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春の日のぬくもり

 今日は久々のいい天気で、しかもせっかくの土曜日だったのに、午後から会議に出ました。全国各地から担当者が集まる比較的大きな会議で、終わる頃には外はどっぷりと日が暮れていました。
 あまり休憩がなかったために、疲労と空腹がひどく、しかも自宅まで車で2時間近くかかるとあって、車に乗った時、くじけそうになりました。エンジンをかけると、ガソリンが残りわずか。しかたなく、高速道路に乗る前に給油することにしました。
 夕方の国道は交通量が多く視界が良くなかったのですが、対向車線側の大きなスタンドに車が並んでいるのが見えました。この辺りではかなり安いのでしょう。ただ、中央分離帯があって、前の交差点をUターンしなければそこへは行けせん。とにかく、それすらおっくうに感じるほど、私は疲れていました。
 すると、すぐ目の前に、別のスタンドの看板が見えました。大手のスタンドでしたが、明かりに乏しく、思わず通り過ぎてしまいそうなほど閑散としていました。外に価格表示が出ていないところを見るとずいぶんと高いのだろうと思いつつ、すんなりと入ることのできるそのスタンドで給油することにしました。
 ところが、車を停めても、誰も出てきません。薄暗い事務所には人の影すら見えません。あきれて給油せずに出ようかと思った途端、フロントガラスの前に制服を着た男性がふっと現れました。かなりの高齢の方で、およそスタンドの従業員とは思えませんでしたが、たどたどしい手つきで給油を始め、ぎこちない動きでフロントガラスを拭いてくれました。
 不思議な心持ちでその動きを見ていると、給油が終わり、窓を開けて代金を支払いました。その時、従業員は「気をつけていってらっしゃい」といかにもお年寄りらしい声を出し、しわの刻まれた顔を少しだけ崩し、人なつっこい表情を向けてくれました。まるで疲れた私の心を見通しているようでした。
 高速道路に乗った後も、ほんのりとしたぬくもりが心に残っていました。 
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どこにでもあるけど簡単にはつかめないもの その2

 昨日の文章で、「個性的な人」とは誰もがしたいと思ってためらっていることを簡単にできる人や、誰にでもできそうなことを誰にもできないくらいに地道に積み上げることのできるような人なのではないかと書きましたが、折しも、今朝のラジオで、あぁ、まさにこういう人が個性的なんだなと思うような話題が取り上げられました。
 その方は新宿に本社を置く住宅メーカーの社長さんで、「かんな社長」と呼ばれるくらいに大工一筋のところから出世をされたという経歴の持ち主でした。
 オフィスはビルの34階にあるのですが、この社長は毎朝階段を上るというのです。705段を、約12分で上がるようです。
 もともと現場で活躍されていただけに、社長になって1日の大半を会議に費やす生活に満足できなくなったようで、「座ってばかりの生活を送っていると、覇気がなくなってしまい、バイタリティも落ちてしまう」としゃがれた声で述懐していました。
 最初は5階を上がるのが精いっぱいだったのが、徐々に階数を上げていき、ついに目標を達成し、しまいには最上階の52階を制覇するに至ったと誇らしげでした。
「運動不足な体にいきなり大きな目標を掲げても嫌気がさすだけ。だから少しずつ目標を上げていったんだ」と当たり前のことを言われるわけですが、おそらくその会社の中で階段を上って出社する人は他にいないでしょう。
 私も、朝はいつも遅刻ぎりぎりで当然のようにエレベーターを使ってしまう。階段を上った方が健康にいいのはわかっているものの、実際に行動に移すまでにはいかない。だからこそ、この社長さんのような人をこそ、個性的だと言うのだと思います。
 張りのある社長さんの声を聴きながら「誰にも理解されないものは個性ではない」と何度も強調していた10年前の養老孟司氏の言葉が浮かび上がってくるようでした。

どこにでもあるけど簡単にはつかめないもの

 養老孟司氏が『バカの壁』を著した当時、東京で講演会が開かれてたまたま聴講する機会があったのですが、あの時「誰にも理解されないものは個性ではない」と何度も強調されたその言葉が今でも残っています。
 というのも、そもそも「個性的」であることは「一般人の理解に収まらない」ことなのではないかと、あの時私は違和感を覚えたのです。
 それが、あれから10年以上経ち、いろいろな人との出会いを繰り返す中で、あの言葉について改めて考えるようになりました。たとえば、正しいことを言っているけどどこか冷たい人や、高い職位についているのはいいが高圧的で思いやりに欠ける人や、人なつっこいのだけど差別的なところがある人など、普段接していて「あれっ?」と首をかしげることがたまにあるのです。
 もちろん、完璧な人間なんていないし、完璧でないからこそ人間が人間でいられるのですが、そういうロジックとは別に、何やら残念な気持ちにさせられてしまう人がいる。
『源氏物語』のテーマの1つに「因果応報」があります。光源氏がつかんだ栄光にも、それから晩年の失意の日々にも、すべてそれまでの彼の行動が影響しているというのです。
 同じく、どこかに「あれっ?」と残念な気持ちにさせられる人には、必ずそのことが原因となって、いつか何かが起こる。逆に、この人はすごいなと感心させられる人にも、それ相応の成果が必ず現れる。
 そう考えると、「個性」とは、すこぶるわかりやすいものなのかもしれない。誰もがしたいと思ってためらっていることを簡単にできる人や、誰にでもできそうなことを誰にもできないくらいに地道に積み上げることのできるような人こそが、養老氏の言わんとする「個性的な人」なのではないかと、今になってそう思うようになりました。 

