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スリーアローズ・ストーリー 32

 カズが与えた4月の目標は「パーソナル・スキルの向上」でした。毎日の練習の前、これもカズからの提案でしたが、ルーティンとして円陣を組んで肩を取り合い、今月の目標と、年間目標を大声で唱和することにしました。
 さらに、これは選手たちのアイデアで、「ずらスキル」という言葉をかけ声に追加しました。何も知らない人が聞いたら、何を言っているのか絶対に理解できないだろうと最初は思いましたが、そのヘンテコな言葉は、最後までチームを下支えすることになりました。
 彼らは「ずらす」ということについて、カズが教えてくれた理論の他に、「敵の1つ上を行く考えを持つ」と解釈しました。敵とまともにぶつかり合うのではなく、考え方のオプションを持ち、敵の出方を想定した上で、敵の上を行こうというのです。
 ラグビーで大学に進学するわけではなく、あくまでセンター試験をクリアしなければならない彼らには、練習の「質」が求められました。つまり、彼らにとっての「ずらす」とは、常識の一歩前に出ることでもありました。「ずらスキル」とは、本気で文武両道を目指す彼らが考えた、合い言葉だったのです。 
 そのために、彼らは自主的にH商工のビデオを見て、敵の戦い方のパターンを分析しました。すると、敵の戦術は、意外とシンプルだということに気付きました。自陣ではほとんどの場合キックで前に出て、敵陣に入ってからは大型FWのパワーで圧倒し、タレント揃いのバックスの走力でトライを取りに行く。そのパターンの反復でした。サインプレーもシンプルで、皆で力を合わせて防御すれば対応できそうなものばかりでした。
 そういえば、これまでの2年間、こうやってビデオ分析をしたことすらなかったなと、選手たちの姿を見ながら私は振り返りました。「ずらす」という言葉をよりどころにして、選手たちはこうも変わるものなのだと、言葉の力を改めて実感しました。
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スリーアローズ・ストーリー 31

 カズが広げたA3用紙に改めて目をやると、12月の欄に「準決勝でO高校に35対10、決勝ではH商工に16対7で勝ち、花園出場を決める!」と特太ゴシックで書かれていました。そのゲームに向けて、数ヶ月ごとに練習試合の予定が細かく立てられ「仮想O高校のチームに2トライ差をつけて勝つ、とか、仮想H商工のチームに1トライ差まで詰め寄る」などと、点差まで記されていました。
「この計画通りに行けば、目標は達成できる。もし、うまく行かなかったら、それまでの目標のどこかが達成されていないということだから、フィードバックして、重点的に復習すればいい」とカズは紙面を指さしながら説明しました。
 試合の下の段には、その週に行う練習のメニューも細かく書かれていました。つまり、その計画表を見れば、どの週にどんな練習をし、それがどんな力と結びつき、目標達成のどの部分に関わるのかが、一目で理解できるようになっていました。
「俺は1ヶ月に1回成果をチェックしに来る。その月の目標が達成されたかを確認して、できていれば次の段階の練習を選手たちに伝える。お前は、練習の意味をしっかり理解して、選手たちに繰り返し実践させてほしい。もし不明な点があれば、ビデオで記録を取って、俺に送ってくればいい」
 カズはそう言いました。
 お前の方は、忙しくないのか? と思わず聞くと、「高校時代に叶わなかった花園出場の夢を、今叶えたいんだよ」と返ってきました。「あれから俺は、何度も挫折しながら、ラグビーと向き合ってきた。そうして、俺なりの理論を体得して、今の地位にいる。俺は、これまで積み重ねてきた理論が高校ラグビー界に風穴を開けることができるのを実証したいんだ。お前と一緒にね」

スリーアローズ・ストーリー 30

 一通りトレーニングを終えた後、彼は再び円陣の中に立って、こう言いました。
「俺たちは、今日から『ずらす』ラグビーを目指す。身体も大きく、練習環境も整っているH商工に勝つためには有効な理論であることは間違いないからね」
 選手たちに異論などありませんでした。
「ただ、何でもそうだけど、シンプルに見えるものほど、実は奥が深いものなんだ。つまり、『ずらす』と言っても、いろんな局面でいろんなずらし方が考えられるはずだ。今俺は、自分のコアを敵のコアと『ずらす』ことによって前に出るのだと説明したね。でも、それ以外にも、いろんなずらし方があるはずだ。君たちは、頭がいい。だから、皆で知恵を出し合って、『ずらす』とは、何をどうすることなのかを考え、極めてほしい」
 その夜、カズが宿泊しているホテルの部屋で1日を振り返りました。予想していた以上に選手たちは意欲的で、能力も高い。計画通りに成長すれば、全国大会に出場するのも決して夢ではない、と彼は言い切りました。高校時代から、彼はお世辞などを言う人間ではないということを私はよく知っていました。
 そしてカズは、A3のコピー用紙を畳の上に広げました。そこに詳細に書かれていたのは、ターゲット・ゲームまでの計画表でした。あまりの緻密さに、私は圧倒されました。
「社会人のチームでは、これくらいの計画は立てるよ」とカズはタバコの煙を吐き出しながらそう言いました。
「1ヶ月ごとに目標を設定して、それを確実にできるようにさせる。進捗をチェックするのは俺の仕事で、計画を理解した上で毎日選手たちに取り組ませるのが、お前の仕事だよ」
 私はカズの顔を見ました。彼は「あの子たちなら、絶対に目標を達成できる」と言い、もう一度タバコを口につけました。

スリーアローズ・ストーリー 29

 ずらす・・・。私には、考えもしなかった方法でした。
 ラグビーとは、トライを取るために前進するスポーツです。ただ、一口に「前進する」と言っても、そう簡単にはいきません。目の前には15人の敵がいるからです。ラグビーの大前提として、ボールを持った選手が、チームの一番先頭にいなければいけません。ボールよりも前にいる味方の選手はすべて「オフサイド」となり、彼らがボールに働きかけようとするだけで、反則となってしまいます。
 つまり、ラグビーでは、ボールを持つ1人の選手が15人の敵と常に対峙する構図になるのです。しかも、敵は、ボールを持つと同時に、数人で襲いかかってきます。その中で前進するわけですから、これはもう至難の業なのです。
 私の高校時代、ボールを持つ選手はひるむことなく相手に激突していくように教わりました。自分の身体を相手の身体に思いっきりぶつけて、強引に前に出て行くことこそが、選手に要求されました。
 そうして、監督となった私も、選手たちにそういうプレーを要求しました。しかし、O高校の身体を張った泥臭いディフェンスを突破することはできず、どうすれば前進できるのか、方策が全く見いだせなかったところに、カズは「『ずらす』のがラグビーだ」と、正反対のことを言ってきたのです。
「考えてみろよ、敵がいる所といない所、どっちが前に出られるか? 俺たちの時代は敵にぶつかって相手をはり倒すのがラグビーだったけど、最新のラグビーはその逆なんだ。自分の強い部分を相手の弱いところにぶつける。つまり、ずらして前に出るんだよ。発想の転換、コロンブスの卵だ」とカズは言い、口元を結んで小さく2・3回頷きました。
 その頷き方は、カズが高校時代からよくやることでした。

