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終わりと始まり

 1月も今日で終わり。
 よく「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と言われますが、今年はこの言葉通り、新年に入ってから時間が経つのが早い気がします。
 あなたはどうですか?
 今日は駅伝に参加した後、帰宅してテレビをつけたらラグビーの日本選手権をやっていました。1年の集大成のトーナメントということで、ワールドカップに沸いたラグビーのシーズンも、もうすぐ終わりなんだなあと感慨深く思いました。
 夜のニュースでは、プロ野球のキャンプが始まると報じていました。野球のペナントレースが幕を開けると、一気に春が来たような気がするのは私だけでしょうか?
 1月から3月の間は、始まりと終わりが交錯する時期でもありますよね。そういえば、初めて就職した職場のある先輩が、私の異動が決まった後、山間の温泉旅館で川魚と山菜を使った料理をご馳走してくださったことがあります。あの時「僕は春は嫌いだ」と寂しそうに述懐した先輩の表情を今でもはっきりと思い出すことができます。
 先輩の心の温かさと、味わいのある旅館の風情が、たまらなくなつかしいです・・・
 そろそろふきのとうの季節ですね。先日の大雪に耐えた植物が少しずつ芽吹いてくるこの時期、おそらく私たちのバイオリズムも少しずつ土から顔を出そうとしているのでしょう。半分は地上に出ているが、まだ半分は土の中に眠っている。それが今の季節かもしれません。
 春になればいやがおうにも心は新しくなります。その瞬間のためにも、今のうちにじっくりと養分をため込んでおくのでしょうね。
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縦糸と横糸

 世の中にはいろいろな人がいます。そして、さらにその人たちは、いろいろな観点から「類型化」されます。
 邦楽が好きな人と洋楽が好きな人、腕時計を右手にはめる人と左手にはめる人、あるいは、支持政党や思想の傾向などは人によって違う、つまり「みんな同じではない」のです。
 同じく、集団との関わり方についても個人による違いがあります。集団に「順応」する人もいれば、集団に対して「批判的」な人もいるわけです。
 たとえばとても真面目なクラスがあるとします。居心地がいいからクラス運営について深くは考えずに学校生活を送る、それが「順応」する人です。かたや、いくら今が順調とはいえ本当にこのままでいいのかを考え続ける、それが「批判的」な人です。
 もちろん、どちらが正しいと評価するつもりはありませんが、ストレスをためやすいのはきっと「批判的」な人の方だと思います。しかし、何かを「変える」ことができるのもまた、この分類に属する人であり、圧倒的に少数なのもこの人たちです。
 「順応」グループの人たちからすると、「批判的」グループの人たちは不可解に見えるかもしれません。あるいは、時に厄介な存在かもしれない。でも、こればかりはどうすることもできません。
 優れた集団とは、異なる価値観が共存することで化学反応を起こし、結束を高める集団です。しかし、そううまくいくほど、人間関係はシンプルではありません。
 たとえば仕事の打ち上げの宴会の時、みなさん大盛り上がりでビール片手に席を立ち、酒を注ぎ合う。一次会が終わったら、そのままの流れで二次会へとなだれこむ。
 そのとき、流れに逆らって、1人で静かに帰宅する人がいても私はいいと思うのです。

オジサンのパワー

 ここ1週間、普段は1時間の通勤に2時間かかっています。路面がパリパリに凍っているからです。
 思えば、私の通勤の歴史に凍結はつきものでした。初任地は山間にあり、途中の湖はガチガチに凍って路面はまるでゲレンデでした。太陽が昇るとグラウンドの氷が溶けるために部活動の時間は水浸しになり、冬のホッケー部の練習は、毎日ランニング、しかも選手たちはスリップして転倒していました(ゴメンナサイ・・・)。
 あれから職場を転々としましたが、この時期の通勤は常に危険と隣り合わせで、何度かスリップ事故を経験もしながら、どうにか今に至っています。
 今朝もまだ夜が明けないうちから家を出て、凍結した道路を走行しました。
 えてして、自分の身に降りかかるトラブルは回数を重ねるごとに慣れてきて無害化されるものですが、氷上における車の運転だけはそうはいきません。油断してスピードメーターが60㎞を超えると、必ずスリップします。むしろ慣れは天敵です。
 ただ、「対応力」は身につくように思います。
 まだ運転に慣れない頃、雪道ではハンドルを握る手に力が入り、職場に着いた時には1日のエネルギーの半分以上を消費していましたが、今は2時間のドライブをしても、いつもと大して変わらずに仕事に入ることができます。
 大きなスリップをする回数も年々減っているように思います。というか、事故をしない程度に軽くスリップをすることによってその日の路面状況が分かり、それを超えないように自ずと適応しているのだと思います。
 鮮やかなハンドルさばきとアクセルワークを駆使しているわけではないのに、運転が楽になってきた、およそ経験を重ねるというのは、危険を予知し対応することなのかもしれません。

