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ミッドナイトブルー

 ご近所のNさんの話題をもう1つ。
 先日、夜に自治会の役員会があって、その中で、Nさんが地域の子供たちのために、ボランティアで朝一緒に登校していて、小中学生からかなり頼りにされているという話題が出ました。
 さすがだなと感服していると、あくる日の夕方、Nさんが訪ねてこられて、「これを君に使ってもらおうと思ってね」と、小さな布袋を差し出されました。中を覗き込むとモンブランの万年筆が入っていました。
 私が20歳になった時の記念に初めて買ったのがパイロットの「カスタム」という万年筆で、教科書通りのきちっとした造りは今なお輝きを失いませんが、ただ、モンブランとなるとこれまで握ったことすらなく、さすがに恐縮してしまいました。
 ペン先を一晩湯に浸けておくとインクの出が復活するからというNさんの教えをそのまま実行し、「ミッドナイトブルー」の専用インクを購入して、文字を書いてみると、インクは徐々に眠りから覚めてゆくかのように、だんだん濃くなっていきました。
 この「モーツアルト」という万年筆は、どうやらモンブラン社の定番らしく、独特の重厚感があり、さらに、Nさんの愛用品を受け継いだという誇りのようなものと相まって、文字を書くたびに心が温まるのを感じます。
 ここ最近はキーボードばかり使うために、漢字を書くのもひと苦労の状態が続いていましたが、この万年筆を手にすると、忘れかけていた「文字を書く悦び」をひしひしと思い出すことができます。
 まずは、Nさんに、一筆したためてみようと思います。
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ルイ13世のほほえみ

 前回、地区の運動会でたくさんのご近所さんとの交流があったという話を書きましたが、その中でも、Nさんとの時間が特に印象的でした。
 Nさんは、10年前まで船乗りだったらしく、リタイアした今は自適悠々の生活を送っています。バイタリティにあふれ、いつも庭先でゴルフのアプローチ練習をされているだけあって、握力はまだ60近くもあることを、入場行進の時に、誇らしげに語っていました。
 日頃はすれ違いざまに挨拶をする程度のことですが、この日は私の近くに座って、いろんな話をしてくださいました。
 サザンオールスターズのファンで、ライブを観に全国を駆け回っていること、ジャズと紅茶をこよなく愛していること、モンブランとペリカンの万年筆を愛用していること、若い頃に大腸がんを患い余命宣告をされたが、あれから20年以上も経っていること・・・
 船乗りで鍛えられた野太い声が語る人生には、何とも言えない深みがありました。
 それから、携帯用のウイスキー・スキットルとステンレスのショットグラスを出し、一緒に飲もうやと誘われました。車で来ていた私は飲むことができなかったのですが、ならばスキットルごと持って帰って中身を飲みなさいと言われました。中に入っていたのは、レミー・マルタンの「ルイ13世」というブランデーで、帰って調べてみると、1本20万円以上もする逸品でした!
 帰宅して、口に含むと、もちろん、とんでもなく美味しかったのは言うまでもありませんが、その香りをたしなめている最中、「俺もそろそろ、これまで集めてきたものを、人に譲っておかないとな」と述懐していたNさんの声が心をよぎりました。
 すぐ近所にこんなにかっこいい方がいらっしゃったとは、身が引き締まる思いでした。

青空の扉

 秋はやっぱりスポーツの話題が多いですね。
 先週の日曜日は、地区の運動会があり、私は自治会の役員になっているので、そのお世話をさせていただきました。
 急速に過疎化が進む地域ではありますが、運動会は盛り上がります。人口の多かった頃は、さぞかし大規模だっただろうと想像します。
 当日は胸のすくような青空の下、自治会ごとに立てたテントの中で朝から宴会が繰り広げられました。ビールを飲み、おつまみを食べ、ご近所さんと話す。自治会によっては、バーベキューをする所さえありました。
 そんな光景を見ながら、そういえば、昔は朝からビールを飲んでいたなあ、と懐かしく思いました。まだ車の免許を取っていない頃、列車に乗る前には必ず、駅の売店で缶ビールとおつまみを買ったものです。
 就職して、職場の旅行の時にも、朝から新幹線の中で宴会をしていた、今思えば、ずいぶんと迷惑な客だったとも反省しますが、悪くはない想い出です。
 大学生の頃は、友だちで集まってバーベキューもしました。河川敷にコンロを持ち込み、キャンプファイアーさながらにやるわけですが、あまりの盛り上がりに近隣住民の方からクレームが出て、警察に注意されたこともありました。
 もちろん、朝から酒を飲み、バーベキューで盛り上がることがいいとは限らない、でも、過疎化が進む今、そうやって地元の人々の絆が深まるのなら、それはそれで素敵な時間だと言えるのではないでしょうか。
 若者も高齢者も、そろそろ自分の住む町のことを、本気で考えなければなりません。