スリーアローズ・ストーリー 28

 カズはそう言って、すっと立ち上がりました。
 彼が最初に教えてくれたのは「コア・トレーニング」でした。この話は、今からちょうど8年前のことで、当時はまだ「コア」(=「体幹」)という理論は、今ほど馴染みがありませんでした。彼は、社会人ラグビーで得た最新のトレーニングを伝授してくれたのです。
 肩や股関節を回したり、跳んだり静止したりする誰でもできるような動作でしたが、選手たちは迷いなく取り組んでいました。ラグビーは特別な道具を使うわけではなく、紛れもなく身体を使ってするスポーツです。彼がいちばんこだわっていたのは、その根幹にあたるフィジカルの部分でした。
 それまで私が選手たちにさせていたトレーニングは、カズの理論と比べると、たしかに意図がないものでした。何のためにどこを鍛えるのか、そのことが抜けていました。
「H商工を倒すターゲット・ゲームまでにあと1年ある。それまでにチームを作るために、まずはパーソナル・スキルを上げること。個人の成長なくして、組織の成長はない」
 彼は選手たちに向かって何度もそう繰り返しました。
「コア」とは身体の幹をなす、腹筋を中心とした筋肉のことだと、私はその時初めて知りました。
「まずは、自分のコアを徹底的に強くして、筋肉を意識できるようになることから始めよう。自分のコアが意識できるようになれば、おのずと敵のコアも意識できるようになる。つまり、自分の一番強い筋肉を、敵の弱いところにぶつけていくわけだ」
 一見単純なトレーニングにもかかわらず、汗びっしょりの選手たちに向かって、カズはこう言いました。
「そのことを、これからは『ずらす』と呼ぶことにする。俺たちは、ずらすことによって前に出る」

スリーアローズ・ストーリー 27

 私はビデオカメラ越しに、選手たちの表情を注視しました。M君も、F君も、それから他のメンバーも、それまで見たことがないくらいに集中していました。O高校に大敗したことは、彼らにとっては、既に過去のものとなっているようでした。
「君たちは今から高校生活を送り、卒業して大学に入る。そして、社会に出て行く。人生の先輩として言わせてもらうと、君たちの人生は、社会人になってから始まると言ってもいい。今よりももっと大きな課題が与えられ、その分たくさん悩む。孤独に陥ることだってもちろんある。その時、課題を解決するために知恵を絞り、計画を立て、仲間と協力しながら事を進めていくんだ。社会人とは、その繰り返しで大きくなっていくものだと思う。そう考えると、ラグビーというチームスポーツは、人生の練習になるんだ」
 私はカズの話を聞きながら、高校時代を明確に思い出していました。名門校にいながらも人間関係に悩み、最後はチームがばらばらになってしまい、花園出場という目標も達成できなかった、あの時の光景が目の前に迫ってきました。
「だから、ただ力任せに勝てばいいということじゃない」とカズは続けました。まるでそれは、私の心を代弁してくれるような言葉でした。そこには、青春時代に同じ苦しみを味わったもの同士でしか得られない、深い共感がありました。そして、カズの言葉は、ラグビー部の監督になってからの2年間の私の孤独を、慰めてもくれました。
「仲間を思いやり、感謝し、尊敬する。そうして、みんなで力を合わせて目標に向かう、そのプロセスにこそ意味があるんだ」
 冬のグラウンドには西日が差し始めてきました。選手たちの横顔は、ことのほかまぶしく感じられました。
「1年以内に、H商工高を倒して、花園出場する。その目標を達成した時、君たちは、次の人生を迎える上で、一回りも二回りも成長しているだろう」

スリーアローズ・ストーリー 26

 H商工と言えば、それまで8年連続で花園出場している強豪校です。M君たちは、前日に負けたO高校ではなく、あくまでH商工をターゲットとすることで一致していました。
「H商工に勝つということは、当然O高校にも勝つことになる」と、M君は言い切りました。
 カズが選手たちに会いに来てくれたのは、ミーティングの1週間後でした。社会人ラグビーのシーズン中で、彼は彼で忙しかったはずですが、わずかな休暇を使ってわざわざ車で3時間かけて足を運んでくれたのです。
 いくらラクビー部に入部しているとはいえ、さすがに社会人のトップ選手の指導を受けるとなると、選手たちは緊張気味でした。私はというと、高校時代のチームメイトがたくましく成長した姿に刺激を受け、同時に、彼からはきっと最新のラグビーを教えてもらえるだろうという静かな興奮がありました。
 まず、カズは、グラウンドの上に選手たちを座らせ、こう語りかけました。
「1週間前に監督がミーティングで話したと思うけど、今から君たちには、どこの学校でも教えてもらえないようなラグビーを伝えます」
 私はカズからビデオ撮影を頼まれていました。これからすべての活動の記録を取っておくこと。なぜなら、人間とは忘れるものだから。彼はそう言いました。
「君たちは、『1年以内に、H商工高を倒して、花園出場する』という目標を立てましたね。いいかい、目標というものは、絶対に達成しなきゃならないんだ。だから、今日からそこに向かって計画を立て、月ごとにクリアすべき課題を設定し、そのうえで、1日のメニューを決めて、取り組んでいきます。ただ、その中で、どうしても忘れてはならないことがあります」とカズは言いました。
「ラグビーとは、あくまで、君たちが大人になるための教育ツールだということです」

アーバン・ローカル

 今週はトラックで外に出ることが多く、オフィスの自分の机に座るのは朝と夜だけでした。
 今日は、久々に里山に入りました。イベントPRのために山奥の「青少年の家」的な宿泊施設に行ったのですが、とにかくいい天気で、風も心地よく、思わずサングラスをかけてドライブを楽しみました。
 山は、そろそろ晩秋の装いです。木々の紅葉が始まり、空気にきりっとした冷たさが感じられます。

