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はじまりはいつも晴れ

 いよいよ明日、国際交流イベントが始まります。およそ2週間の長丁場です。
 ここまで、苦しみながらも何とか日々仕事を積み重ねてきましたが、不思議なもので、1日は長く感じられるけど1年はあっという間に思えます。
 洋画家の香月泰男が「一瞬一生」という言葉を残しています。
 一瞬に一生をかけることもある。一生が一瞬に思えることがあるだろう、とこの画家は自ら解説しています。
 中島敦の『山月記』の中には、「人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりに短い」というくだりがあります。
 何かを本気で成し遂げようとする時、時間というものは驚くほど短く感じられるのですね。私も、これまで自分なりに必死になってもがいてきた時間が思い出せないほどに、気がつけば本番を迎えているという感覚をもっています。
 その間、いろんな人に迷惑をかけましたが、逆にいろんな人に助けてもらいました。
 もちろん、まだイベントは始まってさえいないので、油断はできません。しかし、私は、始まりは終わりだとも思っています。何とかここまでたどり着くことができたのも、皆さんの心温まるサポートがあったからこそです。
 イベントは、あくまでチームプレーです。お世話になったすべての方の恩に応えることができるよう、私も1つの部分となって、大きな歯車を前進させたいと思います。
 さて、イベントが終わる頃には夏の甲子園が始まっていることでしょう。
 おそらく、この『静かな散歩道』も、少しずつ、新たなステージに入ってゆくはずです。 
 これまで、同行してくださいましてほんとうにありがとうございました。
 そして、これからも、どうぞ、よろしくおねがいします。
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真夏の夜の夢

 昨夜は年に1度の花火大会でした。
 私の住む町は、過疎化が他の地域よりも早く進み、ついには「消滅可能性都市」にも認定されてしまったほどです。
 そういう話題を耳にすると、ついつい猫背になってしまう今日この頃、せめて花火くらい見に行こうと、近所の漁港に足を運んでみました。それが、会場は、予想をはるかに超えるほどの人で賑わっていました。幼い頃、親戚の漁船で海から花火を眺めたものですが、その時に、岸壁に群がっている多くの見物客があったのを懐かしく思い出しました。
 やはり、この御時世、たくさんの人が集まることに、どこかほっとする自分がいます。
 そんな中、私は、人々の間に適当な場所を見つけ、コンビニで買った三ツ矢サイダーを飲みながら、色とりどりの花火を見上げました。大きな音を立てて鮮やかに開いては消えてゆく花火。気がつけば、時間を忘れて、うっとりとしていました。
 花火を見ていると、いやおうなしに、仕事のことが頭に浮かびました。
 この1年と半年、ほとんどすべてのエネルギーを傾けてきた国際交流イベントが、いよいよ始まります。会場準備も着々と進み、数万人の参加者を迎える体制が整っています。
 これまで頭の中で想像していた会場の風景ができあがってゆくのを見るにつけ、初めて私は、このイベントもついに終わるのだ、と実感しました。始まりがあれば、いつかは終わりが来る。それが人生です。ずいぶんと苦しんできた仕事だったけど、きっと終わってみればあっけないものなのかな、と思ったりもしました。
 そう考えると、花火も人生も同じかもしれません。いつの時代も浴衣を着て人々が花火に夢中になるのは、美しく開いては儚く消えてゆく花火の中に、人生の本質をそれとなく見いだすからではないでしょうか? 

フレー、フレー!

 それにしても、毎日、暑いですね。毎年のことながら、この時期ばかりは、やはりテンションが上がってきません。しかも、よりによって、私の職場は、まだクーラーが入りません。これはいったいどういうことでしょう? 壊れているのか、それともクーラーを使うにはまだまだ温度が足りないのか? 
 同僚たちは、パソコンのUSB端子に接続できる小さな扇風機を稼働していますが、私はうちわを仰ぎながらのデスクワークです。おととし、高校野球の甲子園予選で父母会の方からいただいたうちわです。表には私が応援した高校名が大きく印刷してあり、その下には「2013夏 ほとばしる汗! ガンバレ青春!」とあります。裏には監督・部長以下、選手たちの名前が連なり、その下には毛書体で校歌が記されています。
 私には、どうもこのうちわがしっくりくるようです。
 ところで、私が真夏の球場に足を運んだ時には、たいていの場合、応援する高校は負けます。ひょっとして、自分は勝利の女神を追い払う星の下に生まれているのではないかと申し訳なく思うほどです。
 だからか、私は、負けに対して耐性があるようです。もちろん、悔しくないわけではありません。ただ、勝つ喜びと同じくらいに、負けた後の清々しさに励まされるのです。
 私は、世の中において、勝ち負けがあるのは、競技の世界だけだと思っています。以前「勝ち組・負け組」という言葉もありましたが、一般社会における勝ち負けとは、実に微妙なものがあると思うのです。
 たとえ大企業の社長に君臨したとしても転落することだってあるし、逆に目標が達成できなくとも一生懸命に努力した過去は人生に活力を与えます。
 高校球児の名前が書かれたうちわを仰ぐと、彼らの一生懸命な戦いぶりを思い出し、清々しさが巻き起こるのです。

アメリカの私?