焼きたての「梅が枝餅」の香り

 昨日は庭のしだれ梅がついにほころびたということを書きました。そこで今日も、梅に関する話題を続けます。
 平安時代には「匂い」の文化がありました。香を焚きつめて楽しんだり、匂いを嗅いで香を当てるゲームなども行われていました。
『源氏物語』において、光源氏の死語、「匂宮」や「薫」という人物が登場するように、当時は見た目もさることながら、匂い(にほひ)や気配(けはひ)も大事にされていました。
 恋の舞台は主に夜。今のようにLEDが輝くこともありません。女性たちは、暗闇に漂う、目に見えないものを頼りに男性を感じ取っていたわけです。
 ちなみに、古語でいう「にほひ」とは「美しさ」のことをいいますね。
 平安時代に梅の花が尊ばれたのも、匂いが好まれていたからです。かの菅原道長は邸宅に梅を植え「紅梅殿」と呼ばれるほどでした。しかし彼は謀反の罪で太宰府に流されることになる。当時、京から太宰府への流刑は、ほとんど戻ることがないとされていて、道真もそんな運命を辿るわけですが、彼は太宰府に向けて邸宅を出る時、愛でていた梅を忘れることはありませんでした。 

東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春を忘るな
(春風が吹いたら、その香りを太宰府まで運んでおくれ、梅の花よ。私がいなくなるからといって、春を忘れて咲かなくなるようなことがないようにしておくれ)

 現在、道真を祀る太宰府天満宮の参道に「梅が枝餅」のお店が軒を連ねているのも、彼と梅の深いつながりがあるのです。

ほころびました

 古典文学に登場する花といえば桜を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。じつは、平安時代には梅の花も愛でられていました。
 日本古来の花である桜に対して、梅は中国から渡ってきたもの。中国文化に憧れていた平安貴族たちにとって、色鮮やかで香りも強い梅は、大陸の風情を感じることのできる特別な花だったのでしょう。
 さて、今朝玄関先に出てみると、しだれ梅がついに花を開いていました。見とれていると、平安前期の文人であり政治家でもある小野篁(おののたかむら)の和歌がふと思い出されました。

 花の色は 雪にまじりて 見えずとも 香をだににほへ 人の知るべく

 梅の花に雪が積もっている。そのことをあの人に気づいてもらえるようにせめて香りだけでも届いてくれ、という願いの込められた和歌です。
 日本的ですね・・・

IMG_7165.jpg




黄砂に吹かれて・・・

 今日は早朝から出張でした。朝の渋滞ラッシュを避けるために、早めに職場を出たのですが、何と、相手方との交渉に使う肝心な書類を一式忘れてしまいました!
 それで、再び職場に戻ったために渋滞ラッシュに引っかかることになり、助手席に乗った上司は「まあ、命を取られるわけじゃないから、遅刻を怖れずに、安全第一で行こう」と優しい言葉をかけてくれましたが、顔は完全に怒っていました。
 とはいえ、自動車専用道路に入ってからは渋滞を抜け、快調に進むことができ、何とか遅刻は免れました。しかも、予想よりも早くに着いたので、近くのセブンイレブンでプレミアム乳酸菌飲料を2人で飲み干してから、大事な交渉に臨みました。
 それにしても、人生にトラブルはつきものですね。しかも、えてして当たり障りのないことをしているうちにはトラブルは起こらないものです。多くの仕事を抱え込んでいたり、何かにチャレンジしようとしている時に限って、障壁が現れるのです。
 高校教師の時代、大失敗をしでかして保護者や同僚から非難を浴びたことがあったのですが、ある先輩教師だけは「あなたが非難されるのは、あなたが攻めているからだ」と言ってくれました。
 最近では、失敗からの立ち直りが早くなってきたように思います。「失敗は成功のもと」とよく言われますが、きっと、失敗は成功の中に含まれるものだということを体得しつつあるのでしょう。
 さて、無事に交渉を終えて再び車を走らせていると、視界がぼんやりとしてきました。どうやら黄砂の吹く季節になったようです。
 桜咲く春が来る前には、花粉や黄砂が飛んだりする。でもそれは、春という季節が美しいからこその障壁なのかもしれません。どうしてもふさぎ込みがちな今に溺れるのではなく、新しい季節を待望しておきたいものです。

終わりました…

 聞くところによると、昨日からの嵐は、春一番だったとか。
 だとすれば、いよいよ春がもうすぐそこにまで来ているということなのでしょう。もちろん、とはいえまだまだ寒さは戻ってくるでしょうけど。
 ところで、春と言えば、希望に満ちた季節であると同時に、別れの季節でもありますよね。これまで当たり前に会えていた人に会えなくなる、そんな、何とももの寂しい季節でもあります。
 振り返ってみるに、昔から春には心が惑わされてきたように思います。

