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京都物語 414

 さっき入れたばかりのコーヒーはもうぬるくなっている。職場は暖房が効いているとはいえ、やはり公務員の世界だ。昨今の経費削減によって効き目は最小限にとどめられている。明日からはダウンジャケットでも羽織ってこようかと思うくらいに冷たい。
 ふと六条ホテルのぬくもりが恋しくなる。今頃千明氏は自宅でぼんやりと物思いにでも耽っているだろうか? いや、あの人のことだ。日常の些細な行為の中にも何か仕事を見いだして、てきぱきと動き回っているはずだ。それよりも、ホテルがどうなってしまったかということの方が気がかりだ。そろそろ大規模な改装工事が始まるのだろう。
 僕はコーヒーを唇の間に滑らせた。上質な豆の香りはかろうじて残っている。ふっと息を吐き出して、次の文章を目でなぞる。それはレイナがお好み焼きを食べた後に書かれている。「いまおもうこと」という、いかにもブログ的なタイトルが付されている。
「あと少しで春がやってくるというのに、何なの、この寒さ? でも、寒さごときに負けるわけにはいかない。世の中には私なんかよりずっと寒いところで頑張っている人もいる。寒さの中での再出発。むしろ私らしい。
 経済的なことを考えると実家に帰るのがベストだと思う。でも、パパもママもいないし、実家には弟夫妻が住んでる。あの人たち、子供ができないから、そこに私が飛び入り参加っていうのもかえって気が引けるのよね。
 なので今日もホテル暮らし。ホテルっていうか、民宿かな、こりゃ? 大きな家に無理矢理何人かが泊まってる。ほとんどが外国人だけどね。お風呂だって共同。前の人の残り湯が張ってあったので、お湯を抜いたら宿のおばちゃんにキレられた。でもわがままは言えない。1泊2千円なんだから!!
 大丈夫。志賀直哉も太宰治も、かのドストエフスキー様だって、こうやって蟄居したのよ! これで私も文豪たちの仲間入りね(┯_┯)」
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京都物語 413

 僕はその人物が、坂井という編集者だと直感した。「きわめて有能な編集者」とレイナが言うあたり、間違いなかろう。坂井といえば、真琴氏の情報を水面下で集めてくれた人だ。今思えば、あの下調べがあったからこそ、僕たちは真琴氏と正面から話をすることができたのだ。そう考えると、面識のない人物にさえ不思議な縁を感じる。
 レイナは文章の後に、夜の路地の写真を載せている。居酒屋や焼き肉屋、それからお好み焼き屋の古い看板が軒を連ねる。その汚れたネオンライトが、路地を歩くサラリーマンたちの肩を同情的に照らしている。レイナらしい、どこかノスタルジア漂う写真だ。
「話が終わった後で外に出たら、すっかり暗くなってた。その人はとにかく忙しくて、会社に帰らなければならなかったの。それで私は大阪駅から環状線に乗って鶴橋に行った。無性にお好み焼きが食べたくなったの。
 長いことお世話になっていたブログのスポンサーも皆離れて、完全に無職になった私だけど、小説を書くことによって、もしかしたらもう一度生活をやり直すことができるかもしれない。とてつもなく長い道のりかもしれないけど、やってみる価値はある。電車に揺られながらそう思った。
 それに私の第6感も動いた。浅茅しのぶ(昔の作家だから知らない人も多いかもね)という作家がご主人からの勧めで小説を書き始めたというエピソードを思い出した。評価って、時に他人からの方が的を射ていることがある。よく見えているようで、あんまりつかめてないのが自分だったりする。きわめて有能な編集者の方に勧められたのであれば、それは光栄に思ってもいいんじゃないかな。
 とにかく今日は、私の新たな出発の日。私だって、前に進まないと何も始まらない。独りぼっちの乾杯! お好み焼きもちょうど焼き上がったみたい!!
 あ、でも、このブログは、これからもちゃんと書き続けていきますから(^-^)/」

京都物語 412

 何のことだかまるで見当がつかない。とりあえずコーヒーが飲みたくなったので、給湯室へ行き、昨夜コンビニで買っておいた上等な豆をドリップした。それから再びデスクに戻り、コーヒーを飲みながらパソコンの画面に目を落とした。
「昨日、突然警察の人から連絡があって、京都に戻らされたの。それで、一方的に取り調べみたいなことをされた。(そういえばタイで事故った時にも向こうの警察に同じようなことされたな。でもあの時は恋人を亡くしたつらさで、何も覚えてない。心が真空みたいになってた。そんな哀しい記憶を思い出しちゃった(*ノД`*))
 それで、自分の身に起きたことを警察の人に正直に話したら、「あなたはヤマシタさんと口裏を合わされましたな」って、人聞きの悪いことを吐き捨てられて、ほんとムカッ腹が立って警察署を出た時に、携帯電話が鳴った。
 それは古くからお世話になっている方からで、私の無事を新聞で知って、心配して連絡してくださったの。びっくりしたけど、とにかく私はその人に会うためにすぐに大阪に行ったわけ。
 私たちは昔からある梅田の喫茶店に入った。ずいぶん前にも、その人と一緒に来たことがあったけど、お店の雰囲気は変わってなかった。そこでその人は、私に小説を書いてみないかと勧めてくださった。その人はきわめて有能な編集者なの。
 これまで雑誌にエッセイを載せてきたけど、さすがに小説となると自信がないって弱音を吐いたら、君が経験した不思議な時間をきちんと説明するためには、小説という手段しかないんじゃないかって言ってくださった。その言葉、胸に刺さりました(*^v^*)」

京都物語 411

 今回の失踪が大なり小なり世間を騒がせたということで、アパートの部屋は以前のままの状態で保持してあった。どうやら僕は事件の被害者として手厚く守られていたようだ。とはいうものの、電気や水道やガスなどのライフラインはさすがに中断されていて、まともな生活を取り戻すためにはいろいろと調整が必要だった。
 レイナのブログの続きが気になりはしたが、残念ながらインターネット回線も届いていない。プロバイダとの契約は自動的に打ち切られたらしく、手続きにはもう数日要するという説明だった。したかなく、職場のパソコンで閲覧するしかなかった。
 ありがたいことに僕は失職さえ免れていた。休職扱いになっていたのだ。だが、仕事に復帰したその日こそ同僚たちはあれこれと気配りをしてくれたが、翌日には、前と同じ凡庸な日々を辿るだけの生活に戻った。僕の方も、仕事や人間関係に慣れるのに何ら苦労はしなかった。それもそのはずだ。僕にとっては、京都に行って帰る時間ほどの空白しかないのだ。しいて言えば、地元の新聞社や警察からちょくちょく話を聞かれることがあって、仕事の邪魔をされることがこれまでとの違いだった。
 昼の休憩時間、デスクの上でコンビニの弁当を食べた後、レイナのブログを開いてみた。すると「ミラクル」というショッキング・ピンクの太字が画面上に踊りだした。僕が京都を出て山口に戻ってきた日の夜に書かれている。
「『捨てる神あれば拾う神あり』って言うけど、こんなボロボロの私にも声をかけてくださった方がいる。感謝なんていう言葉では言い表せない。ありがたくって、私は生まれて初めて神様を信じた。ひょっとして神上寺に行ったのがよかったのかな・・・」