言葉にはならないこと

 原監督が退任しました。
 これほどの実績を残した監督にしては、どこかあっけなく、ものさみしい幕引きに想われるのは、私だけでしょうか?
 最近は野球中継がめっきりと減ったうえに、個人的にはテレビとはあまり縁のない生活を送っているために、ジャイアンツのオーダーを見ても知らない選手が増えましたが、それでも、原監督の退任には、何かしらの感慨があります。
 プロスポーツの監督は、大変だな~といつも思います。シーズン途中で体調不良を訴えたりする人がいるのも、うなずけるところです。
 プロスポーツがビジネスである以上、彼らは勝つために仕事をするわけです。でも、勝つためには、選手たちの教育をしなければならない、そのためには、個性豊かでプライドの高い選手たちから信頼される「何か」を持っておかなければならないわけです。
 特に、常に勝つことが求められるジャイアンツの監督の苦労たるや、想像を絶します。相手チームはいいピッチャーを充て、研究して挑むために、簡単に勝てるものではない、そういう意味で、ジャイアンツとは、伝統を守りつつも時代に対応しなければならないチームなわけで、その中で文句なしの実績を残した原監督は、「大監督」と言えるでしょう。
 退任のコメントでは「潮時」だと説明したようですが、心の中には様々な思いがあったはずです。言い訳をせず、結果を受け入れて、潔く退陣する、その姿に、勝負師の宿命と、静かなる迫力を見ました。

1人で生きるということ

 体育の日の午後、あまりにいい天気だったので、ランニングをしようと思い立ちました。
 車を少し走らせて、橋を渡り、島に上陸しました。島と言っても、集落やオートキャンプ場やレストランがあって、リゾート地になっているのですが、それは島の東半分のエリアに集中していて、今回足を踏み入れたのは、その反対の西半分のエリアでした。
 すっかり廃墟と化した造船所の跡地に車を止め、スポーツグラスをかけ、ストップウォッチを手にして、海沿いの道を走り始めました。5分もたたないうちに廃校になった小学校が現れ、雑草の生えたグランドではスポーツ少年団がソフトボールをしていました。
 その先の古い漁港の周辺には、商店や水産加工場がありましたが、そこを過ぎてからは、人や車の陰はめっきり少なくなり、道も細く、さらに進むと、雑草に覆われた古い別荘や廃業して崩れかかったリゾートホテルが次々と現れました。  
 さすがに不気味になってきて、いつ引き返そうかと考え始めていると、右手に湖が現れ、左側に広がる海と湖とを隔てる細い橋立の上を走ることになりました。
 人気はなく、この遊歩道を抜ければ対岸にたどり着くであろうことは分かっていましたが、小心者なのに頑固者の私は、引き返そうか走り切ろうか迷いながら、とりあえず足を前に運びました。
 すると、雑草に覆われた道の向こうから、ランナーが近づいてくるではありませんか。彼は私よりもこなれた走りで、すれ違いざまに挨拶をして、あっという間に走り去っていきました。
 彼の登場により、それまですくんでいた脚に力が入り、結局、不気味な橋立を最後まで抜けて、湖の対岸にたどり着くことができました。
 やっぱり孤独を救ってくれるのは、他人なのだな、とつくづく実感しながら、元の漁港まで戻ってきました。廃校のグラウンドのスポーツ少年団の子供たちは、夕日に包まれながら練習後のグラウンド整備をしていました。 

