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I can't speak English !

 今日は、国際交流のイベントを担当しました。
 県内の高校生を中心とした希望者が、様々な国から来ている留学生や国際交流指導員と、すべて英語を使ってコミュニケーションをはかるという企画でした。
 ここ数年は海外に出ていない私にとって、こういう経験はとても刺激になります。海外の文化は本当に千差万別で、服装や態度などにそれが現れておもしろいですね。日本の、どちらかといえばきっちりとした教育を受けてきた私たちにとっては、自国と海外の文化を比較するきっかけにもなり、高校生たちの表情も生き生きしていました。
 今日はアメリカ、スペイン、フランス、タイ、バングラデシュ、台湾、韓国からそれぞれ数名ずつの留学生が参加していました。特に感じたのは、東南アジアの学生に特にパワーがあるということです。彼らはどんどん前に出てきて(退屈になるとだらけたりもするのですが)自己主張してきます。アメリカやヨーロッパの人は、(彼女たちは超一流大学の出身ということも関係しているのかもしれませんが)総じてゆとりがあり、日本の高校生と落ち着いた雰囲気で話をしていました。彼女たちは約3時間話し続けていましたが、終わった後で「楽しかったでーす」と流ちょうな日本語で言っていました。こういう交流に、馴れきっているのですね。
 こうして見てみると、日本の高校生は、消極的に感じられます。ただ、私はそのことが悪いとは思いません。古語で「おくゆかし」という形容詞があります。「胸の奥が見てみたいと思うくらいに深みがあって、心がひかれる」という意味です。
 どうやら島国である日本人は、直接的なコミュニケーションというよりは、深いところでの心遣いを重視するようです。これは一般論、というより単なる私の仮説ですけど。
 様々な国らしさがぶつかり合ってこその異文化交流だと、私は思います。
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それにしても寒かったですね…

こんばんは。
1月もあとわずか。いかがお過ごしでしょうか?

私の方は、オーバーワークでぐったりしています(^_^;)
寒さが体力を奪うんですかね!?

明日は早朝からイベントの準備です。
あなたはどうですか?
ちゃんと休みがとれますか?

明日が仕事の方も、休みの方も、いい一日となりますように(^_^)

助けて、ドラえもん

 初めての海外旅行はバンコクでした。留学生だったタイの友人の家を訪ねる旅でした。彼は私の訪問を心から歓迎してくれ、市内に点在する観光スポットを案内してくれました。
 その途中、目にもきらびやかなタイ王宮の前に護衛兵が立っていたのですが、生まれて初めて私は本物の自動小銃を目の当たりにしました。それは、おもちゃの銃とは全く違う、ある名状しがたい、恐ろしいものが漂っていました。日本にいると、全く分からないことです。
 大学を卒業した年にはニューヨークに行きました。JFK空港からリムジンバスでマンハッタンに入るとき、ひときわ大きなツインタワーが遠くから視界に入り、いよいよニューヨークに入るのだと心が躍ったのを覚えています。9.11の同時多発テロが起こったのは、その翌年でした。アメリカはそのままアフガン戦争に突入していきました。
 恐ろしい夢を見るようになったのは、ちょうどその頃でした。夢にドラえもんが現れるのです。そうしてお約束の「どこでもドア」を出す。私は何も考えずにドアの向こうに足を踏み入れる。するとそこは戦争の最前線なのです。バンコクの王宮の前で見た自動小銃を構えた兵士たちが銃撃戦をしている。
 私は腰を抜かして必死に「どこでもドア」に戻ろうとする。しかし、すでにドアは仕舞われ、頼みのドラえもんの姿はどこにも見えない・・・
 ハッと目が覚めたとき、腋の下には嫌な汗をかき、心臓はばくばくしています。そうして、今自分が日本にいることが、天国のように思われるのでした。
 普通に生活している分には、退屈な時もあるし人付き合いに煩わしさを感じることもあります。しかし、そんなありふれたことに心惑わされるのも、自分が今、戦火の中にいないからなのです。

時間の香り

 ウイスキーを飲むのがとにかく楽しみな時代がありました。
 今から15年ほど前のことです。仲が良かった同僚と、仕事が終わって2人で街に繰り出してはショットバーに足を運び、彼がパチンコで大勝した時にはバーでは飲めないような上質なウイスキーを買って、私の部屋で品評会をしたものです。
 現在NHKで「マッサン」が放送されているようですが、私もニッカのウイスキーのファンでした。学生時代にバーで働いていたためにいろんなウイスキーを飲む機会に恵まれ、当時はマッカランやグレンリベットなどの本格スコッチウイスキーが人気でしたが、私の口には日本のウイスキーの方がしっくりくるようでした。
 友達を訪ねて仙台に行った時には、作並温泉郷にあるニッカの蒸留所まで足を伸ばし、実際にウイスキーができる過程を見学しました。神聖さ漂う森の中、ピートを燃やす匂いや貯蔵庫の樽の匂いがほのかに感じられました。できたばかりの原酒には、新鮮で華やかな香りが閉じ込められていました。
 心がこもっている、と言ってしまえば簡単ですが、その時飲んだウイスキーはとても丹念に作り込まれた感じが伝わってきました。ウイスキーとは嗜好品なわけですが、だからこそ作り手はいっさい妥協しないというおもてなしの精神が詰まっているようでした。
 それって、とても日本的な感覚だと思います。
 そういえば、先日飛行機を使った時、機内誌にサントリー「響」の特集が組んであって、思わず購入してしまったのですが、さすがに受賞ウイスキーだけあって洗練された味わいでした。ニッカのウイスキーとはまた違った奥深さが感じられました。
 何かと世知辛い世の中ではありますが、仕事を終えて、ゆっくりとウイスキーを飲む時間も、たまには必要なのかもしれません。 