京都物語 410

 ふと顔を上げると、新幹線はちょうど広島駅を出たところだった。次の停車駅は新山口ですという車内アナウンスに目を覚ましたようだ。見渡すと、指定席にはまだまだ乗客の姿がある。だが、通路越しの席に座っていた井伏鱒二に似た男性の姿はもう見えない。
 浅い眠りのはずだったのに、知らぬ間に1時間以上も経っている。首筋にはぐっしょりと汗をかいている。不滅の法灯が見えた直後に、深い眠りに落ちてしまったのだ。
 それにしても不思議な夢だった。目を開けてもなお夢から覚めた心地がしない。前の夜に飲んだウイスキーの香りが口の中にはっきりと残っているような感覚に近い。
 最澄が語りかけてきた時のおののきが依然として僕の中にある。畏れ多く、それでいてぬくもりにも満ちている。全ては時間の中に包括される。明子もその中に1つになっている。彼女は『藤壺物語』によって、平安時代に連れて行かれたのではないかという馬鹿げた話が、どういうわけか胸を圧迫する。
 しかしその圧迫感はしだいに意味合いを変えていく。それはあきらめに近かった。もうこの腕に明子を抱きしめることはないだろう、僕はそう実感した。だがそうやってあきらめた途端、次なる扉が見えてきたような気がした。
『月と京都タワー』の主人公は、『源氏物語』に登場する心憂き女性たちの人生に自らを投影した。その主人公の心に今なら共感できる。千年前に生きた人とつながることができるということは、ある種の安らぎを与えてくれる。やがて自分にも訪れる死への恐怖すら緩和してくれるようなそんな安らぎだ。
 明子をこの腕に抱くことはあるまい。だが、これから先、不滅の法灯の光の中で、明子と1つになることはできる。そんな予感がした。 

京都物語 409

 僕は浅い夢を見た。いかにも不可思議な夢だ。もう1人の僕が、眠っている僕を冷静に見下ろしているかのような奇妙な感覚。僕は今、指定席に腰掛けて、少しまどろんでいる。窓の外にはのっぺりとした田園地帯が続いている。その風景を横にして僕はうとうとしている。そうして夢を見ている・・・
 すると、声が聞こえる。比叡山に上っている最中にも同じように声が聞こえたのを思い出す。あれはいつのことだっただろう? 時間の感覚があやふやになる。しかたない。これは夢なのだ。
 だが、声の主だけはっきりと分かる。最澄だ。最澄といえば、弟子の円仁の夢に現れて、唐に渡るように指南したと伝えられる。円仁は師のお告げを聞いて、遣唐使船に乗り込み、荒波にもまれながらも東シナ海を西へと進み、やがては宿願を達成する。
 ところが今最澄が話しかけているのは円仁ではなく、僕だ。
 あまりの畏れ多さに、身動きすらとれない。まして僕に何を伝えようとしているのか、聞き取られるはずもない。にもかかわらず、伝説の高僧はしだいに迫ってくる。瀬戸内の日差しだと思っていた光も、いつの間にか最澄から発せられる光背にすり変わっている。
 夢の中で僕は、異様な眩しさを感じた。あまりに眩しすぎて、金縛りみたいになった。まもなくして、その光はだんだんとやわらかくなってきた。気がつくと、僕は延暦寺根本中堂の堂内をさまよっていた。内陣には不滅の法灯が照らされている。それは全てのものを照らす灯だ。過去も未来も、苦しみも楽しみも、すべては炎の中に1つになっている。その明かりに、しだいに心地よくなってゆく。
 なるほど、と僕は思った。千年という時間はすぐそばにあるのだな。最澄が伝えたいのは、そういうことなのかもしれない。

京都物語 408

 真琴氏の作品に共通するのは自らの実体験を基に描かれているということだ。さらに、それらは、実体験の少し前に発表されている。つまり、言葉が人生を予言する格好になっている。
 文字通り、真琴氏は言霊の世界に生きた。なかんずく、集大成である『藤壺物語』は、まさにこの作家の人生そのものだと言える。
 藤壺は義理の息子である光源氏との禁断の恋によって子供を産む。そのことが藤壺に罪悪感と恐怖心を与え、彼女は最終的には出家の道を選ぶ。この関係は、とりもなおさず真琴氏と貴博氏の秘密の恋に一致する。
『藤壺物語』は、原作である『源氏物語』に独自の心理描写を与え、あたかも今、禁忌の恋に落ちているかのような緊迫感を描き出した。
 とはいえ、1つだけ真琴氏の人生と異なるところがある。真琴氏は出家していないということだ。ここで僕は思う。真琴氏は自分の人生を明子に仮託した。すなわち自分の代わりに明子を出家させた。
 ただ、それは真琴氏が意図的に仕組んだことでもないような気もする。いくら真琴氏とはいえ、そこまで全能な存在でもなかろう。すなわち作者の力ではなく、この人が作り上げた言葉の力が、明子を物語の中に巻き込んでしまったのではないか。
 突然ipodの音楽が停止した。どうやら充電が切れてしまったようだ。それも仕方あるまい。1年間も起動しなかったのだ。僕はイヤホンを外し、再びシートに深くもたれかけた。通路を挟んだ隣の席では、井伏鱒二に似た初老の男性が口を開けて眠っている。そこに瀬戸内の日差しがふんだんに降り注いでいる。
 明子は本当に『藤壺物語』の中に連れ込まれてしまったのだろうか? 
 不毛とも言える想像を巡らすうちに、僕にも眠りが襲ってきた。