 東風吹かば 匂い起こせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ

「私はここを去り、太宰府へと流されるが、梅の花よ、お前だけは春を忘れないでおくれ」という菅原道真の詠んだ和歌が思い起こされます。

 さて、今日、私は、大きな会合があって、半年かけて作ったプレゼンテーションムービーを上映しました。参加者のみなさんに喜んでもらえたようでしたが、私の中では、ひとつの仕事を終えたという安堵が、過去を美化しています。
 出会いと別れは、交互にやって来る。
 春という美しい季節は、そんなことをふと思い出させてくれます。

海峡を吹き抜ける風

 今日は、山口県の下関市で、国際交流イベントの通訳を育成するためのイベントの運営をサポートしました。
 会場は「海峡メッセ下関」という大きな国際会議場の8階でした。テーブルや音響機器の設営が一段落ついた後、部屋の外に出てみると、関門海峡が一望できました。
 空はねずみ色で、海峡には風が吹き抜けていました。埠頭の間に見える小さな島が、佐々木小次郎と宮本武蔵が決闘したという巌流島ですよと地元のスタッフが教えてくれました。その島は、荒れた海の上にじっとしていました。
 そういえばこの関門海峡は、平安後期に源平の合戦の舞台だったことを思い出しました。最初は優勢だった平氏の船も、潮の流れの変化に形勢が逆転し、源氏の攻撃を受けて滅亡することになった。高校時代、そんなことを教わった記憶が甦りました。
 眼下の埠頭には大型船が停泊していて、船体にはハングルが書かれていました。目の前のホテルの屋上の手すりは、おそらく潮風にさらされたからでしょう、所々錆び付いているのも見えました。
 対岸に目をやると、北九州の門司の風景が風に揺れていました。下関よりは大きな建物が林立していましたが、それでもどこか寒そうに見えました。
 遠景の手前を数隻の船が横切っていきました。大阪方面に行く船と福岡方面に行く船が、どこか他人行儀な風にすれ違っていました。
 そうやってぼんやりと窓の外を眺めているうちに、イベントの参加者が集まり始めました。初老の男性もいれば大学生の女性もいました。たくさんの人がつながりを求めてここにやってくる、そう思いながら、会議室に戻り受付の業務に当たりました。
 窓の外では1日中風が吹き、海は荒れていました。

キセキは奇跡じゃない?

 毎年この時期になると、「春はもうすぐそこ!」といろいろな所で言ってきたように思います。最近は車を使っての出張が多くラジオをよく聞くのですが、パーソナリティの口からもそんな励ましの言葉が出てくるようです。つまりは、今はそういう時期なのです。
 さて、春の到来を間近に告げるニュース!
 花粉が飛び始めました!
 あなたの町はいかがでしょう? マスクをした人が増えていませんか?
 私は大学生の頃に花粉症デビューしました。発症した当初は、不快感の原因が全くつかめず、鼻と目をこすりまくっていたのでとんでもないことになっていましたが、症状を自覚した時からマスクや薬で対処するようになりました。
 当時の薬ときたら不快感を鎮める代わりに強烈な虚脱感が襲ってきて、すぐに眠くなるような代物でした。あの頃からするとずいぶんと薬が及ぼすダメージも軽減されたようです。科学の進歩ですね。
 私の場合、花粉症の症状自体が楽になってきたように思うのですが、仲の良い耳鼻科医に言わせると、「それは薬が進化したからで花粉症を克服したわけではない」ということらしいです。いや、薬を使わなくても不快感を覚えなくなったのだと訴えたところで、まともに聞いてもらえません。もしそういうラッキーな患者がいるとしても数万人に1人の割合だと。
 診察室に入っている間は、医師の言うことに納得してしまうのですが、こうして外に出て活動していると、もしかしたら自分は「数万人に1人」のラッキーな患者なのではないかと本気で考えたりもします。
 たしかにそれは確率的には低いかもしれないけど、人間としてこの世に生を受けたことに比べると、十分に起こりうることのようにも思うのですが、いかがでしょう?

こんばんは

相変わらず、冷たい風の吹く1日でした。
いかがお過ごしでしたか?

私は、連日の出張でクタクタですv(^o^)
春が待ち遠しいですね~

明日もまた、この場所でお会いしましょう!!