オール・イン・ワンの底力

 靴って、大事ですよね~
 たとえば、裸足で歩いてみると、舗装されたアスファルトの上でさえ小石が刺さったり、夏には熱かったりして、そう簡単に歩けるようなものではありません。
 特に体の重い私の場合は、靴にかかる負担は相当なものだと想像します。「普段身につけるアイテムで最も感謝するものは何か?」と問われると、迷わず「靴」と答えます。
 教員だった頃は、靴は下駄箱に入れていたので、普段は上履きとしてクロックスを愛用していました。スーツに似合うとは言い難いですが、何と言っても快適さが魅力でした。
 それが、今の職場は土足のまま入っていくので、どんな靴を履くかはけっこう悩みどころです。4月当初はリーガルのプレーン・チップを愛用していましたが、こんなにきちっとした革靴を1日中履いていると、どうしても疲れてしまいます。
 そこで出会ったのが、アシックスのランウォークというビジネスシューズで、これはジョギングもできるように設計されていて、おまけに完全防水。このゴアテックスという防水システムは、靴内の熱気を吸収してくれるので、むくみにも抜群の効果を発揮してくれましたが、気に入れば気に入るほど、デスクワークではなく、出張や取引の場で履きたいという思いが出てきました。
 そこで考えついたのは、思い切って、ランニングシューズ。スポーツショップで大幅値引きしてある型落ちの中から、スーツに合わせても違和感のなさそうな黒っぽいものを選びました。これが大正解でした。
 デスクワークも快適ですし、動き回る時もじつに快適です。遅刻しそうになった時にはダッシュもお手の物。階段も駆け上がりたくなります。それでいて、ちょっとした来客時にも対応できるわけです。
 本革の靴を履いた時には、メリハリが効いて、いつも以上にびしっと決まった気もしますね。

1月もあともう少し・・・

 1月は「いく」(行く)、2月は「にげる」(逃げる)、3月は「さる」(去る)などと言われたりしますが、じつはそう簡単に時間が経たないのがこの時期だと、密かに思っています。
 特に1月の終わりから2月にかけては、気温も低く、インフルエンザも流行ったりして、何かと気が重い時間が続きます。
 そういえば、私の家の庭には、けっこういろんな樹木が植えてありますが(友達が来て、植えたい植物を勝手に植えたりするのです・・・)夏の間は雑草との格闘がうち続くのに対し、この時期はその必要もないほどに閑散としています。
 人間も、植物と同じバイオリズムを生きているんだなあと実感します。
 例年、この時期にはお宮参りをします。何とか無事に乗り切って春を迎えるために、手を合わせるのです。冷たい境内は不思議と心が温かくなり、その雰囲気が私は好きです。
 そういえば、今年はまだお参りしてないですね。
 春になれば、多くの職場で新しい仕事が始まります。
 それまで、静かに力を蓄えておく季節が今なのかなと、近年そう思うようになりました。この週末にはきちんと参詣しておきたいです。

 あなたも、どうぞご自愛くださいますよう・・・

始めるのに遅すぎることなんてない!

 大学時代、一般教養の講座でスポーツ関係の授業をとっていたことがあります。その中で、担当教官が、「スポーツと運動はどう違うか?」という問を私たちに投げかけました。
 すると、ある学生が「スポーツは見学してもおもしろいが、運動は見学するとおもしろくない」と答えました。私にとっては意表を突く名答でした。
 私は大学までラグビーの選手として活動しましたが、就職した後はぱたりとやめました。クラブチームから誘いを受けることがあっても、すべてお断りしました。当時まだ20代で、その気になれば十分にプレーできたでしょうが、私の中ではラグビーは自分がするものではなく、観戦するものなのだというふうにシフトしたのだと思っています。
 その後は、スポーツの指導の世界に入ってゆき、自分がプレーすることからは遠ざかっていました。それが、前の職場に赴任した時、職員の方々のスポーツ熱がとても高く、駅伝大会に誘われました。走ることとなると、中学以来のことだったのでかなり不安でしたが、実際に走ってみると、過去にスポーツをやっていた人間にとっては、本能が呼び覚まされるというか、思いの外、本気になっていました。
 さて、今日は、地元で駅伝大会が行われ、朝から応援に駆けつけてみたのですが、知り合いのチームに引きずり込まれ、そのまま補助員として荷物を運んだり、ゼッケンを張ったりと、けっこう働いてしまいました。
 それより、参加チームの多さとその熱気にびっくりしました、市役所の駐車場が選手でいっぱいになっていたのです。中には、高齢の方や主婦の方もいて、皆さんランニングウエアがなかなかサマになっていました。
 ひょっとして、これからは、スポーツは観戦するものではなく、いくつになっても、自分でプレーする時代がくるのではないか、と会場を見渡しながらそう思いました。

