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インベーダーとファインプレー

 朝8時に出勤して、18時まで働くとします。
 その日に処理すべき仕事の量や、体調、テンションなど、さまざまなことがありますが、10時間の勤務時間というのは、けっこう長いですね。
 とはいえ、経験を重ねると、与えられる仕事は量質ともに大きくなって、日々、仕事と戦わなければならなくなります。その時に、この10時間をいかに利用するかはとても大切になってきます。
 最近、「1日1つの仕事を確実にやりきる」ことが大切だと思うようになりました。
 たとえば、1日で3日分働こうとする人がいるとします。たしかに、その人は勤勉かもしれませんが、翌日には疲労というツケが必ずまわってきて、効率は落ち、判断力も鈍ります。そういう働き方ではなく、1日1つ、3日で3つ、100日で100の仕事を着実に重ねていく人の方が、かえって大きな成果を上げるように、私の目には映ります。
 そう考えると、仕事はインベーダー・ゲームに似ています。(ちょっと古いですけど・・・)
 あのゲームのコツは、迫り来るエイリアンたちを1つずつ確実に撃ち落とすことです。欲を出してまとめて落とそうとすると、あちこちに動き回ることになり、どこかに穴ができてしまいます。その結果、今度はその穴をカバーするために焦り、あたふたしているうちに次のエイリアンが迫ってくる、これでは相手の思うツボです。
 人間の体は、一度に多くのことをこなすには向いていないのかもしれません。たとえば、恋に悩んでいるその瞬間に、経済問題について考えることはありません。
 仕事に追われて焦っている人は、いかにも頑張っているように見えますが、本当の名手とは、ファインプレーをファインプレーと見せないようにキャッチするものです。
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書くことと、生きること

 紫式部が『源氏物語』を執筆するエネルギーとなったのは、彼女の実生活でした。
 華やかな宮仕えを果たした彼女でしたが、そこに至るまでには、当時にしては遅かった結婚の2年後に、夫と死別するという苦難を味わいました。
 平安朝の女性にとって、宮中に上がって天皇をはじめ権力者たちのそばに仕えるというのは、至高の憧れでした。しかし、紫式部は、最高権力者であった藤原道長の娘に仕えるために宮中にスカウトされたものの、そこでの人間関係の波にさらされることになり、実際は決して華やかな時間を過ごしたわけではありませんでした。
 彼女はまず、現実の中に生きざるを得ない自らの「身」を強く意識しました。貴族社会に束縛される「身」、未亡人としての悲しみを背負う「身」、やがては死んでいく「身」、自分はそれらを受け容れて生きていくしかない「身」であることを悟ったわけです。
 ところが、あるとき、不思議なことに気づきます。どんなに厳しい現実の中においても、それらに束縛されない自由なものがある、それは「心」でした。
「心」は、どんなに苦しい「身」であっても、やがてはその現実に適応し、自由に広がり、自分を慰めてくれる、そのことに気づいたのです。 
 
心だにいかなる身にかかなふらむ 思ひ知れども思ひ知られず(『紫式部集』五十六番) 
 
 この心だけは、いかなる「身」にも従うことはない。自分でつかんでいるようで、決してつかめないのが、心というものだから。
『源氏物語』は、紫式部が彼女なりの人生の中で紡ぎあげた「心」の世界だったのです。その世界は彼女の「身」を遥かに超え、千年以上経て、私の「心」を慰めてくれます。 

※参考文献:『源氏物語の時代』山本淳子 朝日新聞出版

生〈なま〉

 朝からラグビートップリーグの試合の運営サポートをしました。
 ワールドカップですっかり盛り上がったラグビー界、しかも、最近日本のチームに移籍してきたばかりの、ニュージーランドやオーストラリア、それに南アフリカの主力選手が出場するとあって、スタンドには多くの観客が詰めかけました。
 7年前に秩父宮ラグビー場でサントリー対神戸製鋼のゲームを観て以来のトップリーグは、ワールドクラスの選手の加入もあって、あの頃よりもさらに迫力が増し、あの頃の熱い気持ちがすぐに蘇ってきました。
 いやあ、それにしても、生の試合は伝わってくるものが多いですね。ワールドカップではテレビの前に釘付けになりましたが、やはり生は違います。選手たちの声、体がぶつかる音、観客の歓声とため息、出番を待つ控えの選手の緊張や、怪我をしてベンチに運び込まれる選手など、テレビでは伝わらないすべての音と光景が目に飛び込んできます。
 ここ数年でパソコンの画面越しのコミュニケーションが主流になってしまった私にとっては、この生の感覚がむしろ新しくさえ感じられるほどでした。
 ワールドカップで活躍した世界的選手が目の前でプレーしている、彼らの動きは、テレビで観るよりも、ずっと「身近」でした。これは当たり前のことのようにも思いますが、偉大な選手を身近に感じるということは、やはりどこか新鮮です。
 たとえば、コンサートに行っても同じことを感じます。CDやDVDの中で観るアーティストも、実際には身近に感じる、あぁ、この人も、じつは自分と同じように生活してるんだと気づくことがあります。
 最近の自分を省みながら、選手たちの体を張ったプレーがそのまま胸に飛び込んでくるようでした。