宇宙のささやき

 朝、ポストの新聞を取りに外へ出ると、キンモクセイの香りが鼻先にまとわりついてきました。
 こんなにも香りがはっきりとしている花も、なかなか珍しく、だからか、香りを吸い込むだけで、いやおうなしに心が浮き立ってきます。
 香りもさることながら、この花の名前も好きです。「金(キン)」と「木(モク)」が一緒に並んでいるのが、なんとも象徴的な気がします。
 そういえば、この花の香りをじっくり味わってみると、「強さの金」と、「やわらかさの木」が、なんとも絶妙に融合しているように思えてくるから不思議です。強いけれどもやわらかい、実に深みのある香りですね。
 最近は、「強さ」の意味が、少しずつ変わってきているように思います。力と力のぶつかり合いに勝つことができることが強さだという風潮が高まっているような気がするのは私だけでしょうか? 
 強さとは何も相手を打ち負かす能力ではない、むしろ、信念を貫き孤独に耐える「強さ」と同時に、他者を受け容れる「やわらかな心」を併せ持つこと、それこそが「本当の強さ」ではないかと私は思います。
 そんなことを考えている間にも、風に運ばれたキンモクセイの香りは私を包み、やさしく語りかけてくるようでした。

すがすがしいくやしさ

 今朝は3時過ぎに起きて、ラグビーワールドカップの日本対アメリカ戦を観ました。序盤は日本に細かいミスが目立ち、先制を許し、「あぁ、やっぱり決勝トーナメントに進出できなかったショックが響いているのかな」と心配もしましたが、今大会ですっかり自信をつけた選手たちは、徐々に試合の主導権を握り、最後には10点差をつけて勝利しました。
 この試合ばかりは、私たちがプレーしていた頃の昔のラグビーを観ているようで、どこか懐かしくもありました。というのも、これまで見せてきた組織的でスマートな戦いというよりは、泥臭く、力と力のぶつかり合い、という趣のゲームでした。体力を前面に出してくるアメリカに対して、日本は真っ向勝負を挑んだということでしょうか。
 さて、3勝もしながらも決勝トーナメントに進出できなかった日本が、試合後に「最強の敗者」と評されるのを耳にします。じつに逆説的で、味わい深い表現です。「勝負には敗れたけど、それ以上に、他の誰にもできなかった何か大きなものを残した選手たち」とでも訳しましょうか、とにかく日本代表が、この大会において、決勝トーナメントに進んだチーム以上に大きなインパクトを残したことには違いないのでしょう。
 当然、日本は、初めから敗者になるつもりでいたわけではありません。選手たちは体を張り、人生をかけて、1試合1試合、勝ちにこだわってきた、だからこそ、負けた後、私たちファンの心には独特の感動が残るのです。
 そして、結果的に、大健闘しながらも敗退しなければならないという「現実」を受け入れる沈黙にこそ、世界中が共感するのだと思います。
 勇敢に戦い抜いた末の敗者はじつはとても強いのだということに、世の中が気づき始めているのかもしれません。

プロポーズ大作戦

 ラグビーワールドカップで、南アフリカがいち早く1次リーグを突破しました。そのスピードとパワーを見るにつけ、よく日本は勝ったなと、改めて感動させられます。
 ところで、ラグビーに限らず、スポーツの世界には「相性」というものがあります。エースピッチャーにも苦手なバッターはいるし、強豪チームが想わぬ「伏兵」に破れることもしばしばで、ここがスポーツの人間味でもあります。
 ただ、ラグビーだけは、「相性」に左右されにくいように思います。
 選手としてプレーすると実感することですが、たとえばスクラムでもタックルでも、相手の体格やパワーとテクニックが上回っていれば絶対に勝てませんし、スタミナで劣っていれば後半に立て続けにトライを取られてしまいます。
 戦術面でも、相手の弱みを分析し、そこにつけ込んでゆく「選択と集中」のバリエーションが豊富なチームは、当然強いわけです。
 大学時代、私たちのチームは、恥ずかしいことに200点以上の差をつけられて負けたことがありますが、あまりのショックで、何人か部員が辞めてしまったほどです。彼らはいくらやっても勝てないと、諦めてしまったのです。
 そう考えると、日本のラグビーは、「相性」に左右されにくいラグビーにおいても、ひときわ安定した強さがあるなあ、と感服しながらゲームを見ています。わかりやすく言うと、彼らのラグビーはきわめて「丁寧」で「粘り強い」のです。
 どのような人に対しても、「相性」を気にせずに接することができる、私も日本のラグビーのような人間になりたいと思って、洗面台の鏡を見ると、鏡の中の私は、私に向かってにやりと笑ってきました。