走ることと、苦しむことと、生きること

 昨日「人格」の話を書いたのですが、多くの方に読んでいただいたようで、とてもうれしく思います。
 それで、調子に乗って、また同じ話題になってしまいますが、今日の午後に来週行われる駅伝の試走をしながらふと思ったことを書きます。
 仕事でも勉強でも、何か目標に向かって努力するということには、苦悩がつきまとうのは当然のことです。自分は本当に達成できるのだろうか、もしできなかったらどうしようか、目標が大きければ大きいほど、そんなことを考えるのが人間でしょう。
 特に社会人になって、仕事も大きくなると、より多くの手で取りかかることになるわけです。そうすると、今度は自分が足を引っ張るのではないか、上司に叱責を受けるのではないか、など、自分以外の人との関わりについての不安が大きくなってきます。
 ただ、最近私はあることに気付きました。
 ひょっとして、不安を感じていない人もいるのではないか?
 それは自信とも少し違う、どちらかと言えば傲慢に近いのかもしれない。そういう人も中にはいるようです。
 駅伝のコースになっている田園地帯を走りながら、思いました。
 立派な人というのは、おそらく、ずっと悩み続けるものではないか、と。まして、今は時代が猛スピードで変化していて、ぶれない軸をもっていないと流されてしまう。しかし、自分の軸を貫くのはそう簡単なことではない、だから、悩むのです。
 中島みゆきの唄の中に「ファイト!闘う君の唄を闘わない奴等が笑うだろう ファイト! 冷たい水の中をふるえながらのぼってゆけ」という歌詞がありますが、きっと「人格」が備わっている人に限って、悩み戦い続けるものなのだと思います。

いちばん大切なこと

 今日、私が携わるイベントに精力的に協力してくださっている方を訪問した際、珍しく「最近、僕はよく嫌みを言われるんですよ」と愚痴をこぼされました。
 私から見ると彼は今時珍しい熱血漢で、これと決めた仕事には、全く手を抜かずに取り組む姿に日頃から刺激を受けていました。
 話を聞くと、どうやら、その情熱あふれるところが周囲の人の批判を買っているようでした。まあ、社会においてはよくあることです。
 もちろん、社会人となってある程度のキャリアを積めば、結果を残さなくてはなりません。いくら頑張っても、その仕事が的を射ていなければ当然評価はされない、それが私たちの世界です。
 ただ、大きな組織の中で日々働いていると、社会人としてもっと大切なことがあるような気もしています。それは「人格」です。
 仕事の結果とは、ほとんどがお金に関わることです。そうして、単にお金を集めてくるのがうまい人もたしかにいるようです。しかし、いくら金集めがうまくても、「人格」がともなっていなければ意味がない。おそらく、その人はそんなに長続きしないでしょう。
 その点、「人格」がともなっている人は、短期的な結果にはとらわれません。きっとお金のことよりも、仕事のやりがいや楽しさに価値を置いているはずです。逆に言えば、楽しくないと良い仕事ができず、お金も集まってこないのです。
 今日、愚痴をこぼされた方は、おそらく周りに妬まれているのだろうと直感しました。そんなに熱くなれることが、周りの人にとっては羨ましいのです。しかし、皮肉なことに、一生懸命に仕事をしていると、自分が妬まれていることにすら気付かず、落ち込んでしまいます。でも、「人格」とは、そういう経験があるからこそ備わってくるのです。

トイレの神様

 昼休みにパンを買うためにコンビニに行った際、ついでにトイレを使わせてもらいました。ふと顔を上げると「ようこそ、いちばんホッとできる場所へ」という可愛らしい文字が躍る貼り紙が目に飛び込んできました。
 高校生の頃、よくトイレ掃除をさせられて、それがたまらなくつらかったのを思い出しますが、この貼り紙を見ると、妙に納得させられる今の自分がいました。
 昼休みが終わってオフィスに復帰した後、何度かトイレに行ったのですが、たしかに「いちばんホッとする場所」というキャッチフレーズは言い得て妙だと実感しました。
 そういえば、転勤したての4月、ピリピリしたオフィスの雰囲気に圧倒されて、何度もトイレに駆け込んだのを覚えています。今思えば、身体の方が安らぎを求めて、自動的に催したのかもしれません。あの時、用を足しながら、深くて長~いため息をついたものです。
 思うに、トイレとは「逃げ込む場所」なのかもしれません。さすがにトイレの中まで追いかけてくる上司はいないですから。あるいは、老廃物を外に出す代わりに、頭の中に新鮮なアイデアが入り込んでくるのかもしれません。トイレでほっとした途端、頭の中で絡み合った糸が意外にも簡単にほどけたりもします。
 ただ、それって、歓迎すべきことではないようにも思えます。やはり人間は他の人と一緒にいるときにこそ幸福を感じていたいというのが、あくまで私の理想です。
 とはいえ、やはり、1人の時が落ち着くというのは、誰もが感じたことがあると思います。英語でも公共の場所にあるトイレは「rest room」 と言ったりもします。
「コミュニケーション」というカタカナが氾濫している今の世の中において、もはや1人になるために逃げ込める場所はトイレしかないというのが現実なのかもしれません・・・ 

こんばんは

 今夜も『静かな散歩道』を訪ねてくださいまして、ありがとうございます。

 新年とはいえ、じつは何かと疲れがたまりがちなこの時期。
 お互いに、心と身体のバランスには気をつけたいですね!