京都物語 407

 そういえば、レイナは神上寺を歩きながら、「言霊」という言葉に改めて思いを馳せていた。きっと、彼女の胸にも強く響いたのだろう。
 言葉には本来霊的な力が宿る。言葉にしたことは、時に現実の世界にさえ起こりうる。そして明子も、真琴氏が作り上げた言霊の世界に何らかの形で連れ込まれてしまった。それが僕とレイナの見方だ。
 真琴氏が浅茅しのぶとして活躍した期間は、思った以上に短い。従って、その作品も限られている。レイナの大学の図書館で借りた『短編集』と『チャイコフスキーの恋人』、それから『藤壺物語』だ。
 まず『短編集』には、処女作品である『月と京都タワー』が含まれる。この小説は、真琴氏の夫の前妻が著した『比叡に消ゆ』に対抗して書かれた作品だ。恋に破れた主人公が『源氏物語』の中の登場人物に深く共感し、どんなに哀しくとも自らの人生を全しようとする心境に至った過程が丹念に綴ってある。
 続く『チャイコフスキーの恋人』には、貴博氏への愛の憧れが描かれている。若き日のチャイコフスキーに病的なまでの恋をした女性が、最後にはその幻影と結ばれるという、どこか現実離れした展開に、作者の実体験が色濃く投影される。
 こうやって見てみると、『藤壺物語』は作家としては短命に終わった浅茅しのぶの集大成とも言える作品だ。貴博氏との禁断の愛の成就が描かれていて、光源氏と藤壺の秘密の恋を2人に重ね合わせる。『源氏物語』の周密な現代語訳のような印象も受けるが、至る所に、原作から一歩踏み込んだ、生々しい心理描写が刻まれる。
 僕はふと、これらの作品には共通点があることに気づく。
 新幹線は西明石を通過した。

京都物語 406

『ドリーマー』は明るくて、どこか牧歌的な曲だ。太陽の日差しが大地に染みこむ時の香りさえ想像される。それを、小野リサが歌うことによって、かすかな哀感を帯びる。
 京都を出た途端に青空が濃くなってきた。曇った僕の心と反比例するかのようだ。新幹線の速度が上がるにつれて、なんだか、現実の世界に引き戻されているような気がする。さっきの警察官の言葉にこだわっているわけでもないが、たしかに「催眠術」から徐々に解き放たれているような錯覚を感じる。
 西へ進めば進むほど、日差しがきらめいてくる。京都にいた間ほとんど忘れかけていた潤沢な明るさだ。真琴氏の家の窓の外に降り続いていた雪が、まるで異国での出来事のように遠く感じられる。
 まもなく新神戸に到着した。六甲山の合間に作られた、薄暗い駅。ダーク調のコートを身にまとった人々の往来を見ていると、どうしても明子のことが思い出される。彼女はいったいどこへ消えてしまったのだろう?
 頭の中には、横川での記憶が立ち上がる。中原氏の話によれば、千日回峰行に出たのが明子の最後の姿だった。彼女は修行の途中でどこかへ消えてしまったのだ。中原氏は、そこに真琴氏が絡んでいると予測した。僕もそう思っている。だが、氏は不可解なことも話していた。明子は平安時代に生きていた。
 それこそ馬鹿げた話だ!
 とはいえ、あっさり反故にもできない。なぜなら、レイナもブログの中で同じようなことを言っていたからだ。
「・・・もしかして、明子さんは、藤壺?」
 ありえない! シートから体を起こして、僕は頭を掻きむしった。

京都物語 405

 それが、警察との最後のやりとりだった。
 僕は誰かに催眠術をかけられていた――。電話をリュックにしまった後、警察官の言葉が頭の中に響き渡った。彼にしてみれば、何の意味も感情もこもっていない発言だったのだろうが、そうやって切り捨ててしまうには、妙に心に引っかかる言葉だった。
 僕は目をつむり、できるだけ何も考えないようにして新幹線のシートにもたれた。だが、かえっていろいろな声がよけいにざわめきだした。
 明子が用意してくれたお金が十分に残っていたので、僕は指定席を取っておいた。めったに乗らない席だからか、車内はいくぶんかゆったりしているように感じられた。にもかかわらず心は落ち着かないので、リュックからipodを取り出し、音楽を再生した。すると、小野リサが歌う『ドリーマー』が流れた。よくよく考えれば、このipodも1年の間、六条ホテルの部屋で、僕が操作するのをじっと待っていたことになる。そんなことを考えながら、この小さな端末機を手に取りつつ、音量を上げた。
 そういえば行きの新幹線の中でもこの曲を聞いたのを思い出す。あの時隣にはレイナがいて、彼女はウイスキーを飲んでいた。赤いスーツケースが僕の膝に何度も当たるのに、彼女は平気な顔をしてノートパソコンを開き、ブログの編集をしていた。
 その情景を思い起こすと、いったい何をしに京都に来たのだろうと改めて不思議な気持ちになる。結局明子を捜し出すことはできなかったのだ。結果だけをとらえれば、催眠術にかけられていたという指摘はまんざら嘘ではないような気もする。
 とはいえ、京都に来て何か大切なものを得たという実感はある。それを具体的に説明するのは難しい。ただ、僕は、ここに来るべくして来たということだけは確かな気がする。
 小野リサの歌声は、そんな僕の心を慰めるかのように、静かにささやきかけてくる。

京都物語 404

 僕がそう言うと、警察はそれ以上追及してこなかった。僕もレイナも無事なのだ。危害を加えられた訳でもない。失踪事件としてマスコミを騒がせ、わずかな知人たちに心配をかけた、それだけのことだ。
 そもそも、捜査の進め方にも疑問を感じる。本気できちんと現場検証をしたいのなら、昨日のうちに僕にそう予告しておくべきだったのだ。
「ただ」と彼は続けた。「どうやら橘美琴とおっしゃる、娘さんは実在されてるようです」
「そりゃ実在してますよ。現に僕は彼女に会ったんですから」
 彼は鼻息を受話器に吹きかけて笑った。
「彼女は音楽家の橘貴博氏の妹だという線も確認できました。しかし、どうしても行方がつかめないんですわ。橘貴博氏に連絡を取ったんですが、あの方も今ニューヨークにいて、妹さんとはしばらく会ってないということでした。いったい、何がどうなってるのやら、わけが分かりませんわ」
「ひとつ聞いていいですか?」と僕は言った。
「どうぞ」
「つまり、橘真琴先生も、どこかに消えられたんですね?」
「その方が実在していればの話ですがね」
「6日前に僕は真琴先生の家にいました」
 彼は少しだけ時間をおいてから、こう答えた。
「家の荒れ方からすると、現実的にそれはありえません。あなたは夢を見てたんです。あるいは、あなたの言い分を最大限尊重するなら」と彼は言った。「あなたは、誰かに催眠術をかけられてたってことかもしれません」