どっちに転んでも人生

 今週からまた出張ライフが始まり、今日も津々浦々、ドライブをしながら様々な場所を訪問しました。それで、帰り道は、いつもとは違う外灯の乏しい山道を通ったのですが、なんと鹿が道路を横切りました!
 それもとんでもなくでかい奴で、最初は私の車のライトに反射して白く光り、一体何だろうと目をこらしたのですが、すごい勢いで走ったので、すぐに鹿だと知れました。
 唖然としたままアクセルを踏み続けると、さらにもう1頭の鹿が現れ、ほんの目の前を強引に横切ろうとしました。あぁ、これはもうぶつかるな、と絶望的な気分に陥りながら急ブレーキを踏みましたが、鹿の体はすぐそこに迫っていました。その瞬間、意外にもたくさんのことが脳裏を横切りました。
 まず、鹿との接触により車が破損した場合、保険は下りるのかどうかということ、それから、以前イノシシにぶつかって車が大破したという人の話をおかしく聞いていたが、同じことが自分の身に降りかかろうとしているという皮肉、さらには目の前にいる鹿の体はいかにも硬そうで、おそらく相当な損害が出るだろうということ・・・
 そんなことを考えながら、とにかくありったけの力でブレーキを踏みました。すると、奇跡的に、ほんとうに間一髪の所で鹿はすり抜けていきました。
 ハンドルを握りながら、自分は幸運だったとまず考えました。しかし、次の瞬間、過去に事故を起こしてしまった時の記憶がよぎりました。事故が起こるのは本当に一瞬のことで、これまでの事故はどれも不注意というよりは不運なものでした。
 自分は確かに幸運だった。でもそれは、たまたま今回がそうだっただけで、人生には不運なことも起こりうる。そんなことを考えました。
 人生とは不運と幸運の繰り返しでできているのだと思うと、逆に、目の前に道が開けた気がしました。

田舎へ帰ろう!

 小学生の頃から、それはもう、大の巨人ファンでした。私たちの世代はちょうど原辰徳やクロマティが活躍していた頃で、野球中継がある日は試合が終わるまでテレビの前から離れることができないほどでした。
 それが、今年に限っては、間違いなくカープファンになりそうです。というのも、メジャーリーグから帰ってきた黒田投手を心から応援したいからです。
 カープといえば、昔の広島市民球場のどこか薄暗い雰囲気や、せっかく育成した選手が他の球団に移籍してしまう皮肉な球団という印象が強いだけに、現役バリバリのメジャーリーガーが帰ってきたというニュースには、よけいに驚かされます。
 黒田投手にはメジャーリーグの球団から20億近い契約金が用意されていたと報道されていますが、あえてそのオファーを断り、約1/5の年俸しか提示できなかったカープを選んだわけです。
 もちろん、黒田投手の「男気」でしょう。カープに入団していなければ、メジャーリーグでの活躍もなかったはずだ、だからこそ、野球選手としてのキャリアを作ってくれたカープには金額ではなく感謝の思いで応えたい。まさに、これこそが日本男児!とでも言いたくなるような心意気であり、私が最も強く惹かれるところです。
 ただ、それとは別に、黒田投手は「やり甲斐」とか「生き甲斐」を求めたのではないかとも想像します。大きな舞台で華々しく活躍することは野球選手としての夢でしょうが、年齢を重ね、人間としても成熟した時、本当に自分を必要としてくれる人のために働きたいという思いを抱くようになったのではないかと想像するのです。
 もしそれが、東京に本拠地を置く巨人だとすれば、はたして彼は帰国しただろうかと考えます。広島だからこそ帰ってきたのではないかと、どうもそう思えてなりません。

密かな楽しみ

 高校生の頃から、空き時間を使って何かをすることが多かったように思います。
 たとえば、ラグビー部の合宿の時、それは1週間以上も続く過酷なものでしたが、夜、部屋でトランプをしているチームメイトたちとは別に、1人でトイレに座って単語帳を開いたりしていました。
 といっても、それはほんの10分程度のことで、集中力が切れると部屋に戻って、ウォークマンでホール&オーツを聞いたりするのです。とにかくみんなでワイワイガヤガヤしている中に含まれるのではなく、1人の時間がほしかったのだと思います。
 それにしても1度身についた習慣というものは長い間残るものです。高校時代に必死に暗記したマニアックな英単語は完全に忘れているのに、あの頃の行動パターンは今なお体に染み込んでいます。
 たとえば、私の執筆の時間は朝の5:30~6:30とほぼ決まっていますが、これも高校時代の学習習慣の名残です。
 読書は睡眠前の30分だと決まっています。ただ、たった30分とはいえ、1ヶ月もあれば、いつの間にか最後まで読んでいます。小さいことの繰り返しというものは、ほんとうに大きいのだとつくづく思い知らされます。
 そうして、昨日から、新たなことにとりかかることにしました。ずばり、『源氏物語』の原文の朗読です。人々の声によって語り継がれてきた文学なのだから、声に出して読むことによって、さらなる臨場感を感じることができるのではないかとふと思い立ってのことです。
 とはいえ、全54帖にも及ぶ超大作です。千年以上も前の言語なので、すらすらと読めるわけでもないのですが、意味は分からないなりに、雰囲気は伝わってきます。
 いずれ完読した時には、平安朝に生きた人をより身近に感じているのでしょう、密かな楽しみです。 