私にとってのウイルススキャン

 7年前に赴任した職場の駅伝熱が高く、勢いに押されてレースに参加するようになったのですが、今年はいろんな方から誘われて、4週連続で駅伝を走るまでになってしまいました。
 今は駅伝ブームなんですかね?
 そういえば、表参道のナイキショップには多くの客が詰めかけていて、その賑わいは以前と比べると熱気を帯びているようです。先日はシューズを買うのに列ができていました。
 そんな周囲の盛り上がりとは裏腹に、全く練習をしていない自分がいます。それどころか、近所の方から「獺祭」をはじめとする高級日本酒を頂くなど、お酒を飲むのが唯一の娯楽という日が続いていて、ヘルスメーターが視界に入るだけで重苦しい気分になります。
 7年前には断酒をして、雨が降ろうと雪が降ろうと1日10㎞走っていたことがウソのようです。というわけで、そろそろ大会を目前に控え、練習を始めることにしました。
 7年前と今の違いは残業の多さです。平日に練習しようとすると、どうしても夜遅くになってしまいます。しかも今日は小雪混じりの風が海から吹き付けてきて、ウインドブレーカーがまるでパラシュートのようになり、空気抵抗を正面から受けました。
 日頃の練習不足が祟り、体は重く、足はなかなか前に出ません。それでも2キロを過ぎた頃には徐々に体が目覚めはじめ、走りにリズムができてきました。
 辺りは真っ暗、街灯の明かりに雪がちらつくのを見ながら、悪あがきするように走ります。すると、そのうちいろんなことが頭に浮かび始めます。過去のこと未来のこと、そうして今のこと・・・こうして再び走り始めたのだから、この際、よどんだ心も模様替えしたい、そんなことを考えました。
 走りながらいろんなことが脳裏をよぎる、しかもそれはだいたいポジティブなことです。私にとって走ることの醍醐味は、むしろここにあります。

ノストラダムスの天気予報

 今朝、カーテンを開けた瞬間に目を疑いました。家の周りが、すっぽりと雪に包まれていたのです。
 ずいぶんと前から天気予報では今日の暴風雪への警戒を呼びかけていましたが、まさに予報通りの天気となり、なんだか妙な心持ちがしました。
 平安時代の人々なら、これほどの雪を見るとかなり驚いたはずです。貴人に仕える人たちは、あたふたして雪かきをしたり火桶の準備をしたりしたことでしょう。
 それが、現代人は違います。天気予報の「予言」が見事に命中するからです。
「1月23日の夜からこの冬一番の寒波が西日本に流れ込み、24日の朝には大雪になる」という情報はすでに1週間前から予言されていた、そしてほとんど狂うことなく現実となった。
 もしこれが、自分の身に降りかかることだったらどうでしょう。「来週の火曜日に遅刻をしかけて、混雑するエレベーターを避けて階段を駆け上がっていると、足を滑らして転倒する」とか「たまたま行った本屋で立ち読みをしていると、別の課の知り合いとばったり出会い、話が盛り上がってメルアドを交換する」とか。
 何かを求めて生きている人はどうしても近い将来のことが知りたくなります。今の努力に対してきちんとした結果が出るかどうか気がかりなのです。
 結果を先に知っておくとロスが少ない人生を歩むことができるのかもしれませんが、それはストーリーの結末を聞いて映画を見るようなものです。
 天気予報が正確であることはありがたいですが、人生の予報はあまり意味がありません。その内容を知ったところで自分の手で変えることはできない、つまり私たちは、何があっても今を精一杯生きるしかないからです。