 仕事を終えて、オフィスに向かっていると、山あいの、本当に小さな集落の中に「cafe」という看板が目につきました。ちょうど一息つきたかったところだったので、車を停めて店内に入りました。古民家を再生したレトロなお店でした。
 店内では、コンテンポラリー・ジャズが年季の入った「TORIO」のスピーカーから流れ、センスのいいコーヒーの香りが立ちこめていました。昭和の家具を利用したような棚にはコーヒー豆が売られていました。
 ネイビーのハンチングをかぶり少しあごひげを蓄えた店主は、見たところ私と同年代といった感じでした。彼は元々は静岡の出身で、里山再生のプロジェクトでボランティアとしてこの里山に入って以来すっかり気に入ってしまい、ついには定住することにしたということで、今はイエメンやタンザニアなどの豆を焙煎しているのだと語りました。コーヒーの話をすると止まらないようで、私も最後まで彼の話を聞きました。
 そこまで熱く語られると、そのこだわりのコーヒーとやらを飲みたくなるのが人情というもの。
 店主の淹れてくれた、オシャレな香りのするコーヒーを飲みながら、青空に映し出される緑を眺めました。

 肩にたまっていた疲労感が、軽くなったようでした・・・

星に願いを・・・

 今日はどうしても身体を動かしたくて、ついさっきまで夜の道を走っていました。
 それにしても、ランニングするには夜風がちょうどいい冷たさです。
 ふと空を見上げると、満天の星。今日は、ことのほかきらめいているように感じました。

 これは私の全くの思い込みかもしれませんが、月は日本的で、星は西洋的なイメージがあります。ちゃんと調べたわけではありませんが、日本の歌にも星よりも月の方が多く登場するような気もします。(間違っていたらすみません・・・)

 平安時代では、月は男女の逢瀬を演出するものとして待望されていたのに対し、星は主に吉凶を占うためのものでした。しかもその占星術は日本古来のものではなく、中国から入ってきたものでした。

 ひょっとして、昔の日本人は感覚として、月よりも星の方がはるか遠くにあることに気付いていたのかもしれません。そうして月を、身近な存在として見上げていたのかもしれません。その親しみやすさが日本的な風情を誘ったのではないかと、これまた走りながら、勝手に想像しました。

 いずれにしても今日は、数万年前に放たれてようやく今届いた星の光を見上げながら、どことなく深遠な気分に誘われました。

スリーアローズ・ストーリー 25

 私は実家の布団に入ったまま、迷わずカズに電話しました。それが初めての彼への電話でした。するとカズもどうやらベッドに入ったままのようでした。
「オッケー、お前の熱い気持ちは伝わった」とカズは眠そうな声で言いました。「じゃあ、一度そっちへ行って、選手たちの現状を把握して、練習を考えなきゃいけないね。その前に、準備しておいてほしいことがあるから、それをメールしとく」
 カズはそう言って、電話を切りました。メールはすぐに届いていました。
「まず、ミーティングを開くこと。その際、以下の通りに進めてもらいたい。
①今回の負けはすべて想定内なので、いっさい気にする必要はないと選手たちに伝えてほしい。実はこれから社会人ラグビーの選手を専属コーチに招いて、本格的に取り組む準備をしているところだったから、今回の試合自体、大した意味はない。
②とにかく監督の自慢をしてほしい。「俺は高校時代名門高校の選手として活躍した。ラグビーの知識はもちろん、強力な人脈もある。俺は君たちの代でそれらすべてを駆使するつもりだ。間違いなく、他の学校を上回ることができる」という具合に、大風呂敷で。
③目標を設定してほしい。いつまでに、何を達成したいのか。そうして、そのためには、何をすればいいのか、皆で共有してほしい」
 早速、あくる日の放課後、学校のPC室でミーティングを行いました。すべてはカズの指示通りでした。ただ、不思議なことに、カズが考えたシナリオなのに、自分の言葉になっていました。言霊(ことだま)、とでもいいましょうか、話している私の心が熱くなり、言葉にパワーが上乗せされていくのを感じていました。
 それに呼応するかのように、大敗で落胆していた選手たちの瞳もみるみる輝き始めたのが分かりました。目標は「1年以内に、H商工高を倒して、花園に出場する!」に決まりました。 

スリーアローズ・ストーリー 24

 カズは高校時代のチームメイトでした。彼は名門校のスタンド・オフとして、重圧を感じながらも努力し続けましたが、先述の通り、私たちは花園に出場することはできませんでした。
 カズは、私と違いラグビーで大学進学を考えていました。ところが、第1希望である関東の名門大学のセレクションを間近に控えた時、肩に大けがを負ってしまい、手術を余儀なくされ、無念にもその大学を諦めることになりました。
 しかし彼のラグビーに賭ける思いは冷めることなく、結局一般入試を受験して九州の大学に合格し、ラグビー部に入部したという経歴をもっていました。
 その後ちょくちょく会うことはありましたが、国語教師として就職した私が、カズとラグビーの話をすることはありませんでした。それが、ラグビー部の監督になった後、高校の同窓会で会った時、カズがいきなりこんなことを言ってきました。
「まず、ターゲット・チームに勝つという明確な目標を設定し、そのために何をどうすればいいのか、具体的プランがいる。何も考えずにただ練習をしても、時間の無駄だね」
 それはちょうど新人戦の1ヶ月前のことで、M君たちの実力で何とかなるだろうと甘く考えていた私には、カズの言葉が腹に落ちることはありませんでした。それが、思わぬ大敗を喫して実家の布団の中で悶々とふさぎ込んでいる時、その言葉が鮮明に蘇ってきたのです。
 それまでも私は、目標を達成するためには、誰かの協力を仰ぐというスタンスでいました。しかし、それは、他チームの関係者であったり、他の学校の教員であったりと、どこかで利害関係があり、一番大切な部分を教えてはもらえないという実感がありました。
 この時、カズはラグビー社会人リーグのトップ選手になっていました。間違いなく、最強の協力者でした。