グローバル社会の夜に

 当たり前のことですが、平安時代には印刷技術などありません。ならば、当時は、どうやって物語が広まっていったのでしょう?
 1つは書写。誰かが原文を見ながら、筆を使って和紙にしたためていくのです。すると、いくつかの本ができあがることになる。巻物のようなものもあれば、冊子になったものもある。ただ、ここで問題になるのは、誤写です。自分に当てはめてみると、手紙を書く時でさえ字を間違えてしまうし、教科書の文章を書写しようとしても、100%正確に行うことはなかなか簡単にはいきません。
 ひょっとして、平安時代の人たちは、模写の段階でそっと物語を自分好みに作り替えたかもしれない。つまり、人力だけで完全なコピーを作るなど、ほとんどありえないのです。
 2つめの手段は、読み聞かせです。多くは貴人に仕えた「女房」と呼ばれる女性が、物語を朗読したのです。今でいう紙芝居の雰囲気に近いかもしれません。スマホもゲームもテレビもない平安時代において、物語の読み聞かせは、数少ない娯楽の1つだったわけで、貴族たちは、こぞって1つの部屋に集まり、物語に夢中になったのです。
 そう考えると、今私たちの手元にある古典文学が、原作そのままかというと、やはり疑わしいということになります。たとえば、紫式部の直筆による『源氏物語』は実存しません。もし発見でもされれば、世紀の大発見ということになりましょう。
『源氏物語』なんかは、これほどの作品ですから、たくさんの本が存在するわけです。その中から、どれがいちばん原作に近いかという調査は、じつは今なお続いています。
 逆に言うと、古典文学は、時代を超えてたくさんの人々によって伝えられ、気の遠くなるような時間をかけてじっくりと作り上げられたところにこそ、魅力があると言えるのかもしれません。

こんばんは・・・

 晴天に恵まれた日曜日、いかがお過ごしでしたか?
 
 早朝、近くの公衆浴場に浸かったのですが、いつもよりも早く体が温まりました。
 200円という価格ながら、源泉掛け流しで、じつに味わいのある温泉です。

 春になって新年度のスタートが切れるように、英気を養っておきたいところですね!

 明日もこの場所でお会いしましょう。

当たり前のこと

 スポーツ選手がパフォーマンスを発揮するためには、「トレーニング」と「栄養」と「休息」が必要だと、先週行われた指導者講習会で講師が話していました。
 当たり前のことのように聞こえますが、ふと立ち止まって考えてみると、けっこう深い意味が込められているようです。えてして、深みのある言葉とは、ごく簡単な言葉で語られるものではあります。
 つまり「パフォーマンスを発揮する」ために「休息」が必要というのは、何かしら矛盾点があることに気付くわけです。
 たとえば、「休み」と聞くと、学校を休んだり仕事を休んだり、お店が閉まっていたりと、一般的にはネガティブなことのように思われます。でも、そうじゃなくって、休むことは大切なのだということです。
 思うに、日頃から「自分はまだまだ力が足りない、もっと頑張らなきゃいけない」と言い聞かせている人に限って危ない気がします。そういう頑張り屋さんは、自分でも気付かないところで限界を超えている、だから、体が重くなって、その分気が沈んでしまう、だからこそ「もっと、もっと」とさらに気負ってしまうのでしょう。せっかく頑張っているのに、これでは悪循環です。
 休むことは決して悪いことではない。むしろ、私たちは適度に休まなければ人生を楽しむことはできないのです。
 なかなか成果が上がりにくいこの時期こそ、頑張り屋さんが体と心の調子を崩しやすい時です。
 休める時に、しっかりと休んでください。
 そうして、日頃から頑張っている自分を、心の奥で褒めてあげてくださいね・・・

 春はもうすぐそこです。
 

 

羊の皮を被ったオオカミ

 職場の隣に座っている上司が、突然BMWのM5を購入なさいました。
 M5といえば、ドイツの名門BMW社の最高級グレードで、570馬力という、常識では考えられないほどのパワーを持ったモンスターマシンです。(ちなみにプリウスが100馬力といったところでしょうか)
 小学生の時に、635CSiというスポーツクーペのプラモデルを作って以来、いつかはBMWにと思っていたものの、なにせ高額なために、「雲の上の存在」でした。
 参考までに、そのM5は新車同様の中古車で、それでも1000万円は軽く超えるでしょう。街中でも高速道路でもめったにお目にかかることはない正真正銘のプレミアムカーです。いったいどんな人が乗るのだろうと思っていましたが、何と、同じ職場の方が手に入れたわけです。
 その上司というのは、一本気でありながら部下に対しては思いやりのある、尊敬すべき方です。私たちの職業は、躊躇なくM5が買えるような、たとえば医者や弁護士などといった特別なものではなく、給料も平均的なはずです。
「俺はね、自分の一番好きな時間にお金を使いたいんだよ」と、以前上司は語っていましたが、憧れの車を手に入れるために、こつこつと貯められたのだと思います。
 大学時代、「予言の自己成就」という言葉を強く信じたことがありました。常に目標を唱えながら行動すればいつかは叶う、という意味です。
 それが、社会人になって、いろいろな人と出会い、その分いろいろな経験も重ねる中で、自分にできないこともあるのだという現実が知らず知らずのうちに刷り込まれていったのでしょう、学生時代のような無鉄砲な勢いが、なりを潜めていました。
 だからこそ、普段は極めて鷹揚な上司が、ある日突然、雲の上のスーパースポーツカーを手に入れたという事実には、目を覚まさせてもらったような気がします。