 先週、アメリカからいとこ一家がやってきました。いとこは日本人、彼女のご主人はアメリカ人。彼らは現在、ノースカロライナに住んでいます。
 いとこと子供たちは2年に1回のペースで帰国するのですが、ご主人と会うのはかれこれ15年ぶりになります。
 じつは、私はいとこよりもご主人の方と気が合うところがあります。何かとこだわりが強いところ、おちゃらけなところ、それから、物事を複雑に考えすぎてしまうところ、いつぞや彼は「君は、日本の僕だ」と言ったことすらあります。
 そんな彼ら一家が、1両編成のローカル線に乗って、最終列車でやってきました。久しぶりに彼と対面して、お腹が少し出たことを除いては、15年前とほとんど変わっていないことに安心しました。彼はアメリカの大手ケーブルテレビ局のディレクターをしているだけあって、以前よりも人間的な包容力が増したように感じられました。
 次の日、私は彼と釣りをし、ドライブに行きました。彼は、京都と熊本に行ったばかりで、翌日は東京に寄ってから帰国するというハードスケジュールの中でしたが、のんびりとした田舎でのひとときを気に入ってくれているようでした。
「アメリカでは、どんな日本の話題が取り上げられるの?」と、私がハンドルを握りながら切り出すと、彼は「せいぜい、エコノミーか基地の問題だけだね、それもニュースの終わりの方に少し取り上げられるだけだ」と返しました。「今はテロリズムや世界経済の問題が大きいから、どうしても関係が深いイギリスやドイツの話題が多いよ」
 レイバンのサングラスをかけた彼はそう言い、大きなあくびをしました。
 彼は時に冷めたところがあります。それをアメリカンと呼ぶかどうかは別として、彼の冷淡さの中には嫌みがほとんどないのはなぜだろうといつも思います。

心があたたかくなった夜

 卓球世界一の実力を誇る中国から著名なコーチが来られたということで、先週の夜、接待の場に呼んでもらいました。接待、といっても高級料亭ではなく、会場は近所のしゃれたバイキングレストランでした。
 彼は30代半ばと、コーチにしては若く、関西の方がよく言われる「シュッとした」感じのイケメンでした。
 目下、日本の名門実業団のヘッドコーチを務めていて、私でも知っている有名な選手たちにも指導するほどの人物だというわりには、とても気さくで人なつっこい方でした。
 その夜は、地元の卓球関係者の方の参加がメインで、最初は卓球の話題で持ちきりでしたが、そのうちビールが効き始めると、話題がどんどん政治の方に傾いていきました。
 まだ中国に行ったことのない私が「中国の人と日本の人の一番の違いは何ですか?」と聞くと、彼は「中国の人の方が好き嫌いがはっきりしていますね」と即答しました。
なるほど、島国の日本人とは違い、大陸に住む人たちは自己主張をしっかりとしていかなければ意志がきちんと伝わらないということなのかなと想像を巡らせました。
 それから彼は、政治システムそのものについても話しはじめました。
中国はとんでもなく人が多いので、仮に多くの政党があったとしても、おそらくはまとまらない、共産党政治の問題点はたくさんあるけど、中国をまとめるには、ある程度強いリーダーシップが必要なのだと。
それから彼は、「そう考えると、民主主義というのはほんとうにすばらしいです。だから、日本を羨ましいと思う中国の人はたくさんいますよ」と続け、にっこり笑いました。
 愛国心を持っているはずの彼が、私たち日本人に配慮のある話をしてくれたこと自体が尊敬すべきことだし、そんな人物だからこそ、一流の指導者になれるのだと納得しました。

何かは何かとつながっている

 今の職場には仕事ができる人がたくさんいらっしゃるわけですが、その中で、こんな私にも得意なことがあります。名刺を作ることです。
 去年の4月にこの職場に入った時には、パソコン作業に不安を抱えていて、エクセルもワードも思うように使うことができませんでした。
 そんな中、まず、自分の名刺を作らなければならいという事態に直面しました。前の職場では名刺がなくても十分にやっていけたので、何から始めるのやらまるで分からず、とにかく自力で調べるしかありませんでした。
 さらに、私たちの名刺は、裏面に英語バーションを印刷することになっていて、この両面印刷の設定が結構ややこしいのです。おかげで、自腹で購入した名刺シートが何枚も無駄になってしまい、去年の4月は名刺作成にかなりの時間と労力を割きました。
 その甲斐あってか、今ではほとんどロスがなく作成できるようになり、同僚たちから依頼されるようになりました。ところが、私も次第に仕事に慣れ、それなりのボリュームを任されるようになった時に頼まれるのは、正直困ったことでもありました。
 まあ、でも、こういうことで職場に貢献できるならいいだろうと思い直し、他の人の名刺を印刷し続けていました。
 それが、先日、国際交流イベントに来賓として参加するVIPの方々のIDカードを大至急作らなければならないと上司たちが焦りまくっている時、だれかすぐにできる人はいないかということになり、私に白羽の矢が立ちました。大会本部から送付された画像を貼り付けて、名前を記入するだけの簡単な作業でしたが、それでも同僚たちは、本当に喜んでくれました。窮地を救ってくれたとまで言われました。
 ああ、あの平凡な繰り返しは、この時のためにあったのだなと、納得しました。