 明日もこのブログでお会いいたしましょう。

みんなでランチをする喜び

 たとえば3人でドライブに行くとします。ランチの時間になり、助手席に乗っている人がスパゲッティを食べたいと言い、後ろの座席の人はラーメンを食べたいと言う。
 さて、ハンドルを握っているあなたはどうするか?
 最も無難なやり方は、両方の意見を聞き入れた上で、最終的にはスパゲッティかラーメンのどちらかを食べに行くという方向に落ち着けることでしょう。我慢する人が出るのは仕方ないとして、大きな批判を受けることもないはずです。
 私もそういうやり方を採ってきました。たとえば、高校の文化祭のバザーで、モザイクアートを作るか写真展をするか生徒同士の意見が割れたとき、話し合いによって自然な妥協点にたどり着くことをまず目指したものです。
 ところが最近、何かを決定しなければならない状況に数多く直面する中で、そういうやり方に何となく物足りなさを感じるようになりました。他人と口論になりたくない、批判されたくない、そういう心理が働くあまり、他人任せになって、何の変哲もない無難な結論に達することが多くなり、しかも、そうやって決まったことには、意外にも不十分な点があったりもするのです。
 現時点の私なら、スパゲッティにするかラーメンにするか割れた時に、あえてカレーを食べに行くことを提案するかもしれません。もちろん、2人の意見に耳を傾けないというわけではないのです。彼らのニーズを踏まえた上で、あえてカレーを食べに行くのです。
 なぜなら、そのカレーがとびっきり美味しいということを私は知っているからです。事前に下調べをし、評価も高いという裏もとってあります。何より私自身がそのカレーのファンなのです。
 もしかすると、美味しくないと言われるかもしれない。味覚とは千差万別です。しかし、その批判を恐れていては、大きな発見の喜びを皆で共有することもないと思います。

すれ違いの人生

 仕事柄、人とすれ違うことが多いのですが、この「すれ違う」瞬間には、なかなか奥深い人間ドラマがあるように思います。
 私の職場は、トータルでは相当な数の人々が働いているので、自分のオフィスを離れて他の部署や売店に行くときには、かなりの人とすれ違うことになります。その時、たとえば遠くから素敵な女性のシルエットが近づいてくると、もちろん気になるわけです。
 しかし、だからといってその人のことずっと凝視するわけにはいかない。それで、距離が縮まるまでは、何食わぬ顔をして前に進み、すれ違う瞬間に、ほんの一瞬だけ、できれば相手に気づかれぬように、ちらりとその人の方に目を遣る。まさに一瞬芸です。
 これが、私だけかと思って、他の人に注目していると、一緒に歩いている同僚も同じことをする。すれ違う瞬間に、横目でちらっと見るわけです。
 しかも、どうも異性だけが対象ではなく、同性にもやるようです。遠くからぱっと見て気になる人には、要はどんな人にでもちらっと視線を送るのです。すれ違うわずかの瞬間に、至近距離から観察したその人の映像をしっかりと焼き付け、すれ違った後に、それをじっくりと確認しながら「あ~、素敵な人だったなあ」とか「思ったよりも、そうでもなかったなあ」とか、品定めをするのです。そうして、その映像は比較的すぐにフェードアウトしていく。
 そう考えると、逆に「すれ違わない人」には縁を感じてしまいます。
 たとえば、同じオフィスで働く人。面と向かってあーだこーだ言い合う人は、気が合おうと合わなかろうと、大なり小なり自分の人生に影響しているわけです。もちろん、職場の人間関係はどこも複雑でしょうが、互いの存在を気にしながらもすれ違っては消えていく大多数の人たちのことを想うと、目を合わせて話をする瞬間に、奇跡のような感慨を抱くこともあります。 