CANDLE IN THE WIND

 つくづく、自立しなきゃいけないなって、思います。
 去年、イベントのキャラクターのぬいぐるみを袋詰めする作業をしたのですが、机の上に置いて、多少風が吹こうとも1人でちゃんと立つ、あれが自立のイメージです。
 そのイベントの部署で働いていた3人が、昨年末に14階のオフィスに移ることになり、私の課はフロアの真ん中で、両隣の課に上司のAさんとBさんがそれぞれ配属されました。
 年度途中の異動とあってなかなか慣れない中、大規模イベントを経験した私たちの結束は固く、今でも仕事の合間にお互いの課に行ったり来たりしています。
 Aさんはよく私の課に来て、ほとんど周りを気にせずに右手を挙げて「元気?」と声をかけてくれます。上司とは思えないほどにフレンドリーに接してくださり、緊張で固まった心がほぐされます。
 一方Bさんの課には私の方から訪ねることが多いです。前の職場で隣の席だったこともあり、私をよく理解してくださっています。新しい課に移ってからはなぜか急にHな話題を持ちかけるようになりましたが、おそらく、これも私への配慮でしょう。
 どんなにつらいときも、仕事で行き詰まったときも、Hさんはつらさをプラスに変えるような言葉をかけてくださり、自尊心を高めてくださいます。BMWのスーパーカーに乗られていることもあり、話が常にダイナミックです。
 教員時代は徹底的に叩かれることもあった私だからこそ、2人の上司の優しさに甘えてしまうのですが、そのたびごとにまだまだ自分は子供だなとも思います。
 あくまで自立を目指すという姿勢をとらない限り、おそらく上司の優しさはほんとうの優しさとして私の中に入ってこないような気がするのです。

MIRAI

 2月の終わりに京都へ行くことにしているのですが、肝心のホテルが決まりません。
 ウエブサイトで探しても全く見つからず、それで知り合いの旅行代理店に依頼したのですが、今のところいい話は入ってきていません。
 大阪に宿泊して翌朝京都に入るという行程に変えなければならないかもしれません。
 日本政府は物価の上昇率を2%に引き上げようという目標を設定しているようですが、少なくともホテルの料金は10年前からするとずいぶんと上がったように思います。もちろん、施設をリニューアルしたり、クオリティを上げたりした結果なのですが、その背景には訪日外国人の数が過去最高を記録しているということもありそうです。
 これからの日本を考えたとき、一番恐ろしいのは少子高齢化による人口減少です。渋谷でも小学校が統廃合されている事実をご存じですか?
 私の住む街を含めて、30年後には、日本各地でムラが消滅していくというのは決して意地悪な予言なんかじゃありません。このまま何もしなければ、間違いなくそうなることをデータが示しています。ピンチをチャンスに変えなきゃならない。ではどうすればいいのでしょうか?
 私は、もはや海外出身者の力を借りるしかないと思っています。コミュニティの中に積極的に入ってきてもらい、地域の活性化の一翼も担ってもらうしかないように思うのです。
もしそうなれば、われわれ日本人の役割が大切になるのは間違いないですね。この国をしっかりと引き継いでいかなければならないのですから。
 その時の日本を想像すると、期待と不安が入り交じるわけですが、せめて気軽に京都に足を運んで、お気に入りのホテルに泊まることができるようであってほしいですね。