秘すれば花

 ラグビー日本代表がサモア戦に勝利しました。長いことラグビーに携わっている人にとっては、この勝利がいかにすごいか、ひときわ身に染みているはずです。
 ただ、あの試合を見る限り、日本は完勝で、仮に再試合をしても勝つでしょう。 
 昔のラグビーには「スター選手」がいました。もちろん、今の五郎丸選手もスターですが、彼の場合は見た目のかっこよさに加えて、キック前のルーティンとかチームに対する忠誠心が注目されていて、華麗なステップで相手をかわしたり、パワーで圧倒したりすることが目立っているわけではありません。つまり、野球の4番バッターではないわけです。
 日本とサモアの違いはまさにここで、日本の方がチームとして統制が取れていました。いくら1人のスターがいても、みんなで囲い込めば怖くない、それが日本ラグビーです。
 その姿勢は、レフリーを務めたクレイグ・ジュベール氏にも理解されていました。
 ラグビーというスポーツは、レフリングによって大きく左右されます。私も高校ラグビーの監督時代、この点には本当に悩まされました。ハードなスポーツなゆえにさまざまな規律があって、レフリーの考え方やその時の感情によって解釈が微妙に異なるわけです。しかも素晴らしいプレーとは、とかく反則スレスレの場合が多く、「これは美しいプレーだ」と捉えるレフリーもいれば「何があっても反則は絶対に許さない」と笛を吹く人もいるのです。
 日本代表選手は、サモア戦において、世界最高のレフリーの1人とされるジュベール氏の顔色をうかがいながら、彼に理解されるように、最後まで規律を守り抜いたわけです。かたや、サモアの選手は苛立って、冷静になれずに反則を繰り返した、その結果、五郎丸選手のペナルティキックの機会が増えて、着々と加点していきました。
 みんなで、ギリギリの所で規律を守りながらも、その陰において最大のパフォーマンスを発揮する、この姿も「JAPAN WAY」と言えるのではないでしょうか。

なくてぞ人は恋しかりける

 私の家には古いピアノが置いてあります。ずいぶん前にいとこから譲ってもらったのですが、ほとんど蓋を開けられることもなく、眠っていました。 
 それで、思い切って、今回業者に売りに出すことにしたわけです。
 さすがにピアノセンターの人はいかにも手際よく、30分もかからないうちに専用のトラックに載せて、あっという間に運んでいきました。
 彼らが去った後、部屋はがらんとしていました。前よりもずいぶんと広く、明るく感じられ、あぁ、これが最近流行のミニマリストの世界なんだな、と思ったりもしました。
 ただ、それだけではない、なんとも言えない感覚が心に残ったのも事実です。
 そこに置いてある時にはまったく見向きもされなかったピアノ、大学生の頃に習った練習曲を何度か弾いただけで、蓋さえ開けられなかったピアノなのに、どういうわけか、なくなってしまえばそれはそれで寂しいのです。いや、なくなった後になって初めてピアノの存在感が身に沁みるような気さえしました。
 これは人間も同じかな、と、ふと想いました。たとえば教室に30人のクラスメイトがいる、日頃はそこにいるのが当たり前だと思っているけど、もし、誰か1人でもいなくなれば、同じように寂しく感じるにちがいない、と。
 なにも教室に限ったことではない、普段は存在の意義など考えたこともないのに、いなくなって初めて、あぁ、あの人は、こんなにも自分にとって大切な人だったんだと実感させられる、人間の存在とは、そんなものなのかもしれない。
 だとすれば、いずれはすべての人と別れることになるのだから、今のうちに、会えるうちに、その人としっかり触れ合っておきたい、ピアノのなくなった部屋の中で、1人、そんな想いが心の中を吹き抜けていきました・・・
作者

Author:スリーアローズ
*** 
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