京都物語 403

 僕には彼の言葉の意味がよく呑み込めなかった。今出かけているのではないですか、と生返事気味に言うと、彼はいかにも不機嫌そうに「いいや、そんなんじゃない」と応えた。
「大谷大学に行って調べても、橘真琴という教官がいたという事実は結局出てこんかったし、浅茅しのぶという作家が橘真琴とだという確証もないんですわ。当時の編集担当者はすでに亡くなってて、出版関係者たちにも話を聞いたけど、なにせその作家は素性を明らかにせん人だったから、不明な点ばかりなんですわ」
 謎めいた作家・・・僕は、紫式部のことを思った。
 それにしても、彼の声からは、この事件に関して、解決の意欲がわかないという思いがありありと伝わってくる。とはいえ、捜査の進捗状況にはもちろん興味がある。明子関する情報が含まれているかもしれないからだ。
「さっき、愛宕山麓に行ってみたんですがね、確かに古い家はあったものの、そこに人が生活していた気配がまったくないんです。ぶっちゃけ、廃墟なんですわ」
「信じられません」と僕は応えた。「本当に、橘先生の家に行かれたんですか?」
 僕の返答に、彼はいかにも大儀そうな声色で言い返してきた。
「だったら、今からヤマシタさんに同行をお願いしたいんです。きちんと現場検証をしときたいですわ」
 ちょうどその時、新幹線の到着を知らせるブザーがホームに鳴り響いた。
「昨日も言いましたが、僕は今回の件を早く忘れたいのです。僕が真実を語ろうとすればするほど、僕は孤独になります。真琴先生の家を目に焼き付けておきたいという思いはありますが、それ以上に、早く地元に帰りたい。職場や家族にも顔を見せたいのです」
 そう言った後にもブザーは鳴り続いていた。

京都物語 402

 京都駅の新幹線のホームに立った時、線路を吹き抜ける冷気で体中が凍えた。首をすくめて列車を待っているところに、近くにいた中年の女性がいきなり話しかけてきた。
「ご無事で何よりでしたねぇ」
 すると、今度はその女性に連れ立っていた眼鏡の女性も、同調してきた。
「何か、悪い事件にでも巻き込まれたんじゃないかって、みんな心配してたんですよ」
 その言い回しには、今回世間を賑わせた失踪の真相を自分たちにだけこっそりと教えてほしいという意図が見え隠れしていた。
 だが僕はうまく答えられない。昨日から警察の取り調べを受け、新聞社やテレビ局の取材にも応じてきたが、きちんと説明しようとすればするほど、彼らの瞳の色は褪せ、やがては失望に変わっていった。昨日の夕方には、警察署内のカビ臭い部屋に放り込まれ、「カウンセラー」と称する男性と2時間みっちりと話をさせられた。彼はいかにも同情的な目を向けながら、僕の生育歴とか学生時代のこととか、仕事上の質問を並べたが、僕の平凡な返答に、ただただ首をかしげるばかりだった。つまり僕は精神鑑定にかけられたのだ。
 もちろん、僕の話を信じてもらえるとは思っていない。
「愛宕山麓の橘真琴氏の家にいた1日の間に1年が経っていた」
 いかにも馬鹿げた話だ。だが、彼らの侮蔑的な対応を前にすると、真実を語ろうという意欲はますます下がり、議論は平行線を辿る一方だ。
 新山口行きの新幹線があと15分後に到着するというアナウンスがホームに流れたとき、突然、携帯電話が鳴った。見覚えのない番号が表示されている。出ると、京都府警の担当者がいきなり話し始めた。
「橘真琴という人物が、どうしても見つからんのですわ」

京都物語 401

 僕はすっかり気の抜けてしまったエビス・ビールを最後まで飲みきり、最新のパソコンの電源を切った。シャット・ダウンはあっけないくらいに俊敏に実行された。
 それからバスルームに移動して、僕のアパートの1.5倍はありそうなバスタブに湯を張った。給湯を待つ間、ベッドルームに一旦戻り、カーテンを閉めて服を脱いだ。全裸になった途端、まるで武具をすべて外したかのような解放感に包まれ、(もちろん、武具を装着したことなどないが・・・)なんだか、急に素直な気持ちになった気がした。
 倒れ込むかのようにベッドに横たわると、レイナのぬくもりが無性に恋しくなった。六条ホテルの夜、彼女の裸を心ゆくまで抱きしめた記憶が、おそろしいほど鮮明に蘇ってきた。僕はレイナの体の細部を正確に思い出すことができた。彼女の声も聞こえた。彼女をもう1度抱きたい衝動が喉元にまでこみ上げ、無意識のうちに僕も声を上げていた。
 手はペニスを掴んでいた。それが自分の手であることが信じられぬくらいに、5本の指は容赦なくそれでいて的確に動いた。やるせないほどの刺激に、僕は全身をくねらせた。
 射精はあっという間に近づいてきた。同時に、今まで僕に覆い被さっていたレイナの記憶がふらふらっと消え始めた。あれっと思う間に射精を迎えた。その瞬間、知らず知らずのうちに呼んでいたのは明子の名前だった。
 射精が過ぎ去った後、ベッドに横たわったまま放心した。ダウンライトの埋め込まれた天井を見るともなく見ていると、レイナが僕の元から離れた理由を真に理解した気がした。
 その後で、備え付けのバスソルトが溶けた青緑色の湯に浸かった。すると、僕は今何を考え、どこに向かいたいと思っているのかが、ますます分からなくなった。

京都物語 400

「まさか、ありえないわよね、そんなこと・・・
 でもね、この神上寺を歩いてるとね、本気でそう考えてしまうくらいにいろんな声が聞こえるの。明子さんは、T・M先生の言霊の力によって、平安時代に連れて行かれたんじゃないかって思い込んでしまう。(ごめんなさい。いつの間にか明子さんっていう本名を出してる。でも、許してね。「あなたの愛する人」っていうのは文字数も多いし、なんだか哀しくなっちゃうから。どこかで嫉妬を吐き出す場がないと、私も破裂しちゃう。なので、どうか大目に見てやってください(●≧з≦)
 藤壺は罪の意識から出家して尼僧になった。明子さんも同じ道をたどってる。もちろん、尼僧になる女性は他にもいる。でも、藤壺と明子さんには不思議なつながりを感じるの。私の第6感がそう言ってるのかもしれないし、平安時代から続くこのお寺のどこかから声が聞こえるのかもしれない。
 私は吸い寄せられるように、このお寺にたどり着いたの。ヤマシタ君と決別するつもりで来たはずなのに、どうもそればかりじゃないみたい。さっきも書いたけど、何かと出会うためにここへ連れてこられたような気がしてならないの・・・」
 長かった文章はそこで終わっている。それにしても、途中からは不特定多数の読者に向けられているというよりは、完全に僕個人に向けられたメールのような趣になっている。あれほど自分のブログにこだわりを持っていたレイナだったからこそ、申し訳ない気もする。
 レイナが僕に伝えたかったことはたくさんあるはずだ。だが、その中で最後まで心に残ったのは、本当に僕と決別しようとしている覚悟とも諦めともつかぬ彼女の思いだった。僕の目にはもう涙は浮かばない。だが、胸だけは塞がるように苦しかった。

