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鎌倉物語 36

 美咲がジャズハウスの専属のプレイヤーになって3年経った時、すなわち僕たちが25歳になった年に、彼女はニューヨークに出たいと言いはじめた。
「ママさんにはほんとうに悪いとは思うけど、私、今のうちにもっと広い世界にチャレンジしたいんだ」と美咲は僕の部屋でそう述べた。
 彼女の言い分はよく理解できたし、概ね賛成だった。彼女の技能はあるレベルを遙かに超えていたし、今の美咲なら夢につながる出会いが待っているかもしれないと心からそう思えた。ただ1つ気がかりだったのは、彼女が去った後の自分自身のことだ。すでに司法試験を諦めていた僕は、美咲のいない生活というものがどうしてもイメージできなかった。
「いろいろと調べてみてね、ハワイに日系の専門学校があるのを知ったんだ。そこで1年間英語を勉強して、まず試験を受ける。で、その成績に応じて自分の行きたい大学を選ぶことができるシステムになってて、その中にバークリー音楽大学があるのよ」
「バークリー?」
「名門中の名門よ。しかもジャズ科があるの。大西順子とか上原ひろみもそこを出てる」
 美咲の瞳からは熱気が放射されていた。彼女を止めることなどもはや不可能だと一瞬のうちに諦めさせられるほどだった。
「いつかはニューヨークに出たいの。ヴィレッジ・ヴァンガードのステージに立ってみたい。ビル・エヴァンスと同じステージにね」 
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鎌倉物語 35

 美咲の話を聞いた僕は久々に佐織のことを思い出すことになった。一緒に南アフリカに行った友達というのは、まさに佐織のことだったのだ。大学時代に彼女たちは同じ研究室に所属していて、そこに南アフリカからの留学生が来たことがある。たしかその女性はハリスという名前だった。ハリスが帰国して数ヶ月後に、2人はヨハネスブルグにある彼女の家を訪れた。僕は佐織からなんとも怪しげなキャンディや、トウモロコシで作られた饅頭のような食べ物をお土産にもらったものだ。
 ところで僕がジャズハウスに入り浸るようになってからも、週に2、3回は佐織から連絡があった。彼女から電話がかかってくることもあったし僕の方から電話することもあった。まさか佐織は僕が毎回美咲のピアノを聴いているなんて知らなかっただろう。まして僕たちはちょくちょくセックスをする仲になっているだなんて、夢にも思っていなかったはずだ。もちろん僕に罪悪感がなかったわけではない。ただそれ以上に佐織を傷つけたくないという思いが強かったのだ。
 しかしこのことを最後まで隠し通すことはできなかった。美咲の彼氏が佐織に忠告したのだ。あの2人はどうもあやしいと。
 ある夜、佐織はぬきうちでジャズハウスに現れた。しかしその夜は僕が店に足を運ばない数少ない日に当たっていた。佐織は僕の部屋に入ってきて、僕の顔を見るや否や大泣きした。命拾いした僕はただ狼狽するばかりだった。その日は夜通し佐織を看病することになった。佐織の髪を撫でながら、身の毛がよだつのを必死にこらえた。今考えると、中原中也と同じような運命をたどったのは、佐織の方だったのかもしれない。
 結局それが彼女との最後の夜になった。

鎌倉物語 34

「バブルの頃はたくさんの客が来たんだろうね」と美咲はママに語りかけた。
「あの頃は良かったよ。背広着た男たちが次から次へと女の子を連れて入ってくるんだ。もちろん1人できちんと聴く人もいたけどさ、とにかく華やかだった。お酒なんか飛ぶように出ちゃって、すぐ足りなくなっちゃうもんだから、安いウイスキーを付け足して出したことだってあるくらいだよ」
「で、お客さんは気づかないのね?」
「気づかないね。それどころか、いかにもキザっぽく飲むんだ。おまけにそのウイスキーの蘊蓄なんかも語り出す。こっちは知らんぷりだよ」
 そう言ったママの目は輝いていた。美咲は話を続けた。
「でもさ、ジャズって、そんな貴族たちの音楽っていうイメージは私にはないんだよね。どっちかといえば人生に行き詰まったような人が、1人でさみしく聴くのがジャズなんじゃないかな。もちろん、思いっきりスイングして、踊りまくるっていうのもあるよ。大学の友達と一緒に南アフリカに行ったことがあって、そこのジャズバーの客はみんなやたらとテンションが高かった。でも、そいつらは貴族じゃなかったよ。それなりにあがいてるように私には見えたね。とにかく、今のこの不景気の時にもわざわざ聴きに来てくれる客こそが、ジャズを聴くにふさわしい人だって言えるんじゃないかな」
 美咲はそう言って煙草を灰皿の上で文字を書くように消し、その後でミネラルウォーターを飲んだ。
「いいこと言ってくれるんだけどね」とママは言い、再び煙草に口を付けた。

鎌倉物語 33

「まったく、面白くない時代になっちゃったよ」とママは言い、LARKのロゴの入った灰皿に吸いかけの煙草を引っかけた。「世の中お利口さんばかり増えちゃったけどさ、逆に人間らしい人間は確実に減っちゃったね」
「昔の人はお利口さんじゃなかったの?」美咲は煙草を指にはさんだままそう訊いた。店内の照明はスポットライトだけで、その光が美咲の華奢な肩をオレンジに照らしていた。
「もちろん日本はこれほどの経済成長をしたわけだから、お利口さんはたくさんいたよ。ただ、反対に滅茶苦茶な奴もいたね。モラルというものに対してほとほと嫌気がさすような人間がね。それに、お利口さんの中にも、夜になると本性むき出しで豹変する人もいた。そういう底なしのエネルギーがあったからこそ、日本は大きくなれたのよ」
 ママは再び煙草を手に取り、いかにも不味そうにそれを吸った。
「長いことこの商売やってるとね、時代の変化を肌で感じんだよ。ジャズを聴きに来る客っつうのはね、ある意味時代を象徴してんだ。そう考えると今は氷河期だね」
 僕はウイスキーを口に入れた。ママはオペラ歌手のような堂々たる体型をしていて、髪は白髪の割合が半分以上を占めている。ある時点からヘアースタイルには頓着しなくなったのだろう。厚めの化粧は所々でひび割れていて、この女性の人生を物語っているようにも見えた。それでもママは明るかった。いつも大きすぎるほどの声で話をした。以前はジャズを歌っていたらしい。
「美咲ちゃんいなくなったら、この店もおしまいだ」
 ママの瞳は現実味を帯びていた。  