スリーアローズ・ストーリー 23

 次の朝、私は、実家で目覚めました。勤務校は実家に近い町にあったので、試合の後などはそのまま実家に帰ることにしていたのです。
 昔ながらの小さな漁村では、朝は小鳥のさえずりで目が覚めます。私がO高校に通う高校生だった頃にも聞こえていた鳴き声です。
 ただ、その朝ばかりは、どうしても穏やかな気分にはなれません。前日の完敗の余波が2日酔いのように頭に響いていました。1人ひとりの実力では決して負けていないはずなのに大敗を喫してしまい、彼らに申し訳ないことをしてしまったという一心でした。
 ただ、さらなる問題が立ちはだかっていました。いったい、これからどんな練習をすれば勝てるようになるのか、そのロードマップが全く見えなかったのです。間違いなく言えることは、今のままの練習を続けたところで、決して勝てるようにはならないということでした。つまり、自分の経験だけを頼りに、高校時代と同じ練習を繰り返しても効果は上がらないことに、はっきりと気付いたのです。
 私の勤務校は、進学校としては伝統があってもラグビー部は完全な無名校でした。私が高校生だった頃のO高校とは、まずそのスタートラインに大差がありました。部員数、練習環境、学校や保護者の理解、社会状況、それらの違いに対応した体系的な練習を構築しなければ、私自身、自らの過去の栄光を引きずることになるだけで、彼らを花園に出場させることなどできないのは目に見えていました。
 M君たちの代で結果を残さなければならない。さもないと、このチームはずっと上がっていくことなどはできない。そのために、まず変えなければならなかったのは、私自身の意識でした。花園出場というのは、私1人で達成できるような生やさしい目標ではなかったのです。
 その時、私の頭の中には、1人の男の姿がはっきりと浮かんでいました。

スリーアローズ・ストーリー 22

 ところが、試合が始まってしばらく経つと、嫌な予感がじわじわと心に染み渡りました。当初は、M君のキックで効果的に前進し、後は個々の能力の高さで立て続けにトライを取るという青写真を描いていました。
 しかし、0高校の思いもよらぬ泥臭いデフェンスの前にミスばかり犯してしまい、予想とは反対に、立て続けにトライを奪われてしまいました。2年前、A君が骨折した試合で3点差で破れた経験が頭から離れず、それ以上の差をつけて勝とうと目論んでいたのに全く逆の展開になってしまい、前半を終わって10点以上もリードを許していました。
 私は、まだ試合が終わっていないのに、内心、勝つことを諦めてしまいました。監督として、打つ手がなかったのです。キックで前に出て、個人技でトライを取る。そんなシンプルな、誰でも思いつくようなプランしか持ち得ていませんでした。
 私以上に、選手たちも焦っていました。それで、どうしても独りよがりなプレーになってしまい、ますます相手つけ込まれてしまいました。
 すると、試合終了間際、20点近いリードを許した状態で、S君が相手のキックをうまくキャッチしました。ディフェンスとの間合いは十分にあり、この試合で初めてとも言えるカウンター攻撃のチャンスでした。
 S君はお祖父さんがプロ野球のスカウトにもかかった方で、野球一家だったのですが、「自分の可能性を広げたい」という思いを抱いてラグビー部に入部していました。
 彼はボールを持つやいなや、ディフェンスを軽々とかわし、そのままライン際をするすると走り抜け、一気にトライまで持ち込みました。
 あまりに見事なステップに、会場は静まりかえりました。直後に、ノーサイドのホイッスルが鳴り響きました。S君の個人技だけで奪ったトライが、唯一の得点でした。

スリーアローズ・ストーリー 21

 私は、彼らに自分のもっている経験や知識をすべて伝えようと意気込みました。彼らには、多くのことを吸収しようとする意欲があったのです。
 そうして、新チームになって初めての公式戦が2月に行われました。部員が14人ということで1人足りなかったところを、過去に家庭の事情のためにやむなく退部してしまった選手に助っ人をお願いして、何とかメンバーを揃えての出場でした。
 ただ、自信に満ちた3年生を中心にしたチームは、14人で十分に戦える戦力でした。M君たち8人がきちんと機能すれば、負けるはずはありませんでした。
 そのゲームは、2年前にA君が骨折してまでも激闘した場所での開催でした。冬の冷たい風が吹きすさぶグラウンドで、ウインドブレーカーに顔を埋めながら、いよいよこの時がやってきたと、胸を熱くしました。彼らなら、きっと花園に出場できる、今日はそれを初めて披露する日になる、そう思うと武者震いがしました。
 対戦相手は私の母校であるO高校。因縁の対決でした。2年前の激闘を経験してから、私たちは互いに燃えるようなライバル心を持っていました。ましてO高校は名門でありながら、数年来全国大会からは遠ざかっていました。しかも、ここ数年は部員数不足に悩み、部の存続も危ぶまれるほどで、私たちのチームに敗れることだけは、何としてでも避けなければならなかったのです。
 OBとして、私も複雑でした。
 しかし、もはや私は、自分を育ててくれたO高校と決別しなければなりませんでした。監督とは、孤独なのです。過去を引きずっていては、新しい世界は切り開くことはできない。自分は自分に与えられた道を進むのみ、すなわち、M君たちを花園に連れて行くことしかなかったのです。
 すべての始まりを告げるホイッスルが、因縁のグラウンドに鳴り響きました。

スリーアローズ・ストーリー 20

 実際のところ、新3年生は、能力が高く個性あふれる選手が揃っていました。同学年だけで15人集まることこそできませんでしたが、彼らを軸にチームを組めば、十分に戦えるのは、自分の経験からしても明らかでした。
 中でもキャプテンのM君は、中学時代はサッカーの地区代表選手だったということもあって抜群のキックセンスをもっていました。お兄さんもラグビーの選手で、過去に全国大会で活躍したことがあったので、家族ぐるみで応援してくださいました。当たり前のことかもしれませんが、一流選手になるためには、家族の支えは絶対的な条件だというのが、私の経験則です。
 しかも彼は、先述したとおり、冷静で的確な判断ができました。ラグビーという、ひたすら前に進んでいくスポーツは、とかくがむしゃらになりがちですが、M君のような選手がいると、相手の裏をかく頭脳的なプレーができ、優位にゲームを進めることができます。
 それから、中学時代に神奈川でラグビーを経験していたF君の存在も大きかったです。私は彼をFWの要であるNO8(ナンバー・エイト)というポジションに据えました。ラグビー選手としては身体が小さかったのですが、F君の闘争心はチーム全体のモチベーションを上げてくれました。また、複雑なルールを身体で理解しているために、他の選手よりも素早い動きができました。高校に入ってすぐにゲームに出場し続けたこともあって、つらいことも思い通りにならないことも、すべて経験していました。したがって、是が非でも勝ちたいという強い思いも、誰にも負けないものがありました。
 私は新チームでもM君をキャプテンに指名し、副キャプテンをF君に託しました。他のメンバーたちも2人をしっかりとフォローしました。
 彼らは、全国大会初出場を目指すという思いで一致していました。