京都物語 399

「もちろん、そんなこと言ったところで、あなたにはぴんと来ないことは分かってる。あなたが求めてるのは、もっと現実的な答えだから。
 でもね、私たちが過ごした時間は1年だったの。今このブログを読んでくれてる方は、私がいったい何を書こうとしてるのか、全く分からないはず。でもあなたには分かるでしょ。
 つまり、私たちはもはや現実的な世界にはいないのよ。もちろん、「私たち」の中にはあなたの愛する人も含まれてる。

・・・ところで、いきなり話変わるけど、このお寺、パワースポットよ。いろんな所から声が聞こえるの。このお寺が創建された平安時代の人の声が空気中に染みこんでいるみたい。
 さっきの写真の中に、時間に浸食されたような鳥居の周りにお地蔵さんがたくさん座ってたの気づいた? このお寺、やたらとお地蔵さんが多いのよ。しかも、どれも表情豊かなの。ひょっとして、この声はお地蔵さんが話してるのかな?

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 とにかく不思議。平安時代がすぐ近くに感じられるの。いや、ひょっとして私は今、平安時代を歩いてるんじゃないかって、そう思うくらい。
 そういえば、T・M先生、やたらと言霊って言ってたでしょ。私たちはあの先生の作り上げた言霊の世界に含まれている。そんな話だったじゃない。私、思うんだけど、あなたの愛する人も、言霊に含まれているのよ。でも、その人は、私たちと違って、より真剣にT・M先生に傾倒していた。だから、1年では抜けられないくらいに深い世界に連れて行かれたんじゃないかしら。
 ねえ、何だか今、嫌な声が聞こえた。あなたの愛する人は、『藤壺物語』の中に含まれているって。
・・・もしかして、明子さんは、藤壺?」

京都物語 398

「今、私は歩きながら、どこかであなたを探してる。ここに来れば、何かと出会えるんじゃないかって、第6感がささやくの。覚えてくれてるかな? 新山口駅で初めて出会った日のこと。ブログに書いてたと思うけど、あの前日、私は仙崎に来てたのよ。
 おととい、六条ホテルを出て、もうあなたとは決別したつもりだったのに、京都駅に立った途端、自然と足が仙崎に向いちゃった。前の記事に、決別するために仙崎に来たって書いたけど、それでも私はあなたに会いたいと思ってる。素直になった途端、涙が出てきた(´∩`。)
 もちろん、もう会えないのは分かってる。あなたは今比叡山にいる。あなたは愛する人を探して歩いている。だから私はこれ以上あなたのそばにいるのがつらくなっちゃったわけ。だったら、私はいったい何を求めてこの神上寺を歩いてるんだろう?
 話は戻るけど、その答えは絶対に出ない。でも私は歩いてる。何かと出会えるような気がして」

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「ねえ、ヤマシタ君、今ふっと思ったんだけどさ、あなたの愛する人は、何かと1つになっちゃったんじゃないかしら? あなたはそのことにうすうす気づいてる。ただ、信じたくないだけ。
 でもね、私とあなたが経験した1日は、1年だったでしょ。もしそれが事実なら(何となく、事実のような気がするの・・・)あなたの愛する人が、T・M先生と一緒に過ごした時間は、何年にも、何十年にも、何百年にもなることだって、ありうるんじゃないかな。だとすれば、あなたの愛する人は、その時間の中に同一しちゃったんじゃないかしら?」

京都物語 397

「ヤマシタ君、私思うんだ。私たち必死になって歩いてるけどね、探している答えを手に入れることなんて、できないんじゃないのかなって。たとえばそれは、死んだらどこに行ってしまうのかを真剣に考えるのと同じような、不毛なことじゃないかしら。
 答えは絶対に見つからない。でも、「その時」が来たら、私たちは何かと1つになるのよ。それが答え。ただ、何と1つになるかという肝心のことが分からない。だから苦しいの。ねえ、ヤマシタ君、私の言ってること分かる?
 私ね、あなたのことが本当に好きだったのよ。私あなたに言ったでしょ。タイで出会ったソラブッドっていう人のこと。あの時私には日本に彼氏がいたの。でも、ソラブッドと一緒にいるうちにもう首ったけになっちゃって、彼氏のことなんてあっという間に心の隅っこに追いやられてしまった。ソラブッドの虜になったのは、やさしいとか男らしいとか、そんな表向きの理由じゃなかった。運命だったの。私たちは前世から愛し合っていた。つまり絶対に避けることのできない宿縁だったわけ。
 だけどソラブッドはバイク事故で先に死んじゃった。そうして後ろに乗ってた私だけが生き残った。彼の身体がクッションになったの。彼は自分の命と引き替えに私をこの世にとどめてくれた。
 あの事故自体が私たちの運命に組み込まれていたのかもしれない。だとすれば、私は彼の分まで生きようって、心に決めたの。ずるい私は日本に帰ってすぐに彼氏と結婚したけど、寂しくなかったわ。ソラブッドがいつも私の心の中にいてくれたから。でも、あなたにも話した通り、結婚生活は長くは続かなかった。今思えば、当たり前のことだったのよね。
 でもね、ヤマシタ君、あなたのことソラブッド以上に好きだった。信じられる? あれほど好きだった人のことを、私忘れてたのよ。あなたが忘れさせたの」 

暑い一日でした・・・

 各地で真夏日を記録したということでしたが、皆様いかがお過ごしでしたか?
 梅雨を通り越して、いきなり夏がやってきたようでしたね。

 さて、私事ではございますが、昨日、長いことやさしく接してくれた親戚が亡くなりました。先ほど行われた通夜の中で、住職の方がこう話されました。
「人1人が死ぬということは、ものすごいことなんだと思います。そして、人1人が生きていたということは、それ以上にすごいことなんです」と。

