった。それは、深刻度こそ違うものの、受験に悩む高校生の問題解決を支援するやり方と基本的に同じだった。
 奈月の悩みの本質は、じつは父や母のことではなく、東山との関係だった。今し方奈月は「付き合うということは友達の関係よりも高尚だ」と話したが、かといって結婚もしていない東山についてゆくということに踏み切れずにもいた。
「あの時、さんざん悩みましたけど、佐賀に帰ったのは間違いじゃなかったと思うんです」と奈月は話を続けた。
「教員試験の勉強もできたし、臨時採用で働けたわけですし。でも、今、冷静に振り返ってみると、それが本当に私自身のためだったのかなっていうことが分からなくなってるんですね。たとえば、ほんとに、たとえばの話ですよ、あの時東山君について大阪に行ってたら、今頃は絶対に違う人生があったわけじゃないですか。ひょっとして、上海に飛ばされてるかもしれないけど、子供ができて、それなりに家庭を築いていただろうって思うんです。
 もちろん、先輩が言ってくれたように、どのみち東山君とは結婚しなかったかもしれませんよ。だけど、実際には、東山君と連絡が途絶えた後もかなり引きずってましたし、あの人が結婚したことを聞いてからは夜も寝られなかったんです。しかもあの時はまだお父さんの状態が安定しなくて、身も心もボロボロだったんです。どうしてこんなに悪いことが重なるのか、本気で神様を恨みましたもん」 
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キラキラ 199

 奈月の訴えを聞いているうちに、僕の中で言葉が消滅していった。そうしてただ1つ「自己犠牲」という言葉だけが残った。それは「犠牲」の2文字が入っているものの、決してけがれているわけではなく、美しい精神だ。にもかかわらず、この言葉にはどこか皮肉の色が漂う。奈月は自己犠牲のもとに生きてきたことを僕は痛いほどよく知っている。
「東山君と一緒にいた時も、ずっと先生の言葉を引きずってたんです」と奈月は話を進めた。
「彼に楽しい思いをさせたいとか、不自由な思いをさせないようにとか、そんなことばかり考えてましたもん。『付き合う』ってことは友達の関係よりも高尚なんだって、信じ切ってましたね。今振り返ってみると、ただの自己満足だったなあっていう気もしますが、あの時はそんな不自然でもなかったし、東山君にも変なプレッシャーを与えたっていうわけでもなかったと思うんですよ」
「奈月は、じつは尽くすタイプの女の子だからね。東山を喜ばせようとすることは、自然な心から出たものだったんだよ」と僕は言った。
 すると奈月は「そうですか? 私、尽くすタイプですかね?」と静かに言ってきた。どこかうれしそうだった。しかし次の瞬間、その言葉はため息に変わり、重い口調になった。
「そんな人生が急変しちゃったのは、やっぱりお父さんの病気だったんですよ。あれほど元気で、超合金みたいな人が突然倒れちゃったんですから。現実として受け止められなかったです。最初はお母さんが介護することになったんですが、あの時まだ高校生の弟がいたじゃないですか。家のことしなけりゃいけないし、仕事を辞めるわけにもいかない。それにおばあちゃんも特養に入ってたから、お母さん1人じゃ無理だったんです。1番上のお姉ちゃんはツアコンとして世界を飛び回る仕事を辞めなかったし、2番目のお姉ちゃんは結婚したばかりで横浜に住んでましたし。結局お母さんのお手伝いをするのは私しかいなかったんです」 

キラキラ 198

「で、結局、入ったの? 生徒会に」と僕が尋ねると、二の腕の上で奈月はうなずいた。
「入りましたよ、思い切って。友達は、『やる気があるね、頑張って!』みたいな反応でしたけど、私の本心は先生に近づくためだったんだから、けっこうドキドキだったんですよ。生徒会に入ってからは、毎日が楽しくって仕方なかったですね。生徒会室に入って、みんなでワイワイガヤガヤやって、それから先生が入ってくる。先生もいろんな話をしてくれるんです。高校時代の失恋話とか、怪談話みたいなこととか。そうやって先生を身近に感じれば感じるほど、ますます好きになっていきましたね」
 奈月はそう言った後で身体を傾けて、天井の方を向いた。月明かりがじわじわと広がっている。
「それが、いつのことだったですかね。ある時、体育教官室の中で、先生と2人きりになったことがあったんです。先生は、みんなの前に立つと冗談を言ったりしてひょうきんなところがあったんですが、2人きりになると、人格が変わったみたいにまじめになるんです。私は鼻から火が出るくらいに緊張してたんですよ。生まれて初めてでしたねあんなにドキドキしたの。
 で、その時先生は私にこう言われたんです。他人と一緒に楽しむことは簡単だけどそれは凡庸な人間のすることだ。それに引き替え、他人を意図的に楽しませることは案外難しい。おまえはやさしい子だから、本当の意味で人のためになるような生徒会役員を目指しなさいって。それから私はその『人のため』ってことが常に頭から離れなかったように思うんです」
「すごく大事なことだし、たしかに奈月はそうやって生きていると思うよ」と僕は彼女の方に身体を向けてそう言った。
「ありがとうございます。でも、今になって、その『人のため』っていうことを考えすぎるあまり、自分のことがおろそかになってきたんじゃないかって思い始めたんです。さっき少し後悔してると言ったのは、そのことなんです」