スリーアローズ・ストーリー 19

「監督とは、孤独なのだ」と諦めた途端、目の前の世界が、たちまち明るく軽くなったように感じました。自分は自分の信じる道を進むしかないのだという新しい思いが、心の底を突き上げました。
 まもなくして新チームが始動し、M君を中心とした活気のある練習風景を眺めていると、孤独のうちに考え抜いたことは決して無駄ではなかったと、しみじみと思い返されました。長い2年間でしたが、過ぎてみればあっという間のようにも感じられました。
 練習中、私も声を出しながら「苦労した分、必ずそれ相応の報いがある」と思いました。もう少し言えば、「人生とはバランスで成り立っている」ということでもあると思います。
 明と暗、陽と陰が交互に現れ、最終的には相殺されるようにできているのが人生ではないだろうか。こう言うと、どことなく醍醐味に欠けるように聞こえますが、たとえば、100の苦しみをくぐり抜けた人には100の喜びが待っていて、10の苦しみには10の喜びしか返ってこないというわけです。つまり、苦しみがないところには喜びもないということでもあります。
 よく「若いうちの苦労は買ってでもしろ」と言われますが、それは、苦労に耐えた後にはそれ相応の喜びが返ってくる体験をすることで、苦しみを乗り越えることの意義を若いうちに体得してほしいという期待が込められた言葉なのだと、その時納得しました。
 ラグビー部の監督になって2年近くが経とうとしていました。3年生が引退したグラウンドには、14人の選手が立っています。もはや、無断欠席をしたり、投げやりな言動を吐く者もいません。不思議なことに、この時になって、卒業生たちが急にいとおしくも感じられました。本当に大事なことは、後になって分かるものなのです。
 新チームで試合に出場するためには1人足りませんでしたが、心は晴れ渡っていました。

スリーアローズ・ストーリー 18

 とはいえ、そんなギリギリの状態で、勝てるはずもありませんでした。
 結局その年の全国大会予選は2回戦で敗退しました。ノーサイドのホイッスルが響いた後、3年生の目には涙がありました。彼らがどんなつもりで泣いたのかは分かりません。もしかしたら私は、彼らに一方的につらい思いをさせていたのかもしれないという気も起りました。彼らは私の知らないところで、「まっとうな」悩みを抱えていた、それを、私は一方的な見方によって、チームがまとまらないのを彼らのせいにしていただけではないか? そんな疑念さえ沸きあがってきました。
 ただ、それは、「終わった」からこそ思えることでもありました。当事者ではなくなった瞬間、それまでの見方が変わるのかもしれません。むしろ、3年生の涙は、彼らなりに本気で取り組んできた証なのだと、前向きにとらえようと思いました。その方が彼らにとっても良いはずなのです。
 そんなことを想いながら、いつものように空を仰ぎました。晩秋の太陽は、山あいに新しく作られたグラウンドをさみしげに照らし出していました。芝生が枯れて所々はげているために、選手たちのジャージは泥まみれでした。
 その瞬間、ふっと思いました。
 監督という仕事は、きっと孤独なのだと。
 いくら周りに心強い応援者がいてくれても、当事者は監督1人なのです。苦悩に直面した時、私は、誰かに頼ろうとばかり思っていました。もちろん、応援してくださる人の存在はありがたいものだし、自分1人で解決できるような悩みなら、最初から悩まないはずです。
 ただ、いろんな人がいろんな助言をしてくれても、それらをすべて採り入れるわけにはいきません。最終的に決断し、結果に対して責任を持つのは、自分1人なのです。
 乾いた太陽に照らされた3年生の背中を見つつ、彼らから大切なことを教わった気がしました。

スリーアローズ・ストーリー 17

 とにかく、そんなふうにして、これまでの自分のやり方や考え方に軌道修正を加えたりしてみたのですが、やはりチームは思い通りにはまとまりませんでした。
 R先生のおっしゃる通りだったのです。最上級生である3年生が、本当の意味で必死にならなければ、全体のモチベーションも上がるわけはないのです。
 ただ、高校スポーツの難しいところは、彼らの活動には明確な期限が決められているということです。時間をかけて3年生と向き合い、やる気になるまでじっくり待つということは、現実的ではありません。そうやって待つ間に、卒業を迎えてしまいます。そうして、彼らよりも一生懸命になっている下級生たちの心がすり減ってしまいます。
 家庭教師のように、1人の生徒に対応するのであればじっくり待つことは教育的です。しかし、あくまでチームで行う高校の部活動には、様々なルールが必要になってくるのは社会生活と同じだと思うのです。そんな葛藤が続きました。
 そうして、あっという間に秋になりました。前年度の激闘から1年、チームは個人技に頼るばかりで、全体のレベルはあまり上がりませんでした。私は2年生を中心にチームを作りながら、週1日で練習に参加する3年生にも気を配りました。何より苦しかったのは、部員数でした。その年に入部した新1年生は6人で、2年生8人、3年生は途中入部もあって5人。つまり部員は19人しかいませんでした。
 ラグビーはチームスポーツ最多の15人で行いますが、常にけが人を抱えることを考えると、部員はその倍、つまり30人は必要だと言われています。それゆえ、全国大会予選の前に1人でも練習に来なくなると、チームにとっては大きな痛手でした。
 心の中では葛藤を抱えながらも、彼らのやる気を失わないように、言動には注意を払いました。非常に疲れはしましたが、今思えば、監督として大切なことを体得したのだとも思います。