静かな吹雪の夜に・・・

「待つ」ことは、決してネガティブではないと思います。
 たとえば、好きな異性に告白をしてその返事を待つ時は、心臓が飛び出すくらいにドキドキするし、大学入試の合格発表を待つ瞬間もまさに一日千秋の思いです。
 ただ、人生が先に進むと、「自分が何を待っているか分からないけど、ただひたすら待つことしかできない」というよく考えるとへんな状況になることがあります。
 これは学生時代にはなかなか経験しないことです。
 小学校の次には中学があり、その次は高校、大学と続く。学生時代には「次」の進路が与えられているから、何を待つかということがはっきりとしているのです。
 それが社会人になると、とたんに勝手が変わります。
 小学生の頃、私は社会人になった後のことが怖くてたまらなくなっていました。まるでどこまでも平坦なベルトコンベアに正座して、死に向かって直線的に進んでいくだけの時間が想像されてなりませんでした。
 たしかに、それはあながちハズレではなかった、でも、ただ1つ言えるのは、そんなベルトコンベアのように過ぎてゆく時間の中で、何とかして自分の人生を切り開こうとする、それが社会人としての生き方なんだということです。
 学校では答えを与えられていたのが、大人になると自分で答えを見つけなければならない、もしそのことを放棄すれば、人生はベルトコンベアの上にただ正座をすることと何ら変わりません。
 自分の人生の答えが一体何なのか、待ちながら前に進むのです。そういう生き方を取っている以上、どこかのタイミングでふと答えが見つかるのではないか、そんな希望的観測を胸に抱きながら、今この瞬間にベストを尽くすことだけを考えています。

1人っきりの散歩

 朝、ホテルを出て、表参道まで足を伸ばしました。ここは私のお気に入りの場所です。
 名だたる高級店がずらりと軒を連ねているので買い物をしたことはあまりありませんが、ただ歩くだけで、おのずと豊かな心持ちになってくるのです。
 そういえば、一昨日20年ぶりに会ったご夫妻の奥さんが、「戦時中、表参道に逃げ込んだ人は空襲の犠牲になったんですよ」と話されていました。自分はたまたま学校があった青山に逃げて助かったのだと。昔から明治神宮の参道として今と同じ広さがあったこの通りに多くの人たちが逃げ惑ったために、爆撃の標的となってしまったわけです。
 まるでほんの前の出来事のように話す奥さんの語り口を思い出しながら、交差点に立って全体を見下ろすと、人口減少時代とは思えないほどの人でごった返していました。
 外国人、それもアジア出身らしき人の姿が目立ち、それから欧米や豪州の人の姿もあり、あとは一体どこの国の人か分からない人もいました。すれ違いざまに言葉を聞いてみると、その人たちはみな、日本人のようでした。濃いメイクをして、帽子を斜めにかぶり、髪を複雑に編み込み、ジーンズを下げて履き、たまにタバコをくわえる、そんな人たちが、どこかの店の行列に並んでいる客に対して何かを説明したりしていました。
 表参道も時代と共に変わりつつあるようです。そうしておそらくその変化はこれから加速していくものと私は想像しています。
 なんだか、スカッとした気分になりたくて、表参道駅から半蔵門線に乗ってスカイツリーに行きました。ここにはどこの国の人か分からない人の姿はなく、各地からやってきたとみられる熟年層の方や家族連れがゆったりと過ごしているようでした。
 ソラマチ商店街から外へ出て見上げると、スカイツリーはぐんと縮こまるようにして青空に向かってまっすぐに伸びていました。

奇跡(あるいは、タイムレス)

 日赤本社での会議が終わった後、20年前に夜行バスで出会ったご夫妻と恵比寿駅で待ち合わせました。顔すらはっきりと覚えていなくて、本当に会えるかどうか不安でしたが、予定通り、私たちは再会を果たしました。
 ご夫妻ともとても元気で、ご主人は今年79歳になるということですが、あの日のことをすぐに思い出すことができるほどに、変わっておられませんでした。
「僕たちはね、よくこの辺を歩くんですよ」と、ご主人は道すがら何度かそう言われました。最初に案内してもらったガーデンプレイスはイルミネーションできらめいていました。
「この光景をあなたに見せたくてね」とご主人はしみじみとおっしゃいました。
 それから私たちは、広尾に向かって歩きました。一本路地に入っただけで閑静な住宅地が広がり、昔からの人情の香りがしました。
 お2人とも生粋の江戸っ子で、恵比寿と青山と目黒に移り住んできたこと、細かった路地はどんどん大きくなり、ビルが建ち並び、昔からの友人は郊外へと移り住んでいったこと、そんな話を明るくしてくださり、その語り口にこのご夫妻の生き方そのものを見せていただいたような気がしました。
 聖心女子大の前を通る頃にはずいぶんと日が落ちていました。この冬一番の寒気が肌に張り付いてきましたが、常に私の前を歩くご夫妻に引っ張られるように歩を進めました。
 その後、ご夫妻が行きつけだというお寿司屋さんに案内されました。東京で寿司を食べたことなどなかった私はただただ恐縮して、正直じっくり味わうこともできませんでしたが、ご夫妻のあたたかさにずっと心打たれていました。なんだか、奇跡のようでした。
 気がつけば3時間が経っていました。バス停で私を見送ってくださったご夫婦を見ていると、ああ、この方たちにとっての20年はあっという間だったのだなと思いました。