キラキラ 197

 奈月の濡れた舌は僕の唇の間にするりと入り込み、口の中を縦横無尽に這い回った。状況がうまく呑み込めない僕は、ただ流れに任せるしかなかった。その時聞こえたのは、レンガの城が崩れてゆく音だった。それは、これまで築き上げてきた奈月との関係が瓦解してゆく音だった。僕は寂しさを覚えた。
 奈月はまもなくして舌を引っ込め、唇を離した。そうして、「すみません、先輩、どうしても我慢できなくなっちゃって」と素直に謝罪してきた。その言葉で僕は少しだけ安心した。
「私、いろんなことを考えるんです」と奈月は、何事もなかったかのように、落ち着き払った口調で話し始めた。今起こった出来事は、もしかして僕の錯覚だったのではないかと思うほどだった。それで僕はまだ口の中に残っている奈月の熱をたしかめた。
「これまでの人生、間違いだったんじゃないかって、ちょっと後悔してるんです」と奈月は言った。
「後悔だなんて、奈月らしくないね」と僕は応えた。
「私、田舎者だから、妙に素直なところがあるんですよね。小さい頃の経験が今に影響してる気がするんです」
 奈月はそう言って、僕の二の腕の上で頭の位置を整えた。
「中学生の時に、大好きだった先生がいたんです。体育の担当だったんだけど、若くて、情熱的で、存在感の大きい人だったんです。もちろんスポーツは何でもできて、私、密かに憧れてました」と奈月は話した。スポーツのできる男は女の子にとって魅力的に映るのだろう。
「で、上級生になったら私は生徒会の役員になりたいって思ったんです。というのも、先生は生徒会の担当でもあったんです。それまで先生のこと遠くから眺めてるだけだったんで、生徒会に入ることで先生に近づけるんじゃないかって本気で思いました。誰にも言わなかったですけどね」
 いつの間にか、風はぴたりと止んでいる。

キラキラ 196

 すると「ありがとうございます。やっぱり、先輩はやさしいですね」という奈月の声が耳のすぐ近くで聞こえた。濃紺に染められた奈月の顔が目の前にある。
「もう、東山君への未練はないんですよ」と彼女は言い、横になったまま体勢を整えた。浴衣のこすれる音がまた響いた。
「さっき明石のお寺で、彼が1週間前にあそこに行ったっていう話を聞いた時は、過去の傷がぶり返しちゃいましたけど、もう全然大丈夫です。あの人とのことは想い出になってます。たぶん、仮に明石で会ってたとしても、そりゃ、奥さんとか子供と一緒の姿を見れば、少しは傷つくでしょうが、どうせすぐに回復してたと思いますね」
 僕には奈月の言葉が信じられなかった。とはいえ、ただの強がりにも聞こえなかった。
「さっきの先輩の言葉を借りると、東山君のことは、もう私の中で諦めて受け容れることができてるんですよ。時間が解決してくれたんですね。今思えば、青春時代の貴重な経験です。ちょっとほろ苦かったですけど」と奈月は述懐した。僕は小さく肯いた。
「私が聞きたかったのは、お父さんが病気になってなかったら、私は東山君とそのまま結婚してただろうかっていうことなんですよ、本当に」と奈月は軽やかに言ってのけた。
 奈月の質問について改めて考えてみた。その時、天井の端にじわじわと月明かりが染み込んでいるのに気がついた。窓の外の世界はさっきよりも月の影響を受けはじめている。風向きが変わったのか、さらさらさらという草木のこすれる音が、川の匂いとともに部屋に入ってくる。もう幸恵の影はそこにはない。「魅力的な男の人って、必ず欠落を抱えてる」という声が、窓の外に流されていく。
 僕は「さっき言ったとおりだよ。どのみち奈月は東山と結婚してなかったと思うね」と改めて言い切った。
 すると奈月は、「ありがとうございます。先輩がそう言ってくれるだけで、私は十分です。先輩はほんとうにやさしい人です」と言い、僕の首に両手をかけ、いきなりキスをしてきた。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
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とびっきり寂しい旅に・・・

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