スリーアローズ・ストーリー 16  

 そういえば、その頃に学んだことがもう1つありました。「一生懸命やれば、必ず味方になって応援してくれる人が現れる」ということです。私の場合、それは国語教師のR先生でした。
 R先生は、いつもきちっとした身だしなみをされながらも、いかにも学生時代は文学少女だったという面影をどこかに引きずった方でした。正確な年齢は分かりませんでしたが、もうすぐ定年を控えているあたりだったと思います。
 同じ国語教師として、私とはずいぶんとタイプが違うR先生に、いつのまにかいろんな相談を持ちかけるようになっていました。
 これを言うと、R先生に怒られるかもしれませんが、彼女は職員室の中では存在感が大きい方ではなく、さしずめ、花壇の隅っこで人知れず咲く花のような雰囲気でした。だからこそ、私の話に興味深そうに耳を傾けてくれ、そうしてアドバイスをくださいました。
 スポーツには縁のないR先生にラグビーの話をしても、なかなか通じないところもありましたが、私が求めたのはプレーのことではなく、選手1人ひとりについての話でした。
「ラグビーが上手ではなくても、あえて危険なスポーツにチャレンジしようというところは評価できますね」とか「あの子はラグビーをすることで人生が変わったと思いますよ」とか、私が本当にうれしくなるような話をしてくださったものです。
 それで私は、職員室にいる時は、他の教師に聞こえないような小さな声でR先生と話をしたり、場合によっては、廊下に出て話を聞いてもらったりもしました。
 ただ、R先生は、新3年生について、「あの人たちも、ラグビーを完全にやめずにチームに残っているわけだから、2年生のM君をキャプテンに指名したからといって、決して見捨てないでくださいね」と、言われたことがあります。
 その言葉は、私の心の表面に、じつはずっと突き刺さっていました。

スリーアローズ・ストーリー  15

 職員室でもずっとラグビーのことを考える日々が続きました。私は、これまでの自分のやり方を裁いていたのです。そしてちょうどその頃、前任校では知らなかった事実を知ることにもなりました。
 進学校の教師の本分はあくまで「学習指導」であり、部活動に熱心になることは、えてして他の教員からの批判を受けることにもなりかねないのです。自らの限られた経験を頼りに突っ走っていた私は、それに気付くのにずいぶんと時間がかかってしまいました。
 だから、職員室にいる時に部活動のことで頭を抱える姿を他の教員に見せることは、必ずしもプラスには働かないということをうすうす感じ始めました。その点においては、初任校の方が恵まれているようにも思われ、感傷的にもなりました。  大規模校では、教師の指示を待たなくとも主体的に考え行動する生徒が多いということもあってか、職員室の中での話題は、ほとんど進路のことに限られているような気がします。誰がどこの大学を目指していて、今の偏差値ではまだ足りない、だから、もっと頑張らせるか、それとも志望大学を下方修正するか・・・そんな話で持ちきりです。
 逆に小さな学校へ行けば、センター試験を突破しようという生徒もほとんどいないためにそんな話題にはならないわけですが、その代わりに生徒の学校生活や家庭のこと、交友関係や抱えている悩み、そんな情報を多くの教師が共有し、親身になっています。
 大規模の進学校の生徒だからといって、悩みがないわけではない。思春期に直面する高校生は、誰もがそれぞれに悩みながら日々を生き抜いているというのが私の実感です。
 多くの生徒がセンター試験に挑戦する進学校だからといって、必ずしも1人ひとりに応じた教育活動が行われているとは限らない。それが、職員室でふさぎ込みながら、私が感じたことでした。

スリーアローズ・ストーリー  14

 そうして、M君と同じように、私も、悩んでいました。
何より、山間部の初任校で得た「熱意と誠意は必ず伝わる」という金言めいた経験則が、まさか、進学校の高校生に通用しないとは、思ってもみませんでした。
 高校時代、1週間以上にも及ぶ真夏の合宿の間に、「監督とは何と楽な仕事なんだろう」と恨めしく感じたことがあります。練習中は、泥まみれの私たちを怒鳴ったりするだけで、それが終わればいち早く宿舎に帰り、たばこを吸いながらロビーで談笑する。そんな姿を見ながら、理不尽さすら覚えたことがあります。
 もちろん、それは高校生の一方的で恣意的な見方でした。いざ自分が監督のポジションに着いた時、選手の時には想像もできなかった心労がのしかかり、そこで初めて、休日を割いてまでも指導してくださった高校時代の監督に対する真の敬意が沸いてきたのです。
 監督としての悩みに直面しながら、私は、こんな声を聞いていました。
・大きな試練とは、何かを成し遂げた後にこそ待っている
・つまり、何かに挑戦しようとする時、思い通りにいかないのが人生である
 それまで「プラス思考」で生きてきたつもりでしたが、実は、本当の「プラス思考」とは、そんなに生やさしいものではないということを思い知らされました。
 世界は思ったよりも広く深く、しかも刻一刻と変化している。その変化の潮流は、情報化社会の中で、我々のいる地方にも確実に波及している。だから、ラグビーのチーム1つとっても、過去の自分の経験だけですべてがうまくいくほど、甘くはなかったのです。
 私が初めてグラウンドに立った日にキャプテンから言われた言葉が何度もよぎりました。
「僕たちには僕たちのやり方がある。先生は昔ラグビーをしていたということだが、今のラグビーは進化している。だから、僕たちのやり方を変えるようなことはしないでほしい」

スリーアローズ・ストーリー  13

 ところが、本当の試練は、新チームになってから襲ってきました。
 A君たちが引退した後の新3年生は3人しかおらず、この人数ではどうやっても勝てないだろうと、彼らも夏には引退すると言い始めたのです。県大会の準決勝で伝統校と対等に闘う経験をし、チームとして1つのステップを上がったと思っていた私でしたが、結局また振り出しに戻ったという目の前の現実の厳しさを痛感させられることになりました。
 そんなチームを救ってくれたのが、私と一緒にチームの門をくぐった新2年生の8人でした。先輩たちの激闘を目の当たりにした彼らは、本気で全国大会に出場したいと考え、練習に励んでいました。
 その思いがひしひしと伝わってきた私は、夏の大会が始まる前に緊急ミーティングを開き、新キャプテンを2年生のM君に指名しました。彼はサッカー部上がりで身体能力もきわめて高かったのですが、なにより人間性に惹かれるところがありました。私たちの世代のキャプテンに多かったガンガン引っ張っていくタイプではなく、みんなの意見を聞きながら物事を進めていくことができました。また性格も穏やかで、誰とでも公平に接することができるという点もキャプテンにふさわしいところでした。
 これで新3年生がどうなるだろうかと心配しましたが、彼らは逆に肩の荷が下りたようにも見え、結局、引退した先輩たちと同様、週1日の練習ではあるものの、最後までラグビーと勉強を両立するという道を選択しました。
 とはいえ、人数が少ないということが大きかったのでしょう、残念ながら、新3年生の取り組みは、旧3年生を超えることはありませんでした。夏を過ぎてからは、練習にもほとんど顔を出さなくなり、プレーも投げやりなところが感じられました。
 2年生キャプテンのM君も、心の中ではずいぶんと悩んでいたろうと思います。