ダンス・ダンス・ダンス

 今日はダンスコンテストの運営サポートをしました。
 ダンス、といえば、好きな人が好きな時に踊るものだと安易に考えていましたが、今日初めてじっくり観覧してみると、驚くほど迫力を感じ、圧倒されてしまいました。
 体全体を使って、チームメイトと息を合わせて表現する、考えてみればすごくシンプルなことなのですが、今日の出場チームはしっかりと練習してきた成果がはっきりと現れていて、それぞれに訴えかけてくるものがありました。
 よく考えれば、ダンス(踊り)とは、祭りなどの宗教的儀式の中でも行われますよね。人間にとって、生命を表現するための、太古から続く1つの手段なのではないか、そういうことをふと思わせるほどの、迫真の演技でした。

 というわけで、手に汗握って観覧したので、私の方がくたくたになってしまいました。

 明日は木曜日。今週もあとわずかですね。2月が終われば、春はもうすぐそこです。梅のつぼみのように、今のうちにじっくりと力を蓄えておきたいですね。

小さな春

 ここのところ、早朝まだ暗いうちに出勤し、日が暮れた後に帰宅するという生活を続けていたために、庭に気を配ることもありませんでした。
 庭には、私のこだわりが詰まっています。田舎育ちということもあるのでしょうが、時間をかけて土を耕し、いろんな植物を植え、花壇をこしらえ、家庭菜園を開きました。
 で、玄関先には、「しだれ梅」を植えています。くねくねに伸びた幹からは地面に向かって枝が伸び、春先には淡いピンクの花が咲く、まるでかわいらしい花火でも見ているような、なごやかな気分にさせてくれます。
 ただ、このしだれ梅、実際に植えてみるとけっこう手がかかるのです。まず、何と言ってもアブラムシがつく。それはもうおびただしい数で、対策を講じないと葉も枝も食べ尽くされてしまいます。それから、花が終わったら剪定もしてやらなければならない。放っておけば、とんでもなくボサボサなります。
 植えて間もない頃は、毎朝のようにこいつと対話したものです。朝日に照らされたしだれ梅は、花が咲いてなかろうと、気持ちがよさそうでした。
 それが、ここ数年、どんどん仕事がハードになり、ゆとりもなくなってきました。そんなに気合いを入れて手入れをしなくても、それなりに育ってくれることが分かってきたと言えばそれまでです・・・
 今朝のことです。いつもと同じ時間に出ましたが、夜明けが早くなり、空が明らんでいました。外の冷たい空気にさらされた瞬間、何かに誘われるように、しだれ梅を見ました。すると、枝先に小さな赤いつぼみを付けているのが分かりました。
 思わず、小さなつぼみを指先で触ってみました。こんなに寒いのに、こいつはちゃんと生きてるんだなと思うと、励まされる気がしました。

「理想」と「現実」の奇妙な関係

 昨日は朝から晩まで、「スポーツ指導者養成講座」の運営サポートをしました。2020年の東京オリンピックに向けてアスリートを育成するために、まずは地域スポーツを活性化しようという意図があるようです。
 もちろん受講者の方も、スポーツによって社会貢献したいという熱い思いをもたれているわけですが、それにしても、日本のスポーツは、こういったボランティアの方々の尽力によって下支えされているのだと、頭の下がる思いでした。
 そこを考えると、講師の方々によるお話は、総じて物足りないものでした。
 自らの体験だけを武勇伝的に語りまくる人、終了時間を大きくオーバーしてまでもスポーツ医学のマニアックな話を続ける大学の先生、スケジュール管理ばかりに気を取られ受講者への配慮に欠けた主催の役員・・・
 この土日にわたる、トータル20時間以上のプログラムで、昼食以外にほとんど休憩なしという恐ろしいタイムスケージュールだったにもかかわらず、不平も言わずにまじめに受講された方々に、申し訳ない気持ちになりました。
 何でもそうかもしれませんが、第3者が高らかに「理想」を語ることは簡単です。しかし、それぞれに与えられた現場で、日々自問自答しながら現実と向き合っている人からすれば、そんな「理想」とは、独りよがりな無責任でしかありません。
 ほんとうの「理想」とは、必死にもがき苦しむ「現実」の中にしかないのではないか、現実に対峙している人に勇気を与え、その人が解決への糸口を見つけるための光ではないか、改めてそう思いました。

こんばんは~

 寒い日曜日でしたが、何をして過ごされましたか?
 私はというと、1日中、朝の8時から19時まで、昼食以外に休憩なしで、研修を受けていました。

 いや、本当にくったくたです・・・

 ただ、幸いにも、私の前に座ったのが非常に座高の高い方だったので、その影に隠れてひっそりと『源氏物語』を読み込み込みました!
 現在構想を作っている新しい小説の土台となりそうです!!