鎌倉物語 32

 ジャズハウスにおける美咲の評判は高まる一方で、わざわざ彼女の演奏を聴きに来る客も増えてきた。はじめの頃は前の方の席で聴いていた僕も、いつしか後方の高い席に陣取るようになり、僕と美咲の間には常に何人かの客が座るようになった。
 芸術家は人々に鑑賞してもらうことで自らの作品を高めてゆく。裏を返せば、誰にも見てもらえないものは芸術作品とは呼べない。中原中也が長谷川泰子や小林秀雄に認められ、それを糧にさらなる詩作に耽ったように、美咲も多くの客の拍手を励みに自らの技能を磨いていった。
 僕もまた彼女の音楽を愛する者の1人だった。美咲のピアノに聴き浸りながらウイスキーを飲んでいると、司法試験のあの熾烈な競争の中に身を投じることが億劫に感じられるようになっていた。弁護士として活躍するということだけが人生だとは思えなくなっていた。人生における幸福とは社会における自らの役割を確立することよりも、もっと己の内面に根ざした、絶対的な価値を追求することではないか。美咲のピアノはそんなメッセージを僕に発した。
「美咲ちゃんは、ウチにとっちゃ、天使のようなもんだよ」
 ジャズハウスのママはライブが終わり客がすべて帰った後でよくそう言った。
「なにせ、こんな地方でお金を払ってまでジャズを聴こうなんて人は、ほとんどいなくなっちゃったからね」とママは続け、煙草を吸った。とにかくよく煙草を吸う人だった。
 美咲はドレスの上にカーデガンを羽織って、やはり煙草を吸っていた。煙草を吸わない僕だけ1人ウイスキーを飲んだ。それでも悪い気分ではなかった。

鎌倉物語 31

 美咲という女性を想う時、中原中也という詩人の人生とオーバーラップするところがある。中也の生家は僕が通っていた小学校の近くにあり、中也自身もそこの卒業生ということで、この詩人の話はよく教師から聞かされていたのだ。
 中学の時、中也は家を追い出された。軍医だった父親の要望とは裏腹に詩作に耽るあまり、落第したからだ。彼は京都の中学に転校し、粛々と下宿生活を送る中で、ダダイスト的な詩に傾倒する。その時、長谷川泰子という女優志望の女性と出会う。泰子は中也の詩の理解者だった。自分が作った詩が初めて認められて中也の創作意欲は高まる。彼にとっては初めての悦びだったろう。2人は同棲を始める。
 その後中也は早稲田大を目指して泰子と共に上京する。東京では小林秀雄と親交が深まる。小林秀雄といえばその後の日本の評論界を切り拓く人物である。彼もまた中也の詩の良き理解者だった。ところが小林は泰子と2人で駆け落ちしてしまう。中也は再び深刻な孤独の淵に落ちる。
 その後中也は見合を経て結婚し、長男を授かる。人生における初めての幸福を感じた矢先、長男は幼くして病死する。次男も同じ運命に遭う。廃人同様になった中也は30歳という若さでこの世を去る。
 詩人の人生とは何ともたまらないものだ。逆にたまらない人生を生きるからこそ優れた作品ができるのだと言う人もいるが、僕はその捉え方はあまり好きではない。
 ピアノに向かう美咲を見ていると、長谷川泰子に認められた中也の姿をよく連想したものだ。自らを表現しようとする者にとって、自分の作品を褒められることほど幸せなことはない。不安は希望に代わり、希望はあきらめかけた夢の後ろ姿を再び見せてくれる。「山下君が私のピアノを聴きに来てくれるのは、何よりも嬉しいんだ」ある時美咲は僕にそう言った。僕たちが初めて一緒に寝た夜のことだった。

鎌倉物語 30

 「無窓庵」という店の名前からして、店内には窓が存在しないのだろうかと思ってみたりしたが、実際は縁側に大きな窓が取ってあり、風情のある竹林が青空を背景に揺れる様が見えていた。そういえばどこかで同じような光景を見た気がする。ゆっくりと記憶を辿ってみると、それはハイアット・リージェンシー京都のレストランだったということを思い出す。その時僕はまだ24歳で、目の前には美咲が座っていた。
 僕には大学時代から付き合っていた佐織という女性がいた。卒業後も僕たちは遠距離恋愛を続けていた。美咲は佐織の親友で、美咲の彼氏も含めてダブルデートをしたこともあった。卒業と同時に郷里に戻った佐織とは対照的に、美咲は卒業後もこれといった定職に就かず、音楽の勉強に励んでいた。彼女はジャズピアニストを目指していたのだ。僕もその頃はまだ司法試験に挑戦する身だったので、大学に残って受験勉強に取り組むという道を選択していた。
 互いに大学周辺に住んでいた僕と美咲はちょくちょく連絡を取り合った。同級生がすべて大学を出て行くというのも、何ともさみしいものだったのだ。そのうち僕たちは2人で食事をとるくらいの仲になった。
 美咲は週に3回ほどジャズハウスで演奏していた。ソロの時もあったし、トリオの一員として舞台に立つこともあった。彼女は50年代から60年代の、いわゆる全盛期のジャズを得意としていて、主にビル・エヴァンスやデューク・ピアゾンなどを弾いていた。普段の彼女は天真爛漫さが残るヴァイタリティに富んだ女性だったが、いざピアノの前に座るとたちまち大人びたふうになり、その腕の運びはどこかエロティックにさえ映った。そのうち僕は受験勉強を忘れて、ほとんど毎回彼女の演奏を聴くために店に足を運び、ウイスキーを飲むようになった。