夢をあきらめない

 先日、職場のエレベーターホールで、ある課の副課長とばったりと出会いました。その方が今年の県の美術展で大賞を取ったことは、すでに新聞で知っていました。
 その方とは、去年イベントの推進室にいた時に、復興関係の仕事を一緒にしたことがあります。真夏の会場に設けられた猫の額ほどのエリアに、福島、宮城、岩手に自生する木を植樹して、震災復興を世界にアピールしようという企画でした。
 あの時副課長は、下っ端の私のオーダーにも丁寧に応えてくれて、当日は会場に足を運んでボランティアスタッフと一緒になって海外からの来場者の応対に汗を流していました。
 そんな副課長が美術展で大賞を受賞し、戦争の哀しみを抱えた子供が描かれた大きな油絵と一緒に写っている記事を見て、びっくりさせられました。まさか、この方が制作活動をしているなんて、そんなことすら知りませんでした。
 日頃の激務の中、一体いつ絵を描いているのですかと聞いたところ、「じつは近くにアトリエを借りていてね、仕事が終わって、毎晩8時から11時まで引きこもってるんですよ」とどこか照れくさそうに言われました。
「家に帰るとどうしても眠くなるから、仕方ないんです。家族も諦めてますよ」
 そう続けた瞳には、光が走りました。作品に描かれた子供の瞳がふとよぎりました。
 仕事に夢を重ねる人生もあるでしょう。その一方で、どこまでも突き詰められた趣味がいつしか夢になることだってあるはずです。
趣味が夢となる、それは、瞬間瞬間を自分らしく生きてきた証であるとも言えそうです。
 せっかくこの世に生まれてきた以上、夢を追い続けていたい、副課長と別れた後、1人のエレベーターにはそんな余韻が残りました。

グレイな空の下で

 高校時代によく聞いていた岡村孝子の曲を今になってまた聞くようになりました。
 岡村孝子と言えば「あみん」のメンバーで『待つわ』をヒットさせた歌手です。あの曲も、「他の誰かにあなたが振られるまで私は待つわ」というドロドロした内容で、たとえば『愛は勝つ』のような応援ソングではないですよね。
 岡村孝子の「したたかさ」は、高校時代には理解できなかった部分で、だからこそ今改めて聞いてみるとその歌詞の「勢い」がけっこう新鮮だったりします。
 有名な『夢をあきらめないで』も、そういう意味では100%スカッとした歌詞ではないことに気づきます。で、この曲が収録された『リベルテ』というアルバムの1曲目にはアルバムタイトルと同じ名前の曲が入っています。
 この曲には「モラル」という言葉が象徴的に繰り返されます。高校生の頃の私はなぜこの歌手がこの言葉にこだわるのかよく分からないところがあって聞き流していたのですが、今じっくり聞くと、社会の中で真面目に生きていると結局モラルの中に収まっているだけのつまらない自分がいた、ということを歌っている、つまり、真に自己実現するためにはモラルを越える勇気がいるのだという、彼女なりの決意表明として理解できるのです。
 その後この歌手は売れっ子となり、人生経験も重ねる中で曲調もだいぶ変わっていくのですが、若い頃の「トゲのある」歌詞は、今の私のカンフル注射となっています。
 もちろん、モラルの中にいることは近代市民として基本的な生き方です。ただ、他人や自分を傷つけることを恐れるあまり、すべて守りに入ることはある意味安全ですが、1度しかない自分の人生を生きるためには、モラルを越えることも時には必要かもしれない、そんなグレイなことをふと考えたくなる気分なのです。

大丈夫!