 明日も寒い1日となりそうですね。
 お互い、体調には気を配りたいですね。
 

きれいな空気の中で

 念願のお祓いに行ってきました!
 なかなか休暇が取れず、今年は難しいかなと諦めかけていましたが、毎年やっていることを今年だけ怠って、もしそれで何か災いが起こったらきっと後悔するだろうと思い、今朝、時間を作りました。
 小さな氏神様ですが、境内はしっかりと手入れが行き届き、朝の冷たい空気がほどよい緊張感を与えてくれました。以前このブログで『京都物語』という小説を連載しましたが、その舞台となった嵐山の野宮神社とどこか似たような風情を感じながら、普段から親交のある宮司さんにお祓いをしていただきました。
 祝詞をあげてもらう間、古い神殿の中をそっと見渡しました。いろいろな奉納品があり、額がかけてありました。額の中には何やら絵が描かれているようでしたが、もはやそれが何なのか判別がつかないほどに朽ちていました。柱や階段に使われている木も相当年季が入っていて、おそらくこの神社が建立された当初のものだろうと想像しました。
 太鼓が叩かれる時、高いところに祀ってある神様に目をやりました。すると、ふと、神様っているのかな、と、子供が考えるような疑問が頭に浮かびました。
 いや、たしかに、日常から少し離れたこの神聖な空間に正座していると、神はいるのではないかと思いました。ただ、神様と一緒に、亡くなった祖父や祖母、それから仲の良かった親族たちも私を見ているような、そんな気もしました。
 その時ふと、ある考えが頭をよぎりました。神様は「いる」のではなく、私が「感じる」存在なのではないかと。神様は、感じたいとさえ願えば、いつでもどこでも寄り添ってくださるのではないか、と。
 これまでにはなかった不思議な気分に包まれながら、帰りの鳥居をくぐりました。

福は内、鬼も内!

 立春を過ぎた途端に、凍てつくような空気に包まれましたね。
 あなたの街はいかがでしたか?
 私は今朝は、まだ暗いうちに、いつもより1時間早く家を出たのですが、路面凍結による渋滞で遅刻すれすれでした。オフィスに無事到着した時には、1日の仕事を終えたくらいの達成感を感じましたが、その分肝心の仕事では、ぐったりとしてしまいました。

 今、世界は、平和とはほど遠い状態が続いています。
 これまではテレビの中の出来事だと、どこか悠長に構えていたニュースでさえ、他人事ではなくなってきたような危機感を覚えます。
 グローバル化した世の中では、自分のことだけを考えているだけでは済まないということが、最近よく分かってきました。自分のこと、自国のことだけしか考えないのは無責任になってしまう、それほど、他者との「つながり」に気を配らなければならない、それが「今」だということです。
 そう考えると、世の中は決して間違った方向には行っていないようにも思います。
 他者への思いやりこそが、私たちを、そして世界を救うのだということに思いを馳せつつ、来年行われる国際イベントの仕事に励みました・・・

フレー、フレー、大学生

 昨日は午後から大学に行きました。
 新たに大学院を設置するにあたってのプレゼンテーションとシンポジウムが行われ、会場となった大学会館には、文科省職員や大学関係者、それから現役の大学生など150名以上が集まっていました。
 大学を卒業して15年以上経っているわけですが、私の場合、どうしても学生に目が行ってしまいます。彼らは普段着慣れないスーツを身にまとい、それなりにきちっとしているようでしたが、役人の難しい話や大学のビジネスライクな話に、まもなく素の姿が出てしまい、ぐったりして椅子にもたれかかり、多くが眠りについていました。
 国立大学は国力を示す重要な機関だと言われますが、その学生がこんなにていたらくでいいのか! と思わず叱責してしまいたくなりましたが、自分の学生時代を思い起すと、人のことは言えないな、とすぐに考え直すわけです。
 高校では勉強と部活に全精力を捧げ、その勢いで大学でもしっかり学んでやるぞと意気込んでいたのは最初の1カ月までで、授業をサボってもそんなに問題にはならないという事実に気づいた瞬間、想像をはるかに超えた自由な生活にすっかり身をゆだねていました。
 欠席・遅刻にも罪悪感はなく、授業に出たら出たで缶ジュースを机の上に置き、寝たい時に寝ていました。机の上に突っ伏して寝ることもたびたびでした。あの時の教授は、きっと面白くなかっただろうなと、今になって忖度したりもします。
 振り返るに、私の大学時代はとても幸せでした。奨学金と親の仕送りを頼りに、社会の厳しさに追い詰められることもなく、それでいて誇り高くいられた時代。
 そう考えると、今の大学生の方がよっぽど難しい世の中を生きているのかもしれません。やがて荒波にさらされる彼らですから、せめて今のうちは、学びたいことを自由に学んでおいてほしい、そう思いました。

冬の散歩道

 現在復興支援のイベントを担当していて、昨日は、そのイベントでお世話になっているNPO団体の事務局を訪ねました。復興の願いを込めて作った小さな森を森林ボランティアの方が手入れをし、来年東北の方々を招待して復興への願いを発信するという企画なのですが、限られた予算にもかかわらず、このNPO団体はそれ以上の尽力をしてくださり、いつも胸が温かくなっています。
 所長さんは、以前は県政の官僚だった方で、早期退職をして現職に就かれました。一見怖そうな感じがしますが、何度か一緒に森に入る中で、実は熱い心をもってらっしゃることが徐々に分かってきました。 
 夕方過ぎから突然大雪が降ってきて、車の温度計は0℃、路面にも雪が積もりだしました。スタッドレスタイヤを履いているとはいえ、事務局はけっこう山の中にあるために、ハンドルを握りながら冷や冷やでした。他の日にすればよかったかなと後悔しながらの運転だっただけに、暗い森の中に明かりがぽつんと見えた時には、ほっとしました。
 予定よりも遅い時間に到着したにもかかわらず、所長は待っていてくださり、「近くの温泉でゆっくりできたよ」と、頬を赤らめてストーブの横のソファに座っていました。
 話し合いでは、イベントの計画を立てるつもりが、事務局の女性が入れてくださった緑茶がじつに味わい深くて(私は緑茶ファンです!)、話がそっちにずれてしまいました・・・
 帰り際に、所長が、採れたての大根を持たせてくださいました。それはもう、本当に立派な青首大根で、緑茶を入れてくれた女性の「おろし大根は酵素が含まれているから体にいいですよ」という言葉にそそられて、帰宅して早速大根をおろし、温かいご飯の上にたっぷり載せました。そこに、ちりめんじゃことねぎを投入し、濃い口しょうゆをさっと振ってからかきこみました。甘さと苦みで、体がみるみる生き返ってゆくのを感じました。