秋はおしゃれの季節

 先日コンビニで買ったスムージーがとてもおいしかったので、パッケージを見てみると、「チアシード」という、何やら聞きなれないものが入っていました。さっそくウエブサイトで調べたところ、チアシードとは、どうやら植物の種らしく、そんじょそこらの植物には入っていないような、希少な栄養素が含まれているということで、パーフェクトフードとして崇められていました。
 さらにネットサーフィンを進めると、どうやら最近は、「デトックス・ウォーター」なるものが、愛好家の間で作られているようです。それらのドリンクに本物のデトックス(解毒)作用があるかどうかは別として、チアシードの他に野菜や果物やサプリメントなど、様々なものを投入しては、みなさんSNS上で披露していらっしゃいます。
 たしかに、健康食品を取り巻く問題も多く、すべての情報を信じ込むことには慎重になった方がいいかもしれませんが、ヘルシーな食べ物を積極的に摂ることには何やらオシャンティな雰囲気が漂うのは事実で、私たちはそこに惹きつけられるのでしょう。
 秋と言えば、私にとっては百貨店のショーウインドーのマネキンが身にまとう瀟洒なファッションのイメージが強いのですが、今は、その服の下の、健康的なボディを手に入れることに注目が集まっているのかなと思ったりもします。
 バブル時期のデザイナーズブランドに憧れたこともありますが、「どんな服を着るのかということと同様、どんな服を着てもサマになるかっこいい体を作ることがかっこいいのだ」という思想には、賛成します。
 とは言え、毎日昼の3時になると、おやつが食べたくなって悶える私です。理想のボディを手に入れるのは、そう簡単ではありません、だから、かっこいいのです。

雨雲のようなイメージ

 これまで何度か「修羅場」を経験してきました。
 人生の駒が進むにつれて、誰しもが経験することなのでしょうが、私も御多分に漏れず、多方面からの災難に見舞われてきたわけです。特に、ここ数年に限っては、仕事上の修羅場が多かったように振り返ります。
「悪事は重なる」というのは私の経験則です。ほんとうに追い詰められている時に、これでもか! といわんばかりにさらなる不幸がのしかかる、「だめ押し」とでも言いましょうか、そんな状態に何度もくじけました。
 そう考えると、修羅場とは、複雑にもつれた糸に似ています。
 私はよく魚釣りをしますが、釣り糸というものは、すぐにもつれます。はじめはちょっとしたもつれ方だったのが、風が吹いて釣竿に絡まったりするとたちまち複雑化し、イライラしてきて、「せっかく海に来たのに、俺は糸をほどきに来たんじゃない」などとキレかかってきて、しまいには、糸を丸ごと切らなければならなくなります。
 それが、最近になって、やっと、糸をほどくコツをつかんできました。
 簡単にほどけそうな小さなもつれからほどくのです。そこがほどけると、不思議と、次に着手すべき部分が見えてきます。ぐちゃぐちゃになった全体を見て漠然とした嫌気に苛立つよりも、1つ1つ、目の前の簡単なもつれから、ゆっくり丁寧にほどいてゆく。もちろん、最後までほどけないもつれもあるわけですが、全体を見てパニックになるよりも心は落ち着いています。
 仕事でもそう。まず目の前の1つを片付けると、次への扉が開いたような気分になって、肩の力が抜けます。追い詰められた時ほど目の前の第一歩から着手する、そんなことを念頭に置きながら、今日も仕事と格闘しています。

時の中に生きる

 10年来、ずっと手に入れたかったグランドセイコーを、ついに購入しました!
 日本の職人が丁寧に作っただけあって、腕時計としての正確さはもちろんのこと、その美しい仕上げも、うっとりするほどです。
 初めて手首に巻いた時、この時計は、おそらく、私が死ぬまでつきあってくれるのだろうという感慨が込み上げてきました。すると、ちょうどその時、時計店の担当者が、10年に1度はオーバーホール、つまり、分解清掃に出してくださいと言ってきました。
 10年後かぁ・・・
 10年後には、当然今よりも10歳も年を取っている、その時の自分を想像すると、何とも言えない気分になります。まだ十分に若かった頃は、10年後に希望を抱くことができましたが、今となっては、やはり、さみしい気分になってしまいます、人生は有限なのだと。
 1秒ずつ、極めて正確に時を刻む腕時計の秒針に目を落とすと、今という時間が10年後につながっていることが実感されるようでした。年をとることは、もちろん、生きる以上、仕方のないこと、でも、その1秒を、大事に積み重ねてゆきたい。
 逆に言えば、この時計をオーバーホールに出すまでには、あと10年もの時間がある、その間、悔いの残らぬように、1秒1秒を完全燃焼すれば、きっと10年後には、素敵な時間が待っているに違いない、そう思うことにしました。
 帰りの車の中で、ハンドルを握っていると、左手の手首に巻かれたグランドセイコーが、夕暮れの暗がりの中、深く光っていました。