スリーアローズ・ストーリー  12

 試合開始のホイッスルが鳴りました。私はA君を、スタンド・オフという、司令塔の位置で起用しました。
 すると、いきなり彼は最初のプレーで相手ディフェンスの隙間を見つけ、そこに果敢に飛び込んでいきました。いかにも彼らしい積極的なプレーでしたが、複数の必死のタックルに押し潰されてしまいました。
 ところが、プレーが終わっても、起き上がることができず、その場にうずくまっています。タイムがかけられ、そばに走り寄ると、A君は苦渋の表情で手首を押さえているではありませんか。手首の曲がりようからして、どう見てもプレーが続けられる様子ではありませんでしたが、彼は、途中交代を頑なに断りました。後の診断では、複雑骨折でした。
 ポジションを変えて様子を見ていましたが、彼は手首を押さえながらも必死に声を出し続けていました。今思えば、A君を交代して控えの1年生を起用するべきだったのかもしれませんが、あの時の私には、どうしてもそれができませんでした。
 試合の方は、息をのむ大激闘の末、結局5対8で敗れました。ラグビーでいう3点差とは、トライではなくキックの差ですから、これはほんとうに僅差だったわけです。
 試合後のグラウンドには、大喜びする私の母校の選手たちと、応援団の方々の姿がありました。20年前に味わったのとは少し違う悔しさが、喉元を締め付けました。
 思わず、あの日と同じように、空を見上げました。すると、あの日と同じ晩秋の青空が、グラウンドの枯れた芝生を包み込んでいました。
 ところで、A君は、それから数週間の入院生活を余儀なくされましたが、その間も病室に足を運び、彼と一緒に入試問題にチャレンジし続けました。
 結果として、早稲田大学への入学は叶いませんでしたが中央大学に入学し、現在は、大手企業で働きながらベンチャー企業の立ち上げを狙っているのだと、あの日と同じ目で語ってくれました。

スリーアローズ・ストーリー 11

 A君は強情でありながらも、実はとても素直な高校生だということは彼の目を見れば分かりました。いや、ほとんどの高校生は、心のどこかに素直さをもっているというのが本当かもしれません。彼らは内面を表現するのに、ぶっきらぼうなところがあるのです。
 早稲田の入試問題の解答をA君に解説しながら、私は自らの実体験を彼に語っていました。そのうち、彼も少しずつ心を許すようになってきたという手応えがありました。
 そうして迎えた、県大会予選。週1日程度の練習、しかもグラウンドには照明がなく、私の車と工事現場の夜間照明を借りての限られた環境の練習を経て、3年生8人は新しいユニフォームを着てグラウンドに立っていました。
 1、2回戦はキャプテンの個人技が光って危なげない戦いで勝利し、準決勝へとコマを進めました。相手は強豪校で、実は私の母校でもありました。
 私はこの試合に賭けていました。というのも、決勝に進出するとテレビ中継もあり、新聞にも取り上げられ、これからのチームのことを考えると、今年の躍進ぶりを少しでも多くの人に知ってもらいたいという想いがあったのです。それに、選手たちも決勝に進出するのが大きな目標でした。過去に例がなかったのです。
 チャンスは十分にありました。相手は強豪とはいえ、その年だけメンバーが少なく、3年生は5人しかいませんでした。私がラグビーから遠ざかっている20年の間に、じわじわと少子化が進み、ラグビー人口も減っていたのです。
高校生の時、人間関係に苦しんだチームで戦った最後のグラウンドに、今度は違うチームの監督として立っている。しかも相手は、私が着ていたのと同じジャージを着ている。
 これまで経験したことのない感慨に、試合前から震えが止まりませんでした。試合前の乾いた晩秋の風に吹かれながら、今日はやれる、と思っていました。

スリーアローズ・ストーリー  10

 さて、思わず、実体験ばかり書き連ねてしまいました。悪い癖かもしれません。この文章のタイトルが「スリーアローズ・ストーリー」であることをすっかり忘れるところでした。私が監督として赴任したラグビー部の話に戻りましょう。
 さて、今「悪い癖」と書きましたが、「自らの実体験を子供たちに押しつける」ことは、大人や教師たちの癖かもしれません。しかし、状況を考えずにこれをやってしまうとうまくいきません。ほとんどの場合「空回り」してしまいます。
 とはいえ、自らを伝えることは大切なことでもあります。歴史もそうやって作られるものです。ただ、壁に直面している高校生に向かって「俺はこうやってその壁を乗り越えたんだ」というふうに語っても、「僕は先生とは違うんですよ」と辟易されるばかりです。
 しかし、私は、早稲田大学に入学するためにラグビーを引退すると言って聞かないA君を、そのまま見過ごすことができませんでした。正直を言うと、いくら他の3年生7人が全国大会予選まで残ったところで、たった週1日の練習で花園に行けるほど、甘くはないことは私が一番よく分かっていました。なので、たとえA君が引退しても、もちろん彼はチームの大黒柱ですから痛いには違いないわけですが、それで何かが大きく変わるということはありませんでした。
 ただ、このままA君はやめてしまってもいいのだろうかという想いが心にありました。せっかく勇気を持ってラグビー部に入部して2年間練習してきたのに、彼は一番大事な経験をする前にラグビーをやめてしまう。そのことが、とてももったいなく感じられたのです。
 私は練習後に、A君と一緒に早稲田の入試問題を解くことにしました。それは、とても新鮮な時間でした。何より、実際の大学入試の問題にチャレンジできるというのは自分自身のレベルアップにもつながると感じ、いつの間にかA君に感謝していました。

スリーアローズ・ストーリー  9

 負けた後になって初めて高校生としての「現実」に直面することになった私は、「このまま大学入試を突破できなければ、俺の高校生活はいったい何だったのだろう?」と、猛烈な焦りに襲われました。生まれて初めて、すべてが恐ろしくなってきました。
 全国大会に出場できなかった悔しさも相まって、こんなことなら特別推薦の話を断るんじゃなかったとさえ思いました。しかし、そんな堂々巡りをしていても何も始まりません。自分にできることといえば、残り1ヶ月の間で、他の受験生が何年かかけて行う受験勉強を一気に終えるということのみでした。
 そこから先は、「無我夢中」でした。ほぼ3年分たまっていた「進研ゼミ」を、たしか2週間近くですべて片付けました。大晦日と元日も模試を受けました。ビジネスホテルの部屋で年越しを迎えながら、模試の勉強に励みました。それでも、結果はさんざんで、第1希望の大学の判定は最低ランクの「E」でした。
 ただ、前にも書きましたが、人間は一生懸命になれば大抵のことはできるものです。結局私は、センター試験と、それから大学が行う2次試験を何とかクリアし、第1希望の大学に入学を許されました。まさに「火事場の大逆転」というところでした。
 今思えば、ラグビーをしていたがゆえに苦しんだ高校時代の経験は、私の「自尊心」のささやかなよりどころとなっています。
 大学生になって、太宰治の『東京八景(苦難の或人に贈る)』(※)という短編小説の中に、このような文章を見つけました。