 あるときは ありのすさびに 憎かりき なくてぞ人は 恋しかりける

『源氏物語』で、桐壺更衣が亡くなったときに引用された歌です。 
 いつでも会えると思っているときは、そのことに甘えて憎ささえ覚えるが、人は死んでしまった後になって、その人のことが無性に恋しくなるのだ。
 そんな歌です。

 故人の冥福を祈ると共に、これまでやさしい声をかけ続けてくださったことに対して、永遠の感謝を申し上げます。
 同時に、自らに与えられたこれからの人生に、真摯に向き合おうという決意を新たにしました。

 これからも、よろしくお願いいたします。




京都物語 396

「異様な雰囲気・・・。
 この感じは、いったいどこからくるのだろうと思う。お寺の中に鳥居があるっていうのが異様なのかしら?
 いいや、それだけじゃない。何というのかしら、徐々に浸食してゆく感じ。そうして、やがてはすべてが同一してゆく感じ。この神上寺は、何かがどこかに向かって1つになってゆく過程にある。そこが、異様に感じるのだ、きっと。
 でもそれは、見方を変えれば異様なんかじゃない。むしろ正常な姿だと言えるかもしれない。たとえば、人は死んだらどこへ行くのだろうかと脂汗をかきながら悩んだことがある。でも答えなんて絶対に出ない。ただ言えるのは、死とは何かと同一してゆくということだ。京都大学の西田幾多郎先生は、それを「絶対矛盾的自己同一」と呼んだ。
 そう考えると、私もこの寺の何かと同一しているような気がする。
 足がすくむけど、それでも、奥へと進んでゆく。他の参詣者などいない。修行者たちが歩いた道らしく、参道はとても長そうだ。所々に石段が崩れていて、湧き水が流れている。ハイヒールだったら、絶対にこけてただろうな」

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「ふとヤマシタ君のことを考える。彼は今頃、何をしてるだろう?
 ふふふ・・・大体分かってる。私の第6感は、ちょっとしたものなの。
 彼は今、比叡山にいる。そうしてまた、私と同じように、必死に歩いている」

京都物語 395

「それにしても、ここには誰もいない。そして、どこまでも静か」

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「山門をくぐる時、ぎょっとさせられた。これまでこんなにおそろしい顔した仁王像、見たことない。実物は、おしっこが漏れそうになるくらいに、怖い。でも、ここへ来たのも何かの縁。奥まで歩いてみようと思う」

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「ちなみに神上寺と書いて、『じんじょうじ』って読みます。よくよく考えてみると、ちょっと変な名前ですね。だって、神と寺が併用されてるんだから。名前からも、ここはそんじょそこらのお寺じゃないってことが分かるような気がします。
 ずいぶん前に、私の友達が『トイレ考古学』の研究者だったってことをこのブログにも書きました。寄生虫の卵を採取して、夢中になって当時の生活を考察していた彼。でも彼は、去年車の中で練炭を吸ってそのまま逝っちゃった。
 もし彼が生きてたら、そこらへんのことを聞くことができたのにな。彼なら絶対に知ってる。日本全国の寺という寺の情報がすべて入ってたから。
 そうやって、彼を偲びながら歩いてると、その名の通り、お寺の中にいきなり神社の鳥居が現れた。異様な雰囲気です」

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京都物語 394

「仙崎港で仲良くなった地元の漁師さんたちと一緒に朝ご飯を食べて(朝からいきなりお刺身よ! 信じられないくらいに新鮮だった!! シアワセ~☆★)お腹が一杯になったところで、仙崎駅まで歩いて、タクシーの運ちゃんに「お寺が見たいんですけど」って言ってみたの。「この辺に、比叡山みたいな、深い山の中にあるお寺はないですか?」って。
 そしたらね、他のタクシーからもぞろぞろと運ちゃんたちが出てきて、「運ちゃん連合」みたいになって、話し合いを始めてくれたのね。すると、その中の1人の方が煙草をくわえながら私の方へ寄ってきて、ここは山口だから、さすがに比叡山っていわれると難しいけど、平安時代に弘法大師(つまり空海ね)が開いた寺なら知ってるよって言われたの。
 山寺ならどこでもよかったの。たとえば、どうしても映画が見たい時とかあるでしょ。DVDじゃなくて、ちゃんと映画館に足を運ばないと気が済まない時。あれと同じようなもの。とにかくお寺に行きたかったの。
 そのお寺は仙崎から車で50分。下関にあるらしい。でも、タクシーを使ったら片道5,000円は優に超えるだろうって言われ、やむなくバスを使うことに。せっかく親切に教えてくれた運ちゃん、儲けさせてあげられなくて、ごめんなさい。私も仕事を失っちゃったばかりで、なかなか厳しいのよ。それでも、最後まで笑顔で見送ってくれた運ちゃんに、本当に感謝で~す」
 その文章の後には、タクシー会社の名前がばっちり入った車と、その横で制服を着て恥ずかしそうにはにかむ、痩せた色黒の運転手の写真が貼ってある。左手に持った煙草には火がついている。背後の空は薄く明るい。海の近くの空だ。僕はふと比叡山で見た空を思い出した。両者には、不思議とどこか共通するものを感じた。それは明子の気配だった。

京都物語 393

 突然出てきた自分の名前に、いきなり現実に引き戻された心地がした。ずいぶん人気があると聞いているこのブログの読者の目には、どう映るだろう? もっとも、このへんの大胆さがいかにもレイナらしいところではあるが。
 そんなことを思いつつ「ヤマシタ君、さようなら」という部分を何度も目でなぞる。そのたびに胸が軋んだ。頑固なレイナのことだ。これがあの子なりの別れの挨拶なのだ。
 途端に、彼女のぬくもりがたまらなく恋しくなる。できることなら、パソコンの画面の中に、今すぐ飛び込みたいくらいだ。できることなら・・・
 振り返ってみると、彼女との出会いも運命的だった。彼女がいなければ真琴氏と会うこともなかった。僕の中における存在の大きさからすると、彼女と過ごした時間は驚くほどに短い。山口を発った日の朝、新山口駅で僕にぶつかってきたところからすべてが始った。あれはほんの数週間前のことだ。そう考えると、真琴氏の家にいた時間には、ほんとうに1年分の重みと濃度があることが実感される。いや、1年以上かもしれない。
 レイナを抱いた感触が全身に甦る。真琴氏の家から帰ってきた夜の六条ホテル。もつれるほどの長い髪。少女のように小さな乳房。やわらかな下半身・・・
 あれがレイナとの最初で最後になってしまった。
 もう1本ビールが飲みたくなった。冷蔵庫まで移動して、新しいエビス・ビールを取り出し、それを口に含みながら次の記事に目を通す。日付は同じく昨日、つまり、レイナが仙崎を出た後に、続けてアップロードされている。さっきの日本海の幻想的な朝焼けとはうって変わって、いかにもうらさびしい山寺の写真が掲載されている。その下には「神上寺に来ましたーーっ」というピンクの文字が躍っている。神上寺? 聞いたことのない寺だ。