希望の廃校

 今日は駅伝大会でした。
 高校教師だった頃、大規模な大会に出場するためにかなり本気になって練習したものですが、職場が変わってデスクワークが増え、ランニングも二の次になっていました。
 今回誘ってくださったのは県庁の農林関係の課の方で、私が携わっているイベントの仕事を一緒にさせていただいて以来のつながりです。なにせ誘われたのが1週間前で、たいした準備もせず、しかも昨夜はビールの誘惑に負けてしまったので、コンディションはあまりよくはなかったのですが、実際の会場に足を運ぶと、なんというか、心地よい緊張感に包まれますね!
 スタート・ゴールは、里山の中にある、廃校になった小学校跡でした。少子化と若者の都市への流出によって、昔ながらの風景が失われていく現状を肌で感じました。
 それでも朝から胸のすくような快晴で、一面の畑には霜が降りるほどの低温だったのですが、ふだんは人の多いところにいる私にとっては、ほんとうに清々しい風景でした。
 日頃はほとんど人気のない廃校も、今日ばかりは往時の賑わいが甦ったようで、校舎も気分がよさそうにそびえ立っているように見えました。
 里山のこぢんまりとした大会なのでチーム数も少なかったですが、その分応援は心がこもっていました。私たちのチームは県のPR隊ということで、のぼり旗を持ったり、衣装を着て走る人もいたので結果は12チーム中の8位でしたが、私個人は久しぶりに全力で走りきるという体験ができ、心からリフレッシュできました。
 閉会式が終わった後、地元の方々がついた餅と、温かいうどんをいただきました。人が減り、少しずつ寂しくなる里山の風景を何とかして守り続けなければいけないなと思いつつ、だしのしっかりと効いたうどんをすすり、古い校舎を見上げました。

20年目のレクイエム

 今日は1月17日。阪神淡路大震災からちょうど20年です。
 あれから20年・・・
 あの時私は大学の学食で友達と昼食をとっていました。他の学生がテレビの前に群がっているので何かと思ったら、画面には壊れた建物や高速道路の高架が映し出されているではありませんか。まるで、『ゴジラ』のワンシーンのような風景に、これが現実に起こったことなのかと、背筋が震えたのを覚えています。
 一緒にいた友達の中に明石出身の人がいて、彼はすぐに実家に電話したけどつながらなくて、慌てて帰省していきました。何もかもが非現実の出来事のようで、テレビには連日被害状況が放送され、CMも自粛ムード、日本全国が悲しみに暮れていました。
 その後、東日本大震災が発生し、阪神淡路大震災も少しずつ過去へと流れていこうとしています。それがいいことなのかよくないことなのか、私には分かりません・・・
 おととし、被災地である須磨・明石を訪れましたが、町はほぼきれいに整備され、ありふれた日常の光景がそこにはありました。ただ、関西学院大学のアンケートによると、震災で亡くなった親族のことを「たまらなく恋しい」と答えた人がきわめて多く、実際に震災を体験された方にとっては、未だ傷跡が癒えていないということがうかがえます。
 そうして、あれから20年。
 時の流れを思う時、とても切なくなることがあります。
 1日は長く感じられるのに、どうして20年がこんなに短く思えるのでしょう?
 年齢を重ねるということは、時の切なさを知り、人生のはかなさを痛感することに他なりません。震災の犠牲になられた方を悼みつつ、私たちはその方たちの魂を胸に、自分の人生を精一杯生きる使命があるのだと、つくづく思います。

頼むぞユンケル

 昨夜は9時間も寝たのに、体調復活せず。
 本当は休みたいところだったのですが、期限付きの仕事があるので、何とか気合いで出勤しました!
 先日も書きましたが、心は体に支配されているのですね、体調が悪い時は頭も回転してくれません・・・
 そこで昼休みにドラッグストアに行って、葛根湯とユンケルを購入しました。グランドセイコーを手に入れるために日頃はコツコツと500円玉貯金をしているのですが、体がしんどい時は背に腹は代えられません。1本2000円のユンケルを思い切って買い、付属の細いストローで最後の一滴まで飲み干しました。
 それが効いたのか、午後からは体が温かくなってきて、少し楽になったように感じました。おかげで何とか今日のノルマも達成できました。ひょっとして「葛根湯とユンケルを飲んだのだから楽になるに違いない」と無意識に体が思い込んだだけのことかもしれません。でも、それはそれでいいのです。

 明日は久々に休みらしい休みです。
 日曜日には駅伝のアンカーを走ることになっているので、完全に回復したいところです。
 今年は転勤したこともあって、様々なところから駅伝の依頼があります。うれしい悲鳴です。 

 お互いに体調には十分に気をつけましょう。 

やれやれ…

 折からのオーバーワークで、ついにダウンしてしまいました(*_*)