One on one

 生きることは、短距離走のようでもあるし、逆に長距離走のように感じられることもあります。 
 私の場合、短距離走さながらに、全力疾走しなければならない局面を何度か経験ました。
 猛烈な睡魔と闘いながら挑んだ受験勉強や、ケガをしたまま出場したラグビーの全国大会予選の決勝戦など、その時々で無理をしなければならない場面は確かにありました。
 とはいえ、心よりも正直なのは、身体です。全力疾走していると、身体の方が悲鳴を上げる、だから、どうしても長距離走のように、地道にコツコツと足を前に運ぶという感じになる、そういうわけで、長く生きれば生きるほど、人生は長距離走のようになってゆくのではないかと今は思います。
 先日、朝日新聞の紙上で、マラソンの高橋尚子選手と卓球の石川佳純選手の対談がありました。すでに第一線を退いている金メダリストのランナーと、現役バリバリの卓球選手、しかも女性同士のやりとりは、なかなか興味深いものがありました。
 予想通り、高橋選手は、石川選手の若さを受け止めるというスタンスでしたが、最後に「ところで、石川さんは、日頃から、これだけは誰にも負けない努力をしてますか?」という質問をしました。
 さすがの石川選手もすぐには答えられなかったようで、というより、彼女も銀メダリストなわけだから、日頃から相当の努力をしているのですが、おそらく高橋選手の静かな迫力の前に、少し気圧されたのだろうと思います。
 誰にも負けないと思える努力を積み重ねていると、いざという時に自信が持てるよ、と高橋選手はアドバイスする形になりましたが、その言葉には、何かを成し遂げることの、すなわち、生きることの本質が隠されているように思いました。

「昨日の今日」の言霊

 昨日は吐き捨てるような文章を書いてしまいました。
 人は1人では生きていけない。それゆえ、自分の力で絶望から抜け出すしかない。とはいえ、人は人によってしか救われない。おそらくそれは、自分以外の人なのだと。
 よくよく考えれば、世の中多くの人が、日々それぞれのプレッシャーと戦い、時に絶望的な気分になり、生きる意味を考えているのだと思います。
 つくづく私は甘い人間だと思います・・・
 だからか、今日もずっと追い詰められていました。
 すると、周りの人たちが声をかけ、助けてくれました。皆さん自分のことで精一杯なのに、私が1人で抱え込んでいた仕事を肩代わりしてくださいました。
「今はワーキング・シェアが流行りなんだよ」と言ってくれた人さえいました。
 奇跡でも起こったかのようでした。
 あぁ、こんなにも甘い考えの私にさえも手をさしのべてくれる人がいる、だからこそ、私はもっともっと強くならなければいけない、そんな思いが沸き上がってきました。
 昨日吐き捨てた言葉が、現実に起こったのです。
 言葉には力がある、口に出した言葉は、現実のものとなる。それを言霊と言うならば、私の弱音を聴いてくださったあなたに感謝しています。  

明けない夜はないのか? 

 すべてがうまくいかないような気分になることがあります。
 たしかに、悪いことは重なるもの、人生は思うようにうまくはいかないものです。それが分かっているつもりでも、絶望的な気分になることがある。
 心のゆとりがなくなって、周りの人の声が聞こえなくなる。世の中というぶ厚い壁に囲まれた空間には、自分1人しかいない、そんな状況に追い込まれることがあります。
 もしかすると、それは人間の原存在なのかもしれない、人間は、結局はひとりぼっちで生きて行かなければならない宿命を背負っているのです。
 そういう時になって、初めて気付くことが2つあります。
 1つめは、ほんとうの絶望の中で頼れるものは自分だけだということ。
 それからもう1つは、そういう時だからこそ、誰かのぬくもりを希求するということです。
 人は1人では生きていけない。それゆえ、自分の力で絶望から抜け出すしかない。とはいえ、人は人によってしか救われない。おそらくそれは、自分以外の人なのです。
 そんな絶望的なパラドックスの中に、今私はいます。
作者

スリーアローズ

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

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