労働者は負けない!

 ちょっと前の朝日新聞に、多くの中高生が「LINEがなくなってもかまわないと考えている」という調査結果が載せられていました。
 彼らのやり取りは主に夜ですが、返信をしないとグループのメンバーから批判されるのが怖くて、寝ずに対応しているという涙ぐましい状況があるようです。
 面白いのは、「LINE」ではグループ内のメンバーを「友だち」と呼ぶことです。「親友」でも「友達」でもない「友だち」。いったいどんな関係なんだろうと思ったりもします。
 私なんかは「嫌ならやめてしまえばいいのに」とつくづく思います。「友だち」関係から脱退することで非難を受けるようなグループとは、この先付き合ったとしてもどうせ得るものなどないでしょうし、困ったときにも決して助けてはくれないでしょう。
 周囲からの批判を恐れずに行動を起こすほど、今のティーンエイジャーは強くないということなのでしょうか・・・
 「LINE」での人間関係に比べると、職場など逃げたくても逃げられないグループの中に怖い人がいる場合は、本当につらいものです。
 もしそういう人が上司だったら、もう悲劇というよりほかはありません。精神科医の片田珠美氏の『他人を攻撃せずにはいられない人』(PHP新書)が売れているようですが、支配欲の強い上司に攻撃されて疲弊している人はかなりいらっしゃるようです。
 厄介なのは、そういう場合、風邪を引いた時のような対処法がないということです。歯を食いしばって、その人の転勤をひたすら待つことくらいしかできません。
 それよりも、そんな上司がある程度の職位につけてしまうというシステム自体に大きな疑問と寂しさを感じます。

おいしい水

「おいしい水」という言葉から、真っ先にボサノヴァの名曲を思い浮かべる人は案外少ないかもしれません。
 かのアントニオ・カルロス・ジョビンが作曲し、さまざまな歌手によって歌われているこの曲の中で、個人的には小野リサのバージョンをよく聴いています。有名なのはアストラッド・ジルベルトが歌ったもので、おそらくあれがこの曲のスタンダードなのでしょうが、あっさりと自然に歌いのけるジルベルドよりは、現代的に洗練された小野リサの歌声の方が、私の耳にはしっくりくるようです。 
 さて、この「しっくり」という感覚、なんだか癒されますよね~
 私の中学・高校時代には、水を買って飲むなんてことは考えられなかったです。そもそも中学での野球部の練習中に水を飲むことは厳禁で、トイレに行った際に先輩たちの目を盗んではごくごくと飲んでいたのを思い出します。中には、どうにもならなくなって水田にたまった水の上澄みをすすった同級生さえいました。
 あの頃からすると、ずいぶんと水がおいしくなった気がします。様々なところで環境汚染が取りざたされる現在の状況を考えると矛盾しているようですが、とにかく一昔前と比べると、おいしい水が増えた。
 昨日の駅伝大会でも、走り終わって汗を拭いたあとに飲んだミネラルウォーターがびっくりするほど体に沁みわたり、生き返ってゆくのが実感できました。まさに「しっくり」という感覚でした。
 ところで、ボサノヴァの「おいしい水」の歌詞は、「苦しい愛で乾ききった心に雨よ振っておくれ、おいしい水をちょうだい」という意味なのですが、心にも体にもしっくりとくる水を飲むことができる喜びを、これからもずっと味わい続けたいものですね。

寒い1日でした・・・

 今日は朝から暗いニュースが飛び込んできました。
 私は駅伝の大会で、雪が残るコースを走りましたが、どこかで心に影が落ちていました。

 駅伝の大会、と言っても、6人のメンバーのうち、今日初めて会った人が3人。
 私は2区だったのですが、1区の方も初対面でした。その方は予想を大きく上回る順位でたすきを渡してくださり、ラストスパートの必死のまなざしが頭から離れませんでした。
 何とかして自分もいい順位でたすきをつなぎたいという一心で走り切り、結果ベストタイムを出すことができました。

 暗いニュースに包まれた日だったからこそ、よけいに人と人との「絆」を実感することになりました。
 ジャーナリストの佐藤優氏は、「嫌な時代」になってきたと、著書の中で語っています。その時代を生きる同世代の方たちとの絆を感じながら、1日1日を大事に過ごしていきたいですね。

 今日から2月。
 お互いに体調には気をつけましょう。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

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