 寒い上に、仕事も年度のラストスパートで何かと大変な時期です。
 お互いに体調には気をつけたいですね☆

誰にでも手に入る贅沢

 物心ついた時から、大のチョコレートファンでした。小学生の頃、わずかな小遣いを握って駄菓子屋に行くと、真っ先に10円のチロルチョコを手にしたのを思い出します。その後中学生になって、ロッテ「VIPチョコ」が登場し、あまりの美味しさに衝撃を受けましたが、200円という価格になかなか手が出なかったのをよく覚えています。
 以前ロンドンに行った時に、現地の友人が「チョコレートと言えばベルギーあたりが有名だが、イギリスのチョコこそ最高にうまいからぜひ食べてみてくれ」と、おすすめの逸品を一粒くれました。当時はまだ、高濃度カカオのチョコレートが日本に出回っていなくて、私には苦くて粉っぽい印象でしたが、それでも熱く語るだけのことはあってなかなか深みのある味わいでした。
 そのチョコレートが1粒約300円もすることにびっくりでしたが、「GODIVA」をはじめ、海外のチョコレートは高額ですよね~
 ただ、だからといって、近所のコンビニに並べてある日本のチョコレートが、それらに比べて劣っているとは思えません。仕事中、一息つきたい時、板チョコをかじるのですが、そのクオリティの高さにつくづく感心させられます。1箱約100円という価格を考えれば、すごいことだと思うのですが、いかがでしょう?
 一般論からすると、高価なモノはいいに決まっています。しかし、逆に安いものが劣っているとは思えない。価格は、商品の価値以外にも様々な要素が絡んできます。つまり、「いいモノが高いとは限らない」と思うのです。
 増税の昨今、財布の紐が固くなっているところではありますが、「白いダース」を口に入れながら一粒の幸福を享受しています。

こんばんは…

 今夜も『静かな散歩道』にご同行くださいまして、ありがとうございます!!

 仕事がこの時間になってしまい、ふと時計を見ると、日付が変わっていました…
 今はホテルの部屋ですが、おととい泊まったビジネスホテルと比べると、部屋も大きく洗練されています。というか、部屋をアップグレードしてもらったのはいいですが、10畳の和室はいくらなんでも広すぎて、暖房が効いているにもかかわらず、なんとなく寒々しいです。
 
 今からシャワーを浴びて、それから就寝ですが、きっと4時間くらいしか眠れないでしょう・・・
 無理を強いられる状況ですが、体だけには気をつけたいところです。

 本日もよろしくお願いしますm(__)m

心と体

 なんだか、ちょっとエロティックなタイトルを付けてしまいましたが、残念ながらそっちの話じゃなく、あくまでフィジカルなことです。
 というのも、今日は久しぶりに10㎞ばかりランニングをしてみたところ、予想以上にしんどく、走りながらいろいろなことを考えたのです。
 好きで走っているわけですから、心の中では良いタイムを出したいと思っているのですが、いつもやっている5㎞のランニングなら、走りながらいろんな計算ができる。たとえば最初の3㎞は体力を温存しておいて、ラストの1㎞でスパートをかける、そうやって逆算すると、4㎞~5㎞の1㎞をどう走るかが重要になってくる、などというストーリーを浮かべながら走るわけです。
 もし目標タイムが達成できなかった時には、どこに問題があったのかをよくよく振り返って、次に走る時のモチベーションにつなげる。私にとっての走ることの楽しみは、そんな「自己との対話」ができるところなのです。
 ところが、10㎞も走るとなると、普段走り慣れていない分、そういう計算ができなくなります。今日は最初の2㎞でいきなりデッドポイントが来てしまい、ただ歯を食いしばるばかりでした。あまりにもきつくて、半ば絶望的な気分にさえなりました。
 ふと思ったのですが、いくら頑張ろうと自分にムチを打とうとしても、「今日はいつもの倍の距離を走るのだ」という情報が体にインプットされていて、思い通りにはいかない。つまり、「なんとか走りきってやろう」という根性は、体によって拒絶されてしまう。その証拠に、ゴールが近づいた途端、急に足が軽くなり、呼吸も整ったりします。
 じつは、私たちの「考え」や「思い」は、体によって支配されているのではないだろうか? そんなことを延々と浮かべながらとにかく足を前に出していると、やっとゴールが近づいてきました。時計を見ると約60分。しんどかったです・・・

年季の入ったホテルにて・・・

 連日お伝えしているとおり、現在新しい小説『近づけば見えなくなる恋』を作り込んでいるところなのですが、いつもに増して次から次へと言葉が浮かんできます。
 もちろん、言葉の選択肢は多いほど良いわけで、今はじっくりとことばを選んでいるところです。
 
 ところで、どんな夜をお過ごしですか?
 
 今日は晴れてはいましたが、この時期らしい、冷たい空気に覆われていました…
 私はというと、北九州の古いビジネスホテルのシングルベッドに横たわってこれを書いています。
 久しぶりにこういう部屋に泊まりますが、むやみやたらに旅に出ていた昔を思い出したりして、悪くはないです。地方都市には、東京とは違う「味わい」がありますね…
 そういえば、現在は若者の地方回帰も始まっているとか。
 地方には忘れかけていた魅力がたくさん眠っているのかもしれません。