鎌倉物語 29

気がつけば「あじさい寺」として多くの人に知られる明月院の入口にまで来ていた。腹が減っていることにはちがいないが明子と歩いていると時間を忘れる。明子の方も、時折乾いた青い空を見上げたりしながら彼女の時間軸の中で散歩を楽しんでいるようだった。
 明月院の入口を過ぎると歩道の幅はいくぶんか狭まり、その分車の往来が近くに感じられるようになる。標識には鎌倉駅と鶴岡八幡宮の文字が見える。このまま進むと鎌倉の中心地に出るのだ。それまでにどこかで食事をとりたいと思ったところに、古い木切れで作られた看板が目に飛び込んできた。そこには「無窓庵」とあり、看板の下には紫陽花のイラストの入った和紙にメニューがしたためてある。ビーフシチューやスパゲッティがそこには載っている。明子の方を向く前に彼女は「ここだね」とささやきかけてきた。
 看板の矢印通りに進むと石段があり、山側の斜面はツワブキの黄色で彩られている。石段を登ると、竹藪の中に民家を改築したような古びた味わいのある店が現れた。
 あと少しで2時になろうとしているにもかかわらず、店内には客の姿があった。僕たちは靴を脱いで座敷に上がり、座卓に並べられた座布団の上に腰を下ろした。腰がずしっと重かった。さすがに歩き疲れたのだ。
 隣の席には年配の夫婦がいて、彼らはちょうどビーフシチューを食べ終わるところだった。店内に漂うデミグラスソースの香りからしても、どうやらこの店の一押しはビーフシチューらしかった。僕たちも同じものをオーダーした。僕はライスで明子はパンをとることにした。「いかにも鎌倉らしいお店ね」と明子は言い、冷水を口にした。

鎌倉物語 28

 この鎌倉街道は、幕府時代に将軍と御家人の間に結ばれた、いわゆる「御恩と奉公」の関係にゆかりの深い道だということは、さっき新幹線の中で読んだガイドブックのどこかに書いてあった。鎌倉で有事が起こると御家人たちは「いざ鎌倉」と口を揃えてこの道をひた走るのである。ただ、当時は鎌倉を中心に放射状に多くの道が張り巡らされていて、今僕たちが歩いているのは現存している数少ない道の1つだと明子は新幹線の中で補足説明した。
 歴史において道とはとても重要な意味をもつ。情報が今のような形をとらない時代においては、まさにそれは人間同士がつながるための重要な設備だった。特に戦国時代ではどこに要塞を築き、そこからどうやって道を張り巡らせるかということは、まさに幕府の価値観を示す1つの指標にもなった。何も日本だけではなく、たとえば中国の秦・漢の時代から積極的に作られるようになった道路や、ローマのアッピア街道などを見ても同じことが言える。
 道と並んで重要なのが橋である。戦国時代はできるだけ自然の地形を利用して防御機能を高めようとするわけだから、川や海に囲まれているというのが要塞を置くための地理的条件の1つだった。その時、領地の「端」に作られるのが文字通り「橋」だった。したがってどこに橋を架けるかということも軍の命運を握るほどのことだったし、それを作り上げる技術も求められた。歓迎すべき人物と排斥すべき人物の取捨選択の場が橋だったというわけだ。今では考えられないことではあるが。
 明子は新幹線の中でそう説明した。あたかも往時を懐かしむような口調で。その時代に彼女は存在していたのではないかと思わせるほどの話しぶりだった。
 明子が言うとおり道が人間同士のつながりの場なのであれば、今歩いている鎌倉街道も僕と彼女をつないでくれればいい。そんなことを考えながら、1歩ずつ踏みしめるように歩を進めた。

鎌倉物語 27

 再び北鎌倉駅に出ると、ちょうど横須賀線が鎌倉方面に向かって発車したところだった。駅の前には県道21号線が走っている。そこには「鎌倉街道」という標示が立っている。僕たちは道路に沿って続く歩道をこれといった目的もなく東に向かって歩き始めた。
 ほんの少しだけ進んだところにさっそく東慶寺入口という看板が見えた。
「この辺りは、まるで寺の博物館みたいだな」と僕が言うと、明子は歩きながら僕の方を見つめた。
「それより、お腹空いたでしょ?」と彼女は言った。僕は「もちろんぺこぺこだ」と応えた。
 東慶寺を過ぎたあたりから道路に軒を連ねる店も増えた。黒や茶色のアンティークな店が多いようだ。
「どんなものが食べたい?」と彼女は問うてきたが、これといって思い浮かばなかった。軽食ではなくしっかりしたものが食べたいと言うと、明子は少し考えた後で、
「じゃあ、歩いてみて、気に入ったお店があればそこに入ろう」と言った。
 明子は何かをする時に周到な計画を立てるというタイプではない。僕はその逆だ。だから彼女と一緒にいると、自分にはない新鮮な発想に触れることができる。僕はわくわくさえしながら昼食を取るべき店を探す。旅における昼食は全体のクオリティに関わるものだと考える僕には、どの店も甲乙つけがたく、もう少し歩けばさらにお誂え向きの店に出会えるだろうという期待も相まって、結局鎌倉街道をずいぶんと歩くことになった。
「鎌倉時代の御家人みたいね、私たちは」と明子は微笑を浮かべながら言った。

鎌倉物語 26

 楓に覆われた石段を降りると目の前はぱあっと明るくなり、再び北鎌倉駅の踏切が見えた。その瞬間僕は軽い眩暈を感じた。非現実から現実の世界に戻ってきたような(あるいは現実から非現実の世界に戻ってきたような)感覚に襲われたのだ。これと似たような感覚はふだんよく感じる。夕方、明子が僕の部屋から出て行った後に残るあの余韻だ。
 僕たちはこれまでに2度ほど旅行に行ったことがある。1つは長崎、もう1つは仙台。その時のほかには明子は僕と一緒に夜を明かしたことはない。彼女は毎回決まって自分のマンションに帰ってゆくのだ。
 彼女は家族をもたない。両親も僕と付き合う前にはすでに他界していた。全くの独り身なのだ。その気になれば僕の部屋に住むことだってできるはずだし、事実僕はそれを願っている。
 ただ彼女は大きな問題を抱えているということも僕には分かっている。彼女のはまっている深みは彼女以外の人間には決して共感できないのだ。
 過去を捨てて残された人生に目を向けてほしい。それはすなわち彼女の人生を僕に預けてほしいということに他ならない。だが強要はしない。逆効果だということも分かっている。長いこと海底に潜む2枚貝が開くには内発的な安心感が必要なのだ。だから僕はその時が来るまで彼女を急かさぬようにじっと待っている。
 それでも明子は週に2、3度は必ず僕の部屋に来てくれる。他愛のない話をし、テレビを見たり、休日には読書をしたり、あるいはジャズを聴いたり、そしてセックスしたりする。僕たちはそれなりに濃密な時間を過ごす。だからこそ彼女が去っていった後の僕の部屋には、ある説明しがたい余韻が残る。
 円覚寺の森を抜けた時、同じような余韻を感じたことがなんともおかしい。でも大丈夫だ、明子は僕の隣にいる。

