鎌倉物語 40
・・・僕は何者かに迫られている。こんなにもぬくもりのない、それでいて執拗にまとわりついてくるもの。その正体は一体何か?
ついさっきまで心地よさに包まれていたはずの僕は、一転して全く不快な世界に堕ちている。しかもこいつは体温まで奪おうとする。僕は必死にそれを引き剥がそうとする。すると今度は顔に貼りついてくる。僕の苛立ちを逆撫でするかのようだ。
たまらず目を開ける。すると、すっかり冷たくなったシャワーカーテンが僕の体にぴったりと絡みついている。
湯にはまだぬくもりが残っているものの、ずいぶんと長い間湯船の中で寝ていたような実感がある。
僕は熱めのシャワーを浴びてもう一度身体の芯から温め直し、それからバスタオルを羽織ったままバスルームを出た。
部屋に戻ると、灯りはさっきよりも落とされているようだ。明子の名を呼ぶ。声は部屋の中に力無く吸収される。
彼女はいない。思わず彼女のボストンバッグを探す。それはベッドの下に置いてある。ちょっとした用事で部屋の外に出たのだろう。
僕は身体をきちんと拭き、ルームウエアに着替える。明子が戻って来るまでテレビでも見ようと電源を入れる。世界の経済情勢はますます悪化し、金融不安は日本にも飛び火するのではないかということをキャスターが他人事のように伝えている。
画面の隅に表示された時計は二十三時十六分を示している。風呂の中でずいぶんと寝てしまったものだとうんざりしてしまう。
冷蔵庫を開けてみる。ビールはあと一本残っているが、もっとアルコールの強いものが飲みたくなる。それで僕はホワイトホースのミニボトルを取り出し、冷蔵庫の上に置いてあるコップに注いで飲んだ。「氷がお入り用の方はフロントに申しつけください」というメモが添えてあるが、あの支配人に頼み事をする気などとうてい起こらない。
明子が部屋に戻ってきた時には、ウイスキーは身体じゅうに浸透していた。
彼女は部屋に入ってすぐにソファに腰掛け、放心するかのように宙を見つめた。
「どこに行ってたんだ?」
僕が聞くと、明子は僕がここにいることにたった今気づいたかのようにこっちを向いた。
「あ、うん、ちょっと、下にいた」
「下にはフロントと売店とレストランしかなかったと思うけど」と僕は言った。
「そう。フロントとレストランに行ってたの」
明子はそう答えたが、僕には何のことやらさっぱり分からなかった。それは自分が酔っているせいだろうかとも顧みたが、どうもそれだけではないらしい。
「フロントとレストランで、何をしてたの?」
「パソコンを借りて調べ物をしてたら、遅くなっちゃったのよ」
「あの気難しい支配人に借りたのかい?」
「でもあの人、話してみれば意外とまともな人よ。それに奥さんもいて、とても気の利く人だったわ」
「なるほど」
僕は語尾を上げて言った後、さらに質問をしようかどうか考えた。さっきから君は一体何を調べようとしているのか? それは今わざわざ調べなければならないことなのか?
だが彼女は、ベッドの前を素通りして、バスルームへと消えた。
ついさっきまで心地よさに包まれていたはずの僕は、一転して全く不快な世界に堕ちている。しかもこいつは体温まで奪おうとする。僕は必死にそれを引き剥がそうとする。すると今度は顔に貼りついてくる。僕の苛立ちを逆撫でするかのようだ。
たまらず目を開ける。すると、すっかり冷たくなったシャワーカーテンが僕の体にぴったりと絡みついている。
湯にはまだぬくもりが残っているものの、ずいぶんと長い間湯船の中で寝ていたような実感がある。
僕は熱めのシャワーを浴びてもう一度身体の芯から温め直し、それからバスタオルを羽織ったままバスルームを出た。
部屋に戻ると、灯りはさっきよりも落とされているようだ。明子の名を呼ぶ。声は部屋の中に力無く吸収される。
彼女はいない。思わず彼女のボストンバッグを探す。それはベッドの下に置いてある。ちょっとした用事で部屋の外に出たのだろう。
僕は身体をきちんと拭き、ルームウエアに着替える。明子が戻って来るまでテレビでも見ようと電源を入れる。世界の経済情勢はますます悪化し、金融不安は日本にも飛び火するのではないかということをキャスターが他人事のように伝えている。
画面の隅に表示された時計は二十三時十六分を示している。風呂の中でずいぶんと寝てしまったものだとうんざりしてしまう。
冷蔵庫を開けてみる。ビールはあと一本残っているが、もっとアルコールの強いものが飲みたくなる。それで僕はホワイトホースのミニボトルを取り出し、冷蔵庫の上に置いてあるコップに注いで飲んだ。「氷がお入り用の方はフロントに申しつけください」というメモが添えてあるが、あの支配人に頼み事をする気などとうてい起こらない。
明子が部屋に戻ってきた時には、ウイスキーは身体じゅうに浸透していた。
彼女は部屋に入ってすぐにソファに腰掛け、放心するかのように宙を見つめた。
「どこに行ってたんだ?」
僕が聞くと、明子は僕がここにいることにたった今気づいたかのようにこっちを向いた。
「あ、うん、ちょっと、下にいた」
「下にはフロントと売店とレストランしかなかったと思うけど」と僕は言った。
「そう。フロントとレストランに行ってたの」
明子はそう答えたが、僕には何のことやらさっぱり分からなかった。それは自分が酔っているせいだろうかとも顧みたが、どうもそれだけではないらしい。
「フロントとレストランで、何をしてたの?」
「パソコンを借りて調べ物をしてたら、遅くなっちゃったのよ」
「あの気難しい支配人に借りたのかい?」
「でもあの人、話してみれば意外とまともな人よ。それに奥さんもいて、とても気の利く人だったわ」
「なるほど」
僕は語尾を上げて言った後、さらに質問をしようかどうか考えた。さっきから君は一体何を調べようとしているのか? それは今わざわざ調べなければならないことなのか?
だが彼女は、ベッドの前を素通りして、バスルームへと消えた。
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