 さて、明日もこのブログでお会いしましょう!!
 新しい小説も、よろしくお願いしますm(__)m

自分へのご褒美 その2

 今私には、ものすごく手に入れたいモノがあります。腕時計です。
 昨日はスーツの話を書きましたが、やっぱりスーツには、腕時計でしょう!
 今の職場で私のデスクの周りにいる3人は、まるで申し合わせたようにオメガのスピードマスターを愛用しています。パソコンに向かっている私の近くで、オメガがきらきらと光るのです。ちなみに私の腕時計は、御殿場のアウトレットで手に入れた、スウォッチのレトログラードというモデルですが、価格の割には十分な存在感を示しています。
 とはいえ、さすがに本家本元のスピードマスターと比べるとオーラが足りないのは当然のことで、しかも、折しもこの年末にりゅうずが錆び付いて固まってしまい、時間調整もできなくなっています。
 というわけで、これは神の仕業だ! つまり腕時計を新調するなら今だ! と意気込んでいるのですが、やっぱり懐具合との相談となるわけです。
 今胸を熱くしているのは「グランドセイコー」です。私の場合、どうしても国産に惹かれるようです。じつは、初めて買った新車は、フォルクスワーゲン・ゴルフで、アルバイトで貯めたお金をはたいて学生時代に手に入れのですが、ようするに当時は今ほどメイド・イン・ジャパンにこだわりはなかったわけです。
 それが、今は着るものにしても、食べるものにしても、国産へのこだわりが出ている。これって、私だけでしょうか?
 いずれにせよ、熟練の腕時計集団によって緻密に作り込まれたグランドセイコーが手首に輝く日を夢見て、貯金箱に500円ずつ入れています。かなりパンパンになってきたので、そろそろ割ってみようと思うのですが、果たして、いくら貯まっているでしょうか?
 楽しみなような、怖いような・・・

自分へのご褒美

 夕方、仕事で百貨店に行ったついでに、紳士服コーナーに立ち寄ってみることにしました。百貨店でゆっくりすることなんて、ずいぶんと久しぶりのことです。
 そういえば、昨年の末、外回りの時に、時間をつぶすためにショッピングモールに足を運ぶこともありましたが、どういうわけか、あまり胸がときめかなかったです。数年前までは、ショッピングモールには欲しいものがたくさんありましたが、なぜだかその時は、店内で時間をもて余してしまい、いったいどうしたんだろうと首をかしげました。
 そこへもってくると、百貨店での時間はずいぶんと心が満たされました。今年から、事務仕事が増えつつも多くの人と会うことも多くなったので、仕事着も堅苦しくもなく、砕けすぎもせず、つまりビジネスとカジュアルのちょうど中間のような服装を選ぶようになりました。
 で、今の時期、百貨店では冬物のクリアランスセールをやっていて、「30%OFF」という表示が目に入った途端、テンションが否応なしに上がりました。その中で、「23区」のスラックスに一目惚れし、即買いしました。脚にフィットするスリムなラインと定番のグレンチェックがかっこよく、おまけに保温効果も高い生地が使ってあるということで今の私にはもってこいのアイテムです。
 就職したての頃、日本製のスーツを何着も新調したものです。着心地といい素材感といい、納得のいくものでしたが、使い込むうちに摩耗したり、デザインが古くなったりして、ほとんどを処分し、いつしかスーツも値段で選ぶようになっていました。
 それが、今になって、再び品質を重視するようになりました。つまりはそれ相応の年を取ったということなのでしょうが、それはさておき、しっかりと縫製されたかっこいいスラックスに脚を通すだけで、新鮮な気持ちで仕事に臨めそうな気がしますね。

近づくと見えなくなる想い(?)

 ものすごいスピードで世の中が変化していると痛感しているのは、私だけでしょうか?
 おそらく、高校生くらいの年代には、あまりピンとこないでしょう。バブルの残像の中を生き、ポケベル→PHS→携帯電話→スマホ、とコミュニケーション・ツールの進化を順序良く辿ってきた私たちの世代だからこそ、スピードを実感するのだろうと思います。
 今日は午後からビジネス関係の研修があって、その中でダーウインの『種の起源』の言葉が引用されました。 
「最も強い種や最も賢い種ではなく、最も変化に強い種が生き残る」
 つまり、ビジネスの世界でも、「変化に対応すること」が大事なのだということを言いたいのですが、こういうロジックにはどうしても抵抗を覚えてしまいます。
 ダーウインが前提としているのは、あくまで生態系を含む自然環境のことであって、ビジネスのことではないと思うのです。だから、「かのダーウインが言っていることは、現代ビジネスにも通用する」という飛躍には、詭弁のにおいがプンプン漂います。
 話をコミュニケーション・ツールに戻しますが、最近の新聞を読んでいると、コミュニケーションの方法を昔に戻そうという風潮があるように感じます。言語で伝わることはコミュニケーション全体の20%ほどで、実はほとんどが表情や口調やしぐさなど、言語以外のもので伝わるようです。そして、最も原始的で、かつ人間的なコミュニケーションは、ずばり「ハグ」だとさえいう研究者もいますね。たしかに、主に言語を使って伝えるメールではとかく誤解が生じてしまうけど、ハグは思いがストレートに伝わる気もします。
 よし、ならば、これからはボディタッチを大事にしよう、と心の中で意気込んでいると、第2部の研修が始まりました。テーマは「セクシャル・ハラスメントの防止」について。
 なかなか難しい世の中であることには違いありません・・・ 

One on one…

只今、新しい小説の準備中です。
ご迷惑をおかけしますが、ご理解のほどよろしくお願いしますm(__)m

まもなく公開する予定です。

こたつでアイスクリーム

 私の町は、今日はヘンな天気でした・・・
 朝は大雨だったのに、午後は信じられないくらいの快晴になりました!
 天気の変化によって、気分もぱあっと晴れ上がっていきました。

 やはり私たちは、自然の中に含まれているのだと改めて実感した気がします。普段、気分がふさぎ込んでしまうのは、曇り空のせいなのかもしれない、と。
 帰宅して、こたつに入ってアイスクリームをなめていると、冬とはじっと辛抱する季節なのかしらと、ふと思ったりもします。

 さて、連日お伝えしていますが、新しい小説『近づくと見えなくなる恋』を近日中に公開いたします。
 現在、しっかりと構成を練っているところです。
 引き続き、よろしくお願いいたします!! 

