鎌倉物語 13
その時ちょうど、僕たちはせせらぎに架けられた小さな橋を渡った。そして、左手に明月院へと続く道が現れた。明月院といえばガイドブックの表紙を飾っていた寺だ。
つまり僕たちは北鎌倉駅からだいぶ歩いたことになる。明子と歩いているとついつい時間を忘れる。
明月院入口を過ぎると歩道はぐんと狭まり、その分車の往来が近くに感じられるようになる。自動車用の標識は、このまま進むと鎌倉駅に出ることを伝えている。
すると、歩道の脇に、味わいのある看板が飛び込んできた。古い杉板には「無窓庵」と彫られてあり、その横のイーゼルには紫陽花のイラストの入ったメニューが置かれ、ビーフシチューやスパゲッティの文字が見える。店は竹藪に囲まれた石段の上にあるようだ。
明子は「ここだね」とささやきかけてきた。
すでに二時を回っているにもかかわらず、店内には客の姿がある。僕たちは靴を脱いで畳の間に上がり、座卓に並べられた座布団に腰を下ろした。腰がずしっと重かった。
隣の席には年配の夫婦がいて、ちょうどビーフシチューを食べ終わるところだった。店内に漂う香りからしても、どうやらこの店の一押しはこの料理らしかった。それで僕たちも同じものをオーダーした。僕はライスで明子はパンをとることにした。
「いかにも鎌倉らしいお店ね」
明子は店内を見回しながら言い、冷水を口にした。
「無窓庵」という店の名前からして、店内には窓が存在しないのかと思ってみたりしたが、実際は縁側に大きな窓があって、外には風情のある竹が青空を背景に、競い合うかのように伸びている。
おしぼりで手首を拭きながらその光景を眺めていると、現実の視界の上に過去の記憶がゆっくりとオーバーラップしてくる。
よりによってこのタイミングでこんなことを思い出すとは、偶然というものは意地悪なものだと息苦しくなる。
その記憶とは、ハイアット・リージェンシー京都のレストランでの光景だ。あの時僕はまだ二十四歳で、目の前には美咲が座っていた。
大きな窓は朝日がふんだんに差し込むように工夫され、窓の外には限られたスペースの中にもモダンな日本庭園がしつらえてあり、若竹が整然と並んでいた。何から何まで丁寧に計算された庭だった。
当時、僕には大学時代から付き合っていた可南子という女性がいて、卒業後も遠距離恋愛を続けていた。その時一緒だった美咲とは可南子の親友で、僕たちは何度かダブルデートをするほどの仲だった。
卒業と同時に郷里に戻った可南子とは対照的に、美咲は卒業後もこれといった定職に就かず、音楽活動に励んでいた。というのも、彼女はジャズピアニストを目指していたのだ。
一方僕はというと、その頃はまだ司法試験に挑戦する身で、卒業した後も大学に残って受験勉強をしていた。
僕と美咲はたまたま近くに住んでいたためにちょくちょく連絡を取り合い、二人で食事をとるくらいの仲になっていた。同級生たちが大学を離れていった中、美咲との時間は、心を落ち着けてくれるものだった。
つまり僕たちは北鎌倉駅からだいぶ歩いたことになる。明子と歩いているとついつい時間を忘れる。
明月院入口を過ぎると歩道はぐんと狭まり、その分車の往来が近くに感じられるようになる。自動車用の標識は、このまま進むと鎌倉駅に出ることを伝えている。
すると、歩道の脇に、味わいのある看板が飛び込んできた。古い杉板には「無窓庵」と彫られてあり、その横のイーゼルには紫陽花のイラストの入ったメニューが置かれ、ビーフシチューやスパゲッティの文字が見える。店は竹藪に囲まれた石段の上にあるようだ。
明子は「ここだね」とささやきかけてきた。
すでに二時を回っているにもかかわらず、店内には客の姿がある。僕たちは靴を脱いで畳の間に上がり、座卓に並べられた座布団に腰を下ろした。腰がずしっと重かった。
隣の席には年配の夫婦がいて、ちょうどビーフシチューを食べ終わるところだった。店内に漂う香りからしても、どうやらこの店の一押しはこの料理らしかった。それで僕たちも同じものをオーダーした。僕はライスで明子はパンをとることにした。
「いかにも鎌倉らしいお店ね」
明子は店内を見回しながら言い、冷水を口にした。
「無窓庵」という店の名前からして、店内には窓が存在しないのかと思ってみたりしたが、実際は縁側に大きな窓があって、外には風情のある竹が青空を背景に、競い合うかのように伸びている。
おしぼりで手首を拭きながらその光景を眺めていると、現実の視界の上に過去の記憶がゆっくりとオーバーラップしてくる。
よりによってこのタイミングでこんなことを思い出すとは、偶然というものは意地悪なものだと息苦しくなる。
その記憶とは、ハイアット・リージェンシー京都のレストランでの光景だ。あの時僕はまだ二十四歳で、目の前には美咲が座っていた。
大きな窓は朝日がふんだんに差し込むように工夫され、窓の外には限られたスペースの中にもモダンな日本庭園がしつらえてあり、若竹が整然と並んでいた。何から何まで丁寧に計算された庭だった。
当時、僕には大学時代から付き合っていた可南子という女性がいて、卒業後も遠距離恋愛を続けていた。その時一緒だった美咲とは可南子の親友で、僕たちは何度かダブルデートをするほどの仲だった。
卒業と同時に郷里に戻った可南子とは対照的に、美咲は卒業後もこれといった定職に就かず、音楽活動に励んでいた。というのも、彼女はジャズピアニストを目指していたのだ。
一方僕はというと、その頃はまだ司法試験に挑戦する身で、卒業した後も大学に残って受験勉強をしていた。
僕と美咲はたまたま近くに住んでいたためにちょくちょく連絡を取り合い、二人で食事をとるくらいの仲になっていた。同級生たちが大学を離れていった中、美咲との時間は、心を落ち着けてくれるものだった。
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