 先週、県内の高校2年生を対象にセンター試験の対策セミナーを実施しました。なんだか、久々に「先生」らしい仕事を担当したようでドキドキだったのですが、実際は会場をセッティングしたり、資料を準備したり、講師の対応に追われたりと、肝心の高校生とのふれあいはあまりできませんでした。
 とはいえ、「センター試験」というだけで、心にわき上がってくるものがあります。
 高校3年生の時点で人生を左右するようなテストを受けるということ自体、かなりのプレッシャーですよね。私は高校3年生の12月までラグビーの試合が残っていたので、センター本番まで1ヶ月しかありませんでした。今でも花園ラグビー場のグランドの隅っこで単語帳を開く高校生ラガーを見ると、あの頃の自分と重ねてしまいます。
 高3の夏にとある大学から推薦入試の話があってずいぶんと悩んだのですが、大学に入ってまで強豪チームでラグビーをするモチベーションが上がってこなかったし、何より、大学卒業後の進路のイメージがどうしてもできなかったので、思い切ってオファーを断り、当初の志を貫き、学力勝負の道を選んだわけです。
 それで、チームメイトたちが次々とラグビーでの進学を決めてゆく中、私は最後まで勉強することになりました。合宿の夜は、部屋でトランプをする仲間たちから離れて、トイレに座って古典の単語帳を開いた記憶もあります。
 高校生は何かと決断を強いられる時期でもあります。もちろん、仮に第1希望の大学や企業に入れなかったからといって、すべてが決まるほど人生は短くはありません。
 それよりも、1つの目標だけを目指して、不合格の恐怖と戦いながらひたすら努力する、そのこと自体に大きな意味があるような気がします。
 講義を聴く今の高校生の後ろ姿を見て、心からエールを送りたい気分になりました。

大人になるということ

 今から20年以上も前ですが、夜行バスで東京に行ったことがあります。
 家の近くのバスセンターから乗り込み、足下が広く作られたシートに腰掛けた直後に、前の座席に品のよい感じの夫婦が乗り込んでこられました。聞くと、東京の方でした。長旅の間よろしくお願いしますと挨拶したところ、2人とも私の方を向いて自然に応対してくださいました。
 今よりもさらにぶしつけだったあの頃、私は道中でしゃべりまくりました。そのほとんどが自分のふるさとの自慢話で、ゆっくりと旅を楽しみたかったはずのご夫婦にしてみれば、ずいぶんと迷惑な客だったに違いなく、今思えば本当に恥ずかしい限りです。
 さて、それから車中でシートを倒して眠り、目覚めた時には朝日の中に富士山がそびえ立っていました。富士川のサービスエリアに停まり、乗客たちは顔を洗ったりサンドイッチを買ったりして、再びバスに戻りました。
 そのご夫婦は神々しい富士山を見ても特に騒ぎ立てるようなことをせず落ち着いて座っていて、テレビのニュースを観ていました。
 バスが三田の高層ビル群の中に入ったとき、ご主人が自身のことを少し語りました。自分はこの辺りで会社を経営していること、息子はNECに入社したのだけど仕事が合わずにもう一度大学院に入り直して研究をしたいと言い出して困っていること、それから最後に私に向かって、「あなたは熱血先生になるんだろうね。今のいいところはなくさないようにね」と言ってくださいました。
 あの日1度きりの出会いでしたが、毎年年賀状を交わす関係は変わらず、今年も「元気にしています」と記されていました。今月末に上京する予定ですが、ぜひ20年ぶりに再会して、あの時旅行の邪魔をしたお詫びを言いたいと考えています。

もっともっと、歌いましょう!