いよいよ、というか、やっと・・・

 新しい小説のタイトルは『近づくと見えなくなる恋』に決まりそうです。
 これまで自分が書くことのなかった世界に踏み込んでいきたいと思います。
 果たして、どうなるでしょうか?

 近日中に公開できるようにします!

年頭の所感

 さて、年も明けたことですし、特に今年は、これまでの人生におけるリスタートを切りたいと目論んでいます。(そうやって意気込むにあたって、これといった根拠もないのですが・・・)
 というわけで、近日中に新しい小説の連載を始めます!

 どうぞ、お楽しみに!

私の年越し その2

 薄暗くて広大な鶏舎の中には鶏たちの姿はどこにもなく、異様な雰囲気でした。どうやら昨夜の班が殺処分を済ませ、運び出していたようです。鶏糞の上に落ちた白い羽や卵を見てはじめて、数時間前ここには数万羽の鶏たちがいたことがうかがえました。
 かなり時間をかけて鶏舎内の鶏糞の除去と消毒が終わっても、叩きつけるような雨は降り続いていました。すると、職員がハンドマイクを持ち、他の鶏舎の中には鶏たちの死骸がまだ残っているから、それをドラム缶の中に詰め込んでくれという指令を発しました。
 暴風の中、長い坂を下りてそこに立ち並ぶ鶏舎を恐る恐る覗くと、とんでもなく大きな白い塊が入り口付近に折り重なっていました。それは、もう正視できないほどの光景で、雨粒と熱気でゴーグルが曇って視界がはっきりしないのが幸いでした。
 イニシャルだけが書かれた防護服を着た私たちは、全く無言でバケツリレーの列を作り、手から手へと運び出しました。それは予想以上に重く、ずっしりと肩に堪えました。中にはまだ温かい鶏もいて、手に取った途端、ぞっとしました。しかも、驚くことに、まだ生きているものさえいました。死骸の山の中から何とか這い出てきた鶏は、養鶏家の方によって静かに絞められ、ドラム缶に運び込まれました。
 作業は日没まで続きました。真っ白な防護服は、血だらけになっていました。いったいどこから血が出るのか、分かりませんでした。
 作業終了の声がかかった時、鶏舎の中はすっかりきれいになっていました。他の鶏舎の中に残っている死骸は次の班が徹夜で運び出すということでした。
 帰りのバスに乗っても、鶏の重さは肩に残り、血なまぐささは鼻の奥にくすぶっていました。私は、何とも言えない気持ちを抱えたまま、町の明かりに目をやりました。それは思いの外眩しく、目にしみるようでした。決して忘れられない大晦日となりました。

私の年越し その1

 新年早々、ちょっとディープな話です。
 昨日「大晦日にスペシャルな仕事が入った」と書きましたが、私の年越しは、その「仕事」一色に染まったような気がします。
 昨年末、国内で鳥インフルエンザが発生したことが報じられましたが、あまりに規模が大きく、その収束のための人手が足りないということで、普段養鶏とはほとんど関連性のないところで働いている私にもお鉢が回ってきたのです。
 突然の電話で伝えられた業務内容は「鶏舎内の消毒と鶏の殺処分」。
「厳重な防護服を着ての作業なので、飲食とお手洗いは難しく、体力を消耗することが予想されます。頑張ってください」という指令が、メールで追加されました。
 高校生の頃、学校のグラウンドの隣に鶏を食肉に加工する工場があり、鳴き声と特有の匂いが風に運ばれてきて、大学を卒業するまでは鶏肉を食べることができなかった私です。
 とはいえ、どうしても人手が足りない、誰かがやらないと鳥インフルエンザのウイルスが蔓延してしまう、そう思い直し、大晦日の朝、指令通りにベースキャンプになっている体育館に行きました。
 そこには、想像以上の人と物資であふれていました。県内外から人手が集められているようで、およそ大晦日の雰囲気ではありませんでした。仕事は3交代制で、私の割当ては昼前から夜までだったのですが、前の班は徹夜の作業だったらしく、ベースキャンプにはクタクタになられた方がストーブに当たられていました。それを見て、あぁ、俺もやらなきゃいけないなと諦めがつきました。
 メディカルチェックを受けた後、大型バスで鶏舎まで運ばれ、真っ白な防護服と分厚いマスクとゴーグルを装着した途端、大雨と雷が大地をたたきつけました。防護服にはイニシャルだけが記され、一緒に作業する人が誰か分からぬまま、見た目よりも固い鶏糞をスコップで除去しはじめました。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

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