京都物語 392

 その段落の直後には、朝焼けの空の写真が大きく載っている。見事な赤紫色に染まった空が、海を包み込むかのように広がっている。幻想的とも言える風景だ。「空の青さにかなうアートなどあるのだろうか」という小野ヨーコの言葉を、真琴氏が『藤壺物語』のあとがきに引用していたのをふと思い出す。苦しみに直面した時、空は意地悪にさえ映る。空は自分の心を写し、芸術は人間の醜さ表現する。そんなことを真琴氏は書いていた。今思えば、貴博氏との禁じられた愛について語られていたのだ。
 その点、レイナの撮った空には、むしろ僕の醜さを慰めてくれるかのようなやさしさを感じ取ることができる。金子みすゞは、この空を見たからこそ、あんな詩が書けたのかもしれない。そんなことを考えさせられるほどだった。
「私は決別しなければいけません。それはとても寂しいことです。これまで手に届くところにあったもの、それでいて、とても大切だったもの。そういうこととの決別です。どうしても未練が残ってしまうのは当たり前です。だって、すごく大切だったんだから。こんな切ない思い、したことなかった・・・
 この空を見上げていると、若くして自らこの世を去らざるを得なかったみすゞさんの心を想像してしまいます。みすゞさんの詩はどれもやさしさにあふれています。でも、それらはすべて憧れだったのかもしれいなって。みすゞさんの直面した現実は、やさしさとはほど遠かったのでしょう・・・
 みすゞさんの遺した詩に触れるができる私は、生きなければなりません。それがみすゞさんからのメッセージではないかと思うのです。そのためにも、過去と決別して、新たな一歩を踏み出さなければなりません。
 ヤマシタ君、さようなら。君が愛しているのは、私じゃない。これ以上、恋の苦しみを味わうには、私は経験を重ねすぎています・・・」

京都物語 391

 僕が山口で暮らすようになったのは、大学時代からだ。特にこだわりをもって住んでいるというわけでもなかった。大学を卒業しても就職口がなかったので、司法試験の勉強をするために、学生時代の下宿に残ったというだけのことだった。
 とはいえ、長いこと生活するうちに、山口ならではの良さを実感するようになってきた。空気も食べ物も美味しいし、人も優しい。なかなか住み心地のいい土地だ。
 金子みすゞの故郷である仙崎にも足を運んだことがある。職場の同僚と釣りをしたのだ。秋晴れの、絶好の釣り日和だったのに、魚はかかってはくれなかった。それでしかたなく漁港の傍にある寿司屋に寄ってから帰った。レイナの写真を見ると、あの時のことが鮮明に思い出される。
『大漁』は金子みすゞの代表作だ。馴染み深い詩のはずなのに、レイナのブログに載せられたものを改めて読むと、これまでとは違った深みを感じる。僕は「海の底では何万の鰯のとむらいするだろう」という部分に、どういうわけか、明子を重ね合わせた。
 明子は死んだわけではない。そう信じている。だが、彼女がどこかへ消えてしまったのはたしかだ。真琴氏が絡んでいるのは間違いなさそうだが、真琴氏と一緒に潜伏しているとは考えにくい。「海の底では何万の鰯のとむらいするだろう」という部分に、なぜだか明子の声を聞いた気がした。
「ところで、私が山口に来たのは、他にも理由があるのです」とレイナは続けている。「それを分かってくれる人は、私の他にもう1人だけいます」
 僕は少し気の抜けたビールを口にした。
「でも私は、その人に会うことはできません。今日中には、ここを発ち、次の場所へ行きます」

京都物語 390

 その段落の後で、もう2枚写真が貼られている。1枚目は「金子文英堂」と書かれた看板が掲げられた古い書店で、金子みすゞの自宅が再現された建物だ。撮影の時間帯はやはり早朝のようで、朝日が昇る前の薄暗さが、人の気配のない建物をセピア色に浮かび上がらせている。これまでのレイナの写真の文脈に則った、ノスタルジア漂う世界だ。
 その下には漁港の風景をとらえた写真が貼ってある。これもほぼ同じ時間に撮影されたものと思われる。港湾に並べられた外灯が、そこに停泊している漁船を照らしている。船の奥には小さな島が浮かび、その周りには海が広がっている。磯の香りがそのまま運ばれてくるようだ。
「静かな海です。それでいて、人のぬくもりを感じることができます。これまで私は鎌倉の海を何枚も撮ってきたけど、あそこにはない風景を見つけることができました。
 ここは山口県の仙崎という小さな港町です。さっきも書いたように、金子みすゞのふるさとです。ホテルを出たのが朝の5時過ぎだったので、みすゞさんの旧宅付近にはまだ誰もいませんでしたが、こうして港まで出てみると、漁師の方とか、市場の人の姿が見えます。
 港に続く路地に、みすゞさんの詩を見つけました。「大漁」という詩です。

朝焼け小焼けだ 大漁だ  大羽鰯の 大漁だ
浜は祭りのようだけど  海の底では何万の
鰯のとむらい  するだろう

 この詩は以前から知っていましたが、この仙崎の路地で出会った今、以前とは違う響きで胸に染みこんできました。思わずシャッターを押さずにはいられませんでした。そうして、自分の撮った写真を見ながら、ああ、これが山口へ来た理由だなって思いました」