 大学院生だった頃、同じ研究室に留学していたタイ人の友達の実家に遊びに行ったことがあります。タイの人は近所や親戚同士のつながりが深く、食堂を経営していた友達の家にはさまざまな人たちが集まって、日本からの客をもてなしてくれました。
 1週間バンコクを満喫した後の帰国の日。空港までは、友達のいとこが運転するワゴンで送ってもらいました。運転手の他には友達と叔母さんが同行してくれました。日常会話はすべて友達が通訳していたのですが、その帰りの車の中でどうしても感謝の思いを直接伝えたくなって、たまらず『今日の日はさようなら』を歌いました。
 どうしてここで熱唱しているのだろうと自分でも変な気持ちがしましたが、友達も、それからハンドルを握っていた彼のいとこも後ろに座っていた叔母さんも一生懸命に聞いてくださり、叔母さんは涙を浮かべていました。
 話が変わって、日本の文学が「万葉集」から始まったということは、かなり前に書きました。「真面目で勤勉」と言われる日本人の文学の始まりが歌うことだったとは、少し意外に感じるかもしれませんが、たとえば『源氏物語』の至る所で、光源氏は当時の大衆民謡である「催馬楽(さいばら)」を歌っています。
 その内容たるやなかなか生々しく、自分の思い通りにならない恋を嘆いたり、思い人に恋のアピールをしたり、しかもかなりの下ネタが混じっていて、俗っぽさ満載です。
 人生でも恋でも、思い通りにならないことだらけの中、現実逃避で紛らわせるのではなく、歌うことによって心のバランスを保とうとする、日本人は古来からそのようにして人生を乗り切ってきたとも言えるのでしょう。
 空港へ向かう夜のバンコクの煌びやかさと、ワゴンの中にいた人たちのやさしさは、『今日の日はさようなら』のメロディに包まれて、色あせることなく胸に残っています。

静かな時間

 子供の頃から、正月には霊感のような静けさを感じてきました。
 それは、墓や仏壇に手を合わせたり、神社に参詣したりすることから来ているのは間違いないのですが、どうも他にゆえんがあるような気がします。
 私の母親の実家は、今では消滅しかけた鄙びた地区にありますが、往時には、たくさんの親戚が集まってこたつを囲み、おせち料理を食べたものです。
 私の親はいわゆる「金の卵」世代で、親戚たちは首都圏や関西圏へと出ていましたが、正月の間だけは決まって故郷に集い、私たち子どもはいとこ同士で楽しい時間を過ごしました。外へ出ると、夕焼けが、一面に広がる田んぼを柿色に染めていました。その光景は、今でも心の深いところに焼き付いています。私は枯れ草のにおいが好きでした。それから、田んぼに降りてみんなで凧揚げをした記憶も残っています。
 私にとっての正月のイメージとは、山間の集落に親戚同士が身を寄せる風景に他なりません。そうして、その中心には、目に見えない「何か」があった、それはひょっとして、代々命をつないできた先祖の魂かもしれないし、もしかしたら、もっと大きくて漠然としたものかもしれない、いずれにせよ、幼かりし私は、そこに霊感のような静けさをいつも感じていました。
 時代は変わり、すっかり高齢になった親戚たちは帰省すらできなくなり、広々とした母親の実家は、ただきれいに磨いてあるだけで、もう人が集まる場所ではなくなりました。
 それでも、大晦日には餅をつき、玄関先にはしめ飾りが提げてあります。すっかり古くなった家の中にいると、正月につきまとう精神性だけは、まだそこにあるような気がしてならないのです。

何のために山に登るのか?

 人生山あり谷あり、と言われることがあります。
 ある程度人生経験を重ねた人なら、共感できるのではないでしょうか。 
 野球選手でも、たとえそれがイチロー選手のような輝かしい実績を残した人であっても、野球人生のすべてが最高にハッピーだったとは言わないはずです。
 もちろん、私のような一介の人間も、そういう意味ではイチロー選手と同じなわけです。長いこと生きていると、いいこともあればつらいこともある、人生とはプラスマイナスゼロではないかとはかなむこともあります。
 おそらく、若い人たちにはそこまで経験がない、彼らには過去よりも未来の方が長いわけで、人生はあくまで予測なのです。だから山あり谷ありという実感はまだない。
 最近私は、こんな風に思うようになりました、「問題のない人生などありえない」と。
 元気に働いている同僚も陰で何かを抱えている、業績が順調そうな会社にも、円満に見える家庭にも、必ず何らかの問題があるのではないか。
 もちろん、それには大小あるし、とらえ方によっては、問題が問題に見えない場合もある。それでも、100%無難な人生など、あり得ないのです、きっと。
 人間とは、常に問題を抱えた生き物ではないかと思います。生きることとは、自らに課せられたその宿命的な問題をどう解決するかの連続のように見えます。
 問題を1つ解決した時、目の前には青い空と下り坂が広がる、でもその余韻に浸る間もなく、また次の登り坂が現れる、まるで箱根の山を目指すランナーです。
 人間が人間らしく生きようとするとき、きっと長距離選手のような野心と疲労感とを常に抱え込んでゆくのだと思います。人生の目標とは、「自分」という未踏の山頂に立つことではないかという仮説の下、一歩一歩、坂を登ったり下ったりしています。