鎌倉物語 25

 再び円覚寺山門の後ろ姿が見えたときには、太陽はわずかに中空を越えていた。明子は円覚寺を出る前に夏目漱石が籠っていたという「帰源院」という小さな塔頭に僕を連れて行った。漱石の「門」はここでの体験をもとに描かれていて、門とはまさに円覚寺山門のことなのよと説明した。入口は堅く閉ざされていて沈黙が漂っている。漱石はたしか「夢十夜」という短編の中で、百年はあっという間に過ぎていたというようなふうに語っている。かの文豪はどんな想像を巡らしてこの世を去ったのだろうか。百年はほんとうにあっという間に過ぎたのだ。
 帰源院を下りたところに「国宝 洪鐘」という看板が掛けられていた。この坂を上った所には有名な鐘があるけど行ってみるかと明子は訊いてきた。君は行ったことがあるのかと問い返すと彼女はあると答えたので、それなら行かなくてもいいということになった。
 正直なところ歩き疲れもあったし、何より腹が減っていた。携帯電話で確認すると昼の1時半を過ぎていた。
 僕たちは円覚寺に別れを告げ、山門をくぐった。明子は石段に足をかける寸前にもう一度後ろを顧みたので、僕もつられるように彼女に倣った。山門越しに見る仏殿を中心とする円覚寺の伽藍は陽光を浴びてますます威厳に満ちているように映った。
 石段を下りながら、次にここに来ることがあるとすればそれはいつだろうかと考えた。そしてその時には明子も一緒にいてくれるだろうかとも思った。僕の願いは彼女と一緒に暮らすことだ。結婚したいと強く思っていた時代は既に去った。同じ名前にならなくてもかまわないから、彼女を隣に生活したい。彼女の作った食事をとり、彼女と一緒に眠る。それが僕の現時点における願いだ。そんなことを思い浮かべていると鐘が2つ鳴った。円覚寺が遠ざかってゆくのを背中に感じた。

鎌倉物語 24

「なるほど、ここは夢窓疎石の墓なんだな」と僕は言った。
「じつは私も今初めて知ったんだけどね」と明子は木々の枝先に囲まれた空を仰ぎつつ言った。それから僕たちは手入れの行き届いた参道を静かに進んだ。森の中からは小鳥のさえずりが漏れている。まるで森が楽器にでもなっているかのように、鳴き声は増長され僕たちのいる空間全体に響き渡っている。木立に囲まれているために空気はひんやりとしているが、それがかえって心地よい。
 参道は観音堂で行き止まっていた。それはじつに小規模なお堂だった。中には観音像が安置されている。おそらく千手観音だろう。内部は暗くてはっきりと分からないが、とても安らかな姿に見える。
「さっきの本尊よりもずっと仏様らしいね」と明子は小声で言った。寺独特の古い木材の香りが、線香の煙の中にふわっと立ち上がった。
 僕たちは揃って賽銭を入れ、手を合わせた。
 合掌を終えた時、観音堂の傍に立ててある小さな掲示板を見つけた。そこには白い紙が貼ってあり、決して達筆とは言い難い文字が記してあった。

山の色 澄みきつて まつすぐな煙     種田山頭火
 
 その句の前に僕は思わず立ち尽くした。山頭火といえば僕と同じ山口の人間だからだ。思わず周りの山に目をやると、たしかにまっすぐな煙が1本、青空に向かってふらふらと立っていた。それは幻覚とは思えないほど鮮明であった。

鎌倉物語 23

 舎利殿を過ぎると途端に山肌が迫ってきたので、てっきり引き返すのだろうと思っていると、明子はさらに奥へと進み始めた。
「まだ何かあるの?」と思わずそう聞くほどだった。
「あまり人が行かないところだけどね」と明子はあっさりと応えた。
 路は狭くなり生い茂る緑が近くに感じられる。木々はそろそろ紅葉をはじめている。陽光を受ける仏殿の辺りよりも少し温度が低いのかもしれない。木々から漏れる冷たい空気を感じながら歩いていると石段があり、その頂に武家屋敷の門のような山門が現れた。そこには「黄梅院」と記してある。
 明子は石段を上り、門をくぐった。僕もつまずかないように彼女について行った。門をくぐるとそこには秋の空気に覆われた庭園が広がり、木々の間にお堂も見えた。なるほど明子が言うとおり人の気配はないが、円覚寺の中にあることを忘れさせるほどの独立したのどかな世界がここにはあった。こぢんまりとした境内の緑は丁寧に刈り揃えられ、ハナミヅキやヒイラギナンテンが彩りを与えている。梅の古木には葉が幾つかぶら下がっているだけで、その枝先は総じて勢いよく天に向いている。
「さっき塔頭って話をしたけど、ここがまさにそれね。ちゃんとした山門があって、本堂と観音堂というシンプルな伽藍がある」
「ということは、ここは誰かの墓だったんだな」
 すると明子は朽ちかけた杉板に書かれた毛筆にひとさし指を向けた。そこには「夢窓国師御塔所」と記してあった。

鎌倉物語 22

 僕たちは妙香池を過ぎてさらに奥へと向かって進んだ。緑の匂いは強くなり、境内に漂う線香の香りも濃くなっている。すると明子はふと立ち止まった。そこには野牡丹が咲いていた。彼女はしゃがみこんで地面に落ちた花びらの1つを拾った。それは散っているにもかかわらずはっきりとした紫をたたえ、僕の瞳にも鮮やかに映った。明子は手に取った野牡丹の花びらを見つめて、きれいねとため息のような声を漏らした。
 太陽はもうずいぶんと高いところに登っていた。
 さらに少し進んだところに「円覚寺舎利殿」の看板が左手に見えた。「この文字はどこかで見たことがあるな」と僕が言うと、「たぶんこのお寺の中でも一番有名な塔頭じゃないかしら」と明子は言った。
「さっきから君が言ってる塔頭って一体何なの?」と僕は聞いた。
「塔頭の塔っていうのは、お墓のことよ。つまりお墓の周りに作られた建物のことをそう呼ぶの。この舎利殿はたしか」と明子は言い、説明板に目をやった。
「うん、やっぱりここは無学祖元のお墓ね。北条時宗の依頼でこのお寺を開いた僧侶よ。舎利っていうのは、釈迦の骨っていうことなんだけど」と言い、再び説明板の文字を読んだ。「えっと、どうやら舎利を南宋から持って来させたのは源実朝のようね。鎌倉幕府の3代将軍。若くして暗殺された悲劇の将軍よ」
 明子がそう言ったものだから、僕は実朝の和歌をふと思い出すことになった。「われてくだけて裂けて散るかも」
 舎利殿は公開されていない。柵の奥に茂る緑の間に、ひっそりとした姿をわずかに見せているだけだ。じっと眺めていると、実朝はすぐ近くにいるような気がしてきた。