京都物語 389

 パソコンの画面上に表示された文字に、レイナを感じた。彼女が僕の元から去って3日しか経っていないことが信じられぬほど、その言葉は、なつかしいぬくもりにあふれていた。
 僕はビール片手にマウスを動かし、次の文章に目をやった。
「この1年の間に何が起こったのか、ずっと考え続けています。でもおそらく、答えなんて出ないというのが結論です。あまりにも不可解なことだらけなので・・・
 ただ、1つ言えるのは、これまでに起こったことには、きっと何らかの意味があるということです。しかもそれは、すごく大事な意味なんだろうと思います。私の一生に関わるような、いや、そんなちっぽけなことじゃない。おかしな表現になるかもしれないけど、私の永遠に関わるような、それほど大事な意味をもつんじゃないかと思えてなりません。だからこそ、今すぐそれを理解して説明することが難しいんじゃないかなって。
 その意味が分かるのは、私が死んだ後なのかもしれません。でも、もしそうだとしたら、哀しいです。その意味を分かってくれる人は誰もいないから。    
 切ない。それが今の私の心境にもっとも近い言葉です。
 いずれにせよ、この1年の間に起こったことの意味が何なのか、私は一生考え続け、このブログを通じて表現し続けていこうと思います。もしかすると、私はライフワークを見つけたのかもしれません。そう考えることで、少し元気になれます。
 ところで、私は今、海にいます。どこの海でしょう? 昨日の朝、京都駅に立ってどこへ行こうかと考えると、どうしても行きたいところが思い浮かびました。金子みすゞっていう詩人、ご存じですか? この海は、彼女が毎日見た海なのです」
 金子みすゞ? 山口の人だ。ということは、レイナは山口にいる。そこは僕の帰るべき場所じゃないか!

京都物語 388

 その日の記事はそこで終わっている。僕は画面をスクロールして、次のページを見る。更新日時を見ると、昨日の朝に書かれたものだ。やはり文章のはじめには写真が貼り付けてある。海の写真だ。冬の海とは思えないほどおだやかで、まさに朝日が昇ろうとしているのだろう、水平線からはオレンジがかった赤色がにじみ出ている。水平線の左には半島がつきだしていて、漁港と防波堤、それに集落の明かりも見える。
「海に来てまーす!」
 太字でそう書いてある。
「久々に海が見たくなりました。昨日、1年ぶりにブログを更新して、ありがたいことに、いろんな方から、たくさんのレスをいただきました。こんな私のことを忘れないでいてくださって、ほんとうに幸せなことだと思います。ありがとうございました。(中には警察の方からの連絡もありました。ゴメンナサイ。もうしばらく1人にさせてください。必ず私の方から出て行きますので)
 じつを言うと、私は1年も失踪していたということに気づいていませんでした。・・・と書いたところで、みなさんに対して何の説明にもなっていないことくらい、自分でも分かってます。でもとにかく、この1年の間に自分の身に起こったことが一体何だったのか、きちんと呑み込めないのです。夢でも見ていたのではないか。誰かに薬を打たれて、1年間眠らされていて、気がつけば時間だけが経っていた。そんな感覚です。そうして、私と一緒にいた山下貴史という男の人も同じことを感じているはずです。私たちは決して事件に巻き込まれたわけではありません。私たちはただ、時間の中を旅していただけなのです。私が何を言ってるのか、絶対に理解していただけないでしょうが、それはほんとうのところです。そうとしか言いようがないのです」

京都物語 387

 パソコンには、見たことのないオペレーション・システムがインストールしてあり、立ち上がりも驚くほどに早かった。本体のデザインも洗練されたものになっている。真琴氏の家に行っている間に、1年分の技術が進行しているのだ。
 僕は財布の奥からレイナの名刺を取り出し、そこに書かれたURLを直接入力した。エンターキーを押す瞬間、心拍が強くなったのが分かった。この画面の先には、はたしてレイナがいるのだろうか? そんな不安を感じる間も与えぬほどに、ページは機敏に開かれた。
 画面上にはレイナのブログがちゃんと存在していた。それが嘘ではないかと何度も確認した。だが、紛れもなく彼女のブログだった。
 僕は心拍を落ち着けるために、とりあえずミニ・バーに移動し、そこに添えられたチーズ鱈の袋を開け、再びデスクに戻ってビールと一緒に口に入れながら、改めて画面を見た。長いこと休止していたブログは、レイナが六条ホテルからいなくなった日の夕方から再開されている。例によって、文章には大きな画像が付いている。それは六条ホテルの写真で、彼女が僕の元を離れた早朝の風景だと思われる。50年の歴史に幕を閉じようとしているホテルが、青白い朝靄の中にそびえ立っている。そこに看板の照明だけがくっきりと浮かび上がっている。
 ビールを飲みながら、彼女の文章に目を通す。
「まずはみなさん、ごめんなさい。長いことご無沙汰していて、しかも私の失踪が世間を騒がせていたようで、ご迷惑をおかけしました。うまく説明できないところもたくさんありますが、少なくとも私は今ここでちゃんと息をしております。心配してくださった方々、本当に申し訳ありませんでした・・・」

京都物語 386

 支配人が出て行った後、僕は広い部屋の窓際まで進み、そっとカーテンを開けた。眼下には日本庭園をモダンにアレンジした中庭が、優雅にライトアップされている。六条ホテルの窓から見えた渉成園が懐かしくさえ感じられる。
 その人工的にしつらえられた空間を眺めていると、ある名状しがたい感情が心を動かした。長かったこの旅もついに終わりを迎えようとしている。そんな声を聞いた気がした。そろそろ僕は帰らなければならない。山口へ戻って、前の生活の続きを再開しなければならない。旅は終わっても、人生はまだ終わっていないのだ。
 職場にも連絡しなければならない。もちろん、僕が使っていたデスクには、もう他の誰かが座っているだろうけど。幸い、明子が京都銀行に預けておいてくれたお金がまだ残っている。それで何ヶ月かは生活をつなげることができるだろう。その間に新たな職を探せばいい。
 そんなことを考えながら、窓際を離れ、明かりを落とし、冷蔵庫の中を覗き込んだ。六条ホテルの冷蔵庫と比べると、中に入っている飲み物のクオリティが確実に上がっている。おまけに「冷蔵庫及びミニ・バーのお飲物はすべて無料でございます」と丁寧に但し書きまでしてある。さすが、プレミアム・フロアだ。
 僕はとりあえずエビス・ビールの缶を開け、ふかふかのソファに腰掛けてそれを飲んだ。さっきのカレーの風味が口の中に残っている。ビールの苦みがすべてを中和してくれるはずだった。だが、心はちっとも晴れない。
 旅は終わりにさしかかっているというのに、問題は解決していないのだ。僕は明子に会うためにここに来たのだ。でも、どうしようもなく、独りぼっちじゃないか! 誰かの声が聞きたい! 誰か僕の声を聞いてほしい! 
 本能的に求めたのは、レイナだった。六条ホテルのベッドの上で彼女を抱いたぬくもりがたまらなく恋しい。
 ふと、デスクの上に置いてあるノートパソコンに目が行った。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
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とびっきり寂しい旅に・・・

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