♪箱根の山は天下の嶮♪

 何年前のことでしょう、都心でプリウスを借りて箱根までドライブをしたことがあります。
 皇居の前から品川に抜けて横浜経由で行くつもりでしたが、ナビゲーションには渋滞のサインが出ていたので、やむをえず用賀から東名高速に乗ることにしました。
 秦野中井のインターチェンジで高速道路を降りてまもなくすると、大磯の海岸がどこまでも長く伸びていて、相模湾に打ち寄せる白波の彼方には太平洋が広がっていました。
 そのまま国道1号を西に進み、酒匂川の橋を渡り、小田原を通過した時、今まで広がっていたセルリアンブルーの空が突如として暗くなってきました。山陰に入ったのです。
 ついさっきまで都心にいたのが信じられないくらいの、霊験あらたかな世界に入ってゆくのを感じつつ、まずは箱根湯本の立ち寄り湯で体を休めることにしました。
 大きく取られた浴室の窓の外には、紅葉しかけた森が迫っていて、葉の間からは陽光がガラス片のようにキラキラと顔を覗かせていました。
 風呂から上がり宮ノ下に向かっていると、古く細い道路には車が連なっていて、時間をかけてだらだらと進んだところに富士屋ホテルが現れました。ホテル直営のベーカリーで買ったあんパンとカレーパンは、どこかなつかしい味わいでした。 
 カレーの香りを口に残したまま宮ノ下を抜けると、登り坂が急になり、くねくね道の連続で、陽光と山陰が交互に現れてきました。普段は大人しいはずのプリウスのエンジンでさえ唸りを上げ、運転している私もが山に挑んでいるような気持ちにさせられました。
 ようやく小涌谷を越えてからは、勾配がなだらかになり、運転もたやすくなりました。
 やがて、箱根の山々に囲まれた巨大な露天風呂のような芦ノ湖が見えた時、その湖面には光が贅沢に降り注いでいました。車から降りて湖畔の風景に参加していると、ああ、箱根に登ることとは、この自然との対話、いや、自然への挑戦なんだなと実感しました。

GANーTAN

 たとえば、正月に勝負をかける選手たちがいる。
 今日行われたニューイヤー駅伝の選手、それから明日箱根駅伝を走る大学生、彼らは今頃プレッシャーと戦っていることでしょう。高校、大学のラグビー選手もしかり。全国高校ラグビーに出場しているラガーマンたちは、1、2回戦を勝って「花園ラグビー場で正月を迎える」ことが1つの大きな目標なのです。
 スポーツ選手だけではありません。
 近所のスーパーマーケットも早朝から初売りをしていたし、ガソリンスタンドも、レストランも、郵便局も、1年のはじめにして書き入れ時を迎えています。
 そう考えると、私のお正月は、そのような方たちによって支えられているのだと、つくづく感じさせられます。だとすれば、自分も、誰かに対して、何か貢献できるような存在になりたい、そんなふうに思います。
 ともすれば、1年という時間はとても短く、そっけなく感じられます。その感覚は、人生経験を重ね何度も正月を迎えるほどに強くなるような気がします。もちろん、時の流れに身を任せることによって人生の深まりを味わうこともあるし、そういう行雲流水のような生き方こそが本当なのだと思うことだってある。
 その一方で、正月が本番のランナーのように、1年1年、勝負をかける人生もあるはずです。たしかにそういう人生はしんどいものです。でも、実際に駅伝を走ってみると、限界とは自分が思うよりも少し先にあるのだと気づきもします。
 今日をスタートに、また1年、来年の自分にたすきをつなげることができるよう、ひたすら足を前に運びたい、そう思います。
作者

Author:スリーアローズ
*** 
旅に出ましょう
それも
とびっきり寂しい旅に・・・

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