鎌倉物語 21

 明子の年金には幸いなことに大きな記録漏れは見あたらなかった。ただ、22歳からの9年間の住所が未登録だったため、僕は社会保険事務所の職員として何度か彼女に連絡を取る必要が生じた。
 明子はその22歳という年齢で姓が変わっていた。おそらく結婚したのだと思った。ところが彼女と話をしていると、その空白の9年間のトンネルを抜けた後、家族はなくなっていることが分かった。彼女の全身からにじみ出る不思議な奥ゆかしさはその辺りが関係しているのだと僕は推測した。
「私だってあなたを見た時、何かへんな気持ちになったわ」
 僕たちが付き合うようになったある夜、明子の方もそんなことを言ってきた。
「つまり俺たちは運命で結ばれていたのかな」と僕はおどけた調子で言ってみた。その時は少し酔っぱらっていて、今からすると何て子供じみたことを言ったものだと恥ずかしくもなるが、それについては明子は何の反応も示さなかった。
「私って、本を読んだりするのが好きだから、けっこう言葉を信じて生きていたところがあるのよ。でもやっぱり実際の人間同士の関わりって、言葉を超えた部分があるのね。あなたとはそうやって心でつながっていられるように思えるの」
 明子はしばらくしてそう語った。「運命」などという言葉は使わない、いかにも彼女らしい説明だった。
 

鎌倉物語 20

 明子が僕の勤務していた社会保険事務所を訪ねてきたのはもう3年前のことになる。あれはちょうど5千万件にも及ぶ国民年金の記録データが消失しているという国家的問題が持ち上がっている時だった。資金の管理の方面については普段あまり神経質になることのない明子も、社会保険庁からの度重なる連絡を受けて、しかたなく保険事務所に寄ることになったのだ。
 第一印象というものはぶれない。人との出会いは最初の3秒で決まる。事務所の上司はよくそんなことを言うが、それについては僕もほぼ同感だ。初めて明子を見た時、僕はある不思議な感覚にとらわれた。彼女はこれまで見てきた女性とはどこか違う雰囲気を身にまとっていたのだ。
 まず彼女はどきっとするほど美しかった。しかし美しい女性なら他にもいる。明子が他の女性とは違うのは、つかみ所がないということだ。彼女がふっと笑う。初対面の僕にはそれがうれしいのか哀しいのか、まるでつかめない。年金の状態を説明する僕の顔を彼女は見る。しかし僕を見ているのか、それとも僕と彼女の間に生まれたわずかな空間を見ているのか、分からない。事実僕は何度か彼女に説明が伝わっているのかを確認しなければならなかった。すると彼女は分かったような分からないような反応をするのだ。
 僕はほんの一瞬で彼女に興味をもった。この女性は何か奥ゆかしいものを内面に秘めていると思った。そして彼女の年金記録に目を通した時、やはり僕の直感は外れていなかったと思った。
 彼女には家族というものがなかった。にもかかわらず、彼女は十数年間、仕事に就いた記録が何1つとして残されていなかったのだ。

鎌倉物語 19

今回の旅で明子についての印象が少しだが変わった。普段明子は多くを語らないし、この世で彼女にしか見えない「たまらなさ」を抱え込んで生きている。僕はその部分も含めて彼女を愛してきた。いやむしろ、そういう部分があるからこそ僕は彼女に対して何かできることはないかと真剣に考え、その分彼女に惹かれてきたのだ。
 しかし鎌倉に来て、その独特とも言える空気にさらされた途端、彼女は僕の見たことのない一面を覗かせた。本来の伸びやかさを取り戻したのだ。それはまるで籠の中から出されて野生に解放された蝶の姿を連想させた。
 しかしだからといって安心することもできない。明るさの裏には必ず暗さが訪れる。明子はその周期の間に、まるでつむじ風に漂う木の葉のように行ったり来たりして彷徨っている。突然思索の世界に迷い込む彼女は、むしろ普段よりも脆くて不安定な存在にさえ見える。
「宗教の世界って、世の中の事象を超越したものがあるのよ。鎌倉時代の末期には僧侶たちもずいぶんと堕落してたようだけど、だからこそ幕府は滅びたと捉える人もいるの。この円覚寺を創建した北条時宗も、それから無学祖元っていうお坊さんも、目の前に起こっている現象にとらわれない、壮大な宇宙観を抱いていたはず。私が求めたのも、そういう世界だった」と言った明子の目には、やはりどこか憂いの色がにじんでいる。
 明子がかつて仏門に憧れた明確な理由は僕にも想像がつく。そして明子の方も、そんな僕の心を理解している。コミュニケーションとは言葉によって行われるものではないということを知ったのは明子と出会ってからのことだ。いや、「コミュニケーション」という言葉自体、なんて実体のない空疎なものだろうとさえ思う。

鎌倉物語 18

「やっぱり鎌倉と京都はつながってたんだね」
 明子は妙香池の説明板から目を離し、息をひとつ吐き出した。
「それって、驚くことなの?」と何も知らない僕は素朴な疑問をそのままぶつけた。
「だって、京都には天皇がいて鎌倉には幕府がある。両者は当然仲がいいはずはないわよね。実際朝廷と幕府の間では何度も争乱が起こってるし」
「そういえば、ある天皇がどこかの島に流されたっていう話を聞いたことがあるな。今じゃ考えられないことだけどね」 
「争い事になるとやっぱり武器の使い方に長ける幕府軍の方が強いのよ。それでも、当時の文化人の多くは京都に残った。藤原定家も鴨長明も、それから兼好法師も。でも僧侶たちは、京都と鎌倉を頻繁に行き来してたのね、きっと」と明子は言い、あたかも絵巻物でも眺めるかのように、改めて池の隅々まで視線を行き渡らせた。
「それにしても君は歴史に詳しいな」と僕はまた思ったことをそのまま述べた。「大学で相当熱心に研究したんだろうね」
 僕がそう言うと明子は苦笑いのようなしわを口元に浮かべて言った。
「そうじゃないわ。大学生だったのはもう20年以上も前のことだし、だいいち歴史と文学というのは似ているようで全然違うのよ」僕は竹で組まれた池の柵を手にしたまま彼女を見た。明子の瞳には再びうつろな色がにじんできていた。
「私が歴史に興味を持つようになったのは、禅の世界に惹かれたのがきっかけよ。タカシ君にも言ったことがあるかもしれないけど、私本気で出家を考えたことがあるから」