美しい想い出

 先週、突然辞令が言い渡され、今日から職場が変わることになりました。
 これまでのイベント関連の仕事からうってかわって、オフィスでのデスクワークが中心です。業務の引き継ぎの時、新しい上司から、うちの課はかなりの激務だけど、チームワークはいいから安心してくださいと言われましたが、かえって不安になりました。
 イベントを作っていく上で、ずいぶんと苦しむこともあったけど、いざ職場を去るとなると、それはそれで、寂しいものです。これまでのオフィスは本館とは別棟の2階にあったのですが、ため息をつきながら何度も行き来した階段や、古臭くて殺伐とした感じの部屋、私を支えてくれた机やいす、それらが、急にいとおしく感じられます。
 それから、上司や同僚もそうです。様々な人間模様の中、反感をもったことも多々ありましたが、今となってはすべてがいい想い出で、感謝の気持ちが芽生えています。
 そういえば、小さい頃、よくホームシックになっていました。学校の宿泊学習や部活の合宿のたびに、その前日には胸を詰まらせていました。
 初めての海外旅行の時にも、出立の前は、見慣れた風景が語りかけてくるような錯覚を感じました。ああ、遠くに旅に出る意味とは、自分が住む町の良さを再発見することなのだと、あの時知りました。
 すべては想い出に変わる。どんなにつらい出来事も、後になってみれば、自分が必死に生きた証として受け入れることができるようになる。新しい環境に変わることは寂しいが、そのことによって、これまで過ごしてきた時間に彩りが与えられる。
 そんなことを考えながら、新しい14階のオフィスから外を見下ろすと、紅葉した街路樹が秋風に揺れていました。
 紅葉は、ペルシャ絨毯のように、様々な色で街を包み込んでいました。

無性に脱皮したくなる時

 私には、突然、自分をリニューアルしたくなる時がやってきます。
 まず、不要になったものを捨てる衝動に駆られます。特に年々少しずつ買いためてゆく服はタンスを膨張させ、うんざりさせられます。なので、思い切って、1年以上着用実績のないものはゴミ袋に入れました、感謝の気持ちと共に。
 次に、部屋のリニューアル。と言っても、机上のブックシェルフの位置を右から左へとずらしたり、アロマキャンドルの香りを日頃使わないものにしたり、新しいBGMをダウンロードしてみたり。
 それから、新しいものを手に入れたくなります。ボールペンやペンケース、マグカップ、ネクタイやシャツ、それからシャンプーやボディクリームであったり。
 ただ、今年は、もっと全面的にリニューアルしたい。それで、長年愛用していたガラケーとついに別れを告げ、iPhoneを手に入れました。とっくにスマホを使っている人からすると何の変哲もないことかも知れませんが、こだわりを持ってガラケーを使いこなしていた私にとっては、けっこうな出来事です。
 さらに、時計を購入しようと思っています。それも、上質なものを。10年間継続してきた500円玉貯金が満期(?)を迎え、おととい銀行で紙幣に交換してもらったら、予想以上の額になっていました。それでも購入資金には少し足らず、残りはカード決済になりそうですが、前までのためらいは完全に消え去っています。今が、タイミングなのだと思います。
 こうしてみると、私にとってのリニューアルとは身近なモノを新しくすることのようですが、それによって、気持ちも新しくしたいと、体が要求しているのだと思います。
 きっと、これから何かが始まるのでしょう・・・

秋という季節に

 毎年思うことではありますが、季節の変わり目というのは、どうも心がざわめきます。
 特に、だんだん寒くなってゆくこの季節は、どことなくセンチメンタルな気分になってしまうのは、私だけでしょうか?
 たとえば、冬の寒さには、どこかぬくもりを感じます。それも、誰かのぬくもりです。ストーブのある教室で勉強したり、ホットコーヒーを飲みながらドライブしたり、こたつに入ってみかんを食べたり、雪合戦をして汗だくになったり・・・
 そこへもってくると、秋の寒さは、冷たさをそのまま運んでくるような気がします。
 そういえば、大学時代の国文学の先生が、ちょうどこの時期に、こんな俳句を詠まれたのを思い出します。

一人より 二人の孤独 秋の風

 冬の寒さは二人の距離を近づけるのに対して、秋の寒さは二人の距離を遠ざける、そんなものなのでしょうか?
 さて、今年もにぎやかなハロウィンパーティも終わり、世の中は一気に冬へと駆け上がっていきます。ぬくもりを実感できる季節まで、あともう少し、今だけの秋の寒さに浸りながら過ごすのもいいのかもしれません。
作者

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

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