人間のプライドの窮極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか

(※ 新潮文庫「走れメロス」中に収録)

スリーアローズ・ストーリー  8

 人間関係の苦しみは、きっと3年生になると解消するだろうと、どこかでたかをくくっていましたが、実際に上級生になってみると、それ相応の問題がのしかかってきました。
 それでも、私たちが3年生になった時、チームは春先から調子がよく、地区大会はすべて優勝し、ラグビー誌にもいち早く取り上げられ、全国大会ベスト8以内は間違いないだろうと関係者の間では囁かれるほどでした。
 ところが、夏の合宿を終えてから、途端にチームは急降下していきました。それまでの無理がたたったのか、あるいは自分たちの力に過信してしまったのか、どこかで歯車が噛み合わなくなり、おまけに、主力選手が次々と怪我をしてしまいました。それも、膝の靱帯が断裂したり、肩の骨を骨折したり、首の骨にひびが入ったりと、大きな故障ばかりでした。
 気がつけば、冬の全国大会予選の前には、5人の主力選手がチームにいませんでした。そうなると、チーム内の人間関係にもますます不協和音が響き渡ります。
 全国大会予選の決勝、花園出場をかけた大一番で、私たちのチームは僅差で敗れ、10年連続全国大会出場を逃しました。ノーサイドのホイッスルが鳴った後、グラウンドの上ではチームメイトたちがうなだれていました。冬の冷たい日差しは、茶色くなりかけた芝生を照らし出していました。相手チームの応援団たちが抱き合って喚起している光景が、まるで他人事のように目の前に広がっていました。
 その瞬間、まず私はこう思ったのをよく覚えています。
「これでやっと、ラグビーと、それからこのチームから解放される」
 ところが、悔しさは後からじわじわとこみ上げてきたのです。振り返ってみると、自分は高校時代のほとんどをラグビーにかけていた、そのことを敗戦の後になって、嫌というほど思い知らされたのです。

スリーアローズ・ストーリー  7

 少し古くさいかもしれませんが、いわゆる「火事場の馬鹿力」というやつです。人は一生懸命になれば、大抵のことはできるのだと思います。それから、追い込まれた状況を打破しようとする時にこそ、自尊心の光が差し込んでくるのです。
 私は高校時代に、いわゆる名門校でプレーしていたと書きましたが、実は選手としての生活は、絶望的と言いたいほどでした。今から20年近く前のことです、当時は「根性主義」が全盛で、とにかく練習は質よりも量でした。特に夏場の練習は、まさに地獄でした。長野の菅平高原や大分の湯布院などに全国から強豪校が集まり、毎年合宿が行われたものです。朝5時に起き、夜の8時過ぎまで、練習や試合が組まれます。それが10泊近く続くわけです。今思い起こしても、ぞっとします。
 ただ、そういう肉体的な苦しみは何とか耐えることができました。全国大会に出場したいという確かな目標があったからです。
 あの頃はテレビ番組の「スクール・ウォーズ」の影響もあって、ラグビーは花形スポーツでした。私も小学生の時に花園ラグビー場に何度か通い、全国大会を目の当たりにして、高校野球とはまた違う、心高鳴る世界を肌に感じました。そうして、いつかは自分もここに立って、満員の観客の中でプレーしたいと強く思うようになっていました。
 それゆえ、たしかに練習の厳しさは想像を絶するものでしたが、あのグラウンドに立つにはこれくらいのことをして当然だという気持ちがあったわけです。
 つまり、選手としての絶望感とは、練習内容にではなく、人間関係に対して感じていました。
 名門校には、プライドをもった選手が集まってきます。それがあるからこそ、勝負で相手を上回ることができるのですが、私はそういう弱肉強食の世界にどうしても馴染めませんでした。小学生の時に抱いた憧れの前に立ちはだかったのは、「現実」の厳しさでした。 

静かな夜に

 やっと金曜日になったというところです。
 今日は、うれしい知らせと、残念な知らせをそれぞれ受け取りました。

 でも、今起こっている出来事がほんとうにいいことなのかは、ずっとずっと後になって初めて分かることですよね。
 今の結果に一喜一憂せずに、常に前を向いていてほしいです。

 生きている以上、すべては「途中経過」ですから。

 

スリーアローズ・ストーリー  6

 私がラグビーにこだわったのは、何も勝利を追求するからではありませんでした。
 高校教師であった以上、大学入試がいかに重要かということは十分に理解していたつもりです。自分の半生を振り返ってみても、センター試験が人生のターニングポイントだったことは間違いありません。
 ただ、社会人になってから特に強く感じるようになったのは、勉強だけができても人生を楽しむことができるとは限らないということです。
 20代の前半、私は1人で生きていくことができればどんなに楽だろうと憧れていました。誰かに期待したり信用したりするから、裏切られたような気分に陥るのだと。
 ところが、20代も後半に入ると、少しずつその考えが崩れてきました。自分1人でやれることには限界があると思い知らされるほど、仕事が大きくなってきたのです。それに、協力して物事を成し遂げたときの達成感は、1人だけでやり終えたときとは違う心のぬくもりが得られるのだということも少しずつ知りました。
 そしてある時、ふと思いました。私がみんなで協力して仕事をしようと考えるようになったのは、ラグビーが影響しているのではないかと。もちろん、これは何のスポーツでも、サークル活動でも同じで、高校時代に仲間と目標を設定し、そこに向かって練習を重ねるという経験は、その生徒が、将来、集団の中で自尊心を保つ上で有効な教材となるはずなのです。
 そう考えたからこそ、30歳を超えた私は、自信を持って部活動に臨みました。
 それに、もう1つ、密かにつかんでいることがありました。特に男子生徒の場合、早い段階で受験勉強だけの生活に入るよりは、部活動と勉強を両立することによって、限られた時間に集中して取り組むようになり、その結果、部活動でのパフォーマンスと学習成績が連動して、併せて向上するのだという確信のようなものをもっていました。
作者

Author:スリーアローズ
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