鎌倉物語 17

 それから僕たちは円覚寺の伽藍を奥に進んだ。境内には様々な建物が散在していて、一見何かのテーマパークのようにも映った。茅葺き屋根の古びた建物も多く、明子が言ったとおり時代を感じさせる味わいのある風景が重なり合っている。
 仏殿からしばらく歩くと、左手に妙香池という深緑をたたえた池が現れた。池の中にはバームク-ヘンの断面のように層の模様が入った岩肌がむき出しになっている。岩の近くには「虎頭岩」という看板が掛けてある。
「ただの池じゃないな」と僕が立ち止まって言うと、「枯山水の庭園を意識してこしらえてあるんじゃないかしら」と明子は言った。「ちょうど岩の近くで水が湧いていたから、それをうまく利用して庭を造った。禅の世界では庭は宇宙を表現するための1つの方法だから」
 そう言って明子は池の畔に立っている説明板を読み始めた。それから「へぇ、この池は夢窓疎石が作ったんだ」といつもよりも高めの声を上げた。その人物は誰だと僕が聞くと彼女は説明板に目をやったまま答え始めた。
「鎌倉時代の高名な禅僧よ。南禅寺とか、京都でも相当レベルの高いお寺の住職を務めた人よ。庭師としても超一流で、たしか苔寺で有名な西芳寺の庭園にも関わってるはずよ」
明子はやや興奮気味にそう言って、それから再び池を眺めた。元々緑色の水は、周りの木立を水面に映し、よりいっそう深い緑に見える。

鎌倉物語 16

「人間は弱い存在。たしかに、あなたの言う通りね」と明子は漏らした。「だから死ぬまで修行しなければいけないのよ」
 ペナレスの街角の風景を思い起こしていた僕は再び彼女の横顔に目をやることになった。明子はうつろな瞳で釈迦如来像と自分との間の空気を見つめている。
「俺の言葉には別に深い意味なんてないんだからそんなところで引っかからなくていいよと」言おうとしたが、それは思いとどめることにした。彼女は再び自らの思索の中に沈み込んでしまっていた。 
「行きましょ」と明子が言ったのはそれからしばらくしてのことだった。彼女は仏殿を離れ次の順路に向けて進み始めた。相変わらず空は澄んでいて、寺独特とも言える空気感がそこはかとなく漂っている。参拝する人の数もさっきより多くなっているように感じる。
「それにしてもいい天気」と彼女は言い濃紫の眼鏡をかけ直した。予期していたよりも早く思索の世界から抜け出たものだと、隣を歩きながらそう思った。
「仏殿は見るからに最近再建されましたって感じだけど、お寺の奥には鎌倉時代から残っているものもあるのよ。円覚寺の魅力って、伽藍にあると私は思ってる」と彼女は言った。
 今日の明子は僕の知っている彼女とは違う。表情は驚くほどにおだやかで、何より饒舌だ。おそらくこれが本来の姿なのだ。彼女は人生を重ねるごとに、それに押しつぶされ、いつの間にか言葉を発しなくなったのだ。
 円覚寺の魅力は伽藍にあるという彼女の見解は的を射ているように思える。ここを歩いていると深いところで充実感を覚える。すれ違う参拝者の表情もおしなべておだやかだ。寺に来てこんな心持ちになったのは初めてだ。こうして明子と歩いていると、門で仕切られた寺の内と外が、はたしてどちらが本物の世界なのか分からなくなってきた。

鎌倉物語 15

「怖い顔してるよね」と隣で明子がつぶやいた。釈迦如来像に睨まれていた僕は、ふと我に返ったように感じた。
「修業の場だからこんな顔をしてるのかな?」と僕が言うと、明子は「よく分からないわね」と返してきた。僕にしてみれば意外な返答だった。 
「だって、たとえばキリスト教の教会に掲げられているキリストもマリアも、どこか慈悲深く神聖な感じがするでしょ。礼拝の時には神の前で懺悔するじゃない。言ってみればあれも1つの修行よね。いくら禅の世界だからといって、なにもこんな顔で睨みつける必要はないと私は思うけど」
 明子は釈迦如来像に向けて語りかけているかのようだった。
「般若心経の中心教義は『空』であり『無』であるわけだから、むしろこんな怒ったような顔はふさわしくないような気がする。極端な話、何もない空っぽの部屋でひたすら座禅を組む方が禅の修行らしいと私は思うけど」と明子は言って、どこかうつろなまなざしを仏像に向けた。
「でも俺なんかは人間的に弱いから、空っぽの部屋に放り込まれたら手を抜きそうだな」と僕は率直なところを述べた。「やっぱり、目の前に怖い存在があった方が、きちんと修行できそうだ」
 僕がそう言うと明子はこっちに顔を向けた。「そう考えると、この円覚寺って、じつはとても人間くさいところがあるのよね」と彼女はさらりと言った。
 そういえば今の仕事に就いてまもなくの頃、友達と2人でインドへ行き、ペナレスの寺院を廻ったことがあったが、この釈迦如来像から出ている猛烈な感じの空気はあの時に見たヒンドゥーの神々に近いような気がした。

鎌倉物語 14

 境内に入るとほっと一安心できた。あふれんばかりの日差しが降り注いでいたからだ。僕たちは受付を済ませた後で順路に従って進み始めた。
 周囲を取り囲む木立からは小鳥のさえずりが響き渡り、空気中には線香がほのかに香っている。明子は何も言いはしなかったが、全身から解放感があふれ出ているのは一目瞭然だった。彼女の日々の暮らしは、精神面においても肉体面においても、様々な枷によって制限を受けている。一番近くで彼女を見ているであろう僕には、時にその枷は彼女自身が自らに課しているようにも映る。彼女は過去を忘れるべきなのだ。もし忘れ去ることができないのなら、せめてそこに目を向けないようにして、彼女に残された人生の方にスポットライトを当ててほしいといつも願っている。しかし彼女は僕の願いとは常に逆の方向に進んでいる。その姿に触れるたびにどうしようもなくやるせない気分に陥る。さっき電車の中で明子が言っていた「たまらなさ」というものを実は僕も抱えている。
 伏し目がちに彼女の背中について行っていると、明子は境内の中でもひときわ大きな建物の前に足を止めた。「本堂だね」と僕が言うと彼女は軽く頷いた後で、「禅では仏殿って言うんだけどね」と付け足しのように言った。「禅寺というのは修行の場でもあるわけだから、真宗のお寺とは違ってそれぞれ建物の役割が細かく分けられてるのよ」
 僕は彼女の話に耳を傾けながら、堂内に安置されている仏像と対峙した。そこには炎のような形の冠を被った釈迦如来像が立っている。僕が見てきた仏像の中でもずいぶんと人間らしい表情をしていて、まるで睨みつけているかのような形相でこっちを向いている。思わず背筋がぴんと伸びた。

鎌倉物語 13

 総門を抜けると、その先にはさらに石段が続いていた。両脇には巨大な杉の木立が佇立していて、辺りはいっそう暗くなり空気も冷んやりとしている。石段の頂上には楼閣がそびえ立ち、僕たちを見下ろしている。1歩ずつ近寄るにつれ、それは2階建てのしかもずいぶんと大がかりな建物だということが明らかになってくる。その荘厳さに気を取られるあまり、足腰の疲労感をどこかに忘れてしまうほどだった。
 登り切った場所にあったのは、俗世離れしていると言っていいほどに美しい木造の門だった。陽光を映した屋根の先端は流麗に反り上がっていて、窓などの細部はいかにも禅寺らしい質実剛健な意匠が施されている。慎重な作り込みを突き詰めたからこそ醸し出される精緻な響きが門全体に冴え渡っている。
「円覚寺山門。このお寺の顔とも言える建物ね」と明子が隣で言った。
「こんな林の中に突然現れるんだね」と僕は言い、改めて建物全体に目を行き渡らせた。
「このお寺に限らず、禅宗のお寺はすべてこの山門に大きな意味をもたせてあるのよ」
「というと?」
「禅の世界ってね、例えば浄土真宗みたいに念仏を唱えれば誰でも極楽浄土に行けるというような懐の深さを持ち得てないの。つまり、確固たる覚悟をもって寺に入らなければならない。覚悟のないものは寄せ付けないの。だからお寺に入る前に、入門者自身に自らの心を確認させる必要があるのよ」
「なるほど。それで門に威厳をもたせるんだね」と僕は言いつつ再び門を見上げた。大した覚悟などない僕がここをくぐってもいいのだろうかと思った。すると明子は僕を尻目にかけるかのようにすたすたと門をくぐって境内に入っていった。慌ててついていこうとしたら門の敷居につまずいてしまった。

鎌倉物語 12

「やっぱり円覚寺からお参りするべきかな」
 明子はぴたりと足を止めてそう言った。僕がそっと後ろを歩いていることをその背中で感じ取っていたようだった。
「君に任せるよ。なにしろ僕は初めての鎌倉なんだから」と言いながら僕は彼女に追いついた。1週間前に書店で鎌倉のガイドブックを買い、だいたいの抑え所くらいは研究してきたつもりだが、やはり紙面で見るのと実際に足を踏み入れるのとでは大きな差がある。特にこの鎌倉の場合は事前の予想とは大きく食い違っている。観光客でにぎわい、多くの店が並んでいる、例えるなら京都の東山やあるいは箱根のような街を思い浮かべていた。
「出たこと勝負の旅になるよ」と明子は言った。
「そういう旅の方が、いい想い出になるもんだよ」と僕は言った。するとその「想い出」という言葉が耳に残った。30歳を目前にしてから、時間の経過が早く感じられるようになってきた。すべては過ぎ去ってゆくのだということが身にしみて実感されるようになった。この旅もやがては想い出になる。未来から今を眺めるというやり方が身についてしまった僕にとって、今の瞬間がことのほか哀しく感じられる。明子という愛する女性と同じ時間を共有しているというのに。
 そんなことを考えながら明子についていくうちに、円覚寺の石門の前に立っていた。もうすぐ色づきはじめるであろう紅葉の大木の影が石段に落ちている。その先には屋根のある門が見える。僕たちは黙って石段を上がった。何かが沈黙のうちに語りかけてくるような錯覚を感じた。 

鎌倉物語 11

「とりあえず、荷物置こうか」と明子は言った。それで僕たちはまず改札を抜け、コインロッカーに荷物を預けた。年季の入ったロッカーだった。彼女のボストンバッグも僕のリュックサックも大きくはなかったので、荷物を入れた後にも空間的余裕が残った。
「だいぶ歩くことになるけど、大丈夫?」と彼女は言った。僕はロッカーの鍵を閉めながら、もちろん大丈夫だと返した。そのつもりで軽装できたわけだしスニーカーを履いてきたのだ。
 駅の外に出ると初秋のやわらかな日差しが僕たちを包み込んだ。明子は深くかぶっていた帽子のつばを少しだけ上げて、乾いた空に向けて気持ちよさそうな視線を送った。その横で僕は北鎌倉駅の駅舎を外から見上げた。木造に白のペンキ塗り、それに瓦葺きの屋根。僕が幼い頃に住んでいた借家を彷彿とさせる佇まいだ。鎌倉といえば日本を代表する観光地のはずなのに、どう考えてもその名に不相応な駅舎だ。しかし同時に安心感のようなものを感じるのも事実だ。この駅はこれでいいような気もする。ここを訪れる数多くの人々も概ね僕と同じ感想を抱いているのだろう。だから他の駅舎のように安易に改築されないのだ。崩れ落ちる寸前までこの姿でいてほしいと密かに願った。
 僕がそんなことを考えていると、明子は1人で歩き始めていた。彼女は彼女で僕とは違う思索の中に沈み込んでいるのだ。それが彼女の愛した夫のことだということは、僕にはよく分かっていた。過去形ではない。彼女は今もなお、夫のことを愛し続けている。
 僕は彼女を驚かせないように、そっと後を追いかけた。 

鎌倉物語 10

 鎌倉といえば大仏、それから海。湘南海岸の風景。そんなイメージを抱いていた僕にとってはこの鬱蒼とした緑は予想外の風景だった。僕の部屋で明子が「鎌倉は北と南で全然違う」と言っていたことを今になって思い出す。あとどれくらいで着くのだろうと思って外の景色を見ていると不意に列車は停まった。辺りは森と、それから古い建物がちらほらあるだけの場所だ。こんなところに駅があるのかと不安さえ感じていると、明子はボストンバッグを手に取ってやおら立ち上がった。
 北鎌倉駅のホームに降り立つと、まずひんやりとした空気にさらされた。緑の匂いがほのかに立ちこめている。わずかばかりのベンチと、大学や旅館などの看板が掛けてあるだけのこぢんまりとした駅だ。観光客も思っていた以上に少ない。僕たちの他には年配の男女が5、6人といったところだ。格好からして旅仲間だろう。ケーブルテレビのローカル線の旅番組を見て明子がここへ来たいといった理由が分かるような気がした。
 ホームを降りたところには踏切があり、それを渡ってから改札に抜けるようになっている。踏切に足を踏み入れた時、僕の目に石門が飛び込んできた。それは左右1対の石門で、左側には「北条時宗公御廟所」とあり右側には「臨済宗大本山円覚寺」と記してある。門の奥は石段が続いているようだが、周りの木々が深いためにその先は影によって遮られている。
「円覚寺ってこんな駅のそばにあるんだね」と僕が言うと、明子は「じつに深みのあるお寺よ。夏目漱石もここに籠もって人生について思索したのよ」と言い、感慨深げに森を見上げた。彼女がそう言ったからか、たしかに凛とした風格のある森のように見えた。

鎌倉物語 9

「私にとって『蜜柑』っていう小説は、一種のたまらなさを吹き込んでくれるの。何とかしたいけど、どうすることもできない感覚。でも投げ出したくはない。だからたまらなくなる」と明子は言い、座り心地の良くないシートにもたれた。そして空気中の窒素分子でも探すかのような目で列車内の虚空を見つめた。
「そしてそのたまらなさは君の人生においても、常に君のそばにいる」と僕は言った。
 すると明子は僕の方にかすかに首を傾けて、力無く鼻で笑い、いささかまぶしそうな視線を窓の外に投げた。横浜では薄曇りだった空は、今では青色の部分の面積が確実に大きくなっている。初秋の乾いた空だ。
 保土ヶ谷を過ぎてからは住宅地が続き、のどかな景色が広がりはじめた。都会から離れれば離れるほど明子の表情からは硬さが消えていった。東戸塚駅で何人か降りて行った後は僕たちの車両にいる乗客もわずかになった。明子は僕の肩にもたれてきた。彼女は軽く目を閉じて何かを考え込んでいるようだった。すると窓の外には盛り上がった緑の中に大きな白い仏像が現れた。僕がそっちに気をとられていると隣で明子がつぶやいた。「大船観音よ」
 明子はきちんとシートに座り直し、その慈悲深い仏像をぼんやり眺めながら言った。「大船に着いたのね。ということは、次はいよいよ北鎌倉だわ」
 大船駅を過ぎた途端、辺りの雰囲気は急変した。緑が深くなってきたのだ。森がすぐ近くに迫っていて空が見えなくなっている。すると、次は北鎌倉というアナウンスが流れた。景色に合わせているかのような低くて渋い声だった。

鎌倉物語 8

「『蜜柑』っていう小説読んだことある?」と明子は唐突に問いかけてきた。読んだことはないがそれは誰が書いたのかと聞き返すと、「芥川龍之介よ」と彼女は答えた。明子は女子大に在籍していた頃は国文学の研究室に入っていたらしく、現代文学だけではなく古典なども読み込んでいる。僕の部屋に来た時でさえソファに座って読書をする時があるほどだ。
「大正時代のお話なんだけどね」明子は子供に絵本でも読み聞かせるような口調で話し始めた。「薄汚い娘が芥川の隣に座るの。その子は三等室の列車に乗るべきなのに間違えて二等に乗ってるの。でね、トンネルの前で重たい窓を必死に開けようとするのよ。芥川はすべてが我慢ならなくてね。結局トンネルに入る寸前に窓は開くんだけど、黒煙が立ちこめてきて、芥川は怒り出す寸前だったのよ。そしたらね、トンネルを抜けた瞬間、娘は窓の外に身を乗り出すの。何をしたと思う?」
 全く予想がつかないと僕が言うと明子は口元をほころばせて話を続けた。「見送りに出ていた弟たちに蜜柑を投げるの。つまりその娘は家族のために身売りに出されるところだったのよ。娘は弟たちに最後の愛情を注ごうと蜜柑を投げたのよ。その光景を目撃した芥川は切ない気分になるの。そして、それと同時に憂鬱が少しだけ晴れるっていうお話」
「なんだか、僕の知ってる芥川とは印象の違う話だな」
「そうね、彼は古典をモチーフにして、それを再構成する小説が得意だったからね。『羅生門』も『鼻』もそのたぐいよね」と明子は言った。さっきまでとは別の魂が宿ったかのように、饒舌だった。そんな彼女を見ると何だかほっとすることができた。明子と一緒にいると格別の居心地の良さを感じる瞬間がある。人は天国に憧れるという。明子から放出される心地よさは僕にとってはまさに天国に近いものがあった。
「『蜜柑』の舞台になった列車は、この横須賀線なのよ」と明子は言った。


鎌倉物語 7

 新横浜駅のホームは予想どおり多くの人でごった返していた。そこは駅のホーム独特の宿命的とも言える陰湿さに包まれていた。僕たちは人の流れにかろうじてついてゆくかのように、階段を下りていった。明子はベージュのキャンパス地の帽子を深めにかぶり、普段はめったにかけない眼鏡をしていた。彼女は足を踏み外さないように慎重に歩いている。
 僕たちはそのまま市営地下鉄に乗り横浜駅に向かった。地下鉄の中で明子はつり革を握りしめたままうつむいて目を閉じている。濃い紫の眼鏡のフレームは車内の蛍光灯に照らされている。そこだけ独立した生命を有しているようだ。僕もつり革に手をやって、そんな彼女の姿を見るともなしに見ていた。
 横浜駅に着き、列車を降りるとすぐさま明子は横須賀線のホームに向かって歩き始めた。横浜に住んでいたことがあるというだけあって、彼女の動きには無駄というものがなかった。
 するとホームへ続く階段を下りているところにちょうど横須賀線が滑り込んできた。明子はへんに焦るという様子もなく彼女のペースでホームに向かった。僕たちが列車の中に入った直後に背後で扉が閉まった。
 月曜の昼前ということで車内には十分な空席が残されている。
 列車が動きだし速度が安定してきた時になって、明子はようやく口を開いた。
「久しぶりだなぁ」
 僕はさっき新幹線の中で買っておいたミネラルウォーターを飲んだ。明子もそれを少しだけ口に含んだ。横浜を出てまもなくすると辺りには緑もちらほらと見